妻と娘とペットが出て行った!

幸せだった。妻も娘も最高の宝物だった。ただそう思っていたのは自惚れ屋の私だけだったかも。さあ、宝を取り戻そう。

きっと同じ番組を観てるだろうな

2007年09月29日 23時36分02秒 | Weblog
何気なくつけたTV。
人気マジシャン、セロの特番をやっていた。
別にそれが目的でつけた訳じゃないけど、いつの間にか入り込んでいた。

さすがにマジシャン・オブ・ザ・イヤーを獲得しただけあって、いつ観ても彼の技は凄い。
ドラマのように下手にストーリーがあるものより、今の私にはこっちの方が気が楽に観れる。

そういえば博多にいた時、よくセロの番組を家族で観たっけ。
「これはマジックじゃないよ。
 タネなんかない。
 セロは絶対人間じゃない。」
なんていい加減な感想を言いながら。

まだ幼稚園児だった娘も、セロのマジック一つ一つに大声で驚きの雄たけびを上げていた。
ただでも大きな目を、いつもの倍ぐらいにして。
でもマジックがどうのこうのより、私と妻が驚く姿に合わせて叫んでいたのだろう。
その派手な娘のアクションが可笑しく、そして幸福感を与えてくれていた。

多分、今日も同じ番組を観ていることだろう。
去年と同じように派手なアクションで、回りに笑いを与えていることだろう。
ただ違うのは、そこに私がいないということ。

娘がいて、妻いて、妻の両親がいて・・・

やっぱり、間違ってる。

体重、やっぱり・・・

2007年09月25日 23時54分14秒 | Weblog
久しぶりに体重計に乗ってみた。
正確な体重を知るのが怖くてずっと乗っていなかったが、最近の体調もあるし、思い切って計ってみた。

58.8kg。
3月、妻たちが出て行った直後、58キロ代になったが、その時は全く食事が出来ない状態だった。
今は一応食べてはいるのだが、全然栄養として体に取り入れられていないんだな。
まぁ、あのメニューじゃしょうがないか。

でもこの身長で58キロじゃ、あまりにもみっともないな。

「最近太ってきたんじゃない?」
そう妻に言われていた頃が、幸福だったことを今頃思い知る。

メタボリック?
ダイエット?
こんなことで悩める日がいつか来るのだろうか。

部屋が広くなる

2007年09月22日 23時58分48秒 | Weblog
ほぼ一部屋を占めるダンボールの山。
半分は妻と娘のもの。

そして妻からメールがあり、その荷物を取りに来ると。
普通の車では、一回、二回では運べない量。
何回でも取りに来るから、荷物を駐車場まで運んでおいてくれとのことだ。
それも時間をかけたくないから、急いでと。

山積みになった中から二人のダンボールを取り出すのも、決して簡単じゃない。
この部屋から駐車場まで運ぶのも、結構大変だ。
まして、ほとんど休みのない状況だし。
でも、「忙しいのはお互いさま」とメールに書かれれば、意地でも運び出したくなる。

その荷物を運び終えたら、この部屋、広くなるぞ。
とうとう思い出と夢が詰まっていた箱が、この部屋から無くなるのか。
ダンボールの次は、何?
そして最後は、何が残っているんだろう?

妻との再会、そして

2007年09月17日 23時53分55秒 | Weblog
近くのファミレスでの待ち合わせ。
時間通りに店に入ったが、まだ妻の姿はない。
10分ほど遅れて妻がやってきたが、席が気に入らなかったのか、私と会話する前に店員を呼んで窓側の席へ移動して行った。
以前の妻ではまず無かった行動。
それとも主導権の主張っていうのは、考えすぎか。

やっと会ったのに、お互い沈黙の状態が続く。
私の方から出て行った理由を尋ねることで口火を切った。
わずかな可能性を確認したくて会った私と、調停委員からの説得で仕方なく会った妻とでは、あきらかに温度差が違いすぎる。
帰ってくる答えは、あっけなく、そして予想以上に冷たかった。

何故突然、そんなに人が変わってしまったのかの質問には、妻曰く、決して突然変わったのではなく、だんだんと今のようになって行ったとのこと。
その変化に気付かなかった私がおかしいらしい。

また「私がこういった質問に、あなたはこう答えた」とか、「あの時、ああ言った」とか、その手の答えがいくつかあった。
しかし、私には全く覚えがないのだ。
でも妻にとっては、とても重要なことだったわけだ。
結果的に、その重さを私は感じ取れなかった。
当時24時間仕事のことだけを考えているような状況だったし、余裕がまったく無かった。
でもそれは言い訳にしかならない。
もっとその時、妻への思いやりを少しでも持てたら、それが後にこんなに大きな問題の一つにならなくてすんだかもしれない。
記憶に無いこととはいえ妻が傷ついたその件には、素直に頭を下げた。

