まごころチェンマイ日記

まごころ込めて書きます。

きれいときたないの壁。

2005年07月31日 | ■タイにいきる
タイ人は毎日朝晩二回シャワーを浴びる。
朝シャワーを浴びるのは、暑さで寝汗をかきやすいからだと思う。
日本人は一日に一回しかお風呂に入らないと言うと、学生はいっせいに「きたないでーす」、「くさいでーす」と声を張り上げる。
そんな言われ方はやっぱり日本人としは悔しいので、気候の違いについて熱く語ったこともあったけど、全然わかってもらえなかった。
だからそういうときは開き直って、「そうです!日本人はみんな汚いでーす!臭いでーす!」と言い放ってやる。
(そんな汚くて臭かったわたしも、今じゃ朝晩シャワーを浴びるのだけど)

それなのにタイでは、トイレで用を足した後、手を洗わないで出て行く人を結構見かける。
若い女の子の髪の毛はシャンプーのコマーシャルみたいにきれいだけど、同じ子の足の裏がびっくりするくらい真っ黒だったりする。

大学のメーバーン(掃除のおばさん)は床掃除にはとても熱心なのに、トイレそうじをあまりしてくれない。
どうせ土足で歩くのだから、そこまで床磨きにこだわる必要はない。それよりトイレをもっときれいにしておいて欲しいと言うのが、日本人の同僚たちの意見だ。
たぶん日本人は汚れやすいところを清潔に保つのが得意で、タイ人はその逆なのかもしれない。
きっとよその国をちょこってのぞいて、「きたない」、「くさい」なんてそう簡単には言えないものだと思う。

ムラサキのトキメキ。

2005年07月28日 | ■日々おもう
わたしの好きな色は青と緑で、それを混ぜたような色はもっと好きだ。
そして嫌いな色はむらさき色だった。

タイでむらさき色は「おかまの色」と呼ばれるみたいだけど、そう言いながら、タイ人はむらさき色が決して嫌いではないようだ。
日本でむらさき色と言えば、「おばあちゃん色」、もしくは「ヤンキー色」というようなイメージだけど、タイではもっと一般的にむらさき色が使われているような感じがする。
むらさき色をイメージカラーとしている銀行があるのだけど、これがまたとてもかわいい。銀行内はむらさき一色なのに、ちっともくどくない。
その理由だけで、わたしはその銀行が好きになってしまった。

そして、わたしの働く大学に付属幼稚園があるのだけど、そこの制服がむらさき色で、これがまたとてもかわいい。むらさき色に身を包んだ子どもたちは、魅惑的でかわいい。
むらさき色なんて、子どもらしくない色なのだろうけど、逆にそれがうんとかわいく見える。

そんなこんなで、わたしはすっかりむらさき色のトリコになってしまい、むらさき色を見ると胸がきゅんとしてしまう。
あなたは何色が好き?


photo:付属幼稚園のちびっこたち。この園服がたまらない。

コピー屋さんと水屋さん。

2005年07月26日 | ■タイにいきる
日本にはない商売がタイにはある。
それはコピー屋さんと水屋さん。
コピー屋さんはコピーしてくれる店。そのまま。
コピー大国タイでは、なんでもかんでもコピー。教科書や辞書も。
コピー屋さんは印刷屋並になんでもやる。ホチキス留めなんて朝飯前で、製本もするし、名刺も作る。
なんでコピー?タイは本が高いので、コピーで安くあがらせる。著作権なんてないようなもの。
わたしの働く大学の敷地内にも、コピー屋さんがたくさんある。
わたしの行き着けは、アニメファン(「ふしぎの海のナディア」がお気に入りの様子)のおじさんの店と笑顔がかわいいお姉さんの店。

