フリーと本ちゃんのはざま

はざまに挟まり続けてはや30年。フリーと本チャン、家庭と仕事。そして今は仕事とクライミング。

ありがとうの品々たち

2006年12月31日 | 所感
20年使ったリュックを処分、ちょっとセンチメンタル。

今日は大晦日、そして大掃除。写真のミレーのリュックを処分した。このリュックかれこれ20年の付き合いになる。京都北山、比良、鈴鹿、奈良大峰、そして最後は幕岩や小川山。そう大きくはないので日帰りから一泊といった山行では同伴をお願いし、フリークライミングを始めてからは、ほんとうによく使った。
しかし腰の部分の生地もクッションもなくなり、底に穴があいてはさすがに岩場では使えないなーと、今年6月の南稜を前に新しいリュックに買い換え。でも背中やベルトについた汗の模様を見ていると捨てられなかった。

しかし子供達の荷物も徐々に増え、使わない/使えないものは処分せざるを得ない。本当にいいリュックだったなー。ありがとう。

またTrollのシットハーネスと京都フリー時代に使っていたペツルのハーネスも捨てることにした。こいつらとも色々行ったねーと思いつつも、さすがに15年前のハーネスが安全に使えるのかというとこころもとない。間違って子供達に使用して怪我させても困るので。

あと思い切って処分したのは、12本爪のアイゼンにフィーレのクライミングシューズ(一番最初に買ったクライミングシューズ)、そして古い古いアブミ。ミレーのリュックほどではないにしろ、それぞれの品をみると思い出すものも多い。本当にありがとう。

そして部屋を見ると、山道具のかさがぐんと減った。もう冬山用の道具は一切無い。あの重たかった登山靴も重厚な雨具もあぶみさえなくなった。残ったのはカムやヌンチャクといったフリーの道具のみ。そう、シンプルに登りましょう。



T-Wall東村山メモ

2006年12月30日 | ジム
本日T-Wallの最終営業日。
○黒5/6/7のナガモノ、83手の5.12bルートをなんとか今年中に落とせないかと思い、4時から参戦。結果は3トライで全て失敗・・・来年に持ち越し。

・一回目
アップ後元気なうちにと思いすぐ取り付く。最初の11aパート(黒5)はもう完全に覚えきっており危なげなく終了。そこから黒6の逆走パートでケイブの下にもぐりこんだ時点で足がもう少しで届かず突っ張れない。両足ブラでなんとか体制立て直すも戻すときに足がマットに擦ってしまった・・・終了。情けない。
・練習1
足のついた所から継続。ケイブ部分を抜け最後の黒7パートへ。一旦登って降りて、最後の上に行く部分で力尽きアウト。残り5手!
・練習2
ケイブ部分でのレストを探る。でも見つからない。もう少しずつ腕をシェイクしながらさっさと抜けることにする。
・練習3
最後の黒7パート(5.11c)部分を3回繰り返して練習。一回目完登、2回目残り3手部分のキョンが弱く落ち、3回目完登。ほぼこの部分も自動化完了。キョン部分さえ持ちこたえればほぼ行けると感じた。
・大レスト
一時間ほど休む。でも暇なので赤テープの7番とかまだ登れていない黄色の15番なんぞを遊ぶ。あとで考えるとこれが失敗・・・でもスラブの5級課題は面白かった。
・2回目トライ
大レスト後、残り30分で取り付く。しかーし最初のもう完全に覚えきったはずの黒5部分、それもトラバース部分で手がつるっと外れて落ちた。凄く腹をたててしまった。
・3回目トライ
すぐ取り付く。力が入ったか今度は(も?)黒5の登って降りて、再度登りなおす部分でアウト・・・完全にパンプ状態。体が上がらない・・・・・
時計を見ると7時45分。あー終わった。

と情けない状態で今年は終了。終わりよければとは行かなかった。
また来年。

2006年度のまとめ

2006年12月16日 | 記録まとめ
先週の城ヶ崎で、今年の外岩はおしまい。ちょっと早いがクライミングの結果をまとめてみた。

○外岩クライミング:計11回/13日
1/15 幕岩(雨)
3/10 幕岩:帰還兵など
4/1 海金剛:SUPER RAIN
4/8 小川山:ガマスラブ(雨)
4/29-30 小川山:ガマルート/小川山レイバック/セレクション/水晶スラブ
5/3 小川山ボルダー:ファミリーキャンプの合間
6/4 湯川
8/28 天王岩
10/28-29 湯川/小川山:バンパイア/ソラマメスラブ
11/12 聖人岩:テンは見ていた/黒山賛歌
12/4 城ヶ崎:フナムシロック

○本ちゃんとその練習:計5回/8日
6/24 谷川南稜
7/23 広沢寺ロープワーク講習
7/29-30 北岳バットレス4尾根・中央稜
8/26-27 北ア・滝谷ドーム(敗退)
9/23-24 北ア・前穂北尾根

