社会復帰を目指して  クリスチャンのつぶやき日記  躁うつ病・高血圧・変形性ひざ関節症の病と格闘しています(*^_^*)

私はカトリックのクリスチャンです。キリストの目線で日々の津々浦々を愚痴ったり、感謝したりを綴っていけたらと思います。

神のみ心のままに

2016-05-23 10:00:43 | 信仰
 昨日、東京にある<神の愛の宣教者会>に行って参りました。結論から申し上げますと、私には、この会の召し出しはありませんでした。この会には、観想会と活動会と今後計画されている在俗修道会が発足される予定なのだとか。

 断られた理由は、やはりこの会にも年齢制限があること、私の右膝に支障があり、動くことが出来ないことなどがあげられました。そして、シスターにこう言われました。「病苦を捧げる共労者会があります。ペトロさんは、心の病を負っておられるとか。その苦しみを私達の会に捧げて下さいませんか?」

 実は、私は会の建物に入った瞬間から、断られるような気がしてなりませんでした。また、自分の気持ちも修道者になることを恐れていましたし、喜びよりも不安な気持ちの方が勝っていて、現実感がありませんでした。

 私は、<2年ほど前から、病苦を捧げる共労者会>に入会していました。そして一人のシスターのために私の苦しみと祈りを捧げさせて頂いているのですが、面接して下さったシスターは、そのシスターのことをご存じでした。彼女は院長にもなったことのある方なのだそうです。

 その事を知ったシスターは、とても喜んで下さり、「私はその方を知っていますよ。どんどん、お手紙を書いてあげて下さい。日本語で結構です。私が訳して届けますから・・・。」と嬉しそうにおっしゃって下さいました。

 ああ、私は、やはり世間で生きるよう呼ばれているのだと、痛感しました。恩師に紹介された会なので、何かあるのかしらと、期待していたのですが、奇跡は起こりませんでした。けれど、行ってよかったです。神の愛の宣教者会が素晴らしい会であることを、知ることが出来たからです。

 約15人の方がいらっしゃっていました。皆さん、信仰に熱心で、片柳神父様の本を手にして、勉強会と分かち合い、そして聖体賛美式も行われました。

 私の心は、やはり凪のように穏やかで、静かで、爽やかな気持ちに満たされています。神のみ心に従って生きるというのは、心に平安を与えられるものなのですね。たくさんの方に相談して、本当にお恥ずかしい気持ちでいっぱいですが、それでも、それで良かったのだと。徹底的に自分が納得するまで行動してみて、初めて、神のみ心が分かることもあるのだと、勉強させて頂きました。

 シスターが、おっしゃっていました。「私達は修道生活という限られた空間の中でしか、宣教することは出来ませんが、あなたは、24時間、自由に宣教し続けることが出来るのです。それは、とても大きなメリットだと思います。どうか、あなたの信仰を世に広めて下さい。主は人々の愛に渇いていらっしゃいます。その飢え渇きを満たしてあげて下さい。」

 私に、そんな資格があるかどうかは分かりませんが、教会や社会の中で、神のみ旨を行いながら、懸命に生きていこうと思います。 

神のみ旨に支えられて

2016-05-21 09:59:35 | 信仰
 いよいよ、明日、<神の愛の宣教者会>の面接日となりました。不思議と私の心の中は、凪(なぎ)のように静かで、穏やかな、全てを神に託すかのような、優しい気持ちに包まれています。

 マザー・テレサの生き方は、とても勇敢で愛に溢れ、深い観想者としてのイメージがあります。私の中のマザーの生き方は、戦士です。臆することなく、弱き者のために戦う勇者です。主の忠実な僕(しもべ)であり、自分の望みではなく、神の望みを徹底的に生きようとする、聖人です。

 私は、マザー・テレサの生き方を深く尊敬しています。有言実行で、弱き者の立場にある者のためには、自分の命がさらされても構わない覚悟があります。本当に素晴らしい人です。私はこの素晴らしい聖人が創設した<神の愛の宣教者会>に属したいと思っているのです。

 私の召し出しは、普通の召し出しと比べると困難がたくさんあります。年齢、体力、柔軟な心、全てを捨ててでも神についていきたいと想う熱意があるかどうか。そのような点を面接時に問われることでしょう。

 私は、全てを捨ててでも、神の望みを行いたい熱意に尽き動かされています。もしかしたら、修道者として生きることに呼ばれていないかもしれません。それでも、それが神の望みであるならば、それを受け入れる覚悟を与えられるよう、神に祈っています。

