L'Appréciation sentimentale

映画、文学、漫画、芸術、演劇、まちづくり、銭湯、北海道日本ハムファイターズなどに関する感想や考察、イベントなどのレポート

菊池凛子と札幌の映画事情

2007-02-27 11:31:05 | 映画

 第79回アカデミー賞が発表された。日本人女性で助演女優賞にノミネートされた菊池凛子は惜しくも受賞を逃したとはいえ、現在沸騰中である。一躍時の人になった菊池凛子だが、去年スガイで行われた映画イベント「寺島進ナイト」で公開された熊切和嘉監督の『空の穴』のヒロイン役の女性が菊池凛子であることを思い出した。『空の穴』では菊池百合子という名で出演しており、当時は全くの無名の存在だった。「寺島進ナイト」から半年後に世界が注目する女優に飛躍したことに驚きを覚えてしまう。あの情けないダメ男のヒロイン役ではその才能はまだ十分に発揮されていなかったが妙にハマっていたのは確かだ。出演作の『バベル』はメキシコの奇才アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの新作だから期待せずにはいられない。

 一方でアカデミー外国映画賞を受賞したのは、やはりというか当然というか『善き人のためのソナタ』である。シアターキノでの公開が待ち遠しい。脚本賞は『リトル・ミス・サンシャイン』で、偶然にも現在蠍座で公開中である。その蠍座ではロシア映画特集がかなり長いこと続いていてる。ソクーロフの『太陽』はスガイとシアターキノに続いて三度目の上映である。悠仁親王が生まれた前後にこの作品が一般公開されたのは何かの偶然かもしれないが、昭和天皇を演じた主演のイッセー尾形は実によくやったと思う。『カラマーゾフの兄弟』も二度目の上映が今週行われている。これを逃すと3時間半近いこの作品を劇場で見る機会は今後皆無に等しい気もする。いずれにしても話題作や質の高い作品がリアルタイムで劇場で公開されるのは何とも楽しみなことは間違いない。観てきたらまたレビューを書きます。


箔紐夢劇場 第5回公演『廃園』

2007-02-26 00:39:10 | 演劇

 久しぶりにシアターZOOにて演劇を見た。箔紐夢劇場 第5回公演『廃園』である。昨年の公演『カレイド・テレイド』のシナリオの質の高さに感心したが、今回はかなりファンタジックな作品に仕上がっており、昨年同様うまい作品だったと思う。物語は人魚達の棲む島の人魚達(碧、ユカリ等)と、人魚達を探す船乗りの紅藤、テツ、カチ、そして灯台守の東雲ら人間達の場面が交互に繰り返されて進んでいく。嵐でテツの友達である東雲もまた人魚の島に漂着する。東雲はそこで出会った人魚の碧と深い仲になっていくが、人魚達には厳しい掟がある。

・人魚達の掟
 人魚達には恋に落ちてはいけないという掟がある。人魚が人間と恋に失敗すると泡になってしまう。その理由は永遠に生きることの力を失うからである。なぜその力を失うのか?永遠というのは絶望であり、孤独だから生きているわけなのだ。変化刺激のない人魚の島においては時間の存在しない世界なのである。永遠に生きるがゆえに変化刺激に対して鈍感でないと生きていくことができないというわけだ。東雲は一度人魚達の島から人間の世界に連れ戻されるが、東雲は人魚達の島に流れ着いたことを友人の船乗りテツに漏らしてしまう。一流の船乗りになるべくテツ達は、魔の海域を乗り越えて人魚の島に向かう。

・時間の意味
 劇には「時間」といモチーフが執拗に反復されている。時の流れない人魚の島において、その均衡が破られるのは東雲という「他者」が人魚の島という魔の海域によって外部から遮断された共同体に流れ着いてからだ。碧は東雲を水滴のしたたり落ちる水琴窟に匿うが、この洞窟は規則正しく水滴が落ちる音=変化のない日常の反復というメタファーになっている。人魚の島に流れ着く漂着物を集めることによって人間への思いをふくらませている碧は、漂着物の一つである砂時計をひろう。だが、人魚達にとって砂時計は意味を成さない。永遠に生きる人魚達にとっては時間という概念がそもそも存在しないからだ。人魚達の島では無限の時間の長さ=時間が流れないという逆説が成立している特殊な時空間である。