次に水屋さん。わたしはこの「水屋さん」て響きがなんか好き。
タイは水道水が飲めないから、飲料水を売ってるのが水屋さん。
わたしは大学敷地内の水屋さんで定期的に10リットル5バーツ(約15円)の水を買う。
この水が結構おいしい。
水をいちいち買うなんて、ちょっと面倒だけど、目に見えて減って行く水を見るのは、なんだか気持ちいい。

ネコがいちばん欲しかったもの。

2005年07月21日 | ■日々おもう
わたしの寮の近くに住み着いている、ころころと太った茶トラのネコがいる。
ネコ好きな人ならわかると思うけど、ネコっていうのは、不必要に媚びを売ったりしない。
でもそのネコは不必要なくらいに、しつこいくらいに甘えてくる。
すりすりと擦り寄って、わたしの後を付いて来ようとする。
でもそれはエサをが欲しいわけじゃない。たぶんさみしいんだと思う。

そのネコは白内障で、目に白い膜が張っていて、視界が閉ざされている。
そんなネコの姿はすごく哀れで、その目を直視するのが少しつらい。
体つきを見れば、飢えていないことは確かだけど。
タイ人は仏教的思想から、ノラ猫やノラ犬にエサをあげることを「善行」だと思っている。
だけどエサをあげることと、なでてあげることはまた別のことだ。
そのネコのそのネコらしくない甘えかたを見れば、誰からもかわいがられてないことに気づいてしまう。

仕事から家に帰るとき、そのネコはわたしを目ざとく見つけて、「ビャー」とすごい声で鳴く。
わたしが去るときは、いろんな障害物にぶつかりながら、よたよたと付いて来ようとする。
なんだかせつない気分になる。
『人はパンだけで生きるものではない』(マタイによる福音書)。
ネコもパンだけじゃ生きていけないのかもしれない。


photo:大学裏の道。

ドラえもんのぐー。

2005年07月19日 | ■タイにいきる
タイ人は手で数字を表すときに、0(ゼロ)を「グー(握りこぶし)」で示す。
日本人なら「OK(or お金)」のジェスチャーを使うけど、こっちでそれがは通じない。
もし「100」なら、人差し指を立てた後、グーを二回出す。
わたしはその「グー」がとても気に入っている。
みんなドラえもんみたいでかわいいから。
(タイ人はドラえもんが大好きだ)

わたしは食事をするとき、片手(左手)が空いてるときは、その手がどうも「グー」になってるらしい。
友達に指摘されて最近気づいた。
食べることにかけては、相当な力を注いでるからだろうな。

あの日の宝探し。

2005年07月18日 | ■日々おもう
小さい頃のわたしにとって、サンリオショップは「夢の国」だった。
車で一時間くらいのところに大きなデパート(伊勢丹)があって、そこのサンリオショップが新潟ではいちばん大きかった。
わたしはそのサンリオショップに行くのが大好きだった。
買い物をすると袋に小さなマスコットも付けてもらえるのだけど、それが宝物のように見えた。

中でも大好きだったのは「みんなのたあ坊」で、熱心にたくさんのたあ坊グッズを揃えていた。
でも諸事情で生産量が縮小されて、サンリオショップからたあ坊が一気に減ってしまった。
わたしには悲しい出来事だった。

なのにタイのサンリオショップに行くと、今でもいろいろなたあ坊商品が並んでいる。
(台北でもクアラルンプールでもたあ坊は人気者のようだった)
たぶん海外輸出用には今でもたくさんのたあ坊グッズが作られているのだろう。
それがうれしくて、定期的にサンリオショップに足を運んでしまう。27歳にもなって。
それは小さい頃のあのわくわくを巻き戻して再生するようで、幸せな気分なのだ。

捨てたい水草。

2005年07月15日 | ■タイにいきる
タイは常夏の国だから、年中蚊がいる。
日本人は血は(蚊にとって)おいしいらしく、タイ人よりはるかに刺されやすい。
わたしも「一生分か?」ってくらい、日々刺されっぱなしだ。
かゆいだけならいいけど、蚊に刺されたことで発症する「デング熱」や「マラリア」と言った病気がタイにはある。これは死にもつながる可能性を持つ怖い病気だ。
だから刺されないに越したことはない。