 私の人生は、神の御手に委ねられています。神が導くままに、神が作って下さる道をただひたすらに歩み続けること。自分の望みではなく、神の望みの道を歩むこと。それが、神の恵みを呼び寄せる心構えであり、本当の幸せを得る道でもあるのです。

 もし、断られても、がっかりしないで、感謝の心をもって、全てを受け入れる覚悟でいます。主のみ旨が実現しますように・・・。

8:16ダイエット

2016-05-21 02:07:23 | ダイエット
 先週、テレビで、<主治医の見つかる診療所>が、ダイエット特集を放映していました。2種類の方法を紹介していたのですが、私は、8:16ダイエットに心惹かれました。

 8:16ダイエットというのは、8時間は、何を食べても良い。食べ過ぎはよくないが、揚げ物やデザートなど、OKなのだそうです。けれど、その後の16時間は、絶食です。腸は筋肉で出来ており、休ませる必要がある。16時間休ませることで、代謝が上がり、体重も減っていくというのです。

 8;16ダイエットを始めてから、8日間が経ちました。初めの頃は、少しずつですが、どんどん減っていたのに、お寿司食べ放題で2キロリバウンドし、その後、一キロの減量を行ったものの、昨日、友達と、ガストで、チーズインハンバーグ定食、山盛りポテト、そして、星野珈琲点で、フレンチトーストを注文して食べ続けていたら、お腹いっぱいになってしまい、友人と二人で「苦しいね~。」と言って笑いあいました。

 体重はまた、一キロ増えて、元に戻ってしまいました。私は反省しました。8時間、何を食べても良いとはいえ、やはり限度があります。痩せるつもりならば、朝、昼は、普通に食べ、デザートは別腹で食べても良し。しかし、お腹がはちきれんばかりに食べるのは厳禁。と自分自身をいましめました。

 昨日、食べ過ぎてしまったので、体重はまた、元に戻ってしまいました。けれど、がっかりせずに、一から出直して、8:16ダイエットに果敢に挑戦していきたいと思います。このダイエットは、すきっ腹の時が一番、気持ちが良いです。頭もさえますし、ちょっとしたプチ断食なので、たった16時間なら、我慢することが出来ます。とりあえず、夜は美禅食に置き換えて、ダイエットを成功させようと思います。

神の手に導かれて

2016-05-19 16:28:32 | 信仰
 父が入院することになりました。癌の再発ではありません。

先週、父がMRI検査をするため、病院へ共に行ってきました。この検査は、癌が再発をしているかどうかの確認をするための検査だったのですが、胆管に細かい胆石がいくつか見つかり、内視鏡で手術して取ることになったそうです。

 本人は、余り自覚がないようです。詰まって痛くなる前に発見出来たので、不幸中の幸いでした。6月半ばに入院するよう手続きをしてきたのだとか。ある意味、父は悪運が強いな…と思いました。

 私は、年老いた両親と離れて、修道生活をしたいと考えているのです。そのことを今回の件で知らしめさせられました。親不孝者と言われても仕方のない望みを抱いているのです。

 私は自分のことしか考えていないのではないか…。両親のことをもっと真剣に考えてあげなければいけないのではないのか。そのことを考える良い機会が与えられました。

 神の手は私達の上に優しくかざされています。もしかしたら、入会の件は断られるかもしれません。何だかそのような気がしてきました。私がしなければいけないことは、この世間の中で生きることなのではないでしょうか。けれども、そう考えると、心にぽっかり穴が空いたような気がしてしまいます。私の人生、大切に生きたい。そのような思いが私を突き動かすのです。

 神の手に導かれて、全てが上手くいくでしょう。私はそれを信じています。

築地玉寿司の食べ放題を体験してきました!

2016-05-18 12:25:05 | グルメ
 昨日、友人と待ち合わせし、<築地玉寿司コア店>で、お寿司の食べ放題を体験してきました。雨が降っていたからか、客足が少なく、すんなりとカウンター席に座ることが出来ました。

 私は丸の内線で銀座駅を降り、A4出口まで歩いて行ったのですが、まあ、遠いこと!右膝と腰の痛みに悩まされながら、10分間ほど歩いたでしょうか。するとA4出口は閉鎖中。お店の人に電話で問い合わせをしたら、A3出口で大丈夫ですよ・・・とのこと。階段を上ると、すぐ目の前に、<銀座コア店>はありました。

