「ただいま入浴中」シリーズでは、素の恭子で書いてみたいと思います。
今回は、素の恭子エッセイ1回目です。
私たち女装っこが困るのは、トイレだったりですけれど、お風呂もけっこう困っています。
自宅とかホテルの部屋であれば、困らないのですかれど、スーパー銭湯とか旅館の大浴場に入りたい時は、まずB面男子に戻らないと、です。
混浴の銭湯とかあれば、ふつうに入浴できるのですけれど、なかなか無いです。
公衆浴場法には男女の混浴について明言している条文はありませんが、厚生労働省は、見た目で判断して、男女別にするよう公衆浴場を指導しています。
性自認がどうであれ、見た目で肉体が男性であれば、女湯に入ることは出来ません。(当たり前だと思います♡)
皆さんは、どう思っていますか。
今回は難しいテーマですね
ジェンダー問題が難しいのは
性自認と外見が一致しないケースがあることですよね
例えば恭子さんのような外見で日常生活をしていれば
ある程度は女性として許容されると思います
ただ、やはり難しいのはトイレと公衆浴場ですね
性自認が女性の方に手術してなければ女性として認めないとか同性婚を認めないというのは問題だと思いますが
体が男性である以上、よほど外見に違和感がない場合でも女子トイレに入るのはかなりの勇気が必要で現実は難しいのではないでしょうか
公衆浴場で女湯に入るのはハードルが高すぎます
何かジェンダーという名のもとに問題を複雑にしてしまったのかなと感じることもあります
それぞれの権利は認めてもことさらに自分の性自認は女性と強調して踏み込んで行くのはどうなのでしょうか
こういう発言ですら差別と言われかねないのもどうかなと感じます
大和撫子のように控えめでなどと言おうものならセクハラと言われかねない世の中です
トイレは多目的を増やせばいいですが
浴場は混浴にならない限り現実は厳しいというところでしょうか
昔、マグロ女ってゆ言葉がありましたよね。
エゴ女装という言葉もあります。
性差がある以上、恭子は「らしさ」は大切だと思っています。(それを差別的という考え方も当然あるでしょう)
美しさを求めるのは自然の欲求です。
花が美しいのも同じです。
生き物の世界では自然淘汰は当たり前なんです。
女性たちがメイクをして着飾ることは、欲求であり愛の原動力です。
女装の目的が性的興奮だけなら、下着女装や首下女装もありでしょう。
それはLGBT問題とは全く関係のない道楽のジャンルですよね。
一方、女性として過ごしたい女装っこは、少なくとも女性がしている努力と同じことを求められて当然ですし、パス度をあげたいはずです。
つまり「らしさ」の欲求で、分類としては憲法が保障する「表現の自由」のジャンルです。
見た目を限りなく女性に近づけることは、許されることなのです。
法的にも女性として登録したいのであれば、当然、外観(性器)も手術が必要で、それを法的な要件からはずして性自認や精神科医の(科学的根拠の無い)診断書だけでOKとした最高裁判決は、間違っていると感じます。
女性のスペースが守られないからです。
学校関係者から聞いた話ですが、最近、自分の性自認をあれこれ考えるのがトレンドで、自分は女だとか男だとか言いだす子供が増えているそうです。
LGBT理解促進法の弊害だと思っています。
「表現の自由」ならまだしも、この先、希薄な「性別変更」が増えてゆくのかなぁって思います。
「らしさ」は大切ですね。
恭子さんを「女性」として愛する心は変わりません。
また会ったときには、恭子さんから「らしさ」を感じたいですね。
「らしさ」が無かったら、性自認が「女」というのは何を以てして女なのかなって疑問です。
「らしさ」の偶像を描いて、性を自認するのではないでしょうか。
トイレのマークの「スカート姿」や「赤色」は、そういう「らしさ」の偶像ですよね。
みやびさんの前で、恭子の考える女性像を演じますよ
俺の知ってる女装娘さんも
大きなお風呂大好きで、よくご家族と行かれるのですが、
着替えの場で、ヒソヒソ話し合いながら、
ジロジロ見られるのが嫌だとこぼしてました。
やはり、女装娘さんって、髪が長かったり
乳房が膨らんでたり、女性的な身体が
男性の好奇心に興奮を与えるのでしょうね!
ちょうど先日、恭子は混浴の公衆浴場に行ってきたばかりです。
(また記事として執筆したいと思います)
そこは混浴という事も有り、多くの女装さんが来ていました。
恭子はウィッグですが、自髪を長く伸ばしている人や、おっぱいが女性のような人もいました。
見るなと言われても無理です
自然に目が行きます、
混浴表示であればまだしも「男湯」と書かれた所に、そいう女装さんたちは入りたくないだろうなぁって思います。
「混浴」と「女湯」に分ければ、良いですかねぇ。
おトイレも、男女共用と女性専用に分けるの