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マンハッタン便り2020

ジジババのひと冬のマンハッタン暮らしの日記

イントレピッド

2020-01-13 12:06:39 | 日記





12日、イントレピッドに行った。「イントレピッド海洋航空宇宙博物館」。
ここに行くことは、今回のNY行きでの大きな楽しみの一つだった。30年ほど前、1990年頃、ボストンのミシェルが結婚することになって、ジジババと、当時10歳頃の息子と一家全員3人で結婚式に出て、お祝いして、そのあと、3人でアメリカをゆっくり回った時、NYの友達のところで何日か遊んだ。友達の運転でNYを案内してもらう途中、大きな船の横を通って、それが航空母艦であることはすぐ分かった。飛行機、船、車、その他乗り物大好きの自分としては、大層興味をそそられる航空母艦だったが、その時は、一緒にいたのが、ババちゃんと小さい子供、それに案内してくれている友達も女性だったし、自分の趣味の世界に他人を引っ張り込んではいけない、と、何も言わずに見逃したのだが、以来、ずっとこの航空母艦の事が気になっていた。
NYのど真ん中の航空母艦⁈イントレピッド。やっと、また来た。



飛行機、船、車、その他乗り物大好き、と書いたが、一番好きなのは飛行機。
飛行機ほど美しいものは無い。機能美の極、というか、虚飾を剥いだ真の美というか、素の美というか、本来の目的達成を至上課題とした造形追求が細部隅々まで徹底している。その結果としての機体全体は無論美しい。同時に美しいのは、また、それ以上に美しいのは、<格好じゃないよ、中身だよ、>というか、見せかけの美?を潔しとしないその心がけ、心意気の美しさだ。

よく例に出すのだが、A10サンダーボルトという飛行機がある。速そうでもなく、強そうでもなく、機敏そうでもなく、普通目にはお世辞にも美しいとか、かっこいいとかいう姿ではないが、戦車等を目標とした地上攻撃という任務を突き詰めてゆくとこんな形になるらしい。

木に釘を打つ金づちがあんな形をし、木の表面を削るカンナがあんな形をし、木を切るのこぎりがあんな形をしている、各々の道具が果たすべき任務を上手く果たす、実現するには、ああ云う形でなければならない,ああいう形が望ましい、のと同じように、地上攻撃機としての任務を追求したA10はああいう形になるのだ。ならなければいけないのだ。
A10。余分な装飾、見てくれの為の虚飾が無いだけで充分美しいのに、任務追行のためには厄介で重い装備・道具を嫌がらず、敢えて不細工な恰好に甘んじての必至の道具だて、面(つら)だてに心打たれる。飛行機は美しい。飛行機、特に軍用機に思う言葉は、朴訥豪気、質実剛健。あるいは、愚直朴訥。

大好きな飛行機は、これまで結構見てきた。まず何よりも本、図鑑、写真で。更に、航空ショーや博物館で現物を。それまで写真でしか見ていなかった夢の中の飛行機の現物をスミソニアンで見ることが出来、夢の世界が一気に現実のものになった。レストア前の震電をスミソニアンの保管庫で発見したり(これは自分でなく愚息だが)。何よりのハイライトは、イギリスDuxfortの航空ショー。なにしろ、英国空軍が誇る救国の戦闘機スピットファイアとドイツ空軍ルフトバッフェの4番バッター、メッサーシュミットBf109、往年の敵味方のエース同士が各10数機、目の前数百mの大空を入り乱れて乱舞し、機銃は撃たないものの迫真の空中戦。興奮しないわけがない。あれは5年前か?、DuXfortで二日間、第二次大戦の空の英雄たちと遊んだ。大好きな「メンフィスベル」にもここで出会った。あとで知ったが、このB17は本物のメンフィスベルの機体ではなく、ここDuxfortのB17を映画撮影用にメンフィスベルに仕立て上げたもの。あの有名なノーズペイントも描きなおしたというわけだ。また行きたい。スピットファイア、メッサーシュミット、B17,P51,コルセア、ヘルキャット、ワイルドキャット、その他、一杯、の飛行機。また会いたい。飛行機にはかなり狂った。まだ狂っている。たぶん、死ぬまで狂う。