 そこで友人と合流。地下エスカレーターに乗り、降っていくと、すぐ目の前にお店がありました。私達は早速、食べ始めました。はっきり行って、ねたは薄くてボリューム感が余りありませんでした。大トロも食べ放題の中に含まれていないとのこと。がっかりです。けれども、ウニ軍艦が最高でした!軍艦の上におしみもなく、どっちゃりとウニが乗られているのです。

 私は、嬉しくなって、10貫以上も食べてしまいました。店員さんのいる目の前で、「おいしい!今日はウニ攻めで食べ尽くすぞ。」と豪語しました。マグロの中トロも6貫頼んだのですが、ネタが薄い!軍艦以外は、全部ネタが薄かったです。

 ずっと醤油をつけて食べていたからでしょうか。やけに喉が渇いて仕方のなかった私は、ついつい、ビールを注文。板前さんに笑われながら、グビグビと飲んでしまいました。そのビールのおいしかったこと!一気に飲んでしまったので、皆に驚かれてしまいました。

 寿司も欲張り過ぎて注文してしまったからか、ビールがきいているのか、もうお腹がいっぱい…。でも、あと6貫お寿司が残っています。私は、死ぬ気で食べました。もうお腹がはちきれんばかりで、苦しかったです。

 でも、貴重な経験をさせてもらえました。一人で行くのは味気ないし、付き合ってくれた友人に感謝です。寿司代3500円+ビール代600円+消費税でお支払い致しました。そして私達は外に出て、松屋銀座の裏口にある喫茶店でお茶をすることにしました。コア店にも喫茶店があったのですが、コーヒー一杯950円もするのです。正直言って、銀座松屋店まで歩けるか自信がありませんでしたが、友人の思いやりに支えられて、やっと到着。アイスコーヒーがおかわり自由で、560円と、とてもリーズナブル。友人にとっては、とても思い出深い喫茶店だったようです。

 私達は、話に花を咲かせながら、アイスコーヒーをたくさんおかわりしてしまいました。お寿司をいっぱい食べたせいでしょう。無性に飲み物を飲みたくなってしまいました。私は、6杯くらいおかわりしたと思います。楽しい時間はすぐに過ぎていってしまいます。帰宅ラッシュに巻き込まれないように、早めに店を出て、さよならしました。

 さて、それでは、今後どうしましょうか。私はダイエット中です。今朝、体重計を量ったら、2キロ増えていました。自業自得です。昨日は食べ放題の食べ納めでした。もう、バイキングや食べ放題には行かないと誓います。8:16時間ダイエットを守り、ダイエットを成功させようと思います。今日は絶食です。

 頑張ります。

築地玉寿司💛

2016-05-17 04:41:30 | グルメ
 今日、友人と一緒に、お寿司食べ放題してきます!銀座コアB2Fにある、<築地玉寿司>です。カウンター席で、きちんとした職人さんが握る寿司を食べるのは、十数年ぶりだと思います。お値段は、女性だと、一人3,500円。とってもリーズナブルです。

 私はこの日が来るのを待ちわびてました!友人が忙しくて、休みを取るのが難しく、やっと今日、お休みが取れたそうです。疲れているから申し訳ないとは思ったのですが、私の食欲の方が勝ってしまいました。

 本当は<神楽坂すしアカデミー>にする予定でしたが、テレビで紹介されたからでしょうか。6月5日まで予約でいっぱいとのこと。今日でないと友人と会うことが出来なかったので、泣く泣くあきらめました。けれど、あきらめて正解でした。お値段的には、<神楽坂寿司アカデミー>の方が500円ほど安いのですが、きちんと修行した店員が握ってくれるのは、<築地玉寿司>です。

 何を食べましょうか。大トロ、中トロ、しまあじ、いくら、うに、サーモン等々、腹いっぱいに食べてこようと思います。

 今月は、その他、<神の愛の宣教者会>に行かなければなりませんし、もう一人の友人とも会う約束をしています。また、精神科・内科・整形外科と受診を受けなければなりません。お薬代も結構な額になります。それに交通費!計算してみたのですが、手元にあるお金よりあと、一万円多く引き出さなければなりません。

 けれど、そんなことは、今日は心配するのはやめて、いっぱい楽しんできます💛

 

召し出しの印

2016-05-14 00:30:25 | 信仰
 私は、過去、カトリックの修練女でした。けれど、有期誓願を待たずに、会を退会しました。それは、本当に不思議な体験を通して、私が所属していた修道会とは、縁が無いことを体験させられたからでした。

 一年半の修練期間、様々な修練をさせて頂きました。その中でも一番印象に残っているものは、インドでの一か月半の修練でした。私はここで生きたいと真面目に思いました。宣教者となってこの地で生涯を送りたいと強く願ったのでした。

