一刀入魂 勇往邁進

2012年4月デビュー
2015年5月初勝利&再起不能
2019年、人生本番開始(笑)

割り切り難きを割り切る

2016-01-03 22:17:58 | 気付き
休みも終盤に差し掛かると、
何かしないと、という強迫観念に襲われる。

また仕事仕事で身動き一つ取れない日々が始まる。
それはそれで大いに結構なのだが、
余暇を余暇のまま終わらせてしまうのは、
目標を持っている人間がするべき事ではないような気がする。

結局この年末年始は、実家への挨拶やら、買い物と練習、
あとはつまらないドタバタに追われて終わった。

過去の人間が怨霊みたいに裏でコソコソやってるのが滑稽だったりする。
バレバレなのに、当人だけがバレてないと信じ切ってるのがマヌケだ。
何がしたいのか興味もないから、せっかくステルス出来てると思い込んでる
その人を、わざわざガッカリさせる事もあるまい、と放ってある。

つまらないドタバタってのはその一環でもある。

正直、そんな人の人生ってそんなもんで良いのだろうかね。
人には等しく時間が与えられている。
寿命に個人差はあれど、100年生きても無為な人もいれば、
30年でも思いっきり煌めいて生きる人もいるのだ。

逆説的に考えれば、非常に気の長い人なのかも知れないな。
そういうつまらない人ってのは。

或いは欲がないというか、はたまた他人の事にばっかり興味を持っているのなら
自分自身の人生には関心がないのかな?

まぁしかし理解できないものを理解しようとする程、僕はヒマではない。
人には人の人生・時間というものがある。それに尽きるのだ。
それを理解出来ないでただ呼吸だけしてる者は、「人間」と呼ぶには程遠いと個人的には思う。


生きていく中で、最も重要なファクターの一つに
「割り切る」というアクションが含まれていると僕は思う。


ただ単なる「諦め」や怠惰故の「達観」ではない。
そんなものは、臆病者の慰め言葉であって、理由ではない。

「割り切る」という選択肢を選ぶ大前提には
「前進する為に」という確固たる意志が不可欠だ。


前進する為に邪魔になるのであれば、或いは枷となるのであれば
割り切って切り捨てる、涙を飲んで決別する、振り払う、サヨナラを告げる…
色々苦渋の選択をせねばならない。


恋愛であってもそうだ。
互いが同じタイミングで別れましょうそうしましょう、って
そんな上手くいってたまるかという話だ。

もしそうなら僕だってこんなに傷だらけにはならなかtt…ってそれはいいとして、
物事にはタイミングってのがあり、それを勝負所で見極められ得る人間こそが
「偉大」とか「天才」って言われるのだ。
それだけ、人生に於けるタイミングってのは狂おしい程に見極めが困難なのだ。

僕のような凡人はそう思って納得を得るしか方法がない。
傷だらけになって転がりまわって、プライドなんてものを捨てて初めて
「これで良かった…のかも知れない」って処に辿り着く。僕はそんなモンだ。

だけどそれこそが「割り切り」だと今この段階で感じる。
諦めてたまるか、という思いが消えないからだ。

割り切り難いのは、ともすれば往生際が悪いからだ。

フラれたら、いつまでもウジウジしてねぇでふっ切れ。
前に進む為に、ズバっと腹を決めて上を向け。
ってなもんじゃないのだろうか。

そうじゃなきゃ、
僕はずっときっと何某かにフラれた瞬間の、
要は「ダメな奴」のまんまなんだ。


誰が好き好んで「ダメな奴」のままでいたいものか。

そういう貴重な選択を勉強の材料にして、
ズンズン逞しく、鋭く、分厚く、素早い男にならなきゃならんのだ。

別れたもの
失ったもの
捨てたもの
いつしか消えたもの

そういうもの達が自分に教えてくれたものこそが
「割り切る」事の重要性だろう。

それを無駄になんかしたくないから
前に進む。



















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