「フル百走」めざして世界を走り抜け!

参加した国内外マラソン大会を紹介します。大会の雰囲気、記録、旅の様子、風景、食べ物等を多くの画像とともに紹介致します。

初めてのホノルルマラソン(2010)をヘトヘトで完走しました。

2010年12月12日 | マラソン

わたしのJogNote

膝を痛めているので足が前に進まない。したがって、スピードが出ない。

ダイヤモンドヘッド辺りでは情けない限りである。せっかくの下りも思い切った走りができない。

しかし、スタート直後の花火は凄すぎる。でも、楽しめたのは音だけでそれ以外は余裕なし。

公園あたりでのクリスマスのイルミネーションは朝5時だとミステリアスで非現実的な輝きを放っていた。

なかなか折り返し地点に行き届かず、もどかしい気分&苦しい気分がごちゃごちゃで情けない。

太陽の日差しが射す頃には気温もどんどん上昇し、頭の中はフラフラ状態。

5キロ        24分44秒34
10キロ       49分27秒00(24分43秒12)
15キロ    1時間16分46秒(27分19秒00)
中間点     1時間49分38秒(32分51秒82)
25キロ    2時間10分22秒(20分43秒93)
30キロ    2時間39分03秒(28分41秒60)
35キロ    不詳
40キロ    3時間47分30秒(1時間08分26秒)
ゴール     4時間00分36秒(13分06秒85)
正式計時    4時間00分34秒でした。

ゴール後、ホテルでシャワーと冷えたビールを引っかけてからゴール地点に戻る。フィニッシュ後、シャワー・ブースで熱い身体をアイシングするランナーたち。本当に暑い日射しです。


ゴール後、ツアー参加者達と完走シャツを着て記念写真


フィニッシュ!感激に万歳!!


ビーチに移動


先にゴールした女性達がビーチで波に戯れる


先ほどまで42.195km走り続けた立派なお足


青い空、白い雲。ここがワイキキなのである。







ホノルルマラソン前日に「真珠湾」を訪ねる。

2010年12月11日 | マラソン

わたしのJogNote

ぜひとも訪れたかったパールハーバー「真珠湾」
朝6時発のツアー・バスに揺られ、ハイウェーをひたすらパールハーバーへ

明日は初ホノルルマラソンであるが昨日から少しもランしていない。実際は膝を痛めているので走れる状態ではない。しかし、だからこそ少しはゆっくりジョグをすべきだが・・・。
ホテルから1時間ほどで真珠湾に到着。朝起きてからホテルを出発するまでかなりの雨が降っていたが今は止んでいる。雨上がりのパールハーバー、白々と明けてきた湾内には凛とした空気が静かに漂っていた。

ホテル(マリオット)のクリスマスツリー


ゲートを通り過ぎてチケット売り場前、その向こうは真珠湾である。
この公園は今月7日すなわち真珠湾奇襲攻撃の日に新装オープンしたのである。
アメリカさん、なかなかやるね。


朝7時過ぎの真珠湾。凛とした空気が漂っている。


フォード島に係留されている戦艦ミズーリが見える。


オアフ島全景。真珠湾を奇襲した日本海軍機はこちら側からフォード島に突入したのである。


真珠湾は鹿児島の錦江湾にそっくりである。
フォード島は桜島。左に薩摩半島、右に大隅半島である。


第一波の攻撃図
 

第二波の攻撃図


空母赤城を発艦する日本海軍機群。左に見える写真に山本五十六連合艦隊司令長官の姿がある。
先ほど若い米人女性が「この人が山本五十六。」と連れの男性に話しかけていた。
日本の同世代の方には多分この人が誰だかわからないだろう。


戦艦アリゾナ記念館


戦艦アリゾナの第3砲塔跡ターレット


今でも海底からオイルが海面に


記念館内部。向こう正面壁に戦艦アリゾナの戦死者氏名が記されている。合掌


戦艦ミズーリが近くに見える。
 

海軍運航のシャトル・ボートで公園に戻る。
画像からわかるようにボートに、私以外の日本人は誰もいなかった。
どうやらほとんどの日本人はハワイに来て戦跡を訪ねるような人種ではない。
太平洋戦争、真珠湾奇襲攻撃とは無縁なのである。悲しい・・・。
公園内には他のアジア人種、例えば中国人、韓国人、インド人を多く見かけた。