 私は、二十歳の頃、友人と一緒にインドへ行き、(ツアーで、案内人付き)マザーテレサが創設した会のボランティアを経験しました。正直言えば、まず初めに誘ってきたのは、友人でした。私は、マザー・テレサが素晴らしい方だというのは知っていましたが、一人でインドくんだりまで行く勇気がありませんでしたし、英語も話せません。けれど、若いというのは心臓で、『ペトロちゃん、大丈夫だよ!』との友人の一言で、すんなりと行くことに決めました。

 マザー・テレサが創設した会の素晴らしさに魅せられた私は、とても感動して、この会に入会出来たなら、どんなにか幸せだろうと思ったのでした。けれど、精神的に未熟だった私は、その会にふさわしくないと考え、その思いをずっと封印してきたのでした。

 神のみ旨は、人を通して働かれるものですね。もし、再就職するならば、インドで働きたい!と修練期に所属していた修道会の管区長様に相談したら、健康面、体力面、英会話、知的障害を持つ子供達を育てるための資格を私の年代で身に着けるのはとても難しい。現実的でなく、雲を手で掴むようなものだから受け入れることはできない。あなたの能力に見合った仕事を見つけて、日本で働きなさいと助言して下さいました。懇意にして頂いているシスターにも相談したのですが、同じ反応でした。

 それでも、インドで働きたいという意志は、変わらずくすぶり続けています。いいえ、インドでなくてもいい、インドに深い関わりを持つボランティアに参加したい。そして頂いた恩を返したい。そのような気持ちが私を尽き動かしました。

 この、インドと深く交わる生涯を送りたいと思うのが、召し出しの印でしょうか。確かに、修道者として生きていくには、私にはバイタリティーが欠如していると思います。資格もありませんし、高望みです。彼らは、とても質素な生活を送っています。食いしんぼの私が、清貧の生活に耐えられるでしょうか。従順を生きることが出来るでしょうか。貞潔を守ることが出来るでしょうか・・・。

 白地に青いラインの入ったサリーの修道服は、私には大きなお恵みのように感じます。あのサリーを着たいと思ってもよいでしょうか。

 恩師の神父様がおっしゃった内容は、『インドで働くという望みは捨てなさい。けれども、日本には、マザー・テレサの会が東京、名古屋、大分と三か所あります。特に大分は良かったですよ。ここはどうですか?シスター方が忙しくて出来ないことを、あなたが行うのです。(いわゆる内助の功というところでしょうか)それを目指しなさい。そして右膝の痛みがあっても働ける仕事を与えてもらいなさい。修道会に電話をかけなさい。そして、事情を説明して、会のシスター方と共に生きる道を歩みたいとお願いしなさい。あとは、神のみ旨にお任せしなさい。』とのことでした。

 22日に面接の予約を入れました。私のことを気に入って下さるでしょうか。それは分かりません。けれど、召し出しは努力によって得られるものではありません。それは私でも分かります。神が望むことが、行われますように、今日から真剣に祈り続けようと思います。主が聖霊を通して、マリア様の取り次ぎによって私を導いて下さいますように・・・。 

楽しかったフラワーフェスティバル

2016-05-13 02:47:50 | 信仰
 統合失調症を患っている友人が先日の主の昇天祭=<フラワーフェスティバル>に参加してくれました。一人は友人なのですが、もう一人は友人の友人というややこしい間柄で、私はその人とは初対面でした。

 信者でないから、後ろの方でひっそりとミサに与りたいというので、私は希望を叶えてあげるべく、ミサの一時間前に教会に到着し、<聖書と典礼>の冊子を椅子の上に置いて、場所を確保!後は彼女たちが教会までやってくるのを待つばかりでした。

 友人Aさんは、一度教会に来て、私と共にミサに与ったそうです。私はそれを忘れてしまっているのですが、彼女がそう言うのですから、間違いはないでしょう。そのAさんの友人Bさんは、私とは初対面でしたが、Aさんを介して少しずつ打ち解け合い、仲良くなりました。

 初めに、マリア様のおみこしをかついで、教会の近所を練り歩きました。<ルルドの聖母>の歌を歌いながら、ゆっくりと歩きました。実は、私はフラワーフェスティバルに参加するのは、今回が初めてで、私にとっても、とても新鮮な体験でした。二人の友人は初めて聞く歌を歌うことにとまどい、Bさんは歌わず、Aさんは、かかんにチャレンジしていたようです。