自分で管理できるから、自分の部屋はいい。
問題はそれ以外。タイは屋台文化だし、レストラン、バー、カフェ、どこに行っても屋外、もしくは吹きさらしの造りになっているのが多くて、蚊から逃げ切れない。(エアコンを入れて閉め切ってるような飲食店は少ない)
そういうところで困ったときは、たいてい店員さんに言って蚊取り線香をたいてもらう。

なので、わたしのいちばんの悩みはオフィス(職場)だ。
諸悪の根源は、タイ人の同僚が机の上で育てている「水草」だ。
その水にボーフラくんがわいて、定期的に蚊がかえってしまうのだ。
その数と言ったら、半端ではない。
いかんせん、タイ人の同僚は自分が刺されないので、そんな事態をあまり理解していない。
なので、日本人の同僚がせっせと水草の水を変える。
それでもやっぱり水草自体を捨ててしまえたら、それが何よりなんだけど、「かわいそうだから」という慈悲の心から、タイ人の同僚は水草を捨てさせてくれない。
蚊は日本人ばかりを狙って、タイ人には見向きもしない。
太刀打ちできないほどに蚊が出た日には、蚊取り線香をたくのだけど、蚊取り線香の煙が体に良くないとタイ人は心配する。
なんとも悲しい壁を感じてしまう。

最近、日本人の同僚の間ではこう話している。
「誰かがデング熱にでもなったら、さすがに水草捨てさせてくれるんじゃない?」、「誰がそこまで体張るのよ?」、「わたしはイヤだよ!」…。そんなのみんなイヤに決まってる。
どうしたらいいか、誰か教えてください。


photo:モン族(山岳民族)の赤ちゃん。いい直立ぷりだな。

あるこう、あるこう、わたしはげんき。

2005年07月14日 | ■タイにいきる
歩くことは好きだった。
でもタイに来て、あまり好きじゃなくなった。
その理由は、まず道が悪い。アスファルトがぼこぼこで転びそうになる。(少し前にも派手にすっ転んだ)
バイクでもそう。街乗りでオフ・ロードを体験できる。
次に暑い。日中たくさん歩くと頭がくらくらする。
そして車が危ない。この国の交通ルールなんて、あってないようなもの。しかも車が最優先だから、危ないったらありゃしない。

ま、そんなような理由からか、タイ人も歩くのが嫌いなようだ。
歩いて5分の距離を「遠い」と、バイクに乗る。
だいたい、決して田舎でもないこの町で、歩いてるタイ人をほとんど見ない。
歩いているのはたいてい旅行者の西洋人ばかり。

この間、おいしいケーキ屋さんを教えてもらって、そこまでの道順をタイ人に聞いた。
彼女は「通りに出て300メートルくらい歩いたら左手にあるよ」と言った。
隣にいたもう一人のタイ人も「うん、300メートルくらいだね」と言った。
そして歩き出すと、50メートルを過ぎたくらいところにそのケーキ屋さんはあった。
これは距離に対する感覚の違いだろうか?疑問が残った。

ああ、久しぶりにてくてくと歩きたいな。
夏の多摩川沿いをてくてくと。

告白。

2005年07月13日 | ■タイにいきる
学生に告白された。
それはわたしへの愛の告白ではなく、「先生、僕はゲイになりました」っていう告白だった。
日本語学科3年生のJくんはルックスは人並みだけど、真面目で働き者でやさしい。
困ったことがあれば、いつでも助けてくれる彼について、同僚と「Jみたいな人と結婚したら幸せになれるんだろうね」なんてよく話していた。

