makinotakaramono

日々大切に過ごしています。私の周りの全てが、宝物。

今日は…

2020-12-23 12:41:00 | 日記

イブイブ〜♡♡

クリスマスって、何をどうする訳でもないけど、何かウキウキします

街中キラキラだし、クリスマスソング流れてるし、何となく人がほっこりしてるように見えていいですよね

でも私は、焦っています




クリスマスに間に合わせようと思っていた
夫からのリクエストのカーディガン。

あと、画像の袖を編んで、パーツをはぎ合わせれば完成なんですが、ん〜どう頑張っても間に合わない

しゃーない。今夜から夜通しやるか

何でもないクリスマス
だけどときめくクリスマス

生きてるうちに、沢山たくさん、クリスマス楽しむのだ





悩む〜

2020-12-22 18:15:00 | 日記
珈琲大好きな私。

いつかカフェを開きたくて、珈琲に関する道具やカップをネットで物色するのも大好きです。

でも、物を増やしたくない性分なので、いいなぁと思っても、中々購入には至らず、眺めて満足していました。

それなのに、猛烈にサイフォンを欲しくなっちゃって…

Amazon開いてカートに入れて、何分か眺めてやっぱやーめた!って削除し、を、ここ何日か繰り返してます(笑)

昔叔母が喫茶店をやっていて、サイフォン珈琲を出していたんです。これが何かかっこよくて、大人〜な雰囲気が好きでした。レトロな店内に、サイフォンのグツグツ音と炎の感じ。
あの雰囲気が、私がカフェをやりたい原点なのかも(൦◟̆◞̆൦)♡‧˚₊*̥

HARIOのレトロな感じのサイフォン。
欲しい!

でも悩むんです〜(≧ω≦)




この戸棚に収まりそうにないしー、
んーどうしよう(・▽・)


生きるって素晴らしい

2020-12-19 21:24:00 | 日記
私、十数年前、原因不詳の大病を患って、本当に辛い時期を過ごしました。身体がバラバラに壊れてしまう感じ。毎日が絶望的で、泣いてばかりいました。心も病んでしまって、最終的には対人恐怖症、うつ病、パニック障害、一時的に視力がゼロになる突発性盲目症、などなど、かぞえきれない程の病名をもらって、あの頃は人生諦めてました(笑)

実は現在も、記憶が曖昧で、時系列で物事を思い出す事が難しい症状が残ったまんまです。

突然目の前が暗くなる盲目症状も、数年前までは突発的に起こっていたので、運転も禁止されていました。

それでも、心の支えはありました。

歌です。
大好きな歌。

当時YouTubeなんてなくて、擦り切れるほどCDを聴いていました。看護婦さんに怒られて、イヤホン取り上げられたことも(o´艸`)

本当に、本当に、毎日必死で生きてました。
あの頃の私に表彰状をあげたい♡♡
支えてくれた全ての人に、感謝しています。



苦甘い思い出

2020-12-16 11:23:00 | 日記
私が小さい頃、まだ曾祖母が元気だった頃の話。

おばあちゃん子でほとんど祖母に育てられたような私は、祖父母の家でお正月を過ごすのが当たり前でした。
祖母と年末の大掃除をし、お正月に帰省してくる叔父や叔母、いとこ達と過ごすのが1年中で1番の楽しみでした。
総勢30人は集まっていたと思います。
その軍勢の中に、一際小さく、丸っこい曾祖母がいて、私はいつも曾祖母から頭を撫でてもらい、「これで鉛筆と帳面を買いなさい」って、お年玉をもらっていたのですが、曾祖母がくれるのは、毎年500円札1枚。それも裸で。
今では見かける事もなくなりましたが、当時はまだ500円玉なんて無かったし(ん?あったのかな?)私にとっては
嬉しいばかりの恒例行事となっていました。

(今思うと、私の祖父が大正生まれでしたから、
曾祖母は明治を生きた人なんですよねー。
それだけでも凄い!)

「鉛筆と帳面を買いなさい」

私は、曾祖母からもらった500円で、1年分のノートと鉛筆が買えていました。なぜか、曾祖母からもらったお年玉は、親に取り上げられる事なく、自分で持っていられる貴重な物でした。私は、どんなに親戚からお年玉を貰っても、中を確認することすら許されず、封を開ける前に、母親に全て没収されていたので、お年玉で何か好きな物を買ったとか、今年は総額幾らだった〜!って友達と自慢し合ったとかいう経験がありません。
唯一、曾祖母の500円だけは、母親が金額を知っていてスルーしていたのか、情けなのか、取り上げられませんでした。

大事に大事に、新学期が始まるその日に、学校の前にある文房具店で、鉛筆(三菱の緑色)1ダースと、コクヨのノート数冊、消しゴム1つと、鉛筆が短くなった時用に、可愛いキャラクター物のキャップ5個入りを1つ。これで総額480円だったと記憶してます。これをまた大事に大事にランドセルにしまい、帰宅してから、真新しい鉛筆を研いでいたのを思い出します。

最近、曾祖母がなぜ、私にだけ裸のお札で500円をくれていたのか、他のいとこ達にはそもそもお年玉なんて渡していなかったのに、なぜだろう?って、凄く気になりだして、考えてみると、曾祖母は、きっと、私の母親(曾祖母からすれば自分の孫)が、私からお年玉を取り上げている事を知っていたんだと気付きました。
母はそのお金を、貯める訳でもなく、おそらく生活費の一部として使っていました。何度か、買い物について行って、お年玉袋を開けて支払いをしている姿を目にした事があります。

確かに生活は、それほど裕福ではなかったし、贅沢もさせてもらった記憶はありませんが、母親だけは、いつも高級な化粧品に囲まれ、
高級なブティックで洋服を揃え、美容院で1日過ごしてくるような人でしたから、なるほどなって気はします。

お正月の騒然の中、曾祖母は、隅で1人お節をつまみながら、私達全員の、人としての本質を見ていたんだと、そう気付いたんです。

お年玉を貰っても、そそくさと母親に持って行く、私の姿を見ていたんだと。

他のいとこ達は、それぞれ、自分で中身を確認していたし、持参のお年玉保管袋を持っていて、おもちゃを買う話ではしゃいでいましたから。

40数年前の、何とも言えない思い出ですが、なぜかキンカンの身を見る度、曾祖母を思い出すのです。曾祖母は、キンカンを甘く煮詰め、それを風邪薬だと言って、私に呑ませてくれました。風邪もひいてないのに、「これさえなめてれば、風邪はひかん。ひいてもすぐ治る!」って。キンカンて、煮詰めると甘さと苦さが際立つんですよね(^^)

うちの裏山のキンカン



毎年、この時期になると、曾祖母との思い出を、このキンカンが蘇らせてくれます。
私にだけ、特別に優しかったひいおばあちゃん。

甘すぎてあまり好きではないのに、今年も、キンカンを煮詰めて、甘苦い風邪薬を作らなきゃって思っている私がいます。

風邪のひきはじめ、喉がイガイガする時は、本当に、これだけで良くなります。のど飴よりは、キンカンです。

ね、ひいおばあちゃん♡♡