社会復帰を目指して  クリスチャンのつぶやき日記  躁うつ病・高血圧・変形性ひざ関節症の病と格闘しています(*^_^*)

私はカトリックのクリスチャンです。キリストの目線で日々の津々浦々を愚痴ったり、感謝したりを綴っていけたらと思います。

なますダイエット2

2015-11-25 01:36:31 | ダイエット
 母に大根を買ってくるように頼んだら、物凄く太くて長いおいしそうな大根を買ってきてくれました。善は急げと、ピューラーで大根と人参の皮むきをし、人参は斜め丸切りに、大根は丸い断面になるよう幅2mmほどの薄さで全体を切り、どちらも千切りにして大きなボールに入れて、小さじ一杯半ほどの塩をまぶし入れ、全体をなじませた後、水が出てくるのを待ち、その水を捨て、ちょうど良いあんばいになったら、御酢、みりん、砂糖を混ぜた液体とを混ぜてタッパーに入れて冷蔵庫に保存して出来上がりです。

 ちょっと甘く作り過ぎてしまいました。今後は、みつかんの<かんたん酢>なるものを購入して手間を省こうと思います。

 おかげ様で、このなますダイエットを始めたら、お通じが良くなり、食べた量が少なくても、きちんと毎日出ているので、これは続ければ、本当に痩せるかも・・・とほくそ笑んでいます。今日は最後の晩餐で、しゃぶしゃぶではなく、スイーツとスパゲッティの食べ放題のお店に行きました。スパゲティは、六種類のスパゲッティを、スイーツはショートケーキ三個とチョコレートケーキ一個半、苺ケーキ一個、アイス二個を食べました。本当はまだまだ食べたかったのですが、お腹がいっぱいで入りませんでした。

 今現在胸やけをして胃酸過多になり、気持ち悪いです。やっぱり食べ放題は、一人ではなく、友達と楽しくおしゃべりしながら食べるのがちょうどいいなと思いました。

 明日から本格的にダイエット開始です。体重計に乗って毎日測定して、食べ過ぎに注意します。一か月に3キロの減量が目標です。頑張ろうと思います。\(^o^)/

なますダイエット

2015-11-24 03:27:16 | ダイエット
 11月19日、横浜にある肥満外来の予約を入れていたのですが、通院するのをやめました。診察費、交通費共に考えると、障害年金暮らしの私としては、手痛い出費ですし、電話で確認したら、大変待たされるとのこと。また、横浜までの道中、立ち続けなければならない状況になったら、右膝を痛めている私としては、疲れ果ててしまうことでしょう。ダイエットはやる気さえあれば、誰でもできます。

 私は昔、なますを作って食前に食べることで、20キロ減量したことがあります。なますとは、だいこんと人参を千切りにし、軽く塩をふって混ぜ、余分な水分を落としたあと、御酢、みりん、砂糖を適量に混ぜた液体を入れて、ひたひたにして味付けして食べます。お正月料理によく出てくるなますのことです。

 大根は、ダイエットにとても効果があるのだとか・・・知らないで食べていたとはいえ、そんな効能があるとは知らず、ただ、なますを食べ続けたこと。そして、食事も腹八分目で我慢することを目標に三ケタの体重から二ケタの体重へと頑張りたいと思います。

 明日は食べおさめで、しゃぶしゃぶ食べ放題のお店に行く予定です。頑張って食べてきます!