 ミサは国際ミサだったので、外国からやってきた多くの信者さんが、中心となってミサを取り仕切っていました。神父様は二人いらっしゃり、お説教は日本語とポルトガル語の両方でお話しして下さいました。友人たちは、訳が分からないまでも、周りの人たちと同じように立ったり座ったりを繰り返しながら、ミサに参加していました。祝福も受けることが出来ました。

 その日は、大祭日だったので、いろいろな出店が出ていました。生春巻きやベトナムのお好み焼き、フォーうどんやケーキ。焼きそばやお赤飯。私達は、ケーキと生春巻きとフォーうどんを食べました。

 帰る前に、ガストでお茶をしましょうということになり、そこで、パフェやプリンを食べ、ドリンクバーでお茶をしながら、病気についての話談義に花を咲かせました。

 私は躁うつ病なので、幻聴は聴こえませんが、彼女達は、幻聴と錯聴(さくちょう)に悩まされていた時期があったようです。Aさんは、換気扇や冷蔵庫の機械音から、人の声が聴こえてくるのだそうです。Bさんは、多感な時期に発病し、心の声が耳元で聴こえ、または、知らない人の声と会話したこともあるとか。AさんもBさんも、自殺未遂経験者です。けれど、それらの苦しみを笑い話にして目をキラキラさせながら、話している姿を目の当たりにすると、彼女たちの強さを感じました。

 私は、車を有料駐車場に置いてきたので、長居することが出来ず、途中でさよならをして、お別れしました。お土産の生春巻きを自分の部屋で食べました。野菜と春雨と鶏肉がライスペーパーにごっそり巻かれていて、ベトナム風たれをつけて食べました。とってもおいしかったです。

足立区西新井大師

2016-05-11 02:19:07 | 信仰
 昨日、都営のお客様相談センター?に電話し、西新井大師の行き方を尋ねました。電車で行くと、乗り換え、乗り換えで、とても不便なルートなのですが、都営バスを使うと、何と一律210円で西新井大師まで行くというのです。そう言えば、都内は、バス料金が、定額だったことを思い出しました。

 右膝に痛みを抱え、また、お金がきつきつで、無駄遣いが出来ない私にとって、こんなに嬉しいことはありません。所要時間は40~45分間ほどで到着するとのことでした。今後、<神の愛の宣教者会>に通おうかなと考えている私にとって、ありがたい情報でした。本当に心から感謝です。

 西新井大師って有名なんですってね。私は全く知りませんでした。友人が言うには、足立区は余り治安が宜しくないところと言っていましたが、だからこそ、会はその場所を住処(すみか)として選んだのかもしれません。別の友人に、今度マザーテレサの会と関わりを持つかもしれないと伝えたら、びっくりされました。けれど、その友人はさすが霊的に深いものを持っているので、ある助言をしてくれました。

 『ペトロさんは、今、とても不安な気持ちでいると言うけれど、裏を返せば、その会のことをとても大事に考えている証拠だよね。自分には会に入会する資格があると胸を張るよりも、不安を押し殺しながらも、勇気を持って、相対する姿勢は謙遜なものだと思うよ。とりあえず、自分をその場に置いてみなければ、分からないことってたくさんあるから、22日の面接日、頑張って!!』と励ましてくれました。

 私は、また少し勇気を得ました。私自身は、未だに夢を見ているような気分でいるので、地に足がついていません。このような状態なので、聖霊によく祈り、正しい生活を送りながら、決戦の日を迎えようと思います。

追記・・・精神科の主治医の件ですが、医事科相談窓口に電話して主治医を代えてもらえないかどうか相談しました。内容は、性格が合わないこと。押しが強く、言い方がきついので、心開くことが出来ない。治療に支障をきたしている・・・などのクレームを言いました。すると、相談を聞いて下さった方が、真摯な態度で私の意見を受け止めて下さり、『上のものと相談するので、1~2日ほど待って下さいますか?』とのこと。私は快くOKしました。当然、木曜日という曜日は変えてもらいたくないとお伝えしました。(内科受診日も木曜日のため)どうなるか電話待ちとなってしまいましたが、防衛医大も捨てたものではないなとほくそ笑む私でした。

追記2・・・<美禅食>という置き換えダイエットの商品を購入してしまいました。もう体重を今以上に増やすことは出来ません。CMで嬉しそうにはしゃいでいる女性達の迫力に負けました。私も彼女たちのように痩せたい!!それも、速攻に痩せる痩せ方をしたいという気持ちで購入してしまいました。本当は、このような痩せ方をすると、脂肪よりも筋肉が落ちることは、頭では分かっているのですが、切羽詰まっている私の頭はダイエットしなければ、今年の夏は大変なことになるとの脅迫観念に取りつかれました。修道会に入会するとなると、あと、30キロは痩せたいです。今回は本気で頑張ろうと思います。

