お散歩はかなり歩けるようになってきたと思うんですが、腰と股関節と膝の関節がなんか、ぎしぎしいうんですよね。
筋肉痛とはどこか違うような……。
もともと腰とか頚椎とか難アリの私なので、運動し始めてガタがでてきたんでしょうか。歩きながら信号でストップすると背骨を伸ばしたりしているんですが、やっぱり診てもらうべきなのか…。
こういう症状があるので、いつなんどき、歩けなくなるか分からないって心配で山歩きはできないんです。ぎっくり腰も何回かやってるし、椎間板症で通院しているし、急にがくってきて歩けなくなるってこともあったしね。
さて、今日のウォーキングは駅まで往復でした。用もないのに札幌駅までいって、すぐにUターンするってのは、あまり面白みがないんですけど、お金がかからないのでよくやります。だいたい、それで1万2千歩ってとこですね。
東区役所にラベンダーが植えてあったのですが、すごく綺麗でした。見ごろだな。
歩いていていつも気になることがあります。
それは、歩道に車がでんと我が物顔に駐車しているってこと。確かに、後続の車のことを考えれば、寄せるってのは分かるんですが、それじゃ、歩道の意味がない。
結局、歩行者は車を避けて、車道を歩かなければならないし、車椅子なら万事休すですよ。段差がある縁石を車椅子では乗り越えられないから、誰かの手を借りなければなりません。
それに自転車が恐いということ。とくに若い人の飛ばし方は半端じゃない。突然背後から抜かれたりしてぎょっとすることが多いんです。ぶつかりそうになって相手が急ブレーキってのはよくあるし。信号無視は当たり前。死にたいのか! という場面もよく見ます。
結局、誰も彼も自分のことしか考えてないからなんでしょうね。
前にも書いたことがありましたが、沖縄を旅行した時、小さい子が「今、おばあちゃんが、バスに乗るみたいだから待っていて」ってバスの運転手に言って、バスがしばらく停車ってことがありました。結局、その子もおばあちゃんも乗らなかったんですが、沖縄のバスってどこでも手を上げたら停まるんですよ。だから確かに時間通りに運行しているようじゃないんですが、そのおおらかさってのは人の立場にたっている気がします。なんのために公共の車があるのかっていうと人のためなんですよね~。
採算に合わないからローカル線は潰されて、足のない老人が地方に残って、不便な生活を強いられる。なんだかちょっと暗くなります。独りよがりの人ばかりになってしまったら、国って存続できていけるんでしょうか。
人間よがりのこの地球って果たして、どうなってしまうんでしょう。
あ、そういえば、地球のためのコンサートってグローバルに行われたそうですね。め、一杯電気を使って。地球温暖化ストップって、声を上げるのはいいんですが、そのために使われたモノを考えると、なんだか本末転倒って気がしているのは私だけ?
冬のさなかのイルミネーションの綺麗さに、二つのため息を吐く。
綺麗だな~という感嘆と。もったいないなあという苦笑とともに。それは私だけ?