行雲流水の生き方をしたい 2019年05月18日 | Weblog 今日は、久しぶりに近くの神社へ行きました。 すると新しい石碑が立っていました。 石碑に刻まれている字を見ると最近、自分がテーマにしている似たような字が刻まれていました。 行雲流水の生き方をしたいです。 思いを強く持って自然に導かれるままに生きていきます。 « ずいぶん前の勤務先の仲間 | トップ | 地震雲かと気になって »
4 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 行雲流水 (sasachi) 2020-11-10 10:12:18 初めまして、雲や水に関心があり、『行雲流水の生き方』の記事が目に入りました。同感です。ただ、その写真の石碑、拡大して見ると、行雲流水ではなく【行雲水流】ですね。それで、『似たような字』と表現されたのですか。それともその後に上善如水が続いているから、単なる行雲流水ではない、さらに深い意味があると考えられて『似たような字』といわれたのですか。うーん、行雲水流はどうも困りますね。別の方のブログの写真では石碑の上に棒が渡され、四手(垂)も垂れてました。そちらは11月の記事でしたが。よろしく。 返信する Unknown (mataka21) 2020-11-16 21:42:27 コメントありがとうこざいます。深い意味はなく似たような字でご縁を感じただけです。 返信する 行雲流水 (sasachi) 2020-11-18 18:40:38 どうも失礼しました。てっきり遊び心で謎謎ゲームをしておられると思ったもので、一応回答してみたつもりでした。『行雲流水』の生き方を人生のモットーにしておられる貴方が、近くの神社で『行雲水流上善如水』の碑文を目にされて、その写真を掲載しておられる。それを目にした当方としては、はて❓と首をかしげる訳です。つまり、行雲流水とい熟語は、早ければ小学生からでも覚える、とはいえ深い人生哲学を内包した表現ですね。そこで、登龍の滝の碑文にはピッタリですが、四文字では足りないから上善如水の、この老子第八章の著名の一節と水をテーマにしてセットにする、これがその碑文の発想であることは容易に推測されます。ですから、当然 『行雲流水・上善如水』と彫り込むべきですね。こうすれば、 ¶ 行雲流水 ¶ こ (う)う(ん)りゅう(すい) ¶ 上善如水 ¶ じょ(う)ぜ(ん) じょ(すい) のように、音韻の上からも対応関係がつく訳です。ところが、『行く雲・流れる水』とセットになっている行雲流水を、行雲水流にしてしまった訳です。例えば、『香雲水流』『黄雲水流』『紅葉水流』ならば、それはそれでいいんです。もっとも、水流ポンプ、あるいは淀川水流の連想がはたらくから詩的情緒は減少し、『香雲流水』『紅葉流水』の方を私は好みますが、それは人それぞれ。詩吟をされる方なら、 『 香〜雲、 水は〜〜流れ〜〜 』というふうに吟じられるかも知れませんね。ところが、この『行雲流水』は、詩人にして書家、かつ政治家の、北宋の著名の蘇東坡が用いて以来、あまりにも多くの詩人が、書家が、禅僧が、会社の社長が、、、そして貴方が、というふうに、今では天下に知れ渡ったがんじがらめの成熟語。この熟語を切断し、逆転して、『行雲水流』とするからには、その根拠提示なくしては、これはただ単に間違いと判断されるだけなのです。もっとも、根拠提示をしてみても何も解決はしないのですが。たとえば、『四捨五入』を『四捨入五』としたようなものです。こちらならば、ちょっとした言い間違い位ですみますが、あるいは、漱石枕流して、 『 私捨入悟 』だという人がいるかも知れませんが、それはちょっと。 せめて、 『 捨私入悟 』 つまり、私を捨て、悟りに入る。そうすれば、 『 去私則天 』つまり、私を去り、天に則る。