ボンボンを買いに・・・

好きなこと、好きなもの、思ったこと、イロイロ。

この人物相関図、直ちに理解できたら神!「源氏物語」。

2015-05-30 00:29:55 | 日記

こないだのマルガリータ王女だけどよ、近親結婚の例にもれず、

母の弟。つまり叔父と結婚してるのな。

ちなみにマルガリータの母マリアナは、初めはいとこと結婚するはずであったが、

彼が急死したために、その父。つまり伯父と結婚した。

二代続けての「おじ・めい」婚・・・

しかしこのパターンは、何を隠そうこの国の小説にもあった。

それは何かといいやすと・・・

 

 

 

 

 

「源氏物語」。私は「あさきゆめみし」で読んでるけども、まぁエエやん。どっちも同じ。(笑)

きょうび、たとえ現代語訳とはいえ、あの長大な王朝絵巻を文字で読み通せる人が

そうそういるとは思えない。作者の大和和紀さんには感謝しても感謝しきれない思いだす。

 

 

この「源氏物語」は平安時代の上流階級の物語で、

登場するのは帝(天皇)を始めとする超セレブな貴族たち。

私がこれを読んでまず思ったのは、「近親結婚だらけ」・・・・

そう。今のシモジモの者たちには考えられないほど、

当時の貴人たちには近親結婚が当たり前だったみたい。

 

 

 

最初の妻:葵の上と源氏。

 

 

 

まず、主人公の光源氏が最初に結婚した相手は、いとである(葵の上)。

そして、最後に結婚した相手は、めいである(女三の宮)。

源氏の息子の夕霧いとこと結婚しているし(雲居の雁)、

源氏が思いを寄せていた朝顔といういとこもいた。結局結婚には至らなかったが・・・・

 

 

 

夕霧と 雲居の雁

 

 

 

結婚には至らなかった恋人といえば、玉蔓(たまかずら)。この人もはずしてはいけない。

表向きは源氏の養女、だからさすがの源氏も肉体関係を結ぶとこまで至らなかったが・・・

この人も「いとこの娘」。な?やはり源氏と血がつながっていたのだった。

 

 

 

朝顔と源氏。 

 

 

 

そもそも源氏の最初の恋人・藤壺からして、どうも怪しい。

彼女は、源氏の父(桐壺帝)の前の帝の娘だった。

源氏と藤壺の血のつながりについては明言されていないけど、

二代の帝の間に血縁が無かったとは思えず、

おそらくあの二人も(私が考えるに)しっかり血がつながっている。

 

 

 

藤壺と源氏。 

 

 

 

そして、源氏の最愛の妻・紫の上は、藤壺のめい

そう、もともとからして藤壺にそっくりな顔をしているという理由で、

幼い紫を源氏が養女として引き取ったのだった。

瓜二つなのもしごく当然、二人は叔母・めいの間柄だったのだから。

 

 

 

藤壺、源氏、紫の上。 

 

 

 

そして、源氏の最後の妻・女三の宮は、紫の上とはいとこの関係。(笑)

こう書いてくると、もうわけがわかんなくなってしまうが。

そう、系図を見てもただちには読み取れない。

それほど登場人物たちは、やんごとなき血で複雑怪奇につながっている。

 

 

 

ジャーン! 相関図。即座に理解できれば神。

 

 

 

 

しかも特筆すべきは、源氏物語の先にあげた登場人物たちはどれもが美男美女ぞろい。

頭脳明晰な人物も多く、近親結婚の弊害はこれといって認められない。

現実は「そんなわきゃない」と思うのだが・・・

しかし、これはあくまでもフィクション。紫式部が書いたおとぎ話でアルよ。

 

 

 

玉蔓と源氏。 

 

 

 

 

当時の美男美女の基準が現代とは大きく異なっているのを差し引いてもよ。

身分の高さが最強の美徳であった当時、超セレブのワルクチを言うなどもってのほか。

そういう風潮があっておかしくないし、まぁ要は、身分が高けりゃ全てよし。な?

