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あれこれ思うがままことのは

日々、感じたこと思ったことを語ります。季節や花、洋服のこと、時々音楽や映画かな。

「あなたの名前を呼べたなら」

2019年09月01日 | 映画

    
夏の覚書き。
お盆明け、ティーンエイジャーの頃からの友と夏休みを過ごした。都内のどこかでゆるっと1日を共にする毎年の恒例行事で、今年は《インディーサマーホリディ》と称し、青山の老舗インド料理屋さんで絶品ラムカレーなどを頂いたあと、Bunkamuraルシネマで公開中のインド映画『あなたの名前を呼べたなら』を鑑賞した。

廃止になったとはいえカースト制度の名残りは続くインド社会。階級違いの恋はご法度、そんな時代錯誤に思えるような常識は根強いのだなぁ。
ムンバイという都市に住む主人と使用人の主従関係にあるアシュヴィンとのラトナの物語。故郷での結婚相手が死別し未亡人となり住み込みのメイドとして働くマトナの視点を中心に物語は展開、結婚が破談になったアシュヴィンをさりげなく気遣うラトナ、またラトナの洋裁のためのミシンをプレゼントするアシュヴィン、ふたりの間には静かな恋愛感情が生まれるが、階級違いの壁と未亡人である自分は彼と結ばれても幸せにはなれないとラトナは別れを選ぶ。思いを断ち切り以前仕事をしていたアメリカに戻ったアシュヴィン。インドを離れる前にラトナに服飾関係の職を手配してあげておりラトナの新しい生活も始まった。どれくらい時が経ったのかアメリカからアシュヴィンが電話をかけてくるシーンで終了し、その後のふたりは観た人の想像に任されているのだが、凡庸なシンデレラストーリーの匂いは感じられず自立への道を凛と進むラトナを残像に描いた。

古い慣習の頑なに残っている農村では、未亡人になった女性は再婚はおろかアクセサリーを付けることすら憚られるらしい。そんな前近代的な社会のルールが未だにあることにも驚く。そうした背景ゆえのラトナの選択であり、古い概念から一歩抜け出し自立したいという思いを描き、インドの新しい時代を期待させるような結末なのかも知れない。ちなみに監督のロヘナ・ゲラは自身乳母のいる恵まれた家で育ちアメリカの大学で学んだ経歴を持つ女性。女性の地位や偏見、不自由さに対してのメッセージも含んでいるか。

映像のなかにある色彩のトーンがとても好ましい。照明の効果かリタッチを施してあるのか人々の着衣も部屋にある色も紗がかかったように優しい色味をしている。その穏やかさのままに、展開される登場人物の会話のトーンも静かでやわらかい。
一方のバイクと車と人の往来、騒々しい街なかの映像との対比も効果的に、裕福層にあるアドヴィンの部屋ではインテリアも洗練されており、視覚的にも音量的にも暮らしぶりの落差を強調していて映像的な見せ方として巧いなと思う。


「モデル雅子 を追う旅」

2019年08月22日 | 映画

     
つい最近まで雑誌でご活躍されていたのを見ていた気がする。スタイルブックも少し前に出されていたし。亡くなられたのが2015年というからそれも随分前なのだなぁ。同世代の女性として稀代のうつくしいモデルとして親しみと憧れを持ちながらその姿を見てきた者としては、楚々としたまなざしと凛とした佇まいの彼女がページに映るのを見ることができないのは至極残念で、さらに年齢を重ね歩みゆく姿はどんなに綺麗で彼女らしい色彩を放っていたことだろうという思いでいっぱいになる。

映画の中で写真家の柴岡秀夫氏が語っていらしたのだったか、雅子さんには品の良さというものを超えた「高貴さ」を持っていたと。たしかに凛とした彼女の姿には旧き佳き時代に生まれた令嬢のような時代を超越した美しさがあったなと思う。でもそんな高貴な雰囲気とは裏腹に親しい友人やモデル仲間が雅子さんはさばさばした男前なお人柄だったと話していて、いっそう魅力的な方だったのだと知る。

雅子さんが亡くなって、ご主人でありテレビプロデューサーである大岡大介氏がモデルとしての雅子さんのキャリアを後世に残すべく自ら撮影や編集を学び映画を製作。部屋にうず高く積まれた雑誌から掲載ページを切り取りファイリングし、遺品を撮影する大岡氏の姿、雅子さんが大切に着ていたワードローブを親しい人たちに譲る形見分けの会の様子も映画は映し出す。映画とは別に読んだ大岡氏へのインタビューで「すべての時代の、すべての雅子に会って、彼女の人生を全部ひとり占めしたい衝動に駆られた」と答えていらっしゃった。媒体のなかにおびただしい数の雅子さんが残っているからこそ、ご自身の知らない雅子さんや記憶のなかに足らない雅子さんが実感となって余計に不在が強調されるのかも知れない。肖像の多さに実像の記憶が薄らぎそうになる不安のようなもの。だからこそご自身の手で映画というフレームの中にしっかり留め置いて置きたいと思われたのではないかなと勝手ながらそう思った。

   映画館の一角に展示された特別展示《雅子の世界》
    
    
    
  
    
    
    