天に則り私を去る、ではなく、まず私を去る、しかるのちに、天に則る、という目夏石漱の新撰、『則天去私』が生まれるかも。ただ、『則天私去』は勘弁して欲しいです。ですから、近くの優秀な小学生がこの奇異な石碑を目にして、『行雲水流』というふうに間違えて覚えてしまったら大変ですね。教科書よりもそういう石碑の影響力は大きいですよ。それこそ国語教育のパワースポットですね。そこでは七夕祭があるそうですが、懐中電灯に浮かび上がった、あるいは煌々たる月光の下に屹立している陰翳に富んだ石碑のたたずまい、くっきりとその情景が浮かんできます。即座にその小学生、心に刻印しますね。他の方のビデオだったか写真だったか、拝殿の前には『おもかる石』があり、その台の石柱には 『 澄心静慮 』という熟語が彫り込まれていますね。これは問題なく、小学生が記憶しても大丈夫ですね。ただ、『澄心静慮』などという言葉を使う小学生と話すのは、チト肩が凝るのではありますが、学術会議のメンバーになるための英才教育の教材としては、この訂正された彫心鏤骨の 『 行雲流水•上善如水•澄心静慮 』この碑文はおすすめですね。もしも『行雲流水』だったら、新幹線に飛び乗って、GO TO しますね、その石碑のもとに。あるいは、 『 行雲流水・上善如水・明鏡止水・千山万水 』 『 高山流水・落下流水・一衣帯水・洒掃薪水 』などもいいですね。ただ、『我田引水』は困りますが。もしかしてその神社、他にもそうした文学的哲学的石碑ありますか。長々と説明してきましたが、こういう次第で、『行雲流水の生き方をしたい』貴方が、『行雲水流』の奇妙な石碑を現に目撃され、しかもそれをわざわざ公表しておられるのですから、当方としては間違い探しのなぞなぞゲームだろうと思い、その回答をしてみた次第です。 『石碑に刻まれている字を見ると最近、自分がテーマにしている似たような字が刻まれていました。』ですから、『似て非なる碑』なので、『似たような』とさりげなく表現している、と推測したのです。100点はいただけなくとも、高得点はいただけると思っていましたが•••••どうも、失礼しました。この書き込みも含めて、適当にゴミ箱に処分して下さい。角川類語新辞典により、片雲の風にさそわれて、漂泊の彼方へ『洒洒落落』と去り行きます。では、このあたりで。 返信する Unknown (mataka21) 2020-11-18 23:16:43 大変勉強になりました。ありがとうこざいます。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
うーん、行雲水流はどうも困りますね。別の方のブログの写真では
石碑の上に棒が渡され、四手(垂)も垂れてました。そちらは11月
の記事でしたが。よろしく。
深い意味はなく似たような字でご縁を感じただけです。
てっきり遊び心で謎謎ゲームをしておられると思った
もので、一応回答してみたつもりでした。
『行雲流水』の生き方を人生のモットーにしておられる貴方が、近くの神社で『行雲水流上善如水』の碑文を目にされて、その写真を掲載しておられる。
それを目にした当方としては、はて❓と首をかしげる
訳です。つまり、行雲流水とい熟語は、早ければ小学
生からでも覚える、とはいえ深い人生哲学を内包した
表現ですね。
そこで、登龍の滝の碑文にはピッタリですが、四文字
では足りないから上善如水の、この老子第八章の著名
の一節と水をテーマにしてセットにする、これがその
碑文の発想であることは容易に推測されます。
ですから、当然
『行雲流水・上善如水』
と彫り込むべきですね。
こうすれば、
¶ 行雲流水 ¶ こ (う)う(ん)りゅう(すい)
¶ 上善如水 ¶ じょ(う)ぜ(ん) じょ(すい)
のように、音韻の上からも対応関係がつく訳です。
