むすめちゃんといっしょ。

5歳(2021年現在)のむすめちゃんとの生活と、ときどき映画の感想。

写真と思い出。

2020-06-14 10:59:00 | 日記
娘と私ではなくて、

私と母親の話。




話の前提として、
私と母親は、仲が悪いというほどではないが、
ソリが合わない。
家族だけ(母親の意識が他に向かない)でいる場合、3時間くらい一緒にいると、大体ケンカする。


……を踏まえまして。。。




うちの母は、写真が大好き。
何かといっちゃ、写真を撮る。
クリスマス、誕生日、記念日とか。
でも絶対に、
「写真をとるよ!並んで!あっちにみんな集合!」と集められ
「はい、カメラみて!にっこり笑って!」
とやってから、撮る。
で、何回も撮る。
誰それが笑ってない、こっち向いてない、母が目を瞑ってる…母が目を瞑ってる…母が目を瞑ってる……と何回も。
(そして毎回私は、結局お前の顔しか見てないんかい…!と思う…)
集合写真に限らず、どこかに行った時も、
看板の前とかで、「はいこっち向いて!笑って!手はピシッとして!」と、
お見合い写真のような写真を撮る。
あと、写真屋さんに行って家族写真を撮るのが大好き。
よくドラマとかで金持ちの家に飾ってある家族写真を撮るのが大好き。



私も写真を撮ること自体は大好き。
でも、集合写真は、ほぼ撮らない。
誰かが何かをしてるところを撮る。
例えば、
こちらに向かって歩いてるところ、AさんとBさんが何かつくってるところ、皆が楽しく喋っているところ、とか。
子どものイベント(運動会など)で、看板の前で写真を撮ることはあるけど、基本、笑顔で有れば撮り直しはなし。
(笑顔じゃないと撮り直したくなるところは母親の影響かなとは思っている…)


ずっと「何で、かっちりした写真しか撮らないのか」と思ってたんですよねー。
皆に偽りの笑顔を貼り付かせた写真の何が良いのか…と。
普通に楽しんでるところを撮ればいいのになーって。
その方が、皆も、あの時こんなことあったねとか思い出すと思うのに…と。


という疑問を常に持っていた中…


↑こちらのTwitterを拝見して、
今まで違和感というか、もやもや感じてたことが、理解できたような気がしました。。


私と母親とでは、
「思い出」の捉え方がそもそも違ったんだなぁと。
思い出の存在意義というか。
あと、写真の役割もきっと違う。

母親は、あった出来事を美しく残したいのだなと思った。
あと、何かしらの理想がどこかにあって、
その理想に近づけていたいのだろうなぁ…と。
その理想が何なのかは、きっと本人も解っていないし、
私にはずーっと解らないんだろうなぁ。

私は私で、たぶん、私が好きなものを好きなように残しておきたいんだろうなぁ。。
「好きなように」というのがポイントで、
勝手に写真を撮っているわけだから、私の「我」が押しつけられた写真のような気がする。
そして、私が感じたその空間を残しておきたいのかもしれない。
私が撮るから、そこに私は勿論いなくて、
私の視点を残しているわけだから。



どっちが良い悪いは、ないんだろうけど……
相容れないなーと思っている理由の明確化が、またひとつ、なされたような気がします。。