案山子(かかし)

2015-11-22 13:14:31 | 日記
 人生とは不可思議なものですね。縁をこちらから切ったつもりだったのに、その人が一番辛い時に、私を思い出してくれて、電話をしてくれることが、こんなに嬉しいことだとは思いもしませんでした。

 何故、私の方から縁を切ったかというと、私は、ある療養所で心の病を治すために半年間入院したことがあります。その施設はカトリック系の修道会が経営する療養所で、毎週日曜日、ミサが必ず捧げられていました。その時、出会った男性に心惹かれた私は、主治医の制止も聞かずに、「好きです」と告白してしまいました。彼は、私の気持ちを受け入れてくれたのですが、そのことを教えてくれた仲の良い女性と強い絆で結ばれていました。彼の態度はそっけなく、私ほどに愛してはくれませんでした。その女性と彼との間には20歳以上の歳の差がありましたが、いつも一緒に腕を組んで散歩し、見ている私が嫉妬してしまうくらいベタベタしていて、私は耐えられませんでした。そして、優柔不断な彼に早々に別れを告げ、退院したのでした。

 もう一人は、教会で仲良くなった女性なのですが、心の病を持って苦しんでいました。私たちはすぐに打ち解け語り合い、仲が良くなりました。初めの頃は、毎回電話をかける程に仲良くなっていったのですが、そのうちだんだんに求めてもいないアドバイスを彼女がするようになりました。私はうんざりして、連絡を断ち切りました。ほどなくして、突然彼女から電話で連絡があり、「ペトロさん、もし良かったら私の電話を着信拒否にして欲しい。」との連絡がありました。何故そんなことを言うのか分かりませんでしたが、私は「分かりました。」と言って受話器を置きました。けれど着信拒否設定はしませんでした。

 そして、何年かの月日が経ちました。

 先日、いきなり上記の男性から電話がかかってきました。昨年の8月に療養所を退院して、働き始めたというのです。お薬も全く飲まなくなり、頑張っているとの報告をしてくれました。私は昔の恨みごとは、すっと消えていくのを感じ、心から「おめでとう、良かったね!」と嬉しくなっている自分を感じていました。忘れていた恋心をくすぐられました。「お手紙書いてもいい?」と言われたので、「もちろん!文通しましょう。」と答えました。それから程なくして、8枚程にもわたる手紙が投函されました。内容は、高校を中退して療養所で生活をしていたため、世間のことが全く分からず、職場の人間関係に溶け込めていないことがつづられていました。生活も初めてのことばかりで、辛く大変だとのこと。時間をもてあまし、何をすれば良いのか分からないなど様々な苦労話が書かれていました。私は、飛んでいって、彼の力になってあげたい・・・という衝動にかられましたが、向こうは私に恋愛感情など持っていないはずですから、少しずつ少しずつ、氷が溶けていくように、また仲良くなっていければなと思っています。

 もう一人のアドバイス好きの女性は、心の病が重くなり、閉鎖病棟に入院することになりました。それで、寂しくなってしまったのでしょう。私のことを思い出し、電話をくれたようでした。彼女が言うには、あれから様々なことがあって調子が悪くなり、幻聴が聴こえるようになってしまい、自傷行為も行ってしまったそうです。なので主治医に入院を薦められたとのことを教えてくれました。

 どちらも一番寂しく、辛い時に私のことを思い出してくれたことに心から感謝しました。私は躁うつ病なのですが、最近調子がよく、先日の診察で主治医に「仕事をしても良い」との判断を頂き、ダイエットして右膝の傷みがなくなってから、就職活動をしようと頑張っています。けれど、私の病気は治らないのだそうです。一生のお付き合いになるからね。と医師に念を押されました。薬は飲み続けなければならないようです。

 元気でいるか、街には慣れたか、友達できたか、寂しかないか、お金はあるか、今度いつ会える♪

吹奏楽部の想い出

2015-11-05 00:48:39 | 日記
 私が中学生の頃、内気だった私がなんと吹奏楽部に入部しました。小さい頃からピアノを弾いていたので、音楽が好きだったこともあり、かっこいいなあ~と憧れを抱き、入部しました。

 そして選んだパートはトランペット!吹奏楽の花形的存在でもある、このパートに絶対なりたい。人数制限があったので、じゃんけんで決めて勝って無事、トランペットのパートの座を奪いました。