フォード島にある戦艦ミズーリを訪れる。太平洋戦争、朝鮮戦争、そして、湾岸戦争に参戦した。
 

太平洋戦争終結時の星条旗。50州に達していないのである。


東京湾での降伏文書調印式の位置を示すプレート
 

連合国側の降伏文書(革張り)、奥が日本側(布張り)


日本側降伏文書アップ。布張りである。連合国はなかなかやるね。
 

カミカゼ・デッキ。零戦が体当たりした場所
 

零戦体当たり直前の写真
 

零戦搭乗員を手厚く葬(水葬:A Buraial at Sea)る戦艦ミズーリ乗員と艦長
しかし、ここに至るまで乗員側に大きな葛藤があったのである。当然であろう。
零戦搭乗員の家族写真も掲載。お互いに家族がいるのである。


新装なったシアター。以前は2箇所あったようだ。
 

人生の樹(左)と太平洋の十字路を示す標識


展示館(真珠湾攻撃前)
 

展示館(真珠湾攻撃)


日本海軍機搭載の魚雷。水深浅い真珠湾攻撃用に開発された。
これは不発弾である。


日系人アメリカ兵の忠誠心を示す掲示
同様の掲示がカナダ・バンクーバーの海洋博物館でも見たことがある。
日米開戦から強制収容所に連行された日系人のカナダ合衆国に対する忠誠心・愛国心だった。
 

海底に沈む戦艦アリゾナ。手前が艦首である。


戦艦アリゾナの錨
 

潜水艦ボーフィン。ボーフィンは魚の名前


潜水艦ボーフィン全景
 

艦橋横に沈めた日本の軍艦旗と日の丸が見える。旗の数は撃沈の数を示すのか?合掌


ここにはアリゾナ記念館(無料)のほか有料見学の戦艦ミズーリ、潜水艦ボーフィン、太平洋航空博物館がある。
今回はアリゾナ記念館と戦艦ミズーリを詳細に見学した。来年は残り2個所を訪ねたい。
 

スナック売り場にある招き猫。多分、右側(白)が人招き。そして、左側(金)が金招きだろう。
 

公園入口1(右側)
 

公園入口2(左側)


公園近くのバス停。42番のバスで帰るがなかなか来ない。
実は、朝ここにやって来たツアー・バスで帰るつもりがもう少し見学がしたいので、自分は市営バスで帰る事にしたのである。見学でクタクタになるが今見なければいつ見るかである。
 

バス停近くに咲いていたハイビスカス


午後4時に約束していた記念写真。ぎりぎり間に合った。市営バスは海岸通りを走らないのでどこで
降りていいやらヒヤヒヤで案の定、ホテルからかなり離れた地点で降りてしまった。
 

ゴール付近で記念写真。旗持ちが私である。


夕食は「義経」。鯖焼き定食で乾杯。何と鯖の切り身は2切れで万歳!!
 

戦い前夜。8時頃に就寝したのである。明日のモーニング・コールは何と2時である。







熱海?に到着!

2010年12月10日 | マラソン

わたしのJogNote

昨夜?成田空港からホノルル国際空港に向かうためチャイナエアラインに搭乗
午後7時30分発が定刻30分遅れでチョークアウト。ほんまに長い地上滑走を経て離陸
搭乗機は今では文化遺産とも言うべきジャンボ
エンタメが何もないエコノミー席なのでおかげて読みかけの本(塩の街(有川浩著))を
軽いJポップスを聴きながら読みふけることができた
有川浩さんは「阪急電車」も新鮮だったが「塩の街」も意外な面白さがある

初めての台湾ビール(機内で)


軽くうたた寝をしつつ6時間余のフライトで午前7時過ぎ、初ハワイのホノルル国際空港に着陸
ただ一つ肝に銘じる。「今日はまだ金曜日、そして、まだ朝、今日は長いぞ。」と睡魔との戦いに覚悟を決める
外は天気予報どおり雨の様子、青い空と白い雲そしてビッグウェーブはまだ見えない
入国審査でビックリ仰天。青い目をした兄ちゃんが「オシゴトデスカ?」、「ナンニチカンデスカ?」
と聞いてくる。機内で必死で覚えたイングリッシュ「サイトシーイング」、「ファイブ デイズ」は
どうすればいいのか?、そして、たたみかけるように「ミギテ4ホンユビカラ」、「ツギ、オヤユビネ」
とトドメを刺す。
きっと日本が戦争に勝っていれば全世界でこのような光景が見られたのではなかろうか?

