時評が語るその時代

思うままに日々感じたことを掲載

徒然なるままに(138)

2017年10月27日 | 日記

●公正取引委員会はフリー就労を独禁法で保護する検討をしていると云う。要らぬお世話です。あらゆる契約や制約、法による規制を望んでいないから、私はフリー就業をしている。もちろん保護だけ受けて心身は自由なんて都合の良い事も考えていない。基本的にフリーランスは能力が武器の就労形態です

●既成政党や議員は、国民の声を良く聞いて、それを施策に反映すると言うがそれは間違いだ。政党や議員は、自分の信念・理念、政策を国民に訴え、国民に納得を得それを政治に反映実行して行くのが正道だ。大阪の橋下氏は、常に発信し説得して自分の理念を浸透させ府市政を進めていた。石原前東京都知事も、東京メディアに汚染された東京都民の意見を聞く気など全くなかった。自分の信念に基づく都政を推進し、結果的に都政は前進し都民も納得した。既成政党は、それが出来ないでいる。国民の声を聞きながら公約を造りそれをいかに実施していくかに汲々としている。大衆迎合政治では、既得権者ばかり増えまともな政治は出来ない

●日本軍にまとわりついた韓国の売春婦を象徴した慰安婦少女像。経緯を考えれば韓国にとっとて恥の歴史。その像を「平和の少女像」と名付け、市民団体が韓国釜山の日本総領事館前にも設置した。一度は排除しようとしたが釜山広域市東区区長は、世論に押されて慰安婦少女像を保護する方針に転じたことで、撤去はさらに困難な見通しとなった。「歴史に長く残る文化遺産になることを期待する」とまで話したという。嘘も百回言えばホントになる、恨みは1000年忘れないと云う韓国。韓国は「情治国家」だとは思っていたが、恐ろしいほどの「衆愚無法国家」で、烏合の衆のその時の感情で動く近代国家とは程遠い未開発国家だ。まだ、北朝鮮の方が国家の体をなしている

●「子供は社会の宝」「子供はみんなで育てよう」とか言われます。社会福祉活動や自然環境保全運動、動物愛護運動などに取り組み文化程度の高いと思われる人々は、「社会は親と一緒になって大切に子供を育てて当然」と主張しています・・・が・・それらの人の集会に参加すると・・子供はやりたい放題で、親も周囲の大人も何も言わない。文化程度の高い人の集団と思っていたのは、大きな間違いで・・自己主張は強いが、生活文化の低い人たちの集会か?と思ってしまった。子供は、体感教育を受けない限り動物と同じです。子供は、教育されて人間に育っていくのです。福祉、環境、動物愛護も大切ですが、その前に自分の子供を人間に養育しましょう

●「責任能力がないから刑法39条の適用が相当」という理由で無罪や減刑を求める風潮が強い。刑法39条は、精神発達障害者や精神機能障害者を「人間扱いしない」で、特別な存在の「動物と位置づける」という差別を前提にしているとしか解釈できません。被害者は、「責任能力がない」人間でない何に殺傷を受けたというのでしょうか?熊か犬にでも噛まれたのか?動物に人権はありません。人間を傷つけた動物は隔離するか殺すべきと誰もが思うでしょう。なのに人を傷つけ殺しても精神発達障害者や精神機能障害者は、無罪放免の放し飼いですか?

中国で、ヤフージャパンの検索サービスが利用できなくなった。中国当局は、インターネットの閲覧規制を強めており、ヤフージャパンの検索サービス接続障害もその影響とみられている。ヤフー広報室は閲覧できなくなっている状況について「システムの不具合やトラブルが原因ではない。状況の推移を見守りたい」としている。日本では、スマホを使っていると突然ヤフーのサイトが飛び込んでくる。スマホジャックに等しく、邪魔以外の何物でもない日本でもヤフーの接続規制をしてもらいたい

●アフリカ東部のケニアの自然保護区で、全身が真っ白なキリンの親子とみられる2頭が確認され、その動画がインターネット上で話題となっている。体の一部で色素が作られなくなる「白変種」と呼ばれる個体とみられ、キリンでは非常に珍しいという。人間は元々黒人だけだったが、このキリンと同じ「白変種」の人間、すなわち白人が数十万年前に発生した。一般的に「白変種」は力が弱い。白人は黒人に追われ北の寒冷地に追いやられたが、数千年前から南下を初め現在の欧州地域に住み始めて・・・生活するのに適さない寒冷地の過酷な条件で生きていくには、闘う知恵が必要だった。数十万年にわたり「闘う遺伝子」を積み重ね知恵を付けていった白人と、温暖地でのんびり過ごした黒人との違いが、近代の人種環境差を生んだ。過酷条件下での生活は、動物に知恵と生きる力を与える。でも多くは耐え切れず堕落淘汰を選択する。

●憲法は誰のためにあるのでしょう。多くの人は国民の規範と思っていますが、憲法を守るべき人は「時の為政者(政府)」です。憲法は、その秩序を作る国家(司法・行政・立法府)の暴走を防ぐために存在しています。憲法は、国家から国民を守るため国民が定めたのです。時として為政者は、憲法を自分の都合のいいように解釈して国民の意思(憲法の意思)を無視したような法律を造ろうとしますが、国民の監視は重要です。だからと言って金科玉条のごとく憲法を守ろうとするのも間違いです。世界は動いています。社会環境も常に変化しています。だから世界や日本の社会情勢環境変化に対応できる様、憲法も国民の手で改革改正する必要があります。あくまでも憲法を改革改正するのは国民であって、憲法を守るべき立場の為政者ではありません。ちなみに法律は社会の秩序を守るため国民が守るべき規範です