○沢登り:計2回/2日
5/7 セドの沢
7/8 小川谷廊下

○ファミリーハイク:計3回/3日
3/15 大楠山
10/1 みずがき山
10/8 棒が峰

○ジム:多分40回ほど

外岩フリー+本ちゃん系で年間21日というのは、色々ある中で、我ながらよく行った方だと思う。ただこの時間を作り出すのがしんどかった。特にアルパイン系は準備も含め時間を取られるので、8日間という数字以上に時間を費やしたように思う。

ジムはメモしていないものも含めて多分年間40回ほど。T-Wallの半年パス(58000円)を2回買っているから、116000円÷40回で2900円/回。値段だけ調べると元は取れていない。休日でもその利用時間は2-3時間と短いので余計に損な気はする。しかしパスを買ったからこそのこの回数というのは絶対にある。わずか1時間でもジムに通うことによって、今のレベルを維持できているのだから、それを考えると買ってよかったと思わなくては。

クライミングの成果としては、やはりなんといっても4/1のSUPER RAINの全ピッチオンサイト。気持ちよかったー、というよりは、本当に一生忘れられないクライミングだったと思う。人生観が変わったまで言うと言いすぎか。
そして帰還兵(5.10c)のオンサイト狙い。もう一歩で失敗したけどオンサイトを狙うというその過程が楽しかった。
最後は湯川のバンパイア。結局今年はものにできなかったが、あんなきれいなクラックに挑戦できたことがうれしい。来年こそ。

難度=数値的には、決していいものは残せていない。結局イレブンは一本も落とせていないし、オンサイトの最高難度も5.10cのまま。しかしクラックの実力は数字以外のところで確実に上がっていると感じている。外岩でイレブン落とすにはもう少し通いこみさえできればと思うが、言い出すと言い訳になるから止め。
ジムでは5.12aが最高。東村山の5.12bがもう少しなので、ひょっとしたら年内に可能かも。5.11クラスは、何度も繰り返して練習すればという条件で、ほぼ確実に落とせるようになってきているが、まだまだオンサイトできるレベルではない。

さて来年。仕事の事/妻や子供の事/田舎の親の事と、時間的にも金銭的にも今年以上に厳しくなりそう。よってジム通いを中心になんとかレベルを落とさないように/できれば少しでもレベルが上がるようにし、月一回ペースでの外岩フリーを続けるというのが現実的な解のような気がする。しかし行きたいルートにもう迷いはない。バンパイア/カサブランカ/クレイジージャム、瑞牆では翼ルート/調和の幻想/ベルジュエール。蜘蛛の糸とかいつか登れる日がくるだろうか。ただそれらのルートを登りたいと念じ、できるだけの事をしていこう。

クラックルートの難度

2006年12月12日 | 所感
昨日書き足りなかったことの整理。

この日曜に城が崎に行った。エリアはフナムシロック。そこで「フラッシュダンス(5.9)」と「メルトダウン(5.9)」をTPで登った。その時の一緒にいったメンバーの感想。「メルトダウンがフラッシュダンスと同じ難度とは思えない」
それを聞いて、そうだとも違うとも思った。「そうだ」というのは純粋なクライミングのムーブの難しさ。確かに自分もメルトダウンは苦労なく登ってしまったし、他のメンバーの登りもそう。それに対してフラッシュダンスは、ジャミングが必要というのは差し引いてもトラバースなぞで力が必要で、そういう意味では確かにメルトダウンの方が簡単。多分、彼もそれを指してそういったのだと思う。

しかし、何か「そうだね」と答えるには違和感があって返事ができなかったが、今日の仕事の帰り、電車に揺られながら考えて判った。メルトダウンの方がはるかに恐かったんだ。最初にメルトダウンとフラッシュダンスを見たときに、フラッシュダンスは初見でリードでもなんとかと思ったが、メルトダウンはルートの中間部に特大のカムがやっとセットできるだろうという感じで、その上半分はプロテクションのセットできそうなところがなく、こりゃとてもリードではと思った。結局はその第一印象が正しいという事。メルトダウンでは、中間部にフレンズをセットし、その上2・3メートルノープロで落ちたら、良くてグランドフォール寸前、悪くしたら地面に激突という状況になる。そこを果たして自分は登れるのか?確かにトップロープだと簡単に登れてしまったが、リードで本当に突っ込めるのか?

そういう意味で、この2つのルートの難度には、心理的な要素も加味されているのかもしれない。クラックの5.9、侮ってはいけない。

城が崎のクラック

2006年12月11日 | 城ヶ崎
フリーといえばクラックで、クラックと言えば城が崎という時代があったように思う。かの岩と雪にも城が崎の特集などがあり、遠く京都に住んでいた自分としては、城が崎は憧れだった。それから20年近くたって、やっと彼の地でクライミングを体験することができた。

まず、どうでもいい事だが、城が崎は遠い。東京だから近いだろうと思っていたら大間違いで四時間弱も電車にのりついで、やっとこさ城が崎に着く。片道約2500円。そして着いた先のご当地の車のナンバーは沼津。あーそうかここは静岡県なんだと思うが、しかし箱根を越えていないから、なんとなくそこかしこに東京圏のにおいがするのが面白い。