 吹く音楽楽器は肺活量が必用だということで、腹筋運動をさせられました。若かりし頃、2~3回しかできなかった腹筋が日が経つにつれ、10回、20回と増えていき、30回ほどまで出来るようになりました。我ながらあっぱれです。

 マウスピースというのをつけてトランペットを吹くのですが、その時、上唇と下唇を振動させながら適度に押し付けながら吹くと金管楽器は音が出ます。この唇を振動させるというのが難しくて、何度も、何度も練習させられました。これが出来ないときれいな音が出ないのです。



 無事に音が出るようになって、さあ、これから曲の練習だというとそうではありません。ピアノで言えば、バイエル、ツェルニーのような肺活量を高め、なおかつ、リズム感を高めるための練習をさせられます。いわゆる基礎練習です。個人で練習した後、全楽器で奏します。

 私が所属した吹奏楽部の顧問の先生は、おしゃれで、髪型も音楽科風にアレンジしている人でした。音楽に対する情熱は人一倍強く、才能があり、教え方も上手で、皆、顧問の先生の悪口を言った人など皆無というほど、信頼されていました。

 私は、中学生活の中で一番楽しかった思い出は?と聞かれたら、きっと「吹奏楽部で頑張った思い出です」と答えるでしょう。内気だった私が三年生になった時、パートリーダーに選ばれた時は、びっくりしました。身に余るポジションではないかと気おくれしました。同学年で同じトランペットを吹いていた男子は面白くなかったようですが、それでも後輩たちが、私を信頼してくれ、ついてきてくれた時はとても嬉しかったことを思い出します。

 夏休みも合宿などして、懸命に練習に励み、コンクールでは、何かしらの賞を取った覚えがあります。これも一重に顧問の先生の私たちを想う心が、私たちを力づけ、一致させていったのだと思います。

 今現在、その顧問の先生は私が住む地域の教育長をしています。子供達に直接指導する立場ではなくなりましたが、周りの音楽好きの先生たちを集めて、コーラスの指導をしているそうです。11月中旬に発表会をするそうなので、母と一緒に聞きに行こうということになりました。とても楽しみです

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マザー・テレサ 日々の言葉



自分の問題を解決するために、中絶によって、母親は自分の子供をさえ殺してしまうのです。
そして、中絶によって父親は、自分がこの世にもたらした子どもでありながら、
全く何の責任も取らないのです。
そのような父親は、他の女性にも同じような苦しみを押しつける傾向があります。
ですから、中絶は中絶を招くのです。
中絶を認めている国は、人々に愛することを教えずに、欲しいもののためなら、
暴力を使ってもいいと教えているようなものです。
こういうわけで、愛と平和の最大の破壊者は、中絶であると言えるのです

今日は洗濯日和

2015-11-04 01:18:25 | 日記
 天気予報を見ると、今日は快晴。洗濯日和のようです。

 私は洗濯物を洗うのが大嫌い!!干したり、たたんだりするのが面倒くさい。私は基本的に自分の洗濯物は自分で洗うようにしているのですが、お恥ずかしながら、一か月以上ほど洗濯をしていません。

 溜まりにたまった洗濯物を、一大決心して洗うことにしました。まず、普通に洗うものと、手洗いのものと分けるところから始まります。変に完璧主義者なので、洗濯物が苦痛に感じてしまうのは、自分でも分かっているのです。でも、完璧にやらないと気が済まない。だから疲れる。⇒嫌いになる。負の連鎖です。

 再度言いますが、分かってはいるのです。洗濯機に入れてセットし、洗剤を入れれば、洗濯機が勝手に洗ってくれるのです。洗い終わったら干さなくてはならない。これが嫌なのです。苦痛です。頑張って干して乾いた洗濯物を取り込み、たたむのも苦痛。駄目なのです。

 でも、もうそろそろ着る物が無くなってきました。洗濯しなければ、新しい下着さえありません。今日は絶対!洗わなければ・・・。

 女子力アップのためにも、洗濯は必須です。ああ、部屋の掃除もしたいし、やらなければならないことがたくさんあります。私の部屋は、ほこりにまみれています。大掃除の時に頑張ってきれいにしなければ!!