・楽園=廃園
 水琴窟の水滴の音も物語の進行と共に音が豊かになっていく。それは東雲との出会いによって碧の心情の変化が音に共鳴しているからだ。人間と他者のとの邂逅によって初めて人魚の島に「時間」が流れ初め、時間は少しずつ動き出していくのだ。人魚達は愛のない変化のない平穏な幸せか(無限の単調)、限りある短い命に生きる愛のある幸せ(有限の幸福)の二者択一を迫られる。人間との出会いにあこがれを持つ碧たちも「楽園って何?」と意味を問いただすように、その意味も逆転していく。楽園の対義語である廃園という言葉が劇のタイトルに当てられているもここに由来する。それは愛のない無限の単調な楽園=廃園という、対義語である言葉が同義語でもあるという逆説であり、無限の時間=時間の流れない空間という逆説と通底している。人間との出会いによって楽園の意味も変化するのである。

 劇の最後で永遠の時間という円環は破られる。碧は東雲との再会によって永遠を失う代わりにあらたに幸福を得る。人魚と人間の最大の違いはその命の長さである。「命の長さ故に愛したものを失った後の時間の長さに耐えられない」というセリフは、残酷なしかし有限であるがゆえに感じることのできる幸福を象徴した言葉であろう。


フーベルト・ザウパー『ダーウィンの悪夢』

2007-02-19 00:20:25 | 映画

20437_1  世界第3位の面積を誇るタンザニアのヴィクトリア湖。その広大な湖に何者かによって巨大魚ナイルパーチが放たれた。外来種であるナイルパーチは際限なく増殖して在来種を食い尽くし、生態系を完全に破壊してしまう。それによって引き起こされた過酷な惨状を描いたドキュメンタリー映画である。

ダーウィンの悪夢は、生態系ではなく人間の悪夢である
 この映画のタイトルである「悪夢」は単なる湖の生態系の破壊にとどまらない。ナイルパーチの増殖によって、人間の社会システムそのものが根本から変わってしまった。周辺の漁師達は食糧難に陥るが、ナイルパーチを加工する工場ができて新たな雇用が生まれるという奇妙な逆説が成立する。だが、そのナイルパーチは全て輸出加工用のものであり、値段が高すぎるため地元の漁師はナイルパーチの恩恵に与るわけではない。工場で働く人達の悲惨極まりない労働環境は悪夢そのものだ。水質汚濁による公害、片足のない子供、片目のない工場女、夥しい数のウジが蠢いている労働場、輸出用の飛行機パイロット目当てに群がる娼婦達、「戦争で何人も殺してきた」とあけっぴろげに笑いながら戦争を望む元兵隊など、アフリカを覆っている「病」の温床とも言える問題があまりにも複雑に絡み合っており、解決の糸口はありえそうにない。

 冒頭のタンザニア湖の俯瞰ショットに映っている飛行機の影は、魚のように見えなくもない。ヨーロッパにナイルパーチを輸出する飛行機は今日も離着陸する。だがその飛行機によって同時に武器もアフリカに輸入されているのだ。飛行機が飛び立つシーンが執拗に繰り返し登場するのは、飛行機そのものが資本主義という「生態系」をかき乱すメタファーになっているのだろう。カレンダーをめくるとYou're part of big systemというメッセージが出てくる場面がある。タンザニア湖周辺の人間が巨大システムの一部に組み込まれていく変化が、カレンダーをめくるという行為=時の変遷という構図でさりげなく表現されている。

 監督のフーベルト・ザウパーは、ゴアのように棒グラフや表などのデーターで示すのではなく、ヴィクトリア湖の実態をありのままカメラに映し出すことによって世界システムに一石を投じた。この作品がタンザニア政府からクレームが付いたらしい。確かにタンザニアの負の面が多く描かれているが、その裏には工場によって富を得た人間も確かに存在している。ナイルパーチはヨーロッパのみならず日本にも輸出されている。白身魚に加工され、知らず知らずコンビニの弁当などでナイルパーチを食べている我々日本人もその当事者なのだ。「世の中で一番強いのはヨーロッパ人だ」と語るヴィクトリア湖の漁師達は、今なお搾取されている。重要なのはその現状を知ることである。


宣伝会議賞一次審査通過!