また仕事の失敗も将来への期待を持てなくり、原因の一つになったそうだ。

そして自分がバカだったとも。
業績が悪化し収入がないのに、広い部屋に住み、人並みの生活をしていることに、おかしいと気付くべきだったと。
で、最もバカだと思うのは、親の反対を押し切って私について行ったことだとも。

娘のことも考え、今大切な歳の時、片親になることに対しての質問には、
「いてもしょうがない父親となら、いない方がいい」
とまで言われた。
私の知ってる妻からは、決して想像出来ない言葉だった。
と言うより今まで生きてきて、これほどのことを言われた経験はない。
悲しいとか、怒りとか、そんな感情もわかなった。
ただ、初めて感じる表現出来ない気持ち。
後頭部をハンマーで殴られるという表現って、こんな感じなんだろうか?

他にも私が一生言わないだろうと思うような批判的言葉をあびせられた。
ただそれをここで書き出すと、それによって妻を批判しているという誤解を受けやすいのであえて控えるが、今それを思い出し書いているだけで震えが襲ってくる。

とにかく娘に会わせてくれという要望には、
「いいよ、今ここに呼んで来ても」
という意外な答え。
ただその後に付け加えられた言葉は、
「そのかわり、印鑑持って来て」

妻ではない。
こんなことは絶対言えない人間のはず。
そんな考えなんて絶対浮かばない性格なはず。
意識的に悪者になろうとしているとしか考えられない。

今後の自分の希望を述べたところで、
「借金が無くなっても、事業でどんなに大成功しても、私は絶対あなたのところには戻らない」

その後は何を話したか、覚えていない。
ただ、時間を気にする妻の姿だけが浮かんでくる。
そして、結局どうするのの問いに
「離婚は受けよう。
でも、子供は離さない」
本当は、今回妻の条件を全部受けようという答えも持って行ったのに、とっさに出た言葉はこれだった。
そして私の答えを聞くやいなや、妻は無言で席を立ち外へ出て行った。

しばらくして外に出たが、店に入った時と全く別の世界に入り込んだ感じがした。
回りの音が聞こえない。
まるで真空状態にいるような・・・

電話した友人が心配して迎えにきてくれた。
そして、アルコール。
あまり飲めない私でさえ、酒という方法しか残ってなかった。

これから先・・・?
何にも浮かんでこない。

体は正直

2007年09月14日 23時48分09秒 | Weblog
「病気なんて気力で治る」

これが通用するのも若いうちだけ。
ここ最近、明らかに体調が悪化しているのがわかる。
日替わりで体のあっちこっちに痛みを感じる。

考えてみればこの半年、精神的には当然、体にとっても過酷な毎日を送って来たわけだし、そろそろその影響が出て来てもおかしくない。
特にこっちに引越ししてきてからの4ヶ月、一日たりとゆっくり出来た日がなかったような気がする。
ハードワーク、睡眠不足、不規則な食事・・・

食事なんて栄養が片寄っているなんて言う次元ではない。
ただ空腹感を克服するために、仕方なく腹に入れているようなもの。
突然一人になった男が作れるメニューなんて知れてるし、かと言って毎日外食する贅沢は、今の私には許されない。

「美味しい食事」なんて、もうどのくらい経験していないだろう?
毎日当たり前のように食べていた妻の料理、今思うと何と幸せだったことか。
仕事で帰りが遅くなっての一人の夕食も、甘えてくる娘を又に挟むようにして食べていたっけ。
美味しかったな。
たかが半年なのに、もっと遠い日のような記憶がする。

来月会社で健康診断が予定されている。
出来ることなら受けたくない。
絶対、何か引っかかるような気がするから。
今、病気なんかで動きを止めるわけにもいかないし。

精神的だけではなく、本当に心身ボロボロへの前兆なのかな、この痛み。

4回目の調停を終えて

2007年09月13日 23時59分22秒 | 調停
4回目の調停で、やっと少しだけ進展があった。

近いうちに、妻と二人で話しが出来そうだ。
そしてその時の結果を持って、次回の調停(最後になるらしい)で話合う流れらしい。
相当、調停委員もがんばって説得してくれたようだ。

でも、やはり今一番に妻に「ありがとう」だろう。
会うことも、連絡一つさえ頑なに拒否して来た妻が、二人きりで会うを決心してくれたんだから。
私には想像出来ないくらい思い切った行動だったかもしれないし。