彼は自分がゲイになった経緯を、ゆっくりていねいに話してくれた。
一年くらい前までは女の子が好きで、恋人もいたけど、付き合った女の子を本当に好きになることができなかった。
その後も、いろんな女の子にアタックしたけど、手応えがなかった。
そんな彼が、なぜか男の人からのお誘いはあったようで、「試してみよう」と言った感じで付き合ってみたら、「自分は男が好きなんだ!」という答えに至ったという話だった。

そんなJくんだけど、今は恋人はいないらしく、「女の子は完全に論外」っていうわけでもないようだ。
彼はとてもていねいに説明してくれたけど、うーん、こんな話わたしにはやっぱりわからない。
これがタイの文化なのか、単なる性的志向なのか、それとも「人間愛」なのかー?
彼自身は自分がゲイになったことを隠していたことが重かったらしく、告白し終わった後の表情は、それは晴れやかで、「先生の日本人の友達でゲイの人はいますか?紹介して欲しいです」なんてまで言い出した。

そんな晴れやかなJくんとは逆に、わたしは落ち込んでしまった。
同性愛を差別するつもりも、否定するつもりない。
だけど、「普通(?)の男」だと思っていた人が、実はゲイだった(この場合はなった)と聞くと、やっぱりショックなもの。
もちろん、その人を恋愛対象として見ていなかったとしても、それはそうなのだ。
はじめからゲイだと知らされていれば、それは何の問題もなく、それがかっこいい人だったりすれば、それは多少残念だけど、軽く流せるものだ。
あの日の有森裕子の気持ちはわからないけど、好きになった人が過去にゲイだったと聞いても、わたしはそれを受け入れる自信はあまりないし、バイセクシャルの彼氏も遠慮したい。
ちょっと想像してみればいい。恋人や親友、そして家族にそんな告白をされた場合を。

「同性愛を差別しない、否定しない」。それを言うのは簡単で、そんな思想が進歩的でかっこいいのかもしれない。
でも、(ノーマルな人は)潜在的には誰でも、自分の大事な人はノーマルに違いないと微塵の疑いも持っていなくて、同性愛を少し遠い人たちの話として受け入れているだろう。
少し遠い人のことだから、かっこいいことも言える。
これも一つの差別なのかなと、タイに来て学ぶ日々なわけだな。


photo:告白の場と言えば自転車置き場だよね。タイでは自転車で来る学生はほとんどいない。専らバイク。ってことで、バイク置き場。

全力少女。

2005年07月11日 | ■日々おもう
試されてまでも ここにいることを決めたのに 呪文のように「仕方ない」とつぶやいていた…♪

チェンマイでの生活にマンネリ気味の今日この頃。
水が出ない…仕方ない。
授業がきつい…仕方ない。
タイ料理にあきあき…仕方ない。
タイ語がちっとも成長しない…仕方ない。
男の人がみんなゲイに見える…ゲイにしか見えない。

でもよく考えてみれば、自分で選んで、タイが好きで、ここに来たんじゃない?
それは誰に頼まれたわけでもないんじゃない?
もう一度考え直してみてもいいんじゃない?
と、ふと気づいた。
それに気づいたのは、そんな歌を聴いたから。

♪セカイを開くのは僕だ 視界はもう澄み切ってる♪

わたしはネズミのチュー子です。

2005年07月09日 | ■タイにいきる
タイの女の人は目上の人と話すとき、自分を「ヌー」と呼ぶ。
先生と話すとき、学生はもちろん自分を「ヌー」と呼ぶ。
この「ヌー」は、タイ語の「ねずみ」を指す。
つまり自分をねずみと呼び、へりくだるわけだな。

いくら文化とは言え、自分をねずみと呼ぶのは、なんだかちょっと違和感がある。
おまけに、逆に目上の人から自分の名前を呼ばれるときもやっぱり「ヌー」で、「ヌー・パイ・マイ?」(ねずみが行くの?)なんて言い方をされる。
相手のへりくだりに偉い人が乗っかっていいところに、ヒエラルヒー社会を感じる。
わたしも大学の偉い先生に「ねずみ」と呼ばれることもある。
個人的に言えば、ねずみは大嫌いなので、さらに違和感だ。

