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まちとも こころのおもむくままに

==ボランティア時々写真撮影==
日々の暮らしの中で感じたこと、時々撮る写真などを綴っていきます。

50年間の振り返りから エピソード6 きれいごとばかりではない

2023-07-03 20:13:29 | 障害者福祉
相談支援は、きれいごとばかりではありません。時に危険を感じることもしばしばあります。

ある時、状態が不安定な方の家に訪問しました。一人では大変かもしれないという事前の情報があったので同僚と二人で訪問です。案の定、包丁を手に持って現れました。今、話すのは無理と判断し、その場から離れました。

アルコール依存の方を訪問した時、家族から様子を聞き、本人と話をしないことには前に進みませんので2階に上がろうとすると灰皿とか様々なものを投げ付けてきます。このケースも後日訪ねることを伝えて帰りました。

また、とても興奮して来所してきた方の話を同僚とともに聞いていた時、何が不満だったのか足でけられました。もろに脛を蹴られたのでけっこう痛かったです。その後も話を聞き続け、少し興奮も収まり帰って行きました。

覚せい剤などの薬物依存の方への対応もしてきました。多くの場合は普通に対応できますが、ある後遺症の方を訪ねた時、話している途中から様子が変わってきて危ないと思ったもののネクタイをつかまれて締められました。一緒にいた家族が止めて事なきをえましたが、それ以来、相談支援の時はネクタイをしません。

電話対応もけっこう難しい時があります。病気による妄想や感情の不安定さなどがある場合は、同じ話が延々と繰り返されたり、感情的になって怒りをぶちまけたりするようなこともあり、30分、1時間という電話対応もしばしばありました。感情的になっていても、ひたすら聞くようにしていれば大体は収まってきます。でも、そんな時は疲れます。相手の状態がわかっていて、関係ができている場合は、最初から10分とか15分というように時間制限をすることもありました。

相談支援の事例の中には、その支援を訴えられることもありました。警察官とともに病院に移送し入院させられたことが違法だというものです。経過の詳細は省きますが、何回か公判に出廷しました。裁判は市の代理人弁護士が対応しますが、書類の提出などけっこう大変でした。他にも行政不服審査請求等の対応もありました。いずれも勝訴、あるいは請求の棄却ということでした。相談支援には、状況によって法的な対応も必要になってくる場合があります。

相談支援は、マニュアル通りやっていてそれでよしということはほとんどありません。その時の状況に応じてどのように対応するのか、その場その場で考えながら対応します。時に自分の安全を考えることも必要な場面が出てきます。50年間の支援を振り返った時に、きれいごとばかりではない相談支援の1面があったことを記録しておくことも欠かせません。

可睡斎の風鈴




   


50年間の振り返りから エピソード5 生活障害あれこれ

2023-07-02 17:30:26 | 障害者福祉
静岡市内では精神障害者の地域生活支援として1970年代から共同住居という支援が行われてきました。この活動は、入院が長くなっている方の中に、支援があれば地域生活が可能という方が多くいるので、4人ほどで共同生活し、そこを支援するということで取り組まれました。当時は、精神障害になったら入院して治療していればよいという時代で、地域で生活することを支える支援はほとんどありませんでした。当時、共同住居活動を行っていたのは全国で数か所という状況でした。この活動を継続し、そこで得られた支援のノウハウがその後のグループホームの基礎になっていきました。

そんな活動に途中から参加し、20数年間この活動を支えてきました。支援の過程では様々な問題を発見します。この活動における支援では多様な生活障害に遭遇しました。

ある時、世話人が部屋の中がかび臭いことに気付き、調べてみるとタンスの中の衣類がカビだらけでした。その原因は、洗濯物を取り込む際に生乾きでもそのままタンスに入れていたためでした。乾き方の目安がわからなかったようです。目安はなかなか覚えられないので、部屋干しする時は部屋全体を乾燥させるように対応しました。

共同住居では夕食を利用者が世話人と一緒に作っていました。ある利用者は、レシピを読みながら調理すると作業が止まってしまいます。「塩少々」などという表現が理解できず考えてしまうことが原因でした。あいまいな表現が理解できない場合がしばしば見られます。「塩少々」を「小さじ半分」などと具体的に書き直すことで調理がスムーズにできるようになりました。

また、入院が長い場合は生活感覚にズレが生じます。家電製品のタッチパネルが使えない、洗剤の分量がわからないなどということもしばしばありました。慣れることで適切に使えるようになる場合もありますが、以前の感覚が浸みこんでいることについてはなかなか直らないようで、いつまでも洗濯用の洗剤を多量に使ってしまう利用者もいました。

水周りのトラブルもしばしば見られました。トイレットペーパーを大量に使ってトイレが詰まることは日常茶飯事。流しの排水が詰まることもしばしば、ある時は割りばしが詰まっていたり、ある時は雑巾が詰まっていたり、なぜ?と思うようなことが発生するのも生活障害の特徴です。

