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奴隷市では売買 奈良東大寺の売買記録もでています。

以下?????
[『庶民日本史辞典』(日本シェル出版)』という八切氏の著書に、この『青春』に
ついて解説されてますので、御参考の為に以下に転載しておきます。
なお、適当に用字を変えている個所もあります。(例:符ちょう→符牒)
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青春
 現代では良い言葉だが、幕末までは、お寺の隠語で「見頃食べ頃」の少年少女を、
人買いが雪どけを待って訪れてきた時に渡すため寺人別帳に記入していた符牒。
 親の為に身売りをするとか、年貢を納める為に女郎屋へ売られてゆくといったよう
なプロセスは、ずっと後世の江戸期に入ってからのことです。それより昔は飼ってい
る牛や豚に子をうませたのを、市場へだしてせりで売るようにしていたのです。つま
り庭子とよばれたのが男女別々に寝泊りさせられていたのも、女達を主人専用にする
為だったと歴史家は説明していますが、そういうことも実際は当然あったでしょうが、
改良品種を市場へ出して値を良く売る為に、主人の眼鏡にかなった男と女だけが、時
々交配させられたのは、種とりが目的でもあったのです。つまり雪どけの春がくると
人買いが、せり市へ出す為に、器量の良い少女や働き者らしくみえる少年を求めに訪
れてきます。ですから食物なら食べ頃というのでしょうが、青の子供の「しし」たち
の売り頃が、青春なのでした。
 唐突のように思われるかもしれませんが、その為にこそ寺人別帳なるものが明治ま
であったのです。荘園はなくなっても寺院はずっとあったので、各寺の和尚さんは私
有財産の台帳として、太郎兵衛とお花の間に生まれたのが、ぼつぼつ十三、四になる
から値をよく売ってやろうと筆を動かし勘定をしていたのです。なにも御慈悲で親切
に戸籍係のような帳面をつけていたのではありません。<野史辞典>の巻末には、天
平十八年頃の25歳の娘のとして値段がキビ千束とありますが、本当の処は高梁
の束のことで、奴隷市では売買されていた実存の奈良東大寺の売買記録もでています。
恰好よく使われても、本当の歴史で真実をたぐってゆくと庶民には哀れ悲しい苛酷な
恥辱の語源。
「本当のことを言ってしまっては、実も蓋もない」と古来よく言い伝えられてきてい
るのも、こうした訳け合いからでしょうし、「木が沈み、石が流れるのが世のならい」
とも賢しい方はおっしゃっています。
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