2007-02-10 13:53:12 | 雑記

20070201_l  『宣伝会議』2/1号が発売された。日本最大の広告公募賞とも言える宣伝会議賞の一次審査通過者が発表されている。なんと自分の名前が載っていた。とにかくビックリ仰天である。わずか1作品だけではあるが、自分の書いたコピーが一次審査を通過したことに軽い興奮を覚えてしまう。応募したこと自体半分忘れかけていた。しかも、どんなコピーを書いたかも記憶からすっぽり抜け落ちていので、ただただ驚愕するばかりである。PCに残っていたデーターを確認してら「こんなコピー書いたっけ?」と自分で書いたにもかかわらず、他人が書いたような錯覚に陥ってしまうところが何とも青臭い。まだまだ精進が必要だ。
 
 締め切りの消印有効日がちょうど仕事が休みの日で、時間ギリギリまで粘って考えに考えたもののトータル10作品という無惨な数。郵便局の閉まる5分くらい前に慌てて家を飛び出し、膝の筋肉が壊れるくらい激チャリしてなんとか駆け込みセーフ。帰りは入り口のシャッターが閉められたので、職員通用口を案内されて外に出るとすっかり脱力。しかも、家に帰ったら封筒に入れ忘れた作品が1つ床に落ちていることに気が付きしばし呆然、というアホないきさつがあっただけに、「今回は初めてだし、記念応募だ!」と半ば腹をくくっていたが、ともあれ一次審査に通過したのは嬉しく思う。

 こうなると欲が出てくるもので、いろいろ俗っぽいことを考えてしまう。ファイナリストには既に連絡が来ているという噂もあると聞くが、はたして最終結果はいかに??
 
 ちなみに、どんなコピーを書いたかは秘密です。


デイビス・グッゲンハイム『不都合な真実』における地球の実態

2007-02-03 23:55:07 | 映画

Futugo1_1  やけに面白い、というより妙に興奮する映画だ。「一瞬だけ大統領になった」元アメリカ副大統領アル・ゴアが、地球温暖化の現状をスライドショウでわかりやすく講義する。彼の紹介する地球温暖化の様々なデーター、グラフ、写真を大量に引き合いに出し、地球の実態を暴き出していく。ドキュメンタリー映画と言うよりもゴアの地球温暖化講義録と言った方がよいかもしれない。化学的な知識がなくとも、ゴア一流のユーモアを交えた解説を聴けば、今の地球がいかに深刻なのかがわかる仕組みになっている。

 極冠部の氷解、キリマンジェロの雪の消滅、大型ハリケーンやトルネード、台風の異常発生、アフリカの内戦と干ばつ、焼き畑によるCO2の上昇、アラル海の干上がりなど、その実態は人間のみならず、北極グマをも溺死させる。京都議定書否決やなぜアメリカはカトリーナの被害者を防げなかったのか?という問いには、政界を引退したゴアのブッシュへの批判も多少なりとも混じっており、アメリカのCO2排出量は飛び抜けていることを白日の下に曝す。

 映画のタイトルにもなっている「不都合」=inconvenientという単語は、解釈もいろいろ可能だが、その実態を認めたがらないアメリカの政治権力者にとって「不都合な真実」であることを意味する。だが、ゴアは単なるアメリカを槍玉に挙げて諦念するのではなく、地球温暖化を防ぐことの可能性は個人にあると希望を持つ。ラストのエンドロールで、CO2削減のためにできることがテロップで紹介されていく。地球レベルでの壮大なゴアのスライドショウの結果は、個人でレベルでの行為に委ねられる。それこそがゴアの啓発であり、その実態を一人でも多くに知ってもらうことである。そのため彼は全世界で1000回を越える講義を行っているのだ。

 同じく環境問題を扱った『ダーウィンの真実』が札幌でもうすぐ公開される。こちらの作品との比較も必要でもあろう。