The Beautiful Mind

「慮る」「もてなす」など美しき(日本の)心が生み出す、
長い間に培われたすばらしい文化への探求リポート。

思い出の品は財産か?

2007年01月02日 21時58分55秒 | おもむきあること
 昨年亡くなった父のマンションをようやく片付けた。老人の一人暮らしだったから、本と身の回りのものが少しばかり。本は近所の小さな古本屋に売り、荷物は処分屋に引き取ってもらうことにしたが、個人的な手紙や祖父母の家を売る際に持ってきたと思われる古い写真や祖先の遺品や絵などの扱いには困った。
 もともと6年前に相続税を支払うために母屋である祖父母の家と我が家を取り壊して土地を売却することになり、その際に処分した品は数え切れぬ程のものだったらしい。
 父のマンションにあったものはその一部だが、それでもかなりの数だった。

 私自身は当時海外に暮らしていたのでまったく知らなかったのだが、この度の片付けを経験してあの古い一軒家の物を処分する大変さを身をもって知ることになった。
 思い出せば、当時、父から祖母(父の母)の嫁入り道具である桐のタンスがあるといわれ、大好きだった祖母の形見として欲しかったものの、実家もなく置き場所が無かったため、また海外に輸送する料金もあまりに非現実的だったので、あきらめて売ってもらったことがあった。
 
 こんなことを経験すると、小さな物はともかく家具など大きなもの(ましてや家もだが)に「末代まで残せる物を」という概念を持ちにくくなってしまうな、と思ってしまう。何かを手に入れるとき、どうせ買うなら良い物を・・・と思う気持ちの裏には、その使い心地や見目形の美しさなどの「気に入った」感もさりながら、「長く使える」
からということもあるのではなかろうか。
 最近は新しく建てる家に、古い家の欄干や木材を用いたりするようであるが、それも悪くないなと思う。
 ただ、そういう特殊なケースをのぞくと新しい現代的な建物に古い家の物をマッチさせるのはなかなか難しい。

 日本家屋はどうやってもどってくるのだろうか? 古民家や京都の町屋の改築ブームはあるものの、東京で快適な日本家屋にすむのは難しいだろう。
 日本の工芸を促進させるためにも、相続税などによりどんどん切り売りされる家や土地をもう少し元のままにさせることはできないだろうか。
 そんなこといったら「平等主義」に怒られちゃうかな。

はじめに ~First of all~

2007年01月01日 14時48分30秒 | おもむきあること
 ブログのタイトル「The Beautiful Mind」とは、30過ぎて初めて住んだ海外生活を通して、「おもてなし」や「慮る」など心遣いを通して築かれている日本の文化を探求してみたいと意味を込めました。海外生活はアメリカ、ニューヨークでしたが、一番始めに自国の「beautiful」を感じたのは、レストランの「トイレ」でした。日本食、とくに寿司、そば、高級和食のレストランではそこで食事ができるかと思うくらいトイレがきれい。それに匹敵するくらい清潔なトイレは残念ながらありませんでした。飛行機も席が狭いと思いながらも日本の航空会社を選んでしまうのは、やっぱりトイレのせい。フライトの最後までに何度もトイレ清掃を行うからです。
 
 帰国してすぐ、なぜか急に思い立って行きたくなった「伊勢神宮」では、行く道すがらに流れている五十鈴川で、昔は身を清めてからお詣りをしたといいます。「清める」「潔斎」などは神社やお寺でだけではなく、茶道など「道」とつく名の文化では基本中の基となっています。

 お客様が来るのに掃除をしない人は少ないでしょう。来た人に「気持ちよく過ごしてもらいたい」から一所懸命私たちは掃除します。

 そういうのを「思いやり」というのではないでしょうか。
 丁寧に心を込めて作る食事はおいしい。いわれたからやるのではなく、来てもらったお客さんに喜んでほしいから考えたサービスを提供する。私は、前者を「get(獲得)するサービス」後者を「recieve(享受)するサービス」と呼んでいます。ニューヨークに住んでいた時は、とにかく「get(獲得)するサービス」ばかりでした。思い切って、堂々と声高に丁寧だけど威圧的に頼むのがコツです。日本では、いきなりお店に入って主張したりせず、楚々としているとお店の人が気を使ってくれることが多いですね。それでも不十分な時は遠慮がちに希望を伝えるとうまくいくことが多いです。

 一見すると、ニューヨークみたいなところでやってほしいことを言えばやってもらえる、というのは小気味よく、さっぱりとした感じもありますが、本当に困っていたり、ほかのことに忙しいとき(お客さんや子供を連れていたりするとき)には助かります。

 海外生活をするまで、根拠があった訳ではないのですが、日本というのは西欧諸国などの外国に比べてダメな国だと思っていました。海外で暮らしたことによって、アメリカのよさも日本のよさも発見できたわけです。日本にいながらだって気づけたはずだけど、残念ながら私の場合は違ったのです。

 「自分を好きでない人は誰のことも好きではない」とある友人に大学生時代に言われました。同じように「自分の国を知らず、好きではない人は、他人の国を理解し好きになることもない」と思うのです。

 日本はすごいんだ「えっへん」というのではなく、こんなにいいところもいっぱいあるんだ、じゃあ他の国はどうだろう? と思えるように自分自身がなりたいと思い、このブログを始めたいと思います。