西行つながりでもう一首。
ふりつみし たかねのみゆき とけにけり きよたきかはの みつのしらなみ
(降り積みし 高嶺の深雪 とけにけり 清滝川の 水の白波)
降り積もった高嶺の深い雪が解けたのだ。雪解け水が流れ込む清滝川は、水量が増して、ごうごうと音を立てて流れ、激しく白い波が躍っている。
上句に想像した物事を述べた後、下句でその想像をもたらした光景が示される。
これは春の歌。清滝川は、蛙と兎が相撲を取っている絵巻「鳥獣戯画図」を所蔵していた寺として有名な高山寺や、紅葉で有名な神護寺などがある京都市の北の方、高雄の地を流れる川で、川下りが名物でもある保津川に流れ込む支流。なので、山岳部を流れる、かなり激流としてイメージが、今も昔も定着していたと思う。
遠くに見える峻厳な山々に降った深い雪が、春になって、清滝川という美しく瑞々しさを感じさせる名の川の水となって、真白な波を形づくる。
全体を白のイメージが保ちながら、雪、水、波、と形を変えてゆく。そのすべてに、太陽の反射がきらきらと輝く。
このような世界は、飽きもせず、やはり美しいと思ってしまう。
いはねこす きよたきかはの はやけれは なみおりかくる きしのやまふき
(岩根越す 清滝川の 速ければ 波折り懸くる 岸の山吹)
大きな岩盤がごろごろしている。その岩を勢いよく越すように流れる清滝川の流れは、激しく、そしてとても速い。その水の勢いは、白く強い波を立て、繰り返し川岸にたたきつける。その波は繰り返しかかり、川岸に咲く、萌黄色の葉の間に鮮やかな黄金色をした山吹の花の枝を折るばかりに掛かっている。
先の歌