またこの日がやってきた。あれから25年過ぎ去った。
当時、私は佐世保に住んでいた、午前9時頃電話がなった。
石川に住んでる兄からだった・・・ 神戸がとんでもことになっていると・・・。
テレビをつけニュースを見たがそんなに悲惨な状況とは思わなかった。
私はその日も仕事だったので会社に向かった。昼頃、仕事をしていると、神戸出身者は有給で休んでもいいと連絡が入った。急いでアパートに戻りテレビを見ると本当に凄いことになってる映像が目に入った。
ホームセンターでポリタンクやカセットコンロを買いに行き、近くのコンビニで米や食料を棚にあるだけ全て買い込んだ。
高速をとばし神戸に向かった。
実家は、神戸の中央区なので両親のことが心配だった、電話も繋がらず、どこにかけてもだめだった。
夜の11時頃には、舞子に住んでる長兄の所に到着した、その日は泊まらせてもらい翌朝、6時に神戸の中心へ向かった。普段は40分ぐらいの距離だが、火事であったり、家屋の倒壊、道路が陥没、通行止などで結局18時間もかかってしまった。
実家に着くと、誰もいなかった。電気も止まっているのであたりは真っ暗である。
歩いていた人に聞くと、小学校にみんな避難しているらしい。実家近くは、灘や長田地区よりは少しはましだった。その夜は、小学校の校庭で車の中で泊まった。
翌日、母や近所の人たちに出会えた。無事だった・・・。
幸い、身内は無事だったが、幼なじみが何人か亡くなった。
神戸で前に住んでいた団地に行ったら、2・3階部分が圧縮されていた。
お隣の若夫婦や、かなりの方が亡くなっていた。佐世保に転職せずにそのまま神戸に居たら私も死んでいたのだろう・・・。
亡くなられた方のご冥福を祈ります・・・ 合掌。