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遊女

2025-04-07 05:53:01 | 
 氣視させていただいていると、時々「遊女」の前世を持っておられる方に出合います。こういう方たちは優しい慈愛に満ちた方が多いです。そういう境遇におられても、それでも客を愛しいと思えるような方たちだったのだと思われます。今、NHKの大河は吉原遊郭を舞台にしていますが、その光と影もNHKっぽくは描こうとしています。しかしさすがに漫画の「仁」で描かれたような悲惨な光景は描き切れないようです。江戸時代のお江戸は男比率がとても高い社会だったからこういう公的遊郭が作られたのでしょうが、男尊女卑の社会が確立していた昔には女性の地位というのは全般的に低かったと思われます。
 遊女、芸者、けなげに生き抜いた女性たちの魂は輪廻の光の中でも輝いて存在しているように私には思われます。

ゴミ収集の方たち

2025-04-05 05:51:30 | 
 以前にも何度か書いたことがありますが、私の父は市役所に勤務していて何度か勤務先が変わりました。その中で衛生公社とその当時呼ばれていたごみ収集の部門に転属になったときは見栄っ張りの父はとても嫌がっていましたが、私達子供はその同僚の方たちにとても可愛がっていただきました。ごみ収集のお仕事をされている方たちはとても心根の優しい良い方たちが多かったのです。だから私はこう考えました。子供ながらに「汚い仕事や人に嫌がられる仕事をされている人たちというのは心が奇麗なんだ。」と思ったのです。
 逆に「奇麗で人に尊敬される仕事をされている人が皆立派な人とは限らないのかもしれない。」とも思いました。それは私の人を見る視点の基本になったように思います。ごみ収集の方たちが真面目にコツコツと仕事をされているからこそ私たちの生活は成り立っているわけで、そんなことを言えば下水道の配管施設のメンテをされている方たちや電気配線送配電の関係の方たちなども縁下にありながら立派なお仕事をされているのだと思います。目立たないところで働いておられる方たちに私たちは支えられていることを忘れずにいたいものです。

かわたれ時

2025-04-03 05:53:11 | 
 逢魔が時とも言いますね。先日久しぶりにアニメ「君の名は」を借りて見ていたらそれについてのシーンが何度かありました。別々の時を生きた二人の主人公が時を超えて出会うシーンがこの「かわたれ時」です。
 子供の時はこの夕暮れの一瞬がいつも友達でした。気が付くとこの時間になっていて遊んでいる外の場所からあわてて家に帰ったものです。夕焼けの真っ赤な空を時々はぼんやりと見つめていたりしたものです。あれは別次元の世界から流れ込んでくる何かのエッセンスだったのかもしれません。パラレルワールドがこの一瞬だけは少し重なり合う・・・そんな時間を昔の人は逢魔が時と呼んだのかもしれません。

物の怪に好かれる日

2025-04-01 05:39:22 | 
 人によって物の怪に好かれる日があります。まれにはずっと好かれる人もあります。水木さんなどは一生涯好かれた方だと言えるでしょう。その資質としてはやはりそういう霊的なものに興味があり、そしてそういう事を面白がる人が好かれる人です。好かれたからと言って物の怪が目の前に現れるわけではありません。ちょっと奇妙な出来事や吉兆と言われる出来事が目の前を通り過ぎるのです。たまには立ち止まってこっちを見てくれるかもしれません。何しろ面白がっている間は悪さはしません。物の怪・妖怪というのはそういうものです。ちょっとSFぽく言えばパラレルワールドに少し足を踏み入れるということになるのかもしれません。物の怪というのは今の現実と少しだけズレている世界の住人だと考えています。そういう世界と波長が合うとそういうものが視えたり感じられたりするのだと思っています。

寒の戻り

2025-03-30 05:44:47 | 
 先日は夏日の日があったと思うのに、今日は寒の戻りで冬の寒さに逆戻りです。早咲きの桜や梅は咲き始めていて家の周りの木々も少しずつ芽吹き始めました。白鳥たちや冬の渡り鳥たちはもうすでに日本を離れて営巣地へ旅立っています。金沢は雨の多い、雪の多い土地柄でしたが、最近の異常気象は日本の場所を選ばず豪雨や豪雪を生み出しています。
 常に自然災害に備えて行かなくてはならない国土なのだと実感しています。備えあれば患いなしとは言いますが、庶民は十全な準備などをすべてできるわけがありません。行政がそういう部分も自己責任と言わずに行政責任で面倒を見てくれるといいのですが、なかなかそういうわけにもいきませんね。少しずつ準備をしていきましょうかね。