しかし、船には殆ど縁がない。あまり見たこともない。世界に航空ショーや自動車ショーがいくつもあるように、船にも同じようなショーがあって、その気になれば古今の素晴らしい船を一堂に見ることがあるのだろうが、全く不案内。
10万トンクラスの客船に2,3度乗船したことはあるが、これは仕事で乗ったのであって、イヤイヤではないが、趣味として楽しんだわけではない。一度葉山で友達の友達のヨット、結構大きな外洋ヨットに乗せてもらう機会があって、一瞬舞い上がって、ヨットやろうかなと思った時もあったが、意気地なしでフン切れなかった。何よりも金がなかった。軍艦に乗ったことは一度もない。無論空母も。自衛隊のヘリ母艦「ひゅうが」を近くで見たくらい。そうそう、思い出した。横須賀港に空母ジョージワシントンを見に行ったことがある。20年くらい前の事か?原子力空母だから見ただけで興奮する。小学生の時、少年朝日年鑑で、原子力潜水艦ノーチラス号を知り、その信じられない性能を知って、以来、原子力何とかと聞くと、その途方もない力にひれ伏す気持ちになる。
今や、原子力を動力としたミサイルが常時地球の周りの宇宙を周回・待機していて、いつでも好きな時に好きなところへミサイル攻撃が可能な時代になっている?なりそう?無論弾頭には原爆、と知ると(ミサイルは地下のサイロに収まっていて、その時が来るとサイロの屋根が開いて、ミサイルが飛び上がってゆく、というのがこの間までの自分の知識だったが、世の中、変わってゆくのはスマホの世界だけではなくて、軍事技術も大層なスピードで変わっているらしい)子供の時の、原子力への畏怖の感覚は間違ってなかったと複雑な気持ちになる。原子力おそるべし。原子力の問題は感情/感傷のレベルで判断するものではない、冷徹な事実のレベルで判断すべき、とも思う。

イントレピッドは、原子力空母ではない。熱で蒸気タービンを回してスクリューを回して進む。原子力空母も熱で蒸気タービンを回してスクリューを回して進むが、タービンを回す熱の作り方が、普通の船と原子力船とでは違う。普通の船は油、多分重油を燃やして熱を発生させるが、原子力船は原子炉で熱を作る。イントレピッドは軍艦という意味で怖い武器、空母ではあるが、そういう意味では、少し余裕をもって接することはできる。
イントレピッドが普通の船でないところは、イントレピッドが航空母艦であるということ。船だが飛行場である。軍艦だが甲板には大砲類はなくて、小さな艦橋があって、あとは全面飛行甲板、滑走路。100機ほどの飛行機を積んでいて、飛行機はイントレピッドの甲板を飛び立って、敵機、敵艦、敵陣の攻撃等の任務を終え、また航空母艦の甲板に着陸,帰艦する。
それにしても、と思う。2トン以上もあるゼロ戦等の、艦上機が、たった300メートル足らずの滑走路からよく上がり、降りられるなあと。あのころのプロペラ機はともかく、今のF18ホーネットなど、本体だけで12トン、装備を合わせると20トンを超えると今、知って、書きながらすごいすごい、と感心している。しかも、日本は当時カタパルトを持っていなかった。飛行機を上に持ち上げる空気の揚力を稼ぐために、航空母艦は風上に向かって全速で走り、パイロットはエンジンパワーとフラップの操作でタイミングを見計らって操縦悍を引いて舞い上がったのではないか、と思うが、これ素人の推測。要するに熟練パイロットの熟練技に頼って離艦・発艦した。降りる時(着艦)はもっと難しかったのではないか?発艦時はとにかく甲板を離れ少しでも空中に上がってしまえば、あとは上下左右少々機体が揺れても暴れても大きな空の中を泳いでゆけるが、着艦時は甲板に接地した後、うまく機体をコントロールしないと狭い甲板の上で事故になる。左右に滑れば艦橋や甲板に駐機中の仲間の飛行機にぶつかる、短い滑走路をオーバーランすると甲板から海に落ちる。飛行機の操縦で着陸が一番難しいとか聞くが、動かない大地に降りるのさえ難しいのに、大海の上を波に揺れながら全速で走る船の甲板にうまく降りて静止することの難しさは容易に想像できる。開戦半年で熟練パイロットの多くを失った日本のハンデは大きい。

少し脱線する。航空母艦からの飛行機の発着艦時に甲板上でパイロットに?手信号でいろいろサインを送って交通整理をしている黄色い服を着た人、この人をシューターあるいはカタパルトオフィサーと言うらしいが、この人の動きが実にカッコいい。



世の中、カッコいいという言葉が濫用されているが、概して浮わついた飾ったモノ、流行りもの、それに準じた物事に対して使われている事が多く、好きではない。カッコよい、という事がそういう事なら、自分はカッコ悪い方でいい。しかし、シューターの動きみたいなのを本当にカッコいいと言うんだと思う。手先だけのサインではない、体全体を使っての信号が実に明快で気持ちいい。心がこもっている。これだったら、パイロットとの間で誤解も起きないし、パイロットも気持ちよくサインに従って動けるだろう、動くだろう、と思う。見ているだけで気持ち良い。身のこなしの爽やかさ、ってあるもんだなあ、と思う。次、生まれなおしてこれたら、シューターになるのもいいなあ。自分の日頃のコミュニケーションも、このように明快で爽やかにやれたらいいな。コミュニケーションを上手く取れないのが自分の欠点だから。そうそう、ラインジャッジも同じく、シューターみたいに明快で、爽やかに。

