「素人」発言よりこちらが問題

2011年12月08日 00時00分31秒 | 政治と宗教

「素人」発言よりこちらが問題

北野光夫氏、ブログ 転載
2011年12月6日 | Author kitano-k

一川防衛大臣の「詳細に知らない」発言が
問題になっています。

簡単に説明すると、参院復興特別委員会の場で、
95年の沖縄で起きた海兵隊員による少女暴行事件の
内容を知っているかとの質問に対し、
一川大臣が「詳細に知らない」と答弁したものです。

問題視されている理由は、沖縄の反基地感情・反米感情が
高まり、普天間移設問題の引き金ともなったと言われている、
この事件の詳細を、責任者である防衛大臣が知らないと
言ったからです。

 まあ、少なくとも、国会議員であれば、防衛大臣でなくても
知っていて当然だと思いますので、この批判は正当でしょう。

ただ私は、このときの答弁の前半部分の方が、さらに
問題だと思っております。

実はこのとき、95年の少女暴行事件の内容を知っているか
との質問に対して、「95年に少女が米軍から暴行を受けたもの
と認識している」と言っています。

しかし、これは明らかな間違いで、

暴行は米軍がしたものではなく、米軍の兵士個人(3名)が
行ったものです。

もっとも、悪意あるマスコミはこの事件の報道に
「米軍による少女暴行」と誤った書き方をあえてして
いましたので、イメージ的には米軍=危険という刷りこみが
なされてしまいましたが…。

 
質問をした佐藤議員もスルーしています
(佐藤議員も「米軍が」と言っていますので…)が、

個人が起こした事件を米軍そのものとこじつけて
危険視しているのが、今の沖縄反米感情の本質では
ないかと思います。

しかし、例えば、Aという企業の一社員が暴行事件を
起こしたからといって、A企業が暴行事件を起こしたとは
言わないでしょう。

また、社員が事件を起こしたからと言って、会社の製品や
その会社の事業が必要ないということにはならないでしょう。

全く次元の違う話です。

  
一川大臣には、個人の犯罪と米軍そのものとは
峻別して議論しないといけないという意識すら
ないのでしょう。

一連の発言からは、単なる失言の問題ではなく、


日本の防衛のために何をすべきかということに、
全く意識がいっていないことが感じ取れます。

仕事をする意識のない大臣は、簡単に官僚に
丸めこまれます。

大臣の椅子の心地よさだけを感じている、
「なんちゃって防衛大臣」ですね。

国防の危機が迫るときには、こういう大臣は
百害あって一利なしです。

野田総理もこの人が適材であると本当に考えて
いるようなら、総理自身が適材ではないと言わざるを
得ないですね。  

kitano
http://kitano-mitsuo.com/blog/2011/1200.html


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1 コメント

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Japanese mentality (noga)
2011-12-11 17:30:58
●鳩山由紀夫首相は、「昨年の衆院選当時は、海兵隊が抑止力として沖縄に存在しなければならないとは思っていなかった。学べば学ぶほど(海兵隊の各部隊が)連携し抑止力を維持していることが分かった」と記者団に述べた。

●菅首相が、統合、陸、海、空、4幕僚長との協議の冒頭で「改めて法律を調べたら自衛隊に対する最高の指揮監督権を有していた」と述べた。

アメリカ側の代表者であったメア氏は、「日本では、識者と呼ばれる教養人、国会議員、更に地方自治体の議員も、安全保障に関して知識がないことはいいことで、説明しないことは賢明な対処法だと考えているように見えます。それは私にとっては本当に驚きの連続です」と語った。

個人の表現がなくては、個人選びは難しい。また、傑出した個人を育成することも難しい。つまり、個性がなくては高等教育がなりたたない。どんぐりの背比べ。政治は三流。

アメリカ側の責任者であるメア氏は語る。「普天間飛行場問題での選択肢は現状の固定化か、辺野古への移転しかありません。東アジア、西太平洋に配備されている米軍で唯一、機動力のある部隊が海兵隊です。機動力ゆえに海兵隊は最大の抑止力なのです。強靭な精神力を持つ彼らは、アメリカの日本防衛に対するコミットの象徴でもあります。海兵隊は航空部隊、陸上部隊、支援部隊が同じ演習場でなければ訓練出来ません。統合性を欠く訓練は無意味です。鳩山内閣は軍事的理論より政治的理論を優先させて県外に移すと宣言しましたが、私は2010年5月、自分が国務省日本部長である限り、日本の国内政治のためにアメリカの若い海兵隊員の命を犠牲にするつもりはないと、鳩山首相に伝えてくれと日本側に言いました」

地政学な内容が頭の中に入っていない県民代表と、国防の議論を何回繰り返してもリーズナブルな結論は得られないであろう。「百年兵を養うは、一日のため」である。
相手の程度を考えて話し合うことも、時と場合によっては必要である。
語る内容が歌詠みであっては、外敵を抑え込む力にはならない。先の沖縄戦の時もそうであった。

意思は、未来時制の内容である。
日本語には時制がない。
だから、日本人には意思がない。
自他ともに、本人の意思の内容を確認しようと真剣になることはない。
意思がないところに責任はない。
国がひっくり返った時にも責任者は出なかった。
死刑執行人が殺人罪に問われないようなものである。
とかくこの世は無責任。

「米軍の訓練や日米安保体制についての深い議論は避けたい。なぜ日米安保や基地や訓練が必要かを議論せず、すべてを米国のせいにする。説明は責任につながるので、責任をとりたくない政治家や外務省は、誰も説明しない。従ってこのままでは安全保障についての日本政府と日本国民の理解は深まりようがない、と私は心配しています」とメア氏は語る。(引用: 「30年、日本を見詰めたメア氏の証言」  桜井よしこ氏)

意思のない人とは議論ができない。
意思のない人は、つかみどころのない人だからである。
実況放送と現状報告の内容のみを語る人は子供のようなものである。
英米人は、12歳の大人の住む国に来て困惑している。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

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