。。『天点画』。。宙を奏でる点描曼荼羅画(そらかな曼荼羅画)プラクティショナー曽我です

名古屋・一宮で活動中
描くことは瞑想であり瞑想は気づきを与えてくれる
宙奏曼荼羅画はあなたを新しい世界に誘います

親子の情

2009-05-21 22:48:03 | ペット

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はい、チーズ   カシャ

ん~~~ん、可愛いお顔

 

 

【離婚カウンセラーのつぶやき】

親子の情

それは当たり前のものではありません

親に愛されない子供は確かに居るのです

 

虐待、ネグレクト・・・

そこまではいかなくとも、親の愛情を感じることが出来なかった・・・

そう感じている人もいるでしょう

 

親を愛する事ができない

いえ、愛までも行きません

会話もしたくない、同じ時空間に居たくない

いなくなってくれたらホッとする・・・

 

大人になるにつれ、親をひとつの「人格」としてみるようになります

また、自分自身、いろいろな経験を通して「親」を客観的に見ることが出来るようになります

そして、親の苦労を理解するようにはなります

・・・・・・・

しかし、だからと言って親を愛せるか?

なかなかそうはいきません

 

 

18日のブログ「生きたように死を迎える」

http://blog.goo.ne.jp/manndaraya-kazz/d/20090518

このブログは多くの人に様々な思いを掻き立てたようです

 

 

親を愛せないのは、愛せなくなるだけの事をされたからです

親を愛せない事で、自分だけを責める事はないと私は思います

  

 

私は人生はとても厳しいものだと思っています

自分のした事が、自分に跳ね返ってくる 

そういうものではないでしょうか

 

 

私自身は親との問題を自分なりに乗り越えたと思っています

ここから先は、個人的な思いを書かせて頂こうかと思います(って、いつも個人的な思いだろ

 

私は、自分の経験や本から得た知識によって、乗り越える事ができました

 

『「ひと」として大切のなこと』の著者、渡辺和子さんは

2・2・6事件でお父様を殺されました

彼女はその犯人に対して、「笑顔で許す事は出来ないけれど、遠くからクリスチャンとしてその方の幸せを祈る事なら出来る・・・」というような事を本に書かれていました

これを読んだとき、私もそれでいいのではないかと感じました

面と向かって優しい言葉をかけたり、何かしてあげる事だけじゃ無いんですよね

渦中に居て、愛せないのなら、離れてた所から親の幸せを祈ってもいいんじゃないかと・・・

 

同じような時期に『人には魂の年齢がある』と書いてある本を読みました

魂の年齢とは精神年齢とは少し違います

精神年齢は、実際の年齢に対して、心の年齢がいくつか?というようなものです

それに対し、魂の年齢は、生まれた時点ですでに年齢があるというものです

だから、生まれながらにして親よりも魂の年齢が高い人もいるのだそうです

 

親は、自分より年上です

しかし魂の年齢から言えばとても幼いのではないか?

外見は大人でも、魂が子供だとしたら、子供が子供を愛するの無理だったのではないのか?

 

そんな風に感じるようになりました

 

そのうちに「1%でも愛は愛」

親なりの愛があったのではないかと思えるようになりました

確かに、父親はパワハラ・モラハラ、母はそんな夫に振り回され、子供に愛情を注ぐ事が出来なかった

それでも、彼らなりの愛情があったのだと・・・

 

そんな風に思えるようになり、親を愛せない自分から抜け出す事ができました

 

父親を愛しているか?と聞かれれば、答える事ができません

でも、父が少しでも目が覚める事を遠くから祈っています

もし死ぬその時まで目が覚めなくても、それは父が選んだ人生です

それは父が背負うものだと思っています

 

 

 

グループセミナーを定期的に開きます詳しくは

 グループセミナー http://blog.goo.ne.jp/manndaraya-kazz/d/20090510      

 ファンタスティック水彩画 http://colorimage.web.fc2.com/index.html

 

 

 

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自分にはもう無理と認める強さ

2009-05-20 23:15:11 | ペット

Cimg2787 キャァァ~、おもちゃがお水にぃ~

Cimg2806はな知らないも~ん

 

 

 

【離婚カウンセラーのつぶやき】

私達は神様じゃないから「これ以上は無理」と認めていいのです

 

なんでそう言うのか?

 

「つくづく愛想が尽きた・・・」

そう思いながら離婚を決断できない

 

「自分にも足りないところがあるから・・・」とか

「私の努力が足りないから・・・」とか

「私が頑張れば何とかなるかも・・・」とか

理由はいろいろあるでしょう

しかし、私達は神様ではないのです

パーフェクトは無理なのです

 

「私は私なりに頑張りました

 出来る人から見たらまだまだ足りないかもしれない

 でも、これが今の私の精一杯です」

 

そう思っていいのです

 

離婚する事は「相手を見捨てる事」と感じてしまう人がいます

しかし、そうではありません

道が別れるだけなのです

 

「相手を見捨てる」と思ってしまう人は、逆に言えば「今まで相手を拾い過ぎた(面倒を見すぎた)」のです

 

あなたのパートナーはヨチヨチ歩きの赤ちゃんですか?