でかい。大きさは、長さ約270m、幅40m。この大きさは日本の戦艦大和とほぼ同じ。乗員約3千人、搭載機約100機。粗っぽいことを言えば、日本の戦艦大和から大きな大砲類やでかい艦橋を取り外し、床一面に飛行甲板を張った、と思えばよい。約4万トン、大和は約7万トン。同じ大きさで何故排水トンがこんなにが違うのか、今度詳しい人に聞いてみよう。多分、航空母艦と戦艦というところからくる構造の差が理由だとは思うが、素人考えは危ない。。作られた時期もほぼ同じ。太平洋戦争の最中。イントレピッドの方が2年ほどあと。就役は1943年。ミッドウエイの1年後。の
イントレピッドは就役してからずっと日本海軍と戦かってきた。レイテ沖海戦での武蔵の最後の戦い、沖縄水上特攻の大和の最後の戦いにも参加し、硫黄島上陸作戦、沖縄戦、日本本土空爆作戦にも参加している。日本軍の特攻機に5,6機(回)突っ込まれて、何十人かが死んでいる。魚雷も受けている。そのあと、ベトナム戦争で戦って、ベトナム戦争の最中に退役したが、生涯の戦いの殆どは日本との戦いであったといってよい。その意味で、日本と強い関係のある船だ。

イントレピッドの飛行甲板にはいろんな飛行機が駐機している。停まっている。
日本と戦った時の艦戦、艦爆、艦攻はいないが、ベトナム戦でのファントム、クルセーダ、スカイホークなどがいる。敵側のミグもいる。イントレピッドの戦歴に直接関係のない飛行機もいる。イスラエルのクフもいた。それと、やはり、トムキャット。
飛行甲板ではないが、ピアに張り出したところに民間機のコンコルドが停まっている。


上:ベトナム戦争での好敵手、ミグ17、ソ連の戦闘機。機動性に優れていた。見るからに身軽そう。


上:ベトナム戦争でのアメリカの主力戦闘機、F4ファントム。
同じくアメリカのF8Uクルセーダー。Fとつくが戦闘機だったか、攻撃機だったか?。主翼前端が胴体上部から持ち上がるように上がり、異様な恰好になるのでよく覚えている。まだ小さな子供の時の記憶のように思うので、ファントムの前の世代の飛行機だったのかもしれない。このころのアメリカの戦闘機は新しいのがどんどん出てきて記憶が追いつかない。
A4スカイホーク。クルセーダやファントムが主力戦闘機の頃のアメリカの艦攻(艦上攻撃機)。小さくて身軽。あのころ、自分が大好きだった飛行機。最近では艦上機は戦闘機と攻撃機を(爆撃機も?)1機種で賄うようになって(専門の)艦攻は無くなったが、この小柄なA4の知性あふれる飛び方と戦いぶりは未だに大好き。30年ほど前、スミソニアンで憧れの飛行機の実物が見られて、天にも、の気持ちで舞い上がっていた時、甲板からの発艦の模様を艦橋から見られる趣向の大ビジョンがあって、A4の発艦を飽きずに見ていたことがある
今の戦闘機は大きくなりすぎた。1960年代以降、自動車に小型車回帰の波があって、今も続いているように思える。更に、この波が大きな波になって、軽自動車より小型の、一人乗り、二人乗りの電気自動車がこれから世界で大流行するのではないかと僕は思っている。今の車で言えば、メルセデスのスワッチswatch、スマートみたいな車。飛行機にも小型化の波があってよいと思うがネックは何なんだろう。小型化よりも無人化の方が重要課題なんだろうが、軍にとっては。

 
ロッキードSR71.。アメリカの超音速偵察機。
と思ったら、案内看板にはA12と書いてある。調べたら、A12をベースとしてSR71が開発された、との事。試作機、実戦機、のような関係か?ド迫力のデザインと性能。SR71は強く記憶に残っている。


艦長の椅子。リクライニングも回転もしない、できない。ただの鉄と皮?ビニール?の椅子。
                                                                   
艦長の椅子を後ろから見たところ。椅子からはこういう風景が見える。航海中はビルの代わりに海が見える。甲板と海と空だけ見える。
艦長がここまで質実だと、あとの3千人の乗組員がどうであるかは推して知るべし。艦長室のベッドも見る機会があったが、自分の安物ベッドの方がまだ快適そうに思える。
  
艦長室 captains sea cabin 

説明ボードに言う。<航空母艦の艦長には不断の注意が必要だから、艦長はいつも目覚めている。イントレピッドの艦長はこの小さな船室で短い休みを取った。>
1970年から71年にかけての艦長Isham Linderの言<航海中は艦長は船内をあまり歩き回れずに、艦橋に閉じ込められている。必要とされる間、いつまでも起きていて、一晩中何度も呼び起こされる。艦の航行およびその他の要件に対応するためにパジャマのまま何度も艦橋に向かったものだ。>



