私たちは知らない
世界平和の体現の仕方を
テレビの画面には、
整備された道路にたくさんの車。
お店もあって、立派な家もある。
私たちが住む国と同じような街の風景
そこからはとても戦争が起きてるとを感じることができない。
私たちは(いや私だけかもしれない)、
どうしても戦争というと、第二次世界大戦の光景を思い浮かべてしまう。
私の中の戦争のイメージはまだ白黒だった。
でも時代は変わっていく。
綺麗な街並みにも戦争はあり得る。
私たちの国でも戦争が起きてもおかしくないことを脳裏に気付かせる。
イメージしている戦争ではない。
だからこそ、合図を聞き逃して、知らないうちに戦争の真ん中にいた…なんて現代人になりたくない。
イメージと違う戦争を認識しなければならない。
就活の時、「世界を平和にするために働きたい」と言った私に面接官は、「戦争などではなく、いじめなど、現代の平和についてはどう捉えていますか」と言った。
その言葉には、戦争など無縁の国という考えが露骨に表れている。
「お互いにお互いを認め合うこと、受け入れることが大事だと思います」そう答えた私も、プーチンの表明は受け入れられないし、当時の私の甘い考え方は自覚している。
平和を謳ってる国、日本。
そんな国の国民なのに、
ニュースを見て祈ることしかできない。
実に無力である。
そしてほとんどの人が、昨日と同じ日常を送り、
再びニュースを目にするまではそのことについて忘れてしまう。
私たちはどの国からも離れた、島国の人々。
専門家が経済政策でもダメじゃないかと言う。
じゃあ募金活動をすればいいのだろうか。
選挙にしっかり行って、いい政治家を選べばいいのだろうか。
私に出来ることは一体なんなのだろう。
すんばらしい考えも、行動を供ならなければ、ただの立派な言葉の羅列。