違いますよね

パートナーはあなたが居なくても生きていけます

死にはしません

離婚したって明日はくるし、仕事にも行くし、食事もします

結構、そんなもんです

 

 

「もう、私には無理」

そう認める事は、「勇気」だと思います

決して「逃げ」ではありません

勇気を持って「私にはもう無理」と認めましょう

その勇気を持てたとき、次の展開が開けるものなのです

 

 

 

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奇しくも

2009-05-19 22:46:42 | ペット

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今日ははなの写真は止めようかと思ったのですが・・・

 

 

【離婚カウンセラーのつぶやき】

昨日のブログ

「生きたとおりに死を迎える」

 

・・・・・・・・・・・・

 

この前、会社の同僚が倒れたとブログに書きました

彼が今朝、亡くなりました 

心から御冥福をお祈りします

 

 

自分のブログの中身との奇遇さにちょっとビックリしています

彼の事を書こうかとブログを書き始めたのですが、それもなにかなぁという感じで・・・

 

 

さんたさんのコメです

   今朝の事が有っての追加コメです。

   どういう生き方だったんだろう?

   人生幸せだったのかな?

   周りの人を見る限り、そこが疑問に思えて仕方ない。

   彼の生き様は判らない。

   けど、死んで行く様は、周りの人に悲しみよりも安堵や怒りを感じさせてる。

   幸せの概念は相対的だけど…どうだったのかな?

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生きたとおりに死を迎える

2009-05-18 23:10:17 | ペット

Cimg2777      じ~~~~ぃ

Cimg2779    ガブッ

 

 

 

【離婚カウンセラーのつぶやき】

一昨日、ブログで認知のお婆さんの家族の事を書きました

今日はまたその事について書こうと思います

 

一昨日は、御家族に考え方や接し方に???というような内容でした

でも、それだけでは片手落ちのような気がして

 

ある本に

『人は生きてきたように死ぬ』

と書いてありました

介護用品の会社に勤め、お年寄りと接する機会が多く、その言葉は本当だなと強く感じます

 

一昨日のお婆さん

お嫁さんや、息子さんがそうなったのはお婆さんにも多大な原因があると思います

そう、今まで周囲に自分がどう接してきたかを突きつけられているのです

 

 

自分の事になりますが

私の父は典型的な「モラハラ・パワハラ男」です

彼は彼なりに、仕事において苦労もしたし、努力もしました

でも、そのストレスは家族に向けられ・・・

母は「あんだけ、自己中で好き勝手し放題、怒鳴りたい放題、お金使いたい放題でさぞ満足な人生だろうね」と言います

 

しかし私は母とは違い、孤独な人生だと思います

誰も父を心から心配する人はいません

年老いて父は孤独です

いえ、ずっと父は孤独だったと思います

 

でも、それは彼が選んだ人生です

すき放題した結果が『孤独』なのです

 

 

。。。『人は生きてきたように死ぬ』。。。  重い言葉ですね

 

 

自分の人生の終末は自分で決められるのです

どんな人生の終末を迎えたいですか?

そんな終末が迎えられるように『今』を大切にしましょうね

 

 

 

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おべんちゃら

2009-05-17 22:16:32 | ペット

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はなが首を突っ込んでいるのはプランターの台です

昔、それには植木鉢が乗っかっていました

でも、はなが葉っぱをかじるし、土を散らかすのでベランダに移動

コンクリートの照り返がきつかったのと、水遣りを忘れたのとで枯らしてしまいました

 

 

 

【離婚カウンセラーのつぶやき】

ある人と話をしていたら

「私は正直だから、おべんちゃらは使えない。正しい事ははっきり言うし。御機嫌取りのような事(おべんちゃら)は言えない」

と、強い口調で仰いました

 

その時、この人の言う正直ってなんなんだろうと感じました

思った事をそのまま口に出して言うのは「正直」なんでしょうか?

私はそうは思いません

(もちろん、この言葉だけをとって言っているのではありません。会話全体から受けた印象です)

 

それって、子供のような考え方ではないでしょうか

 

大人になるというか、人生経験が増えれば、それなりに相手の立場に立って考えられるようになっていきます

その中で、言葉を取捨選択していくことは、おべんちゃらとは違います

 

話をする目的は、なんらかの事を相手に伝えたいからです

伝わってこそ言葉を発した意味があるのです

なら、どういう表現方法が一番相手に伝わりやすいかを考えて言葉を選ぶのが賢い会話ではないでしょうか?

 

さっきの方は、相手の事を考えているとは言い難いですね

「私はこういう人間だから!」

と、自分を押し付けているだけになる可能性があります

 

昨日も書きましたが

誰でも自分を受け入れて欲しいものです

なのに「自分はこういう人間だから」と言い切って、それを全面に押し出してしまったら・・・

全面に押し出すという事は、押し出される人がいるという事です

押し出された人は、その態度を受け入れるしかないのでしょうか?

 

それって、違うとは思いませんか?

 

嘘をつかない=正直

確かにそうです

でも、そこに『思いやりの心』が必要なのではないでしょうか

言葉は凶器になります

だからこそ使い方は慎重になった方がいいですよね

 

 

 

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