「色が白いは七難隠す」・・・あれ、違う?「あばたもえくぼ」。もっと違う?(笑)

 

 

 

女三の宮。 

 

 

 

しかし、そんな中でも紫式部が悪く書かざるをえなかった人物がいて、

それは先にあげた登場人物の中でも、近親結婚の弊害が唯一表れてるかもしれない。

紫式部にしても、この人物を描くのは相当勇気がいることだったんじゃないか・・・

 

 

 

紫の上と源氏。 

 

 

 

しかし私は声を大にして言いたい!この人物あってこその源氏物語。

これを名作たらしめているのは彼女に他ならないと。

その人の名は・・・・ああっまたどんどん長くなる。続きは今度にしよかねぃ。。。φ(・ε・q)

 

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「ラス・メニーナス」。可愛すぎた王女の行き着いた先。

2015-05-28 12:53:34 | 日記

ところで、この本を最近読んでた。

 

 

 

 

この中野京子さんの歴史読み物は近年の私のお気に入り。

以前は桐生操とか。ね?好きだったけど。でもあの人ほど「エロい・グロい」に傾いてなくて、

しかも絵画にかぶせて歴史語りしてくれるところが好き。

その昔の澁澤龍彦さんのエッセイを思わせる。こういうの、待ってました!てカンジ。

表紙は中野さんらしく、ベラスケスの「ラス・メニーナス」。

ここに描かれているのは、私の大好きなあの子・・・・

 

 

おそらく美術史上もっとも有名な少女、といって差し支えないと思う。

マルガリータ王女。そして当然、本文中にもその物語が。

中野さんが好んで取り上げるテーマ、落日のスペイン・ハプスブルク家の話。

高貴な血を守ろうとするあまり、近親結婚を繰り返し、自ら滅亡を招いた。

300年以上も昔のヨーロッパ王家の物語・・・。

 

 

でよ、このマルガリータの肖像画であるけれど、見れば明らか。

年を追うに従ってどんどん面長に、そしてしゃくれ顎になっていく。

 

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幼女の頃の、あのぽっちゃり丸々とした愛らしい面影はどこへ?・・・

っっつっても、なぁ。なんのことはないんやで。

子どもの頃は誰だってぷっくりしていてぽっちゃりさん。な?今もそうやん。

300年も昔の異国のお姫様、マルガリータも成長するにつれ、両親に似てきた。

ただそれだけのことなのや。

  

 

はちきれそうな愛くるしさにあふれていた子ども時代にはわからなかったものの、

成人してみれば平凡な容姿・・・

いやもしかしたら、どっちか言えば「醜い」と言うてもエエやもしれん。

この最後の肖像画が描かれたのが20歳そこそこのとき、

女性としては最も美しい花盛りの年齢で、しかも当時の宮廷画家が

モデルを何割か美化して描くのが当たり前だったことを考えたらよ。

この目鼻立ちは恐れながら不細工の範疇かもしれず・・・(笑)

まぁおとぎ話ならいざ知らず、プリンセス、イコール、美しい。とはいかんわね。

 

 

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マルガリータの父(フィリペ4世)と母(マリアナ) 

 

 

マルガリータのこの顔(面長でしゃくれ顎)はハプスブルク家の特徴だったらしく、

当時としても「美形」とは言い難かったそうな。

できることならわが子には似てほしくないと思うのが人情、

ならば王としては美貌の妻をめとればよい。と思うだしょ?

それができたら苦労はしないつうの。

同族で結婚を繰り返さざるを得ない、鉄の掟が当時のヨーロッパにはあったのさ。

 

 

 

 

それでもマルガリータは、まだよかった。

目に見える近親結婚の弊害つうたらこのしゃくれ顎くらいでよ、まだマシだったとも言えるのだ。

なんつうても彼女のきょうだいたちに比べたら・・・

その被害を被った加減といったら目を(いや耳を?)覆わんばかりの痛ましさでアルよ。

彼ら自身は何も悪いことはしていない。正真正銘、100%の「被害者」・・・。

 

 

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マルガリータの弟:カルロス2世 

 

 

当時のヨーロッパ勢力図のというか、スペイン王家のというか、医学的知識の無さの、というか、

とにかく今の世ではここまで近親結婚を繰り返すなんて無謀としかいいようがない、

絶対にありえない。

こんなことが、過去に本当にあったんスからねぇ・・・・

 

 

しかしあらためて、ベラスケスが描いたこの幼い王女の愛らしさはどうやろう。

こんな勝手な大人の事情で、実は暗い宿命を背負っている・・・

そんなのは聞かなければわからないくらいに、天真爛漫な子どものかわいらしさに満ちている。

子どもなら誰もが持っているこの愛らしさに加え、富も栄光も、

この世のきらめきを一身に集めたようなプリンセスのオーラ・・・

 

 

 

 

それを余すことなく表した、ベラスケスでかしたぞ!(笑)っっって、

でもよ、それにつけても惜しまれるのは我が国にこういうプリンセスの肖像画が無いこと。

少なくとも私は見たことが無いのやけど、これも文化・習慣の違いやろかねぇ。

そう、次は我が国の、あの大名作の近親結婚の話を、次は取り上げたいと思うだす。(。・ω・。)

 


ボンボンを買いに。タイトルに寄せて、2つの小説より。

2015-05-23 00:27:43 | 日記

ところでのっけからナンですが、「ボンボン」とゆうお菓子のことが気になっています。

 

よく話には聞くけれど、具体的にどーゆうものなのか??