軍隊は厳しい階級社会である。上からの命令は絶対である。一方、上官は任務追行のために率先して体を張り、下のものは上官を敬う、この辺の気持ちよさ、爽やかさが軍隊の良いところ、と自分は思い込んでいて、こうしたミリタリートーンが決して嫌いではない。

上も下もない、という意味の言葉として、優れているのは、above us only skyという言葉。歌詞の一節。
簡潔で、爽やか。何の飾りもない。
そう
no hell bellow us 
above us only sky

話はそれるが、国力という事について。日本は、大戦開始時、空母は全部合わせて9隻持っていた。戦争始めて半年後のミッドウエイでその半分の4隻を沈められた。9隻中4隻がやられたということは、飛行機(艦載機)も9分の4、即ち半分がやられたという事。更に大事なことは、パイロットの多くを失ったいう事。空母に離着艦するという優れて熟練を要するパイロットの多くを失った。船、飛行機は補充がつくが、人間はそう簡単に補充がきく訳がない。アメリカはミッドウエイ終了時点で沈んだ空母は2隻。戦争開始時点で何隻の空母を持っていたか知らないが、多分5隻。整理すると、開戦後半年の時点で、失った空母は日本4、アメリカ2。残る空母は日本5、アメリカ3。これをどう評価するか、どう評価したか、だと思う。このあと3年、日本は戦争を続けた。
このあとアメリカは20隻もの空母がどんどん作られ戦線に補充、追加されるている。20隻というのは太平洋戦線への補充だけの数で、欧州線も含めると100隻もの航空母艦を大戦中に作って戦線に送り込んだという。補足するが、これらの空母の中には輸送あるいは輸送船団の護衛を主たる任務とする空母が多かった、ということらしいが。それにしても信じられない生産力。そも、欧州戦線と同時に太平洋戦線を並行して戦ったというところがすごいのだが、それでも息切れしないというところが無茶すごい。日本は中国戦線というか大陸戦線の戦力を太平洋戦線につぎ込むしかなかった。今も、アメリカ軍は異なる地域での二つの戦線を同時に
日本はどうだったのか知らない。これを国力の差というのだろう。戦争は国力の勝負、と言われるが、この日米の国力の差は、あらかじめ分っていたはず。でも、やってしまった。何故?

日ロ戦争、バルチック艦隊殲滅の一発必殺KOパンチ再現の夢、これではなかったか?日露戦争、日本海海戦でバルチック艦隊にあれほど完勝しなかったら、今回の太平洋戦争をやろうとは思わなかったのではないか、やろうとは思えなかったのではないか、と。

イントレピッド。海洋航空宇宙博物館(SEA,AIR&SPACE MUSEUM)の名の通り、宇宙関係の展示もすごい。特に、スペースシャトル関連。
スペースシャトルを巡る記憶はアポロ11号(月面着陸)を始め、派手な明るく楽しい記憶が多いのだが、なぜか1月、2月は、アメリカのスペースシャトル関連の大事故があった月なので、そのことを思い出すと、これも何かの縁かなと。訪問した日は1月12日。
(参考: 1986年1月28日。チャレンジャー号爆発事故。乗組員7名全員死亡。
    2001年2年1日。コロンビア号空中分解事故。宇宙飛行士7名全員死亡。
    年月覚えてないが、アポロ計画は1号から失敗事故で始まっている。
 
スペースシャトルはでかい。思っていた以上に超でかい。こんなでかいものを宇宙何百キロまで何打ち上げるなんて。人間はすごい。

スペースシャトルのミッションは既に中止になっていて寂しいが、最近、スペースシャトルに代わる新しい宇宙船が開発されるようで楽しみにしている。
このプロジェクトに民間企業の力を大きく借りるというところがアメリカらしくて楽しい。イーロン・マスクがその一つの主役になりそうで、その意味でも楽しい。イーロンマスク頑張れ。





艦載機といえば、やはり、トップガンのF14トムキャット。自分もこれ見て舞い上がった。あの映画で、トム・クルーズの乗ったバイクも良かったが、女教官?の乗った黒のポルシェ356、あれはそそる雰囲気を持っていた。ポルシェ356!欲しい時代があった。古い友達が60年代に持っていた。あの映画の中でのマベリックという名が耳に残る。

今、2月12日、12時頃。やっと、イントレピッドの項が完成した。訪問日1月12日から丁度ひと月。長かった。もっと簡単にして、料理しやすくして、タイムリーにアップしよう。
午後、METに行こうと思っていたが、どうしようかな。外は曇り。

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