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都立国立高校史研究所

都立国立高校の近年の生徒会史を中心に研究しています。
国高の伝統とは何なのか。国高生とは何か。

【The New Frontier版国高史】その3

2006-05-16 | 国高史総合
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3.自由の活気 1970-80
 学園紛争の時期が過ぎると国高もまた、静かな状態に戻っていた。しかし学園紛争で取り入れられた様々な自由は、その後国高の校風となっていった。校風には自由の活気があふれ、独創的な活動が行われていた。
「お化け屋敷を暗くするために、黒い模造紙を買ってくるのではなく、何百枚もの新聞紙を墨汁で染めて迷路に貼った。私たちは暗闇に潜んで、一人ずつ来る女の子を脅かす。悲鳴を上げても容赦しない。46人がかりで追いつめて、プライドまでもはぎ取って廊下に放り出す。それでも廊下に連日女の子達の2時間待ちの行列ができた。」(国高50年史)
「『英語の出題範囲は、中学以来今まで学習したこと全て』と言えた時代がありました。膨大な量の、初めて見る英文と格闘している生徒がいて、他方には、その試験問題をオリジナルで【=教科書に載っていないもので】こなすために、その数倍の英文に目を通し、教科書に合わせてレベルをチェックし、問題を作る教師がいました。」(国高50年史)
 このほかにも色々な活動があった。7年間にわたって源氏物語を読破した「源氏物語の読書会」、受験直前や大学に入ってからもこの会に参加するために国高に通った人達がいた。当時文化祭では珍しかった見せ物小屋の展示「ぐうたら座」、今までにない展示を成功させるためにクラス一丸となって奮闘した。
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(以上は「ORIENTATION 1997」より引用)

The New Frontier版国高史は第3章より徐々に個別事例が多くなり、観念性を帯びてくる為、国高全体の歴史とは言い難い。補足としてこの時期の国高について同窓会HP(http://www.kunikou.jp/)から引用しておく。

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昭和40年代
S40.5.14 創立25周年記念式をあげる。
S40.9.23 創立25周年記念国高祭を行う。
S42.4.1 東京都立戸山高等学校教頭岩崎実、第六代校長となる。
S44.10.27 学園紛争おこり、全校討論ロング・ホームルーム〔12月1日まで〕
S45.3.31 北側校舎改築工事完成  プール建築工事完成
S45.10.2 文化祭〔創立30周年記念のため4日まで〕
S45.6.10 正門改修工事完成
S47.3.15 生徒会執行部部室完成
S47.4.1 東京都立竹早高等学校校長布川正吉、第七代校長となる。
S48.6.23 立川公民館にて立川地区懇談会が開かれる。〔広い通学区域の対応で各地で開く〕
S49.9.28 新体育館完成
S49.11.15 2年6組放送教育研究会で授業公開を行う。〔盛徳女子高校〕

昭和50年代
S50.4.1 東京都立八潮高等学校校長岡本武男、第八代校長となる。
S50.4.9 英語STが開始される。
S50.5.7 新入生歓迎会〔立川市民会館〕、プロの管弦楽団による演奏が行われる。
S52.4.21 新入生歓迎会。森教諭の指導で第九交響曲を演奏。
S52.6.22 合唱祭を行う。
S52.7.19 二年生歌舞伎教室を開く。
S53.5.2 第二回第九演奏会を開く〔立川市民会館〕
S54.4.1 東京都立羽田高等学校校長羽部英二、第九代校長となる。
S54.5.2 第九演奏会を開く〔立川市民会館〕
S55.6.21 創立四十周年記念行事として第九演奏会を行う。
S55.8.8 野球部甲子園出場〔第62回全国大会〕
S56.2.18 北側新校舎完成〔2485平方米〕
S57.2.25 新入試制度による第一回の入試〔学校群制度からグループ選抜制度へ〕
S57.3.13 南側図書館棟工事完成〔1718平方米〕
S57.4.1 東京都立小笠原高等学校校長杉江由里、第十代校長となる。
S59.9.15 PTA文化講演会「これからの社会と進路選択」天野東大教授

昭和60年代
S60.4.1 東京都教育庁人事部職員課長西秀夫、第十一代校長となる。
S62.11.7 PTA生活指導部懇談会〔従来の地区懇談会に変わるもの。通学区域が狭くなった〕
S63.7.20 第一回留学検討委員会〔海外の高校一年留学で30単位を与える〕
S63.11.30 3年5組小山洋、青少年科学賞において内閣総理大臣賞受賞
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(以上は同窓会HP(http://www.kunikou.jp/profile/history.html)より引用)

以上から見てわかるように、この時期の国高では第九演奏会、歌舞伎教室といった現在まで続く行事が始まり、野球部の甲子園出場がなされた。これ以後「甲子園に行った都立高校」のイメージができあがる。
また1977年には「合唱祭」が行われている。これは一年だけのものなのか、しばらく続いたものなのかは未調査である。少なくとも現在は存在せず、幻の行事の一つである。さらに現在は幻の伝統となっている「国高音頭」の成立も昭和50年代後半という説がある。これは山岳部で口伝され新入生歓迎会などで行われたものである。これについてはまた機会があれば別に取り上げたい。
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