 

信仰を試される

2016-05-10 07:55:17 | ダイエット
 一昨日、昨日と、<神の愛の宣教者会>と共に活動していらっしゃる、ある神父様に霊的な相談をしたく、何度も電話をかけました。まるでストーカーになった気分です。何故、電話をその神父様にかけ続けていたかと言うと、恩師の神父様に、『神の愛の宣教者会に電話をかけなさい。』との宿題を頂いて、翌日、即実行し、上手く伝えられなかったのですが、とりあえず、面接の時間を確保出来たことに神に感謝を捧げました。しかし、いかんせん、私の心の中に違和感ではないのですが、そんな奇跡のようなことが起こり得るのかという疑念にさいなまれ、誰か私の心の霊的なアドヴァイスをして下さる方はいないかと思ったからでした。

 心はざわざわと波だって、居ても立ってもいられない気分です。二日間、電話をかけまくりましたし、留守番電話にもメッセージを残しておいたのですが、なしのつぶてです。やっと通じたかと思うと、神父様が所属していらっしゃる教会の電話番の信者の奥様が電話に出て下さいました。

 三回目に電話をかけて、通じた時も、信者の奥様でしたが、司祭館の方に電話が切り替わったらしく、神父様に何故つながらないのかを説明して下さいました。

 神父様は、教会の司牧だけでも忙しいのに、熊本大震災の援助をしに、何度も、九州へと足を運んでいるのだそうです。それに加えて、司祭館でのお仕事や話し合いがあり、電話での相談を受け付けるのが、大変難しい状態であるのだとか。電話に出て下さった方から、『もし、連絡を取りたいのならば、お手紙を差し上げたらどうでしょう。』と助言して下さいました。

 私は、がっかりしましたが、私の通っている所属教会の神父様ならば、良い助言を頂けるのではないかと思い付き、電話をかけてみました。しかし、留守番電話に切り替わってしまいます。やはり、ここは神様から信仰を試されているのかと思い、祈りながら、心のざわめきをグッと我慢していました。すると、忘れた頃に、所属教会から折り返しの電話がありました。

 電話をかけて下さったのは、我が教会の主任司祭でした。この神父様はとても良い方で、電話で相談すると、とても良いアドヴァイスを与えて下さるのです。今回も、私の要点の定まらない、分かりづらい説明を熱心に聞いて下さり、共に考えて下さいました。私の恩師の神父様は、日曜日の第二ミサに時々訪れるのだそうです。御年85歳ですが、そのような年齢を感じさせません。本当に素晴らしい神父様です。ですから、私が所属している主任司祭様も一目置いている方なのです。

 私は、私の所属教会の神父様に、恩師の神父様が推薦して下さった<神の愛の宣教者会>に入会することは、考えていないこと。ただし、召し出しがあれば、入会しても良いと思っていること。もしくは、シスター方が忙しくてこなせない仕事のお手伝いをする生き方を勧められているので、その方向性でお話しをすすめてみようかと思っていること。などをお話ししました。

 すると、神父様はおっしゃいました。『面談が決まっているのであるならば、安心してそれに臨みなさい。東京の修道院の院長様はとても良い方ですよ。実は、私、東京の<神の愛の宣教者会>のシスターズの黙想会を指導したことがあるのです。院長様はとても良い方でした。召し出しがあるかどうかは、一度では分かりませんから、会がからんでいるボランティアに参加するなどして、交流を深めてみて下さい。聖霊は不思議な形で私達を導かれます。歩むべき道を照らして下さるように、聖霊に乞い願い求めましょう。』とアドヴァイスして下さいました。

 聖書に『思い悩むな』という箇所があるのですが、まさに、その御言葉を忘れ、自分の心に振り回されて、神が介入して下さる、恵みを与えて下さる、聖霊が道を案内して下さるから安心して毎日を過ごすことを忘れていたと思います。神父様のお声を聞き、話しを聴いて下さったおかげで、気持ちが静まり、落ち着きを取り戻しました。持つべきものは霊的指導者ですね。