 頑張れば、きっといいことが待っている。そのことを信じて、頑張って、今日は洗濯物を頑張ります。


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マザー・テレサ 日々の言葉

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イエス様はおっしゃっています。
御父である神にとって、私たち人間は、
地上の草や鳥や花よりも
もっと大切な存在なのです。

神がこれらのものを、あれほどに心にかけておられるのなら、
私たちの中の彼の命を、どれほど心にかけていらっしゃることでしょう。

神は、私たちを欺くことはなさいません。
なぜなら、
命は人間に対する神の最も偉大な贈り物なのですから。

子どもは生まれる前から神の似姿として創られ、
神のものなのです。
私たちには、その命を抹殺する権利はないのです




※マザー・テレサは堕胎、中絶に対して大変、心痛めていました。中絶、堕胎する際、お腹の中の子供は必至になって抵抗し、逃げるのだそうです。

死者を偲ぶ月

2015-11-03 01:13:07 | 信仰
 仏教にお盆やお彼岸があるように、カトリック教会にも死者を弔う月があります。それが、11月という月です。

 まず、11月1日は『諸聖人の祭日』
 この日は、カトリック教会で聖人として認定された方々をお祝いする日で、日頃、私たちのために天国で祈り、守って下さっている諸聖人方に感謝を捧げ、特別に祈る日です。マザー・テレサのことを前日まで書かせて頂きましたが、彼女は今は、福者(聖人と認定される前の段階)ですが、諸聖人の中の一人です。

 次に11月2日は『死者の日』の祝日。
 天国に召された全ての人々、または、天国ではないけれど、煉獄という罪を償う場所で、私たちのために祈って下さっている人々のために特別に祈る日でもあります。

 私の通っている○○教会で、11月5日に特別に死者のためにミサを捧げて下さるというので、取りあえず、父方と、母方の祖父母のために出席したかったのですが、あいにくその日は予定が入っており、困っていたところ、神父様が、所定の紙に祈って欲しい死者の方の名前を書いておいて下されば、その方々のためにもお祈り致します。とおっしゃって下さったので、ホッと致しました。

 11月は、死者のために特別に祈るように教会からすすめられています。
 案外、誤解されている方々が多いみたいなのですが、カトリック教会は、死者をとても大切にしています。御仏壇も売店に行けば売っていますし、毎日死者のために祈る習慣もあります。ただ、花を生ける習慣はありますが、食べ物を備える習慣はありません。何故なら、死は全ての欲望から解き放たれると信じられているからです。

 私たちカトリック信者は死を生の終わりとは捉えていません。本当の意味で新しく生まれ出でる瞬間と捉えています。生きている内は、罪を犯しかねない身体を持つ不完全な状態ですが、死によって完全なものとなる。そして、神の時が来たら、死に果てた身体は復活し、死ぬことも、苦しむことも、お腹が空くことも、罪を犯すこともなく、皆が天で味わうであろう想像しえない程の幸福感を持って、よみがえることを信じています。

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 マザー・テレサ 日々の言葉



愛は自分勝手な動機で
悪用されることがあり得ます。
私はあなた方を愛していますが、
同時に、
私はできるだけあなた方から
利己的な動機を取り去りたいので、
取るべきではないものまで
取ってしまうかもしれませんね。

でも、そうすると、
もうほんとうの愛では
なくなってしまいます。

マザー・テレサ3

2015-11-02 01:22:40 | 信仰
 教皇ヨハネ・パウロⅡ世は、彼女の死からわずか6年後の2003年10月19日に、サン・ピエトロ広場においてマザー・テレサを福者の列にあげられました。巡礼者たちへの挨拶の中で、教皇は彼女のことを「20世紀の最も偉大な宣教者の一人」と言及されています。

