えんめい〜縁命

82歳、ひとり暮らしの母が入院しました。

母の家の片付け 7月27日(水)

2016-12-30 14:15:56 | 日記
母の家の不用品回収の日が29日と決まったので、その前の最終片付けに行きました。
テレビと扇風機と電機ストーブは、母のお友達のNさんが貰って行かれました。
洗濯機も冷蔵庫も比較的新しいので、不用品とするのは勿体無いような気もするのですが、新しくても必要がない物は不用品なんですね〜。

箪笥の上に、私が母の日に送った品物の包装紙とカーネーションの造花が置いてあって、ちょっと切なくなりました。
母の日は毎年、お茶が好きな母にお茶とお菓子のセットを贈っていました。

誕生日には、お花や財布やバッグなど。
去年中綿のベストを贈ったら、暖かくて軽くて着心地が良いと、とても喜んでくれました。
「ポケットがあるからとても便利よ!」とか、「裏も表も着られるようになっているの!」とか、
会いに行くたびに嬉しそうな顔を見せてくれました。

母の家の片付けに来て、母の生活が少し見えた気がしました。
質素で慎ましやかな生活が。



娘と一緒に母の家の片付けに行って思った事 7月24日(日)

2016-12-30 00:45:05 | 日記
娘と母の家の片付けに行きました。
ずっと1人でコツコツ片付けてきたんですけど、自宅に送りたい荷物があったので娘にコンビニまで運んでもらおうと思ったのです。
娘は小さい頃おばあちゃんに会ったきりです。

母は46歳の時、職場の男性と駆け落ちして、福岡から東京へ来ました。
私は24歳。弟は21歳でした。
数年後に私にだけ連絡がありました。

私は32歳で結婚し、翌年娘が生まれました。
娘が小学校の低学年までは、夏休みに娘を連れて母のところへ遊びに行きました。
でも娘がだんだん大きくなってくると、一緒に住んでいる駆け落ち相手の男性の事をどう説明したものか、とか思ったりして、足が遠退きました。
娘はオジサンと仲良かったし、オジサンもすごく良くしてくれたんですけどね。

オジサンはその後、フィリピンの女性との間に子供を作って、結局フィリピンへ行ってしまいました。
それから母はずっと一人暮らしです。
娘は東京の大学へ進学して、東京の会社に就職しました。、
私は、娘が東京の会社へ就職してから、娘と一緒に住むために上京しました。

母の家の片付けをしていると、娘の小さい頃の写真や年賀状などが出て来ました。
娘は懐かしそうに見て、遊びに来た時を思い出していました。
私は今、娘と一緒に暮らせて幸せだけど、母は一人で寂しかっただろうなと思います。

母が引っ越してからは月に2度会いに行っていたのですが、引っ越す前は月に1度でした。
もう少し頻繁に顔を見せれば良かったなと思います。


不用品回収の見積り 7月20日(水)

2016-12-28 01:25:36 | 日記
母の家の不用品回収の見積りに来てもらいました。
チラシが入っていたのを何種類か取って置いて、1番安いところに来てもらったのですが、チラシに書いてあった金額だけでは収まらず、22万〜25万円と聞いてビックリ!
でも家電がリサイクルできそうだとか、何だかんだの話になって、結局12万円までになりました。
何それ!?って感じです。

しかもその場で契約書を書かされそうになったんです。
「いや、今日はお金を用意していないので」と言ったら、
「一部だけで結構ですので」
「一部も持って来ていないので」
「では今日持って行けるものは運びますので、その間に銀行でおろして来ていただければ良いですよ」
「通帳とかカードとか持って来ていないので」
「では特別に契約書だけ書いていただければ、それで結構ですよ」

あまりに契約を急がれるので不安になりました。
明後日もうひとつ別の会社に見積りに来てもらうので、それから決めたいと言いました。

別の会社に見積りに来てもらうというのは本当です。
最初から2つの会社に電話をして、20日と22日に見積りに来てもらう事にしていたのです。
この日に来てもらったE社には、その日のうちにお断りの電話を入れました。
そしてネットで調べたK社に電話をして、22日の午後見積りに来てもらう事にしました。
結局このネットで調べたK社と契約しました。

午前中のD社は128,250円。
午後のK社は82,080円でした。
K社は口コミの評判も良く、1番人気の会社でした。
最初からネットで調べておけば良かったな〜

ネットを見て分かったのですが、不用品回収の会社って多いんですよね〜
生存競争が激しいんだろうな〜と思ったら、あの強引さも頷ける気がします。
必死なんだろうな〜。
でも私も必死なんですーー!

経管栄養の患者さんの病室 7月18日(月)

2016-12-26 23:56:02 | 日記
日祭日は面会が11時からなので、11時過ぎに行きました。
ところが、看護師主任のSさんに「面会は13時からですよ」と言われました。
「でも1階の受付には11時からになってますよ」と言うと、
「あれは一般病棟の時間なんですよ〜。療養病棟は13時からと書き直して置いてくださいと言っているのに、ま だそのままだったんですね〜。
でも入院案内には13時からと書いてあるはずですよ」
と言って、入院案内を確認されました。

確かに日祭日13時〜20時となっていました。
多分入院の時に説明を受けたと思うんですけど、すっかり忘れていました。
療養病棟は一般病棟と違って、日祭日でも午前中にやる事が色々あるのだそうです。

今回だけ特別に面会されてもよろしいですよ、と言っていただいたのですが、ご迷惑をおかけしてもと思い、帰る事にしました。
「そういえば今日、病室を移動したんですよ」と言われたので、病室だけ確認しました。
今までより1階上でした。
5人部屋の1番奥。
入口のところから様子を見るだけして帰りました。

2日後に面会に行きました。
5人のうち、母を含めて4人が経鼻経管栄養でした。
どのベッドにも患者さんの両脇にぬいぐるみが置いてあります。
顔を触らないようにするためのようでした。
ぬいぐるみを両脇に置いていると、顔に手が届かないからでしょう。

母のベッドにも可愛らしいお人形が置いてありました。
母は『ペコちゃん』と呼んでいました。
母はあまり顔を触らないので、お人形は1つだけでした。

以前の病室はナースステーションのすぐ前で、長くいると注意されたので10分ぐらいで帰っていましたけど、病室を移動してからは30分ぐらいいるようにしました。



母の友達 7月13日(水)

2016-12-23 11:54:10 | 日記
母の友達のNさんが電話を下さいました。
入院当初は週一くらいのペースで、今でも月一くらいに「お母さんの調子どう?」と電話して下さいます。

Nさんは70代くらいの女性で、母が引っ越す前に住んでいた家のお隣さんです。
いきいき教室にもNさんと一緒に行っていました。
母にとって唯一の友達と言っても過言ではないと思います。

息子さんは2人とも結婚されて、近くのマンションに住んでいらっしゃいます。
現在は旦那様と愛犬との生活のようです。

社交的な方で、私にも気軽に話しかけて下さいますし、スーパーやコンビニでおしゃべりしていらっしやる姿を何度も見かけました。
母は社交的ではないので、Nさんのお誘いがなかったら、いきいき教室にもいっていなかったと思います。

転院する前はお見舞いにも来て下さいました。
今は「遠くなってしまったから、なかなか行けなくてごめんね〜」とおっしゃいました。
最近認知症がかなり進んできた母、Nさんが来られた時に認識できるか気になるところです。