今はただ妻の決断に、素直に感謝したい。

コメントへのお礼

2007年09月09日 23時52分34秒 | Weblog
私にとってつらい質問、きついコメントが続くと、さすがに眠れない時があります。
ただそういう意見は、妻もそう思っているのでは、という気持ちで、また自分では気付かなかった反省材料として、取り入れるようにしてます。
でもやっぱり人間ってそんなに強くないですよね。
少なくても私の場合は。

そんな時、私をフォローしてくれるコメントが入ると、正直言って救われます。
「同類のキズの舐めあい」と以前書かれたこともありましたが、何回も止めかけようとしたこのブログを、もうちょっと頑張ってみようと勇気付けてくれたのは事実です。

例えば、熟年さんが以前書いて頂いた「自身が経営者であった者が一サラリーマンとして再出発する事がどれだけ難しい事か・・・」
今の会社に入り最初にぶつかった問題でした。
ただ現実そんなこと言ってる場合ではないし、無駄なプライドはマイナス以外何物でもないといい聞かせやってました。
この場に及んでまだそんなことを思う自分に渇を入れて。
ブログを始めた頃だったら、間違いなくその辛さを書いていたでしょう。
そして「そんなの当然だ」というお叱りが来てたことでしょう。
でもそれに気づいてる人もいる事実を知った時は、ちょっと救われました。

また最近の石白さん、ぶーむさん、台風ですねさんやあやさんのようなコメントは、ここ一週間、ちょっと辛い日々が続いていたため本当に胸にしみました。

でも誤解してほしくないのは、決してフォローしてくれてるコメントのみを受け入れているわけではありません。
言葉の使い方、表現方法は十人十色、性格、環境他いろいろな理由で違ってくるでしょう。
一見対称的なコメントでも、突き詰めてみたら同じ意味のアドバイスだったということも何度もあります。
厳しいコメントの中にもとても参考になる意見や、逆に発奮させてくれることも少なくはないです。
精神的に参っている時は、それに気付くのにちょっと時間がかかったりしますが。
言葉の裏に隠れてる意味、何とか探しだそうとしてます。

それに決して楽しくもないこんなブログにわざわざ訪問してくれる方は、同じような経験をされたり現在進行中の方が少なくないようですね。
それゆえに、コメントの一つ一つが重みがあり説得力があります。
もしかしたら、思い出したくない記憶からほじくり出して書いて頂いてるかもしれません。

本当にありがたいです。
本当に感謝してます。
その気持ちに少しでもこたえられるような結果をだそうと頑張っているのですが・・・

7ヶ月目を迎えて

2007年09月04日 23時51分51秒 | Weblog
とうとう7ヶ月目を迎えた。

まさか半年以上も何の進展もなしにくるとは思っていなかった。
調停が入ってからは、何らかの動きが出てくると予想していたのだが。

調停委員の言うことは、すべて守ってきた。
「連絡しないこと」
「会いに行かないこと」
 他・・・
 
そのかわり、調停委員の方から妻へ提案するからという条件で。それをただ信じ、待ち続ける日々。
でも今だ一度もなし。

そして調停。
そこで何のアクションもないことを告げると、また新たな提案。
それを次の調停まで、馬鹿みたいに期待して待っている。
結局いつもと同じ結果。
そして、また調停。

もういい加減にしてくれ。
そんな繰り返しに慣れるどころか、最近また以前のように、突然気が狂いそうな寂しさに襲われることが増えてきた。
人間、やっぱり限界ってあるようだ。

4回目の調停まであと一週間。
今度の調停に何を期待しろって言うんだ?

取材依頼

2007年09月02日 23時59分20秒 | Weblog
某TV局から取材依頼が入った。
ある番組のブログを取り上げるコーナーで使いたいとのこと。
以前にも名前も聞いたことのない出版会社から話しをしたいというメールが入っ
たことがあるが、今回は収録日から内容まで具体的に提示しての連絡だった。
それに状況によっては、番組内で実際トークもしてもらいたいと。

もちろん丁寧にお断りした。
そもそもこのブログ、そういうところで取り上げてもらう趣旨じゃないし。
希望通りハッピーエンドで完結でもしたら、考えられないこともないけど、何の進展もなく、というより明日何があるかもわからないこの状態で・・・
今、メディアで取り上げられて、妻の感情を逆撫でするだけだしね。

それにしても何十万もあると言われているブログの中から、こんなブログを選んでくれたことは、驚きと、ちょっと感謝。
いつ、どこで、誰がみてるか、それを忘れないで気を引き締めないと。
ブログの凄さと、怖さをあらてめて知った。