 <神の愛の宣教者会>は、炊き出しなどのボランティアや、一人ぼっちで生きている老人の介護、DVを受けて帰る宛のない女性達のシェルター的存在になっているようです。また、刑務所などに行って、獄中で暮らしている人達の心の支えになっているとか。私は、膝を壊していて、立ち続けて仕事をすることが出来ません。ですから、メンタル面を支える仕事なら、出来そうな気がします。けれど、恩師の神父様に言われた言葉・・・『シスター方が忙しくて出来ない仕事を率先してやる』という仕事にも魅力を感じます。

 どうなるかは分かりませんが、22日がとても楽しみになってきました。聖霊の導きに照らされて、安心して人生を歩んでいきたいと思っています。

 追記・・・両親のことは主にお任せするつもりです。もし介護が必用になったなら、きっと我が家に自分を派遣して下さることでしょう。私の心の中は、神のみ心を行い、殉教することです。インドとの深い関わりも持ちたいと思っています。難しいでしょうけれど、頑張ってみようと思います。

2016-05-07 10:04:42 | 信仰
 22日の14:30に、<神の愛の宣教者会>のシスターと面談することになりました。実は、神父様から宿題を頂き、早速次の日に、会に電話をかけてみたのです。

 一生懸命、シュミレーションして、電話をかけたつもりだったのですが、いざ、シスターに電話がつながると、緊張してしまいしどろもどろ。散々でした。

 『○○教会のペトロと申します。管区長様いらっしゃいますでしょうか。』と尋ねると、「管区長はここにはいませんが、院長様ならいらっしゃいます。」とおっしゃるので、『では、院長様を御願いしたいのですが。』と勇気を振り絞って聞いてみました。すると思わぬ反応が・・・。「どのようなご用件でしょうか!?」

 ああ、もう緊張はMAXを超えています。私の頭の中は、真っ白です。とりあえず、その方に『生涯そこで働かせて頂きたくて電話しました。』などとは死んでも言えません。ものには順番があります。とりあえず、会に興味を抱いていて、ぜひ親交を深めたい旨を伝えると、<共労者会>なるものが、一か月に一度、四週目の日曜日に集まりがあるので、それに参加してみませんか?と誘われました。

 実は、<共労者会>に私は属しているのです。なので、そのことを伝えると、シスターもこの時点で心を開いて下さいました。「集まりは15:00です。」とおっしゃったので、『すみません。もし宜しければ、面接をさせて頂く時間を頂けないでしょうか。』と食い下がりました。シスターは根負けして、30分前の14:30なら時間が取れるとおっしゃって下さいました。

 朝早く目が覚めて、インターネットで<神の愛の宣教者会>についていろいろ検索して調べてみました。ホームページが無くて、詳しい情報をゲットすることは出来ませんでしたが、会のことが書かれているブログや、シスターのつぶやきブログなどを見つけ、読み続けました。片柳神父様が会のお御堂でミサを捧げている写真を発見したのですが、シスター方の青の線のついた白いサリー姿を見ると、私も若くて健康ならば、この会で生きていきたかったなと思いました。

 とりあえず、私の半生の物語と、どうして会に興味を持ったのか、そして、神父様が教えて下さった、皆が忙しくて出来ないことをお手伝いする方向で、会と寝食を共にし、生涯会と共に生きていきたいことを伝えるために、お手紙を書こうと思っています。あと履歴書も同封しようと思います。

 朝早く、インターネットで<神の愛の宣教者会>について調べていたからでしょうか。二度寝した際、夢を観ました。大分にある修道院で、シスター方が私を受け入れて下さり、片柳神父様とも親しくなった夢でした。実際は難しいのに・・・。海のものとも山のものともつかない、私の願い。というより、神父様が推薦して下さった会なので、神の招きかもしれなかったら、行動しなければならないという使命感のような気持ちで行くので、いいのか悪いのか分かりません。とにかく祈りまくって力を得てから頑張って面接にのぞもうと思います。

 追記・・・私はマザーテレサの本を読んで感動し、洗礼を受けました。この事とも関係があるのでしょうか。神のみ旨でありますように。

 追記2・・・私は躁うつ病を患っています。右膝の痛みもあり、普通に歩ける状態ではありません。このような私を受け入れて頂けるでしょうか。とても不安です。神の御心のままに!!
 

