昨日、東京にある<神の愛の宣教者会>に行って参りました。結論から申し上げますと、私には、この会の召し出しはありませんでした。この会には、観想会と活動会と今後計画されている在俗修道会が発足される予定なのだとか。
断られた理由は、やはりこの会にも年齢制限があること、私の右膝に支障があり、動くことが出来ないことなどがあげられました。そして、シスターにこう言われました。「病苦を捧げる共労者会があります。ペトロさんは、心の病を負っておられるとか。その苦しみを私達の会に捧げて下さいませんか?」
実は、私は会の建物に入った瞬間から、断られるような気がしてなりませんでした。また、自分の気持ちも修道者になることを恐れていましたし、喜びよりも不安な気持ちの方が勝っていて、現実感がありませんでした。
私は、<2年ほど前から、病苦を捧げる共労者会>に入会していました。そして一人のシスターのために私の苦しみと祈りを捧げさせて頂いているのですが、面接して下さったシスターは、そのシスターのことをご存じでした。彼女は院長にもなったことのある方なのだそうです。
その事を知ったシスターは、とても喜んで下さり、「私はその方を知っていますよ。どんどん、お手紙を書いてあげて下さい。日本語で結構です。私が訳して届けますから・・・。」と嬉しそうにおっしゃって下さいました。
ああ、私は、やはり世間で生きるよう呼ばれているのだと、痛感しました。恩師に紹介された会なので、何かあるのかしらと、期待していたのですが、奇跡は起こりませんでした。けれど、行ってよかったです。神の愛の宣教者会が素晴らしい会であることを、知ることが出来たからです。
約15人の方がいらっしゃっていました。皆さん、信仰に熱心で、片柳神父様の本を手にして、勉強会と分かち合い、そして聖体賛美式も行われました。
私の心は、やはり凪のように穏やかで、静かで、爽やかな気持ちに満たされています。神のみ心に従って生きるというのは、心に平安を与えられるものなのですね。たくさんの方に相談して、本当にお恥ずかしい気持ちでいっぱいですが、それでも、それで良かったのだと。徹底的に自分が納得するまで行動してみて、初めて、神のみ心が分かることもあるのだと、勉強させて頂きました。
シスターが、おっしゃっていました。「私達は修道生活という限られた空間の中でしか、宣教することは出来ませんが、あなたは、24時間、自由に宣教し続けることが出来るのです。それは、とても大きなメリットだと思います。どうか、あなたの信仰を世に広めて下さい。主は人々の愛に渇いていらっしゃいます。その飢え渇きを満たしてあげて下さい。」
私に、そんな資格があるかどうかは分かりませんが、教会や社会の中で、神のみ旨を行いながら、懸命に生きていこうと思います。
断られた理由は、やはりこの会にも年齢制限があること、私の右膝に支障があり、動くことが出来ないことなどがあげられました。そして、シスターにこう言われました。「病苦を捧げる共労者会があります。ペトロさんは、心の病を負っておられるとか。その苦しみを私達の会に捧げて下さいませんか?」
実は、私は会の建物に入った瞬間から、断られるような気がしてなりませんでした。また、自分の気持ちも修道者になることを恐れていましたし、喜びよりも不安な気持ちの方が勝っていて、現実感がありませんでした。
私は、<2年ほど前から、病苦を捧げる共労者会>に入会していました。そして一人のシスターのために私の苦しみと祈りを捧げさせて頂いているのですが、面接して下さったシスターは、そのシスターのことをご存じでした。彼女は院長にもなったことのある方なのだそうです。
その事を知ったシスターは、とても喜んで下さり、「私はその方を知っていますよ。どんどん、お手紙を書いてあげて下さい。日本語で結構です。私が訳して届けますから・・・。」と嬉しそうにおっしゃって下さいました。
ああ、私は、やはり世間で生きるよう呼ばれているのだと、痛感しました。恩師に紹介された会なので、何かあるのかしらと、期待していたのですが、奇跡は起こりませんでした。けれど、行ってよかったです。神の愛の宣教者会が素晴らしい会であることを、知ることが出来たからです。
約15人の方がいらっしゃっていました。皆さん、信仰に熱心で、片柳神父様の本を手にして、勉強会と分かち合い、そして聖体賛美式も行われました。
私の心は、やはり凪のように穏やかで、静かで、爽やかな気持ちに満たされています。神のみ心に従って生きるというのは、心に平安を与えられるものなのですね。たくさんの方に相談して、本当にお恥ずかしい気持ちでいっぱいですが、それでも、それで良かったのだと。徹底的に自分が納得するまで行動してみて、初めて、神のみ心が分かることもあるのだと、勉強させて頂きました。
シスターが、おっしゃっていました。「私達は修道生活という限られた空間の中でしか、宣教することは出来ませんが、あなたは、24時間、自由に宣教し続けることが出来るのです。それは、とても大きなメリットだと思います。どうか、あなたの信仰を世に広めて下さい。主は人々の愛に渇いていらっしゃいます。その飢え渇きを満たしてあげて下さい。」
私に、そんな資格があるかどうかは分かりませんが、教会や社会の中で、神のみ旨を行いながら、懸命に生きていこうと思います。