みなさまこんにちは。
ルシーダの山藤です。
先週の金曜日、株式会社 構造計画研究所の主催する「KKE VISION 2008」の基調講演を聞く機会がありました。
構造計画研究所に勤務されている知人より講演のご案内をいただき急遽参加をしたのですが、非常に有意義なお話を聞くことができました。
基調講演をされたのは、「夜スペ」や「よのなか科」といった今までにない斬新なアイディアを公立中学に持ち込み、賛成、反対を含め多くの議論を呼んだ「杉並区立和田中学校」の前校長、藤原和博さんです。
藤原さんはリクルートに勤めていらしたバリバリのビジネスマン。彼の書いた『よのなか ~人生の教科書~』などがきっかけとなり、都内では初となる義務教育の民間校長となりました。
講演の中で彼が力説していたのは、これからの日本人は「情報編集力」、すなわち、ある状況の下で最適な「納得解」を見つける力を身につけ、高めていかなければならないということ。
「納得解」とは、自分も納得し、他人をも納得させることのできる解答だそうです。
平たく言ってしまえば、一つの正解を導き出す力ではなく、自分の力で考え、自分の力で答えを出し、その言葉で周りの人をも納得させることのできる人にならなければいけない、ということでしょうか。
この話を聞いていて、ふと思い浮かんだことがありました。
最近私が気になっていたことのひとつに、マスコミとの付き合い方というのがあります。
たとえば何か事件が起こったとき、テレビや雑誌、インターネットなどマスコミといわれる媒体は、その事件ができる限りセンセーショナルな事件に見えるよう、さまざまな言葉を使ってその事件の全容を紹介します。特にインターネットの普及は影響が大きく、ひとつの事件について多くの情報を瞬時に入手することができるようになりました。
でも、これらの情報を疑ったり、情報はあくまでも情報として処理しそこから自分なりの見解を導き出す、といった行動を自分はきちんと取れているのだろうか、と、自分に問うことが多くなってきたように思うのです。
藤原さんの講演を聞いて、先に私が発した問いは個人レベルの問題ではなく、日本全体の問題になってきているのかな、と感じました。
これは教育の世界だけでなく、ビジネスの世界にも言えそうです。
偉大な創設者の方の話を本で読むと、「常識を疑う」ことがビジネスの種になった、というような話によく出会います。
これは、その方がたまたま運がよかったのではなく、その方に常識を疑い、常識にとらわれずに自分なりの解をみつけ、その解をもって他の人を納得させることのできる思考力があったのではないでしょうか。
創設者に限らず、このような思考力が日本全体で弱っているとすれば、それはビジネスにおいての「人材力低下」につながっていくかもしれません。
藤原さんはこの点でも大いに警鐘をならしています。
今、欧米諸国では義務教育で先に紹介した「情報編集力」を高めるための努力をしています。そして、その結果は着実に国力となって表れてきています。一方日本は、失敗といわれたゆとり教育(これも本当に失敗だったかどうかは、議論の余地があると考えていますが)の反動で、従来の「正解を求める教育」に戻りつつあるのです。
このままいくと、日本人は作業レベルでは優秀だけれど、ビジネスの根幹である全体の世界観を描くといった役割は担えない人材になってしまう、と藤原さんは述べており、私もその意見に大きな共感を覚えました。
義務教育は、未来の優秀な人材を育成するために非常に重要な教育期間です。そのような義務教育に対して危機感を抱くとともに、藤原さんのように「変わらなければ!」という人たちのおかげで少しずつ変化の兆しが見えることに希望をもった講演でした。
そして私もまずは自分のフィールドで「情報編集力」を高めることができるようにしなければ! と意識を新たにした1日でした。
ルシーダの山藤です。
先週の金曜日、株式会社 構造計画研究所の主催する「KKE VISION 2008」の基調講演を聞く機会がありました。
構造計画研究所に勤務されている知人より講演のご案内をいただき急遽参加をしたのですが、非常に有意義なお話を聞くことができました。
基調講演をされたのは、「夜スペ」や「よのなか科」といった今までにない斬新なアイディアを公立中学に持ち込み、賛成、反対を含め多くの議論を呼んだ「杉並区立和田中学校」の前校長、藤原和博さんです。
藤原さんはリクルートに勤めていらしたバリバリのビジネスマン。彼の書いた『よのなか ~人生の教科書~』などがきっかけとなり、都内では初となる義務教育の民間校長となりました。
講演の中で彼が力説していたのは、これからの日本人は「情報編集力」、すなわち、ある状況の下で最適な「納得解」を見つける力を身につけ、高めていかなければならないということ。
「納得解」とは、自分も納得し、他人をも納得させることのできる解答だそうです。
平たく言ってしまえば、一つの正解を導き出す力ではなく、自分の力で考え、自分の力で答えを出し、その言葉で周りの人をも納得させることのできる人にならなければいけない、ということでしょうか。
この話を聞いていて、ふと思い浮かんだことがありました。
最近私が気になっていたことのひとつに、マスコミとの付き合い方というのがあります。
たとえば何か事件が起こったとき、テレビや雑誌、インターネットなどマスコミといわれる媒体は、その事件ができる限りセンセーショナルな事件に見えるよう、さまざまな言葉を使ってその事件の全容を紹介します。特にインターネットの普及は影響が大きく、ひとつの事件について多くの情報を瞬時に入手することができるようになりました。
でも、これらの情報を疑ったり、情報はあくまでも情報として処理しそこから自分なりの見解を導き出す、といった行動を自分はきちんと取れているのだろうか、と、自分に問うことが多くなってきたように思うのです。
藤原さんの講演を聞いて、先に私が発した問いは個人レベルの問題ではなく、日本全体の問題になってきているのかな、と感じました。
これは教育の世界だけでなく、ビジネスの世界にも言えそうです。
偉大な創設者の方の話を本で読むと、「常識を疑う」ことがビジネスの種になった、というような話によく出会います。
これは、その方がたまたま運がよかったのではなく、その方に常識を疑い、常識にとらわれずに自分なりの解をみつけ、その解をもって他の人を納得させることのできる思考力があったのではないでしょうか。
創設者に限らず、このような思考力が日本全体で弱っているとすれば、それはビジネスにおいての「人材力低下」につながっていくかもしれません。
藤原さんはこの点でも大いに警鐘をならしています。
今、欧米諸国では義務教育で先に紹介した「情報編集力」を高めるための努力をしています。そして、その結果は着実に国力となって表れてきています。一方日本は、失敗といわれたゆとり教育(これも本当に失敗だったかどうかは、議論の余地があると考えていますが)の反動で、従来の「正解を求める教育」に戻りつつあるのです。
このままいくと、日本人は作業レベルでは優秀だけれど、ビジネスの根幹である全体の世界観を描くといった役割は担えない人材になってしまう、と藤原さんは述べており、私もその意見に大きな共感を覚えました。
義務教育は、未来の優秀な人材を育成するために非常に重要な教育期間です。そのような義務教育に対して危機感を抱くとともに、藤原さんのように「変わらなければ!」という人たちのおかげで少しずつ変化の兆しが見えることに希望をもった講演でした。
そして私もまずは自分のフィールドで「情報編集力」を高めることができるようにしなければ! と意識を新たにした1日でした。