神父様からの宿題

2016-05-05 05:25:44 | 信仰
 昨日、恩師である神父様に会いに行きました。ことの発端は、私が今朝、神父様にお電話を差し上げたところから始まりました。

 私の中で漠然としながらも、インドで過ごした日々が強烈に残っていて、あの日差しが照りつける中、20代半ばで、英語のえの字も分からない私が、ツアーで、マザーテレサが設立した『神の愛の宣教者会』のお手伝い…つまりボランティアしに行き、お恵みがいっぱいで、とてもハッピー!!幸せで満ち足りた想いを抱いた経験が忘れられませんでした。

 最近、私の中で、再度、インドで働きたいという熱望が、私の中を駆け巡り始めました。初めは、修道者だった時、お世話になった会で、何かと相談にのって下さるシスターに相談してみました。すると、インドで行われている知的障害者のための学校のお手伝いは、ペトロさんには、健康面、年齢、英語が話せないなどの理由で、インドで働くことは無理でしょうとアドヴァイスして下さいました。

 けれど、あきらめが悪い私は、会の管区長にまで電話をかけ、同じ質問をしてみたのですが、やはり、同じ回答を得ました。

 あきらめの悪い私は、恩師である神父様にも相談の電話をしていたのです。一昨日は、行き違いでお話し出来なかったのですが、昨日、朝に電話をかけ、インドで働きたい旨を相談すると、真剣に話しを聞いて下さり、具体的な話しをしたいので、ぜひ、私のところへいらっしゃい・・・とおっしゃって下さいました。

 神父様との面談は、とても具体的で、私でも臆してしまうような提案がなされました。何と、<神の愛の宣教者会>が行っている仕事の手伝いをしながら、寝食を共にし、生涯生きていく道を模索してみたらどうだろうというのです。

 <神の愛の宣教者会>と言えば、マザー・テレサが創設した有名な会です。主にインドが活動拠点となっています。けれど、インドで働くことは、反対されました。私の身を案じてのことでした。けれど、神父様はおっしゃいました。

 『日本でも、あなたが出来ることは必ずあります。<神の愛の宣教者会>に電話して相談してみなさい。修道者として生きるには、あなたの体力、そして病のことを考えると無理です。けれども、パートのような形で、ボランティアし、寝食を共にする生き方があります。私はこのことを提案します。ぜひ、連絡をとってみて下さい。』だそうです。

 私は頭を抱え込んでしまいました。心では嬉しいのです。神父様、ナイスアイディア!!と叫び出したいくらいです。でも、私にそのようなことが務まるのでしょうか。第一、会は私を受け入れて下さいますでしょうか。

 今日、会に電話をかけ、管区長に相談してみたいと思っています。もし、故障だらけの私でも、受け入れて頂けるのならば、誠心誠意努めさせて頂きたいと思っています。とにかく、この重い体重をどうにかして、軽くしなければ・・・。そして会の行っている活動のお手伝いができ、寝食を共にし、会の一部となって働けるようになれるならば、こんなに嬉しいことはありません。

 まずは、初めの一歩を踏み出したいと思っています。

さよなら・・・

2016-05-03 04:13:43 | 日記
 私の家の隣に住んでいたおばさんが、亡くなりました。享年85歳。急に具合を悪くして、病院に運ばれ、点滴の処置を受け始めた途端、心配停止。帰らぬ人となってしまったそうです。

 つい先日、元気な姿を私たちに見せてくれたばかりでした。杖をついているとはいえ、自らの足で我が家の玄関先まで来て下さり、にこにこしながら、元気そうにしていたのに・・・。

 私が幼い頃、熱湯風呂の中に落ち、母が拾い上げてくれ、私はワンワンと泣いていたと思います。ご近所のおば様がたがかけつけてくれて、私をホースの水でじゃんじゃんかけてくれました。お陰さまで傷あとも残らず、きれいに治りました。

 となりのおばさんは、私が幼い頃から顔なじみでした。物心ついた頃から、ペトロちゃん、ペトロちゃんと言って、大切にして下さいました。

 ある意味、寿命で天寿を全うしたのだと思います。ご自分でも、こんなに早く亡くなるとは夢にも思わなかったでしょうけれど、二人の娘と4人の孫に恵まれ、だんな様は5年前にすでに癌で他界。後を追うようにして亡くなりました。

 この世のしがらみから離れ、天国へ旅立つであろうその人の生き様は、決して華やかでも、目立ったものでもなく、静かにたんたんと時間が流れていったように思います。唯一の楽しみは、旅行が好きで、暇を見つけては、ご主人と一緒に、旅に出ていました。

 5日には、葬儀場へと遺体を運んでしまうそうです。明日、お焼香しに行けたらいいなと思っています。私の父も今年で81歳。寿命の長い家系とはいえ、こんなにあっけなく人は死ぬのだと思うと、私も覚悟しなければならないなと感じている今日この頃です。

 ご冥福を祈ります。