ララの歩み。

愛猫ララのIBDと腎不全の闘病生活や保護した経緯などを書いています。

ララの事。③

2017-06-17 02:17:03 | 日記
ご無沙汰しています。




一昨日はララの5回目の月命日でした。





早いものでララがいなくなってしまった、あの大雪の日からもう5ヶ月経ちました。



ララの最後の1ヶ月の事を書きます。


ララは目が見えなくなってから、1ヶ月で天国へ行ってしまいました。



目が見えなくなったのは、ちょうど去年のクリスマスの1週間前でした。

病院で言われた時はすごくショックだったけど、網膜剥離を患ってから、2年以上頑張って目薬もさせてくれていたし、心のどこかでは

『 万が一目が見えなくなったとしても、命がなくなる訳ではない。 』

と思っていたし、私が今まで以上に気を付けてあげればいいって思っていました。


先生にも

『 補助してあげて。 』


と言われたから、その時に、私さえしっかり支えてあげたら、ララはまだまだたくさん生きていられるって思っていました。






でもそれだけじゃなかった。



それから3週間後に、ララが発作を起こしました。


たまたま私がいた時だったので、すぐ病院に連れて行きました。


急に痙攣して、聴いた事ないような声で鳴きわめいて、本当に焦りました。


慌てて抱っこして、


『 ララちゃん大丈夫だよ 』


って何度も言った気がします。


でも本当は、そういう時は抱っこしたら危ないそうです。


痙攣してると、すごくバタバタ動くから、万が一抱っこしてる腕から落ちたりしたら、危ないから抱っこするより、周りにぶつかったりして危険な物がないか、頭をうったりしないように最大限に気を付けて、動画を撮る事が大事だそうです。



病院に行ったら、ララは酸素室に入れられました。



痙攣と言っても、何が原因かによって対処が変わって来たりするみたいで、
例えば 『 てんかん 』なのかどうかとか……。



もし次に痙攣があったら、動画を撮るように言われました。



次の日の朝にララがお水を飲んでる音で目が覚めて、ララがヒーターの上に行こうとしてるのを見て、安心してまた寝ようとした瞬間にララが痙攣して、慌てて周りの物を全部動かして、動画を撮って、病院に行きました。


先生に動画を見せたら、

これは 『 てんかん 』による痙攣だろうと言われました。


もしかしたら、脳腫瘍から来てるのかも知れないと言われました。


腰が痛そうだったのも、ヘルニアのせいだけじゃなかったのかも知れません。



もしもっと前にわかっていたとしても、ララの病気の事とかを考えると、MRIとか、手術とかはとても難しかったと言われました。私も絶対に考えられなかったと思います。



その日は、抗てんかん薬をもらって帰りました。

抗てんかん薬は何種類かあって、もし効果がなかったり、合わなくても、違う種類の薬を使えばいいし、ララへの副作用もそこまで気にしなくて大丈夫だけど、飲み続けないといけないっていうか、途中で止めるのは良くないって言われました。


そんなに副作用の心配がないなら、飲み続けたら、発作を防ぐ事が出来て、ララはまだまだ生きていられるって思っていました。


でもそれから8日後にララは天国へ行ってしまいました。


最後の3日間は本当に泣いてばかりで、後悔してる事がたくさんあります。



ララがまた痙攣して病院に連れて行って、注射や点滴で落ち着いて、家に連れて帰って、次の日にまた病院に連れて行って、寒い酸素室の中でまた発作を起こして、私は目の前でずっと見ていたのに、鍵がかかってて、手を入れる事も出来ずに、すぐに先生を呼んで来てくれたけど、ララは、酸素室の中で顔をぶつけてしまって、角膜が破れてしまって、目から血が出てしまいました。



ララがかわいそうでたまらなかった。


私は目の前にいたのに、何もしてあげられなかった。


あの時もし酸素室に私の手を入れる事が出来たら、ララの顔に手を当てて、ララのかわいい目を守る事が出来たのに。


病院に行かなければ。


とか、



あんな寒い所に何時間も居させて、本当にかわいそうな事をした



とか、



せめてもっと早く連れて帰ってあげたらとか、



色んな事を考えました。


朝一番に病院に連れて行って、家に帰って来たのは、多分2時前でした。


病院に行く途中でララは、キャリーの中でウンチをして、下痢だったから、お尻がすごく汚れてて、そのまま酸素室に入って、目があんな事になったから、本当に本当にかわいそうでした。



病院でも帰る前に拭いてくれたけど、時間が経ってたしすぐにはとれなくて、早く帰ってからきれいに拭いてあげたかった。



家に着いたら、暖かい部屋で、ふわふわのベッドにカイロを敷いて、毛布を敷いたベッドにララを寝かせて、ホットタオルで、お尻や脚を拭いて、ドライヤーでゆっくり乾かして、ご飯をスプーンで食べさせて、お水をスプーンで飲ませて、出来るだけ抱っこしてっていうのを夜中まで繰り返しました。



涙は止まらなかったけど、ララにたくさんお話しました。


ララが家に来たばかりの頃の事とか色々。


ずっと寝不足が続いていたし、明日からもララをしっかり看病しないとって思っていたから、2~3時間寝て、また起きたらご飯を食べさせようって思って、ちょっと寝てしまいました。

数時間後に目が覚めた時に、隣にいたララは硬くなっていました。



息をしていなくて、少し冷たくなっていました。



私はどうしていいかわからなくなって、何度もララって呼んで、ララの顔を撫でて…



今まで生きて来た中で一番の後悔はその事です。


なんで寝てしまったんだろうって、


ララを一人で旅立たせた事を、どれだけ後悔してもどうにもならないけど…



最後におしっこをしてたから、一番お気に入りのタオルをホットタオルにして、きれいに拭いてあげて、ブラッシングをして、お葬式をして……


あれから5ヶ月です。





あの日は、私が休みの日で、すごい大雪だったけど、無事にお葬式が出来て、不思議なくらいスムーズでした。


悲しいけど、後悔がたくさんたくさんあるけど、きっとララは、私が泣いてばかりいたから、私が寝ている時を選んで天国に行ったんじゃないかと思います。


すごく優しい子だから、私がララの呼吸が止まる瞬間を見たら、すごく悲しむって思ったんじゃないかなって、
ララの最後の優しさかも知れないって思いました。


だから、最後に私にしてあげられるのは、今日中にちゃんとお葬式をしてあげる事だって思いました。



ララの形がなくなるのは、ララを抱きしめる事が出来なくなるのは、辛いけど、ちゃんとお葬式をしてあげないとって、正常でいられなくなってる頭で、それだけは思いました。


冷蔵庫にちょっと寝て、起きたら食べさせようって思ってた、お皿に入ったララのご飯があって、悲しくて悲しくてたまらなかった。

ララは穏やかな顔をしてうっすら目を開けて、横になってるだけのように見えました。

多分、てんかんの薬で昏睡状態になったような状態で旅立ったんじゃないかなと思います。








いつかまた私の所に帰って来てくれるって思って、今はその日を楽しみにしてかわいいララを待っています。





ララの闘病の記事はこれで最後になります。



今まで応援して下さって、本当に本当にありがとうございました。









コメント (2)
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