マローさんの覚え書き

日記、感想、進化退化の記録。

3)雑司が谷・池袋

2004年05月24日 | 東京棄景
 3日坊主の天王山、第三回は池袋・雑司が谷です。
 今回は自分で探してみよう!と思い立ちまして、地図を基にガンガン歩いて
みました。が・・・いかがでしょう、どうぞ!

■データ
歴史:沼沢地だった池袋の山の手側に出来た寺社の参道町が雑司が谷。
   鬼子母神が有名。戦災で焼け残った町並みがそのまま残っています。
   手塚治虫先生の下宿もあるっすよ。
   池袋は、戦災からの復興で発展、多くあった池も戦後には枯れてしまっ
   たらしいです。サンシャインのある東口よりも、近年は立教大学側の西
   口が再開発予定地になっています。

衰退:雑司が谷は寺社参拝の自然減でおだやかな老後、といった雰囲気の癒し
   系隠れ里です。鬼子母神詣でがてらに近くを散策するのは普通にお勧め。
   ゆえに、新宿みたいな意味で衰退・・・というのはちょっと違うかな。
   町並みも「遺棄されている」というより「守られている」という感じ。
   池袋は、都の再開発が途中で止まっています。また東京都か。

■インプレッション
 いつも西武線で池袋に入る途中、目白の駅を望むあたりで棄景レーダーが動
くので、地図を眺めつ次のスポットとして池袋を選びました。
 見れば鬼子母神の雑司が谷も近いし、よーしパパ張り切っちゃうぞーてなも
んで勇躍西武口からいざ池袋。ジュンク堂の脇から始まる商店街がもう参道の
入り口です。
 ちょうどラーメンの丼に書いてあるような方形渦巻きの参道を、あっちへ入
ったりこっちを覗いたりすれば、おお、あるじゃんガラス引き戸の木造商店。
あっ、こっちは蔵作りの米屋さん、こっちは・・・ああっ足踏みミシンの仕立
て屋さんだ!(写真3-a)うわぁ、ナンジャタウンもめじゃないよ、こっちは
本物だもん・・・なーんて興奮して見回して、気がつきました。
ここ、棄景じゃない。
 いや、たしかに締めたお店も、打ち捨てられた家も(写真3-b)あるにはあ
るんですがここは見捨てられたのではなく、看取られた街なんですね。まいっ
たなぁ、外したかなぁ、と残念な一方この街の廃屋は陽性の雰囲気ですので、
すさんだココロが潤ったりもいたしました。と、駅への道に出ようとしたとき
気になる看板が(写真3-c)おお、これはまさか・・・廃墟キター!!(写真3-d)
駄菓子菓子、まだなりたてホヤホヤの廃墟で入り口もまだキレイなもの。侵入
するには特殊アイテム『バールのようなもの』が必要です。今回は持っていな
いので、残念。(持っていたとしても絶対使ってはいけません。廃墟を愛する
よい子のお約束。)
 思えば、ここはもうすぐ都営13号線の駅のたつところ。もしかしたら、残
念な話ですが、今から棄景となる街かも。今のうちに、元気な姿を見ておいて
ください。
3-a 家と平屋の仕立て屋さん 3-b 木造廃屋
3-c ナイスな錆看板 3-d ホテル廃墟正面

 さて、しんみりしたところで池袋西口方面へ。東武が子ビルをバンバン建て
たあたりなので、周りの住宅地になにか影響がでているのかなぁ・・・と歩い
ておりましたら、道を挟んでかたや廃屋(写真3-e)、かたや新築軍団(写真3-f)
という珍しい光景が。うーん、ここまで対比が鮮やかだと逆に何も言えませんなぁ。
でも、この新興住宅軍団の住民さんたちは、両隣と同じ家で嫌じゃないのかなあ。
 さて、住宅地を突っ切って、右手に東武のビル群を眺めながら、立教大学の
裏手に向かって進んでゆきますと。なんじゃこりゃ。(写真3-g)
 都が接収した土地がポコポコ更地になって、その中フェンスの谷間にテント
村が出来ておりました。いやぁ、これは・・・新宿のゴーストエリアよりある
意味寒い光景です。建物の無い、まだらな土地に放置された家具、もう住む家
の無い人々。取り壊しを免れた古アパートにもレゲエさんが住み着いていらっ
しゃいました。もしかして、このへんの元の住民さんかも。
 これが棄景の最終段階なのかと、背中を冷たくしたのであります。
3-e 西池袋の廃屋 3-f 西池袋新築
3-g 立教大学裏

 いやしかし、今回はけっこういろんなものを見ました。人と同じく、街がよ
い老後を送るということは哲学の必要なことなのだな、と思いました。再生を
急ぐあまり、あたら老醜を晒して放置されるよりは街の年齢に従い老いること
を選ぶ、という道もあるのかもしれませんよ。

それでは、みなさん、また。


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