 教皇は、祈りによって養い深められた、神との一致こそがすべての活動の源となり、世界で彼女の使命を実り豊かなものとしたのだと強調されました。

 この神との親しい交わりのまさにその核心に、十字架上のイエスのみ言葉「わたしは渇く」(ヨハネによる福音書19章28節)があったのです。

 「愛と人々の霊魂へのイエスの渇きを、イエスの御母マリアと共に癒すことが、マザー・テレサの唯一の存在目的となりました。そして、それは我を忘れて貧しい人々の中でも最も貧しい人の救いと聖化のために地球を”急ぎ駆けめぐる”内的原動力になったのです。」と教皇は話されました。

 貧しい人々の中でも最も貧しい人に謙虚に仕えるというマザー・テレサの選択は、愛の福音に命を与え生かすものとなり、彼女の言葉と行動は、社会的立場、宗教、文化、そして国籍の壁を越えて、信仰者と非信仰者の区別なく、人々の心にふれたのでした。

 彼女の生涯は「神は今もなお、この世界を愛してくださっている」というしるしとなりました。マザー・テレサの秘けつは単純です・・・彼女はいのちをイエスにすべてゆだねたので、イエスは彼女の内で、彼女を遠して働くことができたのです
終わり

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マザー・テレサ 日々のことば



ベネズエラに修道会を創設したころ、
若いシスターたちの何人かが、
興奮し、少し神経質になって、
私に尋ねました。

「言葉も習慣も分からない新しい国で、
私たちはどのようにやっていけるのでしょうか?」

私はこう言いました。

「何も心配はいりませんよ、
あなたがたは、愛の言葉、
この、だれもが理解できる言葉を
話せるではありませんか。」

質問は続きました。
「何を持って行ったらいいのでしょう。」

私は答えました。
「私たちの心と、私たちの手を」
 

マザー・テレサ2

2015-11-01 06:33:13 | 信仰
 イエスはマザー・テレサに貧しい人々の中でも最も貧しい人に仕えるためにささげられた修道会「神の愛の宣教者会」を創立するようお求めになりました。神の愛の宣教者会は1950年10月7日にコルカタの大司教区で修道会として公式に認可されました。

 マザー・テレサの全生涯と活動は、神と隣人を愛することの喜び、とくに困窮している人々の中でも最も貧しい人を愛する喜びを映し出しています。

 イエスの願い”来て、わたしの光となりなさい”に応えた彼女は、この世界で慈しみの象徴、神の愛の生ける証となりました。彼女の生涯は一人ひとりの人間の偉大さと尊厳、大きな愛をこめて忠実に果たされた小さなことの価値、そして神との親しい一致の計り知れないほどの真価を世界に示したのです。

 マザー・テレサの地上での日々は、1997年9月5日に終わりました。その2日後、教皇ヨハネ・パウロⅡ世は彼女について次のように語っています。「彼女のとても小柄な姿は、ありありとわたしの記憶に焼きついています。貧しい人々の中でも最も貧しい人に奉仕した生涯の日々によって、その背中はこごんでいました。しかし常に、尽きることのない、内的活力にあふれていました。・・・・それはキリストの愛の活力です。神の愛の宣教者・・・マザー・テレサは名実ともにそのものでした。」

 実際、彼女の愛の活動と高い聖性の名声によって、彼女の葬儀には非常に多くの人々が参列しました。彼女の墓所はすぐに巡礼地となり、生まれや信条、社会的地位に関わりなく、人々の祈りの場となっています。
続く・・・

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マザー・テレサ 日々の言葉    

   

私たちは神あってこそ
生き、行動し、
存在するのです。

すべて生存するものに
命を与えるのは神です。
すべてのものに力と存在を与えるのは、
神です。

けれども、神が現存し
支えていてくださらなければ、
すべてのものはなくなり、
完全な無に帰してしまうのです。

あなたは神に包まれ、
神に守られ、
神の中で泳いでいる
ということを考えなさい。