![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/3f/149d21d01fd14383fe4c07daa382e562.jpg)
長年私の元で頑張ってくれたPCのディスプレイが、昨晩逝ってしまった。
私のワガママな使用にも文句も言わず、常に忠実な色で応えてきてくれた「MITSUBISHI RDF221S」
元々グラフィクの作業のために購入したものだったが、後半は、膨大な量の娘の写真の編集に最も活躍してくれた。
購入当時、まだ15、17インチが支流だった頃の22インチは、ちょっとした自慢でもあった
。
でも薄型液晶が当たり前の現在、30キロほどあるこのオデブちゃんは、もう過去の遺物と呼ばれていた。
確かにテーブルいっぱいをとる体型と、どれだけ冷房をかけても汗が出てくる熱は、あまりにも今風ではなかった。
それでも壊れるまで使い続けると決めていた。
2日前ぐらいから時々、画面が揺れ出した。
そして昨夜、「プ~ン!」という悲しそうな最後の小さい叫びで、真っ暗に。
しばらく、その真っ暗な画面を眺めていた。
「お疲れ様」
多分、これが私にとって最後のCRTだろう。
今後、当たり前のように液晶を使って行くだろう。
でも100パーセント液晶世代の娘の記憶の中に、このバカでかいCRTが、
「パパが使っていた大きなバソコンのテレビ」として残っているかもしれない。
私がいない時、娘が勝手に貼ったシールは剥がさないまま廃棄しよう。
私のワガママな使用にも文句も言わず、常に忠実な色で応えてきてくれた「MITSUBISHI RDF221S」
元々グラフィクの作業のために購入したものだったが、後半は、膨大な量の娘の写真の編集に最も活躍してくれた。
購入当時、まだ15、17インチが支流だった頃の22インチは、ちょっとした自慢でもあった
。
でも薄型液晶が当たり前の現在、30キロほどあるこのオデブちゃんは、もう過去の遺物と呼ばれていた。
確かにテーブルいっぱいをとる体型と、どれだけ冷房をかけても汗が出てくる熱は、あまりにも今風ではなかった。
それでも壊れるまで使い続けると決めていた。
2日前ぐらいから時々、画面が揺れ出した。
そして昨夜、「プ~ン!」という悲しそうな最後の小さい叫びで、真っ暗に。
しばらく、その真っ暗な画面を眺めていた。
「お疲れ様」
多分、これが私にとって最後のCRTだろう。
今後、当たり前のように液晶を使って行くだろう。
でも100パーセント液晶世代の娘の記憶の中に、このバカでかいCRTが、
「パパが使っていた大きなバソコンのテレビ」として残っているかもしれない。
私がいない時、娘が勝手に貼ったシールは剥がさないまま廃棄しよう。