精神障害者が抱える生活上の困難については、この共同住居活動から多くを学びました。

可睡斎の風鈴





   



50年間の振り返りから エピソード4 調整機能が求められる8050問題

2023-06-30 20:48:30 | 障害者福祉
8050問題とは、高齢の親とひきこもりや障害のある子が同居している世帯で、高齢者支援と障害者支援をともに行う必要がある世帯への対応が課題となることを指しています。
50年間の振り返りをする中でも、この課題を抱えた世帯への支援を数多く行ってきました。

ある世帯には、母親に介護のヘルパー、息子に障害者のヘルパーがそれぞれ派遣されていましたが、別の事業所からの派遣でした。そのためにヘルパー同士の連携がうまくいかなく、自分の範囲内の業務しかやらないということでなかなか大変でした。同じ事業所からの派遣であれば、息子の部屋だけ、母親の部屋だけ、息子の食事だけ、母親の食事だけというようなこともなく、それぞれが世帯全体を見ながら対応できるということで、ケア会議を開いて同じ事業所から派遣するように調整してきました。

また、高齢の母親と60歳前後の統合失調症の息子2人の3人家族への支援がありました。当時は地域包括支援センターができる前で、母親と息子たちにホームヘルプ等のサービスは行われていましたが、世帯全体を見てサービスを調整する役割が明確になっていませんでした。関係者に集まってもらいケア会議を開き、世帯の方向性を考えていきました。

8050問題が提起される前から、現場では高齢の親と障害のある子どもの世帯への支援を行い、その世帯の抱える様々な課題に対応してきました。介護保険、自立支援法などが整備され、個別のサービス提供の体制はできてきましたが、いまだに世帯全体のサービス調整を行う機能をだれが持つのか定かではありません。8050問題の対応にだれが調整機能を果たすのか、欠かせない課題です。

可睡ゆりの園にて




   


50年間の振り返りから エピソード3 トイレの窓から入って安否確認

2023-06-29 18:02:21 | 障害者福祉
安否確認のため訪問することもありました。

病院から、最近通院していないので様子を把握してほしいとの依頼があり訪問しました。聴力が衰えていて、玄関をたたくだけでは応答がありません。雰囲気から在宅している様子ですが状態が把握できないので、どうしたものか考えていると、トイレの窓に気が付きました。あそこから入れないか。アパートの2階に部屋があり、外階段の上に窓があります。窓が開いたので、よじ登って中に入りました。本人はコタツに入ってボーっとしていましたが、いきなりトイレからの訪問者にびっくりした様子。事情を話し、通院するよう伝えました。普段から障害者のグループ活動等でよく知っている方でしたので、そんなこともできました。

こんな事例もありました。一人暮らしの方で、部屋で横になったまま前日から動いていないことに気付いた隣人から警察に連絡があり、助け出されたというケースがありました。たまたま隣家の2階から見える場所に倒れていたため異変に気づくことができましたが、見えない所なら死に至る状況だったかもしれません。この方も日頃支援をしていた方で救出に立ち会いました。隣家からのぞき見られているようで、通常ならのぞき見しないように文句を言われるかもしれませんが、時にお節介が命を救うこともあります。

安否確認は対応が難しい面がありますが、生命を守るという点では躊躇なく踏み込むことも大事だと思います。また、近隣が異変に気づくこともあるので、近所付き合いは大事にしたいものです。

可睡ゆりの園にて




   


50年間の振り返りから エピソード2 ひとりで通院できた

2023-06-27 17:30:48 | 障害者福祉
高齢の母親と同居している息子(Aさん)。長く統合失調症の治療を受けていました。8050問題そのものの世帯です。Aさんは、自発的に行動することが苦手です。障害者のグループ活動に参加していましたが、その行き帰りや通院の時はヘルパーが同行していました。いずれも歩いて行ける範囲でした。

ある時、通院先の精神科が閉鎖となり、転院先を探していました。薬の調整等の必要性を感じていたので、遠方になりますが県立病院に行くことにしました。将来的には近くの精神科病院に通院することをめざしつつ、県立病院に入院を打診しました。院長の診察で入院の可否を判断してもらいましたが、通院で薬の調整を行うことになりました。状態を伝える必要があり、月1回の通院に同行することにしました。半年ほど、毎月1回の通院に同行しました。

処方が決まり、近くの病院に受診先を変更、それからはその病院に自分で通うことができるように支援が始まります。しばらく通院に同行し、病院に慣れてからタクシーで通院することにしました。タクシーは母親が呼び、帰る時は病院の相談員に依頼して呼んでもらうことにしました。1年近く、このような手立てを取りながら自分で通院できるようになりました。

何もできない人ではなく、自立できる方向性を定めて支援し、待つことが大切だと感じた事例でした。

可睡ゆりの園にて