既にレポートしている人もいらっしゃるが、佐倉の国立歴史民俗博物館の暮らしの植物園で「古典菊」展が開催中。往復5時間かけて出向いた。
100種を種から育てたとあるから野菊もあるかなと思ったが、嵯峨、伊勢、肥後、江戸のスレンダーな古典菊だった。ここは古典菊の保存と、力余って改良もやっているようでまだ品種名のついていない綺麗なキクもたくさん並べられていた。
嵯峨菊は嵯峨流生け花もある嵯峨天皇の花の御所大覚寺で江戸期までは門外不出だったようだ。これは歴嵯14号でまだ名がないようだ。「友禅菊」と恥ずかしながらこんがらかっていたようで、出向いてすっきりした。
肥後細川侯の名は花菖蒲でも登場した。「乙女のほほえみ」
伊勢菊は神宮中心で伝えられた嵯峨菊の流れ。「紅絞り」
江戸菊の「下谷金鶴」
佐倉城は11万石で何人もの老中を出した有力藩。明治の尾張候はこちらからの養子と蓬左文庫で見たような。この城は石垣がなく土塁と板塀で囲っていたようだ。建物は何も残っていない。
100種を種から育てたとあるから野菊もあるかなと思ったが、嵯峨、伊勢、肥後、江戸のスレンダーな古典菊だった。ここは古典菊の保存と、力余って改良もやっているようでまだ品種名のついていない綺麗なキクもたくさん並べられていた。
嵯峨菊は嵯峨流生け花もある嵯峨天皇の花の御所大覚寺で江戸期までは門外不出だったようだ。これは歴嵯14号でまだ名がないようだ。「友禅菊」と恥ずかしながらこんがらかっていたようで、出向いてすっきりした。
肥後細川侯の名は花菖蒲でも登場した。「乙女のほほえみ」
伊勢菊は神宮中心で伝えられた嵯峨菊の流れ。「紅絞り」
江戸菊の「下谷金鶴」
佐倉城は11万石で何人もの老中を出した有力藩。明治の尾張候はこちらからの養子と蓬左文庫で見たような。この城は石垣がなく土塁と板塀で囲っていたようだ。建物は何も残っていない。
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