ところが、『行く雲・流れる水』とセットになって
いる行雲流水を、行雲水流にしてしまった訳です。
例えば、『香雲水流』『黄雲水流』『紅葉水流』
ならば、それはそれでいいんです。もっとも、
水流ポンプ、あるいは淀川水流の連想がはたらく
から詩的情緒は減少し、『香雲流水』『紅葉流水』
の方を私は好みますが、それは人それぞれ。
詩吟をされる方なら、
『 香〜雲、 水は〜〜流れ〜〜 』
というふうに吟じられるかも知れませんね。
ところが、この『行雲流水』は、詩人にして書家、
かつ政治家の、北宋の著名の蘇東坡が用いて以来、
あまりにも多くの詩人が、書家が、禅僧が、会社
の社長が、、、そして貴方が、というふうに、
今では天下に知れ渡ったがんじがらめの成熟語。
この熟語を切断し、逆転して、『行雲水流』とする
からには、その根拠提示なくしては、これはただ単に
間違いと判断されるだけなのです。もっとも、根拠提
示をしてみても何も解決はしないのですが。
たとえば、『四捨五入』を『四捨入五』としたような
ものです。こちらならば、ちょっとした言い間違い位
ですみますが、あるいは、漱石枕流して、
『 私捨入悟 』
だという人がいるかも知れませんが、それはちょっと。 せめて、
『 捨私入悟 』
つまり、私を捨て、悟りに入る。
そうすれば、
『 去私則天 』
つまり、私を去り、天に則る。
天に則り私を去る、ではなく、まず私を去る、
しかるのちに、天に則る、という目夏石漱の
新撰、『則天去私』が生まれるかも。
ただ、『則天私去』は勘弁して欲しいです。
ですから、近くの優秀な小学生がこの奇異な石碑を
目にして、『行雲水流』というふうに間違えて覚え
てしまったら大変ですね。
教科書よりもそういう石碑の影響力は大きいですよ。
それこそ国語教育のパワースポットですね。
そこでは七夕祭があるそうですが、懐中電灯に浮か
び上がった、あるいは煌々たる月光の下に屹立して
いる陰翳に富んだ石碑のたたずまい、くっきりと
その情景が浮かんできます。
即座にその小学生、心に刻印しますね。
他の方のビデオだったか写真だったか、拝殿の前には
『おもかる石』があり、その台の石柱には
『 澄心静慮 』
という熟語が彫り込まれていますね。これは問題なく、小学生が記憶しても大丈夫ですね。ただ、『澄心静慮』などという言葉を使う小学生と話すのは、チト肩が凝るのではありますが、学術会議のメンバーになるための英才教育の教材としては、この訂正された彫心鏤骨の
『 行雲流水•上善如水•澄心静慮 』
この碑文はおすすめですね。もしも『行雲流水』
だったら、新幹線に飛び乗って、GO TO しますね、
その石碑のもとに。
あるいは、
『 行雲流水・上善如水・明鏡止水・千山万水 』
『 高山流水・落下流水・一衣帯水・洒掃薪水 』
などもいいですね。ただ、『我田引水』は困りますが。
もしかしてその神社、他にもそうした文学的哲学的石碑ありますか。
長々と説明してきましたが、こういう次第で、
『行雲流水の生き方をしたい』貴方が、
『行雲水流』の奇妙な石碑を現に目撃され、しかも
それをわざわざ公表しておられるのですから、当方と
しては間違い探しのなぞなぞゲームだろうと思い、
その回答をしてみた次第です。
『石碑に刻まれている字を見ると最近、自分がテーマにしている似たような字が刻まれていました。』
ですから、『似て非なる碑』なので、『似たような』とさりげなく表現している、と推測したのです。
100点はいただけなくとも、高得点はいただけると
思っていましたが•••••
どうも、失礼しました。
この書き込みも含めて、適当にゴミ箱に処分して下さい。
角川類語新辞典により、片雲の風にさそわれて、
漂泊の彼方へ『洒洒落落』と去り行きます。
では、このあたりで。
ありがとうこざいます。