というのが私の中でハッキリしないのです。

それを、子どものころから今まで・・・ときどき思い出したりしながら、

ずっとン十年引きずっています。

 

それをまたふと思い出したのも、実はこの本を読み返していたからなのです。

 

 

 「恐るべき子供たち」。ジャン・コクトー

 

タイトルは何やら恐ろしげですが、別にホラーな話じゃありません。

この中に、「ボンボン」。・・・ほら、出てきましたよ!どこかって?それは、ココ。

 

 

「わたしたちは、これからこの部屋に閉じこもって暮らせるのよ。

白衣の看護婦もきてくれるわ。お医者さんが請け合ってくれたの。

わたしはボンボンを買いに行くか、

貸本屋が来たときにしか外に出ないことよ」(訳:佐藤朔)

 

 

病気のため学校をやめるよう医者から宣告されたポールが、悲しみのあまり涙を流す。

それを見た姉:エリザベートが、ポールにかけた慰めの言葉。それが、コレなのです。

 

して。もう一つ。「ボンボン」が出てくる小説で、はずせないのが、コレです。

 

 

 

 「椿姫」。デュマ・フイス

 

 

「きみ、そっちじゃないだろう」

「いや、ボンボンを買いに行くんだ。頼まれたんでね」

(中略)

「砂糖漬けの乾ブドウを一ポンドくれないか」

「そんなものが好きなのかい」

「ほかのボンボンは決して食べないんだ。ちゃんと分かってるんだよ。ねえ、きみ」・・・・

(訳:新庄嘉章)

 

これは主人公の青年アルマンと友人との会話。

ある日彼らが二人で出掛けた芝居で、椿姫(マルグリット)に偶然出くわした。

アルマンがかねてから憧れを寄せていたマルグリットにいよいよ紹介してもらうべく、

友人と一緒に彼女の待つ桟敷へと馳せ参じる場面・・・・

 

この「ねえ、きみ」に続いて友人は世間知らずのアルマンに、

これから紹介してやるマルグリットがどういう類の女なのかを得得と説明してやるのです。

見かけは貴婦人のようだが、所詮は男に囲われている高級娼婦にすぎないということ。

それなりの扱いで十分な女なのだということを。

 

ボンボン。どんなお菓子なんでしょね。エリザベートが、マルグリットが愛したこのお菓子は。

エリザベートは自ら買いに走り、マルグリットは男に買いに行かせる。

二人がそれほど好んだ、このお菓子は。

ウィキペディアによると要するにキャンディ状の菓子の総称らしい・・・けど、

ねぇどうざんしょ?

 

ボンボンを入れる容器というのが特別にあって、その「ボンボニエール」は

皇族の婚礼の引き出物になっているのは有名な話。

そこからもナントナク、特別なお菓子って、そんなカンジがする。

高貴な優雅なお菓子って・・・そんなふうに考えてみたくありません?

 

例えば生活のためにあくせく働く必要のない選ばれた人たち・・・

庇護者(パトロン)のもとにぬくぬくと暮らす子供たちや高貴な身分の女性たちが、

退屈を慰めるためにつまむ、優雅な特別なお菓子・・・。

「キャンディ菓子の総称」などという味もそっけもない意味付けよりも、私はそっちの方が好き。

 

大富豪の老人に囲われているマルグリットはもちろんのこと、

「恐るべき子供たち」のエリザベートもポールも、

生活の苦労とはまるで縁のない子らであった。

庇護者である親を亡くし、その生活の面倒はだれが見ていたのか・・・

その記述さえほとんどないまま、繰り返される子供たちの果てしのない「夢幻遊び」。

 

「恐るべき子供たち」とは、そういった不思議な話なのです。

それは・・・そうね、次に譲るとして。

そのボンボンを「買いに行く」という言葉は、おのずと特別な意味を持つ。

フランス語に同じ決まり文句があるのかどうかは知らないけれど。

 

気ままな優雅なお散歩。そういった意味もアリなんじゃないかな。

本当にボンボンを買うかはおいといて、とくに目的もない優雅な時間つぶし。

ちょっとした気分転換。みたいな意味かしら。っっていうか、そういう意味を込めて。(笑)

今度のブログはこのタイトルにしましたぁ。(ちゃんちゃん)