町田イタリア歌劇団/町田オペラ小劇場オフィシャルブログ

町田を拠点にオペラ、ミュージカル公演をおこなっているグループです。

にっぱち

2013-03-06 23:22:40 | 日記
芥川賞と直木賞は、二月と八月の年二回ありますが、雑誌が売れない<二月と八月>(にっぱち)に雑誌を売るために、菊池寛が考え出したアイデアで、もちろん雑誌に限らず物が売れない月であるから俗に<にっぱち>と言われているわけですが、大雑把に言って時代が多様化しメディアコンテンツなど生活スタイルが変わった事から本もにっぱちに関係なく全体的に売れなくなっています。
芥川賞や直木賞に限らず物事の促進には、あるアイデアや気曝剤のようなものも必要なのだろうと思いますが、私個人が現在何かアイデアを持っているわけでもなく、そう思っているだけの話で、演奏会に限らずイベントの類を考えているような人はおそらく大体常にアイデアに枯渇しているだろうと思われます。
ところで、最近気付いたのですが、実は、これまでの町田オペラ小劇場のオペラ公演、意外と2月開催が多かったようです。特に理由はないのですが、2011年2月にラ・ボエームを2公演、2012年2月には「ランメルモールのルチア」を2公演、そして今年は先月の2月に「椿姫」を2公演行いました。
これまでオペラ全曲公演は20回ほど開催していますので、他の月に比べ上演率が若干高いわけですが、どうも2月は寒いので客足が遠のく傾向があります。
そこで、たいしたアイデアがあるわけではないのですが、オペラ公演の2月開催をしばらくやめることにしました。だからどうしたという話ですが。その流れを汲み、シモン・ボッカネグラは前回と同様に4月ですが、ルチアを7月、これまで1月や2月に開催していた椿姫を9月に開催する運びとなりました。寒い時期を外すことで運営を短絡的に考えているわけではありませんが、やはり避けられるリスクは避けないといけないという状況であります。
【堀内士功】

素質だけでは

2013-03-06 06:57:20 | 日記
どんなに卓越した歌手でも、大舞台で主役を何度もはるような歌手でも、なかには、歌い方が分からなくなるという事があるようで、歌い方というのは、主に発声法だが、どのように発声したら良いかわからなくなるということらしい。
普通では考えられないが、こういう状態を本当のスランプというのではないかと。
私個人はこのようなスランプというか発声法が分からなくなって困ったという経験はないから(というよりそれなりの発声法を見つけるまでにかなり時間を要しスランプなどと贅沢な事を言っていられなかった)スランプに陥った時の対処法などは分からないが、いま開催中のWBCではないが、野球選手がバッティングでスランプに陥り、精鋭とも言えるプロの選手が実践したのは、基本に戻るという事だった。
発声法も似たところがあり、迷ったり、調子を崩してきたら基本に戻る事が大切だと思う。
むやみに声を出したり、やったことのない事を無理に始めてもロクな事はない。
昔アルド・プロッティが、キャリア途中で歌えなくなった歌手をメソードがなく素質と持ち声だけで歌っているからそうなるんだと批判的に言っていた(プロッティは73歳の時も元気に凄い声で歌っていた)が、確固たるメソードがあればそうそうスランプに陥ることもないのだろうし、陥ったとしても良い状態に戻せる可能性は高いだろうから、歌い方が分からなくなるというのは、基礎が緩く、メソードに自信がなく、素質だけで歌っている部分が多いのでと考えてしまうが、メソードは、それを使いこなせるだけの体力を維持していることと、使いこなすための方法を経験を通して熟知し点検するように常にそれに戻れることが大事なんだろうと思う。
なかには素質だけで長いキャリアを築く人もいるのだろうが、やはりそれは例外であり、例外は一般化されない。
ではその基礎やメソードは一体何ですかと思われるかもしれないが、それは上手に歌えるようになるまでの中身であってそれ無しでは進歩してこなかったものであるから、みずからトレースバックして見失いかけていたものを見つめ直してみれば良いと思うが、一方で、現象における概念や解釈が主観と抽象に走りがちな声楽の世界に、より科学的な具体的なアプローチをされる方もいて(私はそれに精通しているわけではないが)なかには科学的アプローチが合うかたもいると思われるので勉強したりメソードを改善したり強化したりする方法の選択肢は拡がっているとは思う。
【堀内士功】