でも、なんだかちょっとかわいいとも思う。だって人間なのに「ねずみ」だよ。
ねずみと呼ばれたときは、「カー」(はい)ではなく、「チュー」と答えて楽しみたいけど、タイ人にそんなセンスは通じないのでやめておこう。


photo:囲碁を楽しむ日本語学科の学生たち。

水が出ない!水が出た!

2005年07月07日 | ■タイにいきる
断水ほど迷惑なものはない。
どうもタイの水道設備はまだまだみたいで、うちの学内はさらに悪い。
恐ろしいことにこの断水、予告されたためしがない。そう、それはいつも突然やってくる。(故障しちゃうんだから当たり前か)
こればっかりは「だってタイだも~ん」、なんてとても言えない。
水が出ないと、何にもできないんです。本当に。
最悪なのは、朝の6時から8時なんて時間帯に水が出なかったりすることもあって、そんなときは本当に困る。授業があるのに顔が洗えない、歯が磨けない。
こんな場合は、停電(停電も多い)の方がずっとましだ。

この断水、長くてもだいたい数時間で回復するのだけど、この前はひどかった。
丸一日出なかった。
どこからか長いホースが引かれ、一本のホースから出る水をたくさんの学生たちと分け合って使った。(今、わたしは学生寮に住んでいる)
トイレは二つしか開放されなくて、そこで(水)シャワーも浴びるようになっていた。もちろんそこには長い列ができていた。
おまけに寮監が、「水道の(汲み上げの)機械が故障して、新しいものがまだ来ないから、あと一週間は水が出ないよ」と言う。
怒りを通り越して、途方に暮れそうな気分になった。
「わたしは何のためにタイに来たんだろうか…」なんてことまで頭に浮かんで、ため息がもれた。

ただ、ここでもまた、異文化を垣間見る。
まずそれは学生たちの行動だった。
タイ人が朝、晩と水浴びを欠かさないことは知っていたけど、トイレが2つしかないのに、水浴びをするためにトイレに入ってしまうので、なかなか用を足せない。
こんなときは洗顔と歯磨きだけで…って、日本人なら思うけど、ホースの周りで顔を洗っていたのはわたしだけだった。
彼女らはあくまでも水浴びをするらしい。
そして、ホースの周りではオケに水をためて、ごしごしと洗濯をする学生がやたら目立つ。洗濯の順番待ちの学生もいる。
こんな状況なのに、洗濯なんて後に回そうとは思わないものなの?

「一週間の断水」に途方に暮れていたのに、結局その日の夕方水が出た。
それを奇跡のように思ったけれど、それは奇跡でも何でもなくて、舎監の発言に「憶測の上の断言」が入っていたんだと思った。これもまたタイ人だなって思う。
何を根拠に「一週間」と寮監は言ったのか気になりはしたけれど、とりあえず水は出たのだから、すべては一件落着とした。

そんな経験から、水道から水が出るという当たり前なことが、どれだけ便利なことか知れたので良かったと、美談にしたいところだけど、やっぱりそんなオチにはできない。「予告なき断水」のトラウマは深い。
タイの水道工事技術の向上を心から願います。

虹を見たかい?

