つれづれまりん

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児童虐待死事件に思う・・

2019年02月09日 | 社会
勤務先では「穏やかで怒るところを見たことがない」人物が、
家庭内では、恐ろしい存在であり、
結果、小4の長女は、命までも奪われました。


幼い命を守ることは、できなかったのでしょうか。

沖縄に住む母方実家の親族が最初のSOSを出したようです。
が、そこで児相が介入したことを父親が嫌って、
千葉への転居となったよう。

長女は、野田市の小学校で、
「いじめアンケート」に、SOSを発信しました。
が、大人たちは「どうにか」することができませんでした。

学校、教育委員会、児相、親族宅、警察、
いろいろなところが関わりながらも、
最悪の事態を避けることができませんでした。

どこで、どうしたらよかったのでしょうか。

教育委員会が、アンケートコピーを父親に渡した件は、
「恫喝する父親に追い詰められ」たならば、その段階で、
本人へのさらなる攻撃の恐れに思いが至れたらよかったです。
そもそも、本ケースでは、
「個人情報で、本人の同意がないから」じゃなく、
「加害者だから」見せられない、だったと思うのだけど・・。


「隣のアパートに住む女性」の、
「毎日のように女の子の泣き声が・・・・・」
のインタビュー報道がありました。
泣き声が気になった時点で、
市役所なり、警察なり、児相なりへ通報してくださったらよかったです。
「実は、虐待とはまったく関係なかった」でも大丈夫だそうですから。


児童相談所は、
急増する虐待相談案件で、飽和状態のようです。
制度的にも大きな問題を抱えているような気がします。
この問題を改善するには、かなりの時間とお金がかかりそうです。


本事件では、母親も逮捕されました。
自分を守るために、長女を守れなかったと。
母親も被害者であり、
「学習性無力感」に陥っていたとも言われています。
そうだとしても、そうなる前に、何か、どこかに、
助けを求めることはできなかったのでしょうか。
求めたけれど、応えてもらえなかったのでしょうか。


で、やっぱり、一番の疑問は、虐待していた父親です。

ひどい仕打ちを続けているとき、
子どもの辛さに思いを至らせることはできないのだろうとしても、
死んでしまうかもしれない、とは思わなかったのでしょうか。
死んでしまったら大変だ、とは想像できなかったのでしょうか。

その子が死んでしまっているのに、
「しつけのつもりで、悪いことをしたとは思っていない」
という意味が分かりません。
死んでもいいと思っていたのでしょうか。

虐待を繰り返す親の心の闇を解明し、そこをケアすることを、
子どもの保護と同時に進めていかないと、
虐待問題の根本的な解決にはならないような気がします。


「大好き」でありたいはずの親からひどい仕打ちをされて、
心身ともに傷ついている子が、今もどこかに居るかもしれません。

「家庭」という一番安全と思われている密室で繰り返される
「虐待」問題の解決のために、まず、私たちができることは、
地域の子どもたちの健やかな成長に無関心でいないこと、
そして、子どもを脅かす危険への、敏感な「気づき」でしょうか。


目黒の4歳の女の子の事件もまだ記憶に新しいところです。
これ以上、悲惨な事件が起きませんようにと願います。




安全な場所で、安心して寝られることが、
子どもにとって、どれほど大切なことかと思います。

『・・・ボクにとっても、大事・・』

ですよね。


(1月4日 午前 撮影  2Fリビングの陽だまりにて)







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