さて、全ての手続き終わって外に出るが、間違って個人用の出口に出てしまった。
事前に勉強はしていたのだが、あるはずの「個」、「団」の標示を見つけることが出来なかった
何でも思いどおりにはいかない。しかし、すぐに団体出口に移動。運転手そしてツアーの仲間達と合流
行方不明の家族連れともやっと合流でホテルへ移動

外は雨。私は思わず知人に叫んでしまった。「何だか熱海に来たみたいだ。」と・・・
それほどに雨世界で思い描いていたハワイの景色と乖離していた

ホテルに到着後、今後の予定を確認してコンベンションセンターでゼッケンの受け取り
そこでファイテンのブースでキュウリのQちゃんに会う(むかしのQちゃんは何処へ?)
Qちゃんも年を経てだんだんと怪しい姿に近づきつつある(私もそうであるが)

エキスポ会場


(Qちゃん)昨日おねしょした人右手を高く挙げなさい。(私)ハ~イ!


お昼はみんなで近くのアラモアショッピングセンターに移動。フードコートで食事
大混雑で席を確保できないので各人バラバラで食事。雨で余計混雑しているのであろうと思う

食事を終わってからシャトルバスでホテル近くに移動
私はみんなと別れて事前に予約していた「アリゾナ記念館プラス戦艦ミズーリ号ツアー」の
チケットを受け取るためにお隣のホテルにあるJTBツアーデスクにむかう

ツアーデスクで発券中に何と一瞬ホテル内の停電でPCがダウン
なかなかPCがホストコンピュータとつながらなかった。担当者も私もイライラ
40分近く無駄に過ごしてようやくチケットを受け取りホテルへ戻る

部屋に入ると22階のお部屋は思いのほか豪華でヒデキ大感激。テラスには椅子2席とテーブル
そして、雨でかすんでいるが左方向にワイキキビーチのオーションビュー(ただし余計なビルが一つ)

ホテルのテラスからワイキキビーチ


ようやく、ここが熱海ではなくあこがれのハワイであることを実感
そして、次は重大なお仕事「ビール」の買い出しにABCマートに出かける

ABCは日本で言えば「朝日放送」である。なかなか親近感のある名前である
しかし、眠い。早くビールを確保せねばと「必死のパッチ」で出かける(わかるかな)

雨もようやく上がり、ワイキキビーチを散策。いつもライブカメラでビーチの様子を確認
していたハワイ出身のサーファー「デューク・カハナモク」像とライブカメラ本体の姿を
この目で確認。ネットの普及と成果を再認識しつつ、再び、夕焼けのビーチを満喫

私は怪しいです。


逆光でメンゴ、私がデュークです。いらっしゃ~い!


ライブカメラのURLと画像です。
http://www.honolulu.gov/multimed/waikiki.asp


やはりグーグルのストリートビューで確認していたABCマートでビールとともに
今日の夕食(パスタ)をここで確保。日本のコンビニみたいで何でもあるので有り難い
店員さんにハワイのビールを尋ねて3本の銘柄の異なる瓶ビールを確保した

ハワイの地ビール“コナ・ビール”何とも甘ったるかった!


ホテルに戻ってからバスタブにお湯を張ってとりあえず汗を流し、ビールを美味しくいただく
でもノドがぐるぐる鳴らない。黒ビールのため甘ったるい。すっきり感は今ひとつだな失敗

あしたは朝7時パールハーバーへ出発なので早く寝る
本当に長い金曜日だった。24時間プラス19時間で43時間である。
しかし、帰国の月曜日はたったの5時間で火曜日となる。
日出ずる国の証(あかし)である。

ちなみに客室内のインターネットは有線LANで3日間46ドル
安いか高いかわからないがこれでひと安心。日本の情報もこれで大丈夫V
プロ野球のシーズン中はどこにいても我らが阪神タイガースの試合経過が心配なので
インターネットが必需品である。

ワイキキビーチからマリオット・リゾ・スパ


ダイヤモンドヘッド(私の頭は少しスキンヘッド?)


マラソンゴールのカピオラニ公園です。


二日後、私はこのゲートをくぐれるでしょうか?