2005年07月06日 | ■日々おもう
おばあちゃんの様態は変わらないまま、タイへ戻ることになった。
わたしは日本人だから、日本の方がやっぱり居心地が良くて、いろんなことがリセットされてしまう。
だから、タイへ戻るにはそれなりの気力がいる。うんとこしょって。

そんなわたしの重い気持ちを乗せて、飛行機はチェンマイに向っていた。
おまけにわたしの隣の座席は日本人の観光客で、「チェンマイに着いたらまず何する?」、「まずシンハー(ビール)飲もうよ!」、「お、いいねー」…なんて話題で盛り上がっていて、わたしの気をさらに重くさせた。

あともう少しでチェンマイに着く。
眼下には緑がモコモコと生い茂っていて、改めてチェンマイの自然の豊かさに気づく。
窓の外は雨が上がったばかりのような空で、雲の間から陽の光が差していた。
そんな景色をぼんやり見つめていると、その緑の中に虹がかかっているのに気づいた。
虹を上から見下ろしたのは初めてだったから、胸がはっとなった。
神様はそんなプレゼントで、わたしの背中を押したのかな。

男が怖くない女。

2005年07月04日 | ■タイにいきる
タイにオカマが多いのは周知としよう。(この場合、オカマとは女装している、もしくは女性的な言動をするゲイのことを言おう)
わたしはオカマが嫌いではないし、否定もしない。(たいていオカマを否定するのは男の人の方だと思う)
周りにオカマが多いせいか、オカマにすっかり鈍感になっている。
いくらタイだって、オカマにいろんな苦労があることは想像に難くないし、応援したいようなオカマも多い。
(特に、お世辞にもかわいいとは言えないオカマたちには、エールを送りたくなるな)

ただ、オカマを見ていて、「ここがどうも…」という部分がある。
それは、男を少しも恐れていない言動を取るところ。
例えば、ミニミニスカートを履き、パンツが見えてもひるまない。
濃い色の口紅を人前で塗ったり、露出が極端に高い、体のラインを強調するような服を堂々と着たりする。
発言も男の人を誘うような露骨なのを平気で言ってしまう。
それがいいとか悪いとかではなく、本当の女はそうはできないという話だ。
彼女(彼ら)たちはそうすることで、女らしさを得ようと思ってるのかもしれないけど、実はその逆のところに、本当の女らしさはあると思う。
どんな女の人でも、相手が恋人でなければ、男の人の性欲の対象になることには、大なり小なりのリスクが発生する。
もちろん女の人にも差はあるけれど、そういう恐怖心みたいないものを持っていない人はやっぱりいないと思う。
だけど、オカマにはそんな恐怖心がない。そこがやっぱり男なんだなと思う。
なぜかと言えば、体力の差や、妊娠のリスクとかにつながるのだろうから、やっぱり本質的な部分では越えられない壁があるのかもしれない。
演技でも、もっと恥らって、「男が怖い」くらい言えなきゃ、美しいオカマにはなれないと思わない?


photo:チェンダオで会った女の子。いい目をしてた。

みぎわとさくら。

2005年07月01日 | ■日々おもう
わたしは今、仮住まいにいる。
教員住宅が改装工事中なので、女子学生寮の一室に住んでいる。(もちろん一人部屋だけど)

高校の3年間と大学の2年間、わたしは寮で過ごした。
高校の寮は、それはそれは語り尽せないほどのエピソードがあるけれど、結果として言えば、素晴らしい日々だった。(もう一回入れと言われたら、絶対に遠慮したいけど)
だからわたしは放課後マックにあこがれて、でもそれはあこがれのまま高校3年間を終えた。
大学の2年間は「毎日が修学旅行」と言ってもいいくらいに楽しかった。そのせいか、男子との縁とは絶たれた2年間だった。

部屋いると、学生たちの笑い声が廊下に響いているのがわかる。
プラスチックのカゴにお風呂セット(シャンプーやら石けんやら)を入れてシャワー室に向う姿や、みんなでテレビを囲み、お菓子を食べながら、あーでもないこーでもないとおしゃべりをする姿を目にすると、いろんなことがよみがえってくる。
わたしにとっては、みぎわ館(高校の寮)も桜寮(大学の寮)も、わたしの「家」であったことに改めて気づく。そんなわたしの仮住まい生活なわけだ。


photo:そんなわたしの部屋から見える景色。