時評が語るその時代

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日本文化の分岐点

2024年05月03日 | 日記

近代で日本文化が大きく変わったのは昭和35年から昭和40年の間である。近年の日本文化分岐点は1960年から5年間で、日米安保条約が改定されるなど政治・経済構造、人々の考え方と価値観、社会構造が大きく変わり古い日本文化は捨てられた。戦後25年経ちアメリカ駐留施策や朝鮮戦争特需で驚異的な経済成長がはじまった。「漫画」が「劇画」「コミック」「アニメ」と言われるようになった時代で、『三丁目の夕日』はこの時代を舞台にしている。集団就職で地方から都会に向け民族の大移動が続き、多世代同居の家族構成は崩れ核家族が当たり前のようになった。これが団地を生み、共働きの両親と子供2人の文明生活が始まった。東京タワーが立ちカラーテレビ放送も始まり、高速道路開通、新幹線開業から東京オリンピックへと突き進んでゆく。日本経済は高度成長時代に入り、日本人の考え方や価値観は劇的に変化した。

それまであった日本文化の義理人情、恥と謙遜、奥ゆかしさ、絆、年長者への敬意、村意識などは衰退し、食・言葉・服装・生活様式は欧米化していく。女性の社会進出も進み、社会に「みんな一等賞」的思想も芽生えていった。こうしてアメリカの占領政策で採られた自由平等平和主義が、消化不良のまま当り前の思想として定着していったのだ。戦前の「君に忠、親に孝」的教育は捨てられ、アメリカ式の個人主義、平等主義が教育の根本思想となっていく。1965年になってその教育を受けた人が初めて教師として教壇に立ち始める。ここから一気に日本文化は変革されていったのだ。

先生はお友達的立場で男女平等、家庭では友達夫婦の環境でマニュアルに沿って、体感経験のない夫婦が友達親子として育てていく。多世代同居、村意識の時代にはなかった自由と平等が得られた半面、多世代同居だからこそ得られる体感経験を生む機会は萎んでいく。世間は「みんな一緒」「みんな平等」を当り前として受け入れ、その考え方は急速に浸透していった。人の結びつきや労働の尊さより、お金と物欲を大切にすると云う風潮も定着していく。50年代前の子供は、人と違う事に価値を観てそれを個性として受け入れ尊重していたが、この時を境に人と同じである事が大切で異質のものを疎外するように変わっていく。人と同じ考え行動発言をして仲間外れにならないように努めようとする。これは1960年から芽生え始めた行動パターンである。みんなと一緒でないとイジメにあうと恐れ、違う部分を持った人を排他しイジメる。欧米の個人主義、平和主義を理解しないまま教育され、偏り間違った個人主義・平等主義がはびこった悲劇である。「みんな一緒」「みんな平等」の考えが「みんな一等賞」を生み、競争・闘いを否定したため、日本人から「個性」を奪い日本の「活力・気力」を奪ったのだ。現在70歳以下の人は、戦前の日本文化を享受していない。80歳以上の人は、習慣や風習も含めた古い日本文化の片りんを体感経験しているのに、敗戦で自信を失いそれを伝授しようとしないがその罪は重い。いわゆる革新団体が、競争や闘いを否定した情報宣伝と教育を推進した罪はもっと大きい。「闘い方を知らないと平和は得られない」というのが世界の歴史である。

戦前の日本文化は、義理人情、恥と謙遜、奥ゆかしさ、年長者への敬意、村意識を大切にし「君に忠、親に孝」的教育を行った。今の日本文化より優れているとは思わないが、「みんな一緒」でなく個人を重んじ体感経験を大切にした良いところは生かすべきです。個人を尊重し、各人が自立する公平公正な社会、権利権限と義務責任をバランスよく重んじる日本文化が育つような社会を目指すべきです