この木なんでしょう


夕闇とボディーボード


ハワイの日没


ワイキキビーチのホテル







これからハワイに向けて出発します。

2010年12月10日 | マラソン

わたしのJogNote

今日はいよいよ出発の日、先ほど自宅近くの小櫃川河川敷を走ってきた。
最高にすがすがしい好天気です。また、最高に調子がいいです。
そして、走り終えてお風呂につかりきれいさっぱり。
身も心も日本晴れ

  体重 63.7㎏
  体脂肪 14.6%
  今日の基礎代謝量 1,468キロカロリー/日
  体内年齢 26歳
  骨量 2.8㎏
  内臓脂肪レベル 9(標準)
  筋肉量 51.7㎏
  筋肉量スコア 0(平均的)

体重も63キロ台で体調もいいことがわかります。
これから成田に移動して午後7時30分発ホノルル行き
チャイナエアラインに搭乗。
しばし、最愛の国「日本」とのお別れ。

ハワイの様子は次のライブカメラでご覧あれ
ワイキキビーチ
http://www.honolulu.gov/multimed/waikiki.asp

クヒオビーチ
http://www.honolulu.gov/multimed/wme.asp






ホノルルマラソンは雨か、そして、滞在中ずっと雨・・・・アマガエル喜ぶ

2010年12月08日 | マラソン

わたしのJogNote

久しぶりの書き込みです。
これまで両膝に生じた変形性膝関節症克服のため潜伏してました。

おかげで何とか以前のスピードを出すまでに復活
それは違う 正しくは 不死鳥フェニックスの如く蘇ったのであります。

巨人の星 星飛雄馬のように(誰?って言わないでお願い!!)

2009年8月北海道マラソンでの地獄の42.195キロメートル
この世の地獄でした。そして、その後も地獄の日々でした。
言葉に文言で言い書き表せない苦節15ヶ月の日々
正確には、3,888,0000秒の滔々と流れる時(とき)でした。

そして記念の生まれ変わる小生の復活レース

その、あこがれのホノルルマラソン。わずか3日の滞在だが・・・・雨、雨、雨の3連発
大好きなビールの駆け付け3杯ならウェルカムなのに

いったい常夏のハワイ航路は見られるのだろうか?
♪あ~あこがれのハワイのホノルルマラソン♪

今後の予定
12月25日~30日 那覇で静養(ジンベイ君とマンタ君に会って来ます!)
1月下旬 館山若潮マラソン
2月下旬 青梅マラソン
3月下旬 佐倉朝日健康マラソン
5月上旬 毎度バンクーバーへの島流し 流刑期間は約10日間
8月下旬 リベンジ 2011北海道マラソン

仏様神様キリスト様お願い(私は仏教徒ですので第一番) ワイキキの空に青い空と燃える太陽を!
そして、我がマラソンロードに栄光を!あらん限りに!南無阿弥陀仏

雨のハワイ、ザ・バス8番でショッピングセンターで暇つぶしか
バス代も2.50ドルに値上げとか(ゼンゼン響かないがクォーターが使えて小銭入れが軽くなるかな)

話変わりますが、先週、浅草に行って見ました。
世界遺産セーヌ河岸クルーズみたいですが隅田川クルーズとスカイツリーを思う存分楽しんできた。
しかし、スカイツリーは我が舞鶴湾を見守るようににそびえ立つ五老スカイタワー(高さ海抜347m)
に比べると確かにセコかった。



たぶん愛がないのだと思う。ただの電波塔、ウドの大木のよう。そして眼下はコンクリートジャングルの無機質
で平面な世界が広がるのだろう。

「五老スカイタワー」は何かしら品格そして愛がある。眼下の景色も近畿百景第1位なのである。



そして隅田川、我が舞鶴の与保呂川(別名:新川)に比べるとやっぱりセコかった。
与保呂川の川面からメダカの学校♪が聞こえて来るようである。



セコい理由:水が汚い→心が汚いに通じる。片や与保呂川→水が綺麗→心が綺麗→そこで育った私も綺麗
(つながる→万歳!)
スカイツリーも隅田川も、セーヌのようにバラ色の人生♪(ラビィアンローゼ)の如く
花 (唱歌♪春のうららの隅田川)♪を何気なく演出すればムードがあがるのではないでしょうか?
でも隅田川のクルーズで台無しなのは首都高と車の姿かな、桜の優雅さもありゃしない。
ときどき前の車をあおるクラクションの音が川面にうるさく響き渡る。
救急車のサイレンの音も慌ただしい限り・・・

リピート
仏様神様キリスト様お願い!ワイキキの空に青い空と燃える太陽を!
そして、我がマラソンロードに栄光を!あらん限りに!南無阿弥陀仏

















実はこの日いつものとおり皇居外苑でランするつもりがシューズを忘れて自暴自棄で浅草見物したのであります。
翌日は地元木更津で小櫃川沿いをLSDします。これはオフ・コース”ハワイ対策”です。