さて、今日向かったさきはフナムシロックという、有名所のシーサイドとは違うエリア。少し残念ではあるが、まあ初心者向きのクラックがあるということで、当会の練習としては適切かなとも思える。
「ふと」と読む富戸駅に降りてから約15分ほどあるいて、このフナムシロックに降り立った。そうここでは岩場に登るわけではなく、なんと海岸線に降りる事で岩場に取り付く。
で、まあぱっと見た印象は、ひくっ・・・T-Wallの東村山の方が高いのではないだろうか、なんとなーく勝手に福井の東尋坊や、那智勝浦の三段壁を思い浮かべていたが、全く規模が違った。

岩の触感は独特。小川山とも、湯河原幕岩ともまた違う感触。ざらざらしているが、なんとなーく砂が浮いているような印象を受ける。実際に登って感じたが、手よりは足の置き方がちょっと違い、しっかりとエッジを効かせないと、ずりっと、つるっとではなく、ずりっと滑ってしまう。

さて、クライミング自体はまず、フリーソロから初めてしまった。トップロープのセットに向かうにもどこから行っていいかよくわからなかったので、やさしい箇所と思しき場所から適当に登っていったら、下から「そんなとこ、行くんですかー?」との声。確かに高さ5メートルほどはあり、そんなに足場もよくない。それよりも知っているなら、最初から言ってよー。4級程度かな?

取り付いたルートは以下の通り。
純(5.8)。高さは10メートルほど。しっかりと効くジャムから2メートルほど登って、腰あたりのクラックに#2.5のフレンズ、そのまま頭の上のクラックに緑エイリアンだが、少し甘い。うまく両足を開いて立ちこむとクラックが広がり、そこに#1のフレンズ。さらに少し身体を上げると、ちょっとゆるーいジャムが効いて、そのまま身体を上げて終了。

鬼ころし(5.7)。下から#2のフレンズ、赤キャメをセット。そのまま左くの字になっているシンクラックが、ちょっとおもしろい。足を上げてお終い。

樹氷(5.8)。クラックのサイズがよく見えず、TPで。短すぎてつまらない。

メルトダウン(5.9)。中間部から上のプロテクションがとれなさそうだったのでTPトライ。まあ一撃はできたけどリードでいかなくて良かった。

フラッシュダンス(5.9)。最初見たときはオンサイトできるかと思えたけど、クラックをのぼった最後のフレアー気味の部分が、べとべとに濡れていたので、気持ちが萎え、そのままTP。みんなのために振れ止めをロワーダウンでセット。これで結構力をつかってトライは一回のみ。でも回収中にテンション・・・。

結論から言うと、やはりクラックの5.9クラス、オンサイトトライは恐い。特にこの城が崎は慣れていないだけに、恐さが先にたってしまった感がある。やっぱ情けない。しかし、ここ城が崎は横から回ってTPのセットも可能だし、クラックの練習場所と割り切ってしまっても面白いかもしれない。

アイガーサンクション

2006年12月04日 | 所感
クリント・イーストウッド主演の映画。1975年らしいからもう30年前の映画になる。テレビ東京で平日のお昼に放映していたもので、日曜雑用の合間にその録画を見た。

まず冒頭30分ぐらいが録画できていない。どうやら嫁さんの「芋たこなんきん」と重なっていたようで、そっちが優先された模様。なんか家庭内権力のセンサーでもあるんだろうか、このHDDレコーダー。しかたないので藤山直美さんでも観ようかと思ったが、なんか回顧調で若い娘の戦時中の話題だったので、それもパス。一気に映画に突入。

というわけで、まず冒頭は、なんかよくわからんがイーストウッドがインディアン風の女の子と岩山を走っている。おっいいじゃん、そのまま登れ登れと思っていたら、3級?程度のクライミングで終わってしまった。
そのあと、ちょっと太った叔父さん(確かなんとかケネディとかいう俳優さん)との会話で、既にアイガー行きの話は決まっているようで、トレーニングに岩場に。

ここからのシーンがなかなか良い。75年ということは、既にフリーの概念があったのか、なかったのか、でもさすがアメリカ、しっかりクラックを基本はフリーで登ってくれる。岩は、「未知との遭遇」ででも出てくるような岩塔で、今でもフリーで楽しめうるだろうと思えるような岩場。途中、リードで登っているイーストウッドが、なぜかトップロープになっているチムニーシーンもあるが、まあそこはご愛嬌。あっそういえばこのシーンではハーネスはつけていない。

その後はしばらくスパイ風の殴り合いやら、お色気がちょっとあって、いよいよアイガー。でもこちらのシーンはよくない。やっぱり当時としては撮影が難しかったのだろうか。そして、この映像は本当にアイガーの北壁なんだろうか。
でも考えてみると、1975年ということは、自分がまだ中学生で、長谷川恒夫さんの冬季、アイガー、北壁、初登攀という活字をみた覚えのある時代のような気がするので、そう考えると、当時としては凄い映像だったのかも知れない。

トータルとしては、なかなか興味深く、面白かった。