       
    雅子さん、あなたの美しさを忘れない。


「ビル エヴァンス タイム リメンバード」

2019年08月05日 | 映画

   
映画「ビル エヴァンス タイム リメンバード」

真夏日の頂点みたいな日に吉祥寺の映画館で観てきたビル・エヴァンスの映画。生前の映像と彼の音楽仲間の証言や親類とのインタビューから51年の人生を浮き彫りにしている。

私で言うと、たとえば彼のワルツ フォ デビィとかユーマスト ビリーブ イン スプリングなどを耳にすると父がかけていたレコードの流れる実家のリビングルームを思い出し父の姿と切り離せない音楽のひとつなのだが、それらがビル エヴァンスの肉親(それぞれ姪、実兄)を思って作られた曲であることをこの映画で初めて知った。父が亡くなってちょうど3年経った今頃にそれを知ることになったのも不思議な感じ。
父は別段収集家ではなかったし、子どものときに家で聴いていた音楽というのは、種類がごく限られる。その時代はレコードかラジオくらいしか音源がないのもあって、かかる音楽は20枚あるかないかのレコードを週末のたびに行ったり来たりしていた。その中でもビル・エヴァンスの弾くピアノはきっちりと四角い章節のなかに収まって聴こえていて生真面目なのに、ときどき触れるか触れないかもどかしいうな柔らかい鍵盤のタッチには子どもながらに色気を感じていたし、ふいに四角い箱からこぼれそうになる音符にはけだるい危うさも覚えていたと思う。映画では若い時代から彼の裏表にあって悩ませたクスリとの関係性も描かれていて、それによる身体へのダメージや鬱症状が彼の音楽世界に何かしら変色を与えていたのかも知れない。幼少期から培われた彼の音楽基盤がクラシック音楽にあって正確無比なスケール感覚を持ち合わせていたのにせよ、幾何学的で分子構造のようなビル・エヴァンスの曲たちを聴くと完璧主義で妥協を許さなかった彼の苦悩が透けて見える。でもそれもこれも含めて彼の創造した音の集合はひたすら美しいな。
いくつか実家からCDを持って来て、また聴き込んでみようか。


「ジュリアン・オピー」展 @オペラシティアートギャラリー

2019年07月31日 | 映画

「ジュリアン・オピー」展

この大きさ、目の醒めるようなインパクト、入ってすぐの展示の大きさに圧倒される。
いさぎよく単純化された人物像たちが都会的な歩調で行き交い、脈絡のない雑踏のノイズまで聞こえてきそうだ。太い輪郭ラインがこれでもかと意志と存在感を示してくる。それにしても、とってもおしゃれ。エマルジョン塗料やアクリルパネルを使用したポップでシックな色使いだ。スクリーンを使ったアニメーションの仕立ての展示もあり、商業ニーズとアートが合致して様々な方向性が広がった1980年代の先駆者でもあるのだろうなと思った。

生き生きと見えるポイントのひとつは、仕草や身なりのリアルさにもありそう。


イヤフォンとブラックヘアのバランスがいい


タトゥーもいい仕事してますね


イエローのスマホがアクセントとして効いてる。


チケットデザインもポップ


ーオペラシティアートギャラリーにて 9月23日(月)まで


この頃観た映画②

2019年03月17日 | 映画

②「ともしび」
       
憧れの女優のひとり、シャーロット・ランプリング主演と聞いたら、観に行かないわけにはいかない。そぼ降る雨の中行ったシネスイッチ。

ストーリーはほとんど語られることはなく、セリフも極少なくて、ひたすらにシャーロット・ランプリング演じるアンナの動静をカメラは追う。いつでも口元をきゅっと結び表情を変えず凛とした面持ちの内側で感情や思考の芝居が永遠と続く。掴み切れないストーリーにフラストレーションを覚えるところもあり。それでも、繋ぎ合わせた場面と数少ない台詞を総動員して推考するに、贅沢ではないが静かな暮らしを長年連れ添った夫とともに過ごしてきたアンナは、観客にはそれが何の罪なのか分からないがある償いのために夫が収容所に入ったことを境に、小さな歯車が少しづつ軋みはじめる。外出先から戻り開くドアの音、キッチンで鍋がたてる音、プールの水しぶきの音、動作や生活音がその存在感をその苦悩が直接吐露される場面はないのだが、だからこそ俳優としての演技の巧さが浮き彫りになる。 だんだんとシャーロット・ランプリングの実生活を見ているような錯覚さえしてくるような生々しい演技力が圧巻。

彼女が50代の時に出演した「まぼろし」、近年公開された「さざなみ」「ベロニカとの記憶」、年齢を重ねても重ねても彼女はとても素敵だ。いつでも涼やかな瞳で少し遠くを見ながら、姿勢の良い立ち姿で二本足ですっくと立っている。激流のように溢れ出る喜びも獣のような憎しみの感情もその目の奥に仕舞い、達観したように凛としている。73歳には見えない後ろ姿が、いつの日かやがて年齢らしくどんな表情を見せていくのだろうか。どうか生涯現役でその生き様をずっと見せてほしいと願う。 

監督:アンドレア・パラオロ
音楽:ミケリーノ・ビシェリャ
撮影:チェイス・アーヴィン
出演:シャーロット・ランプリング、アンドレ・ウィルム
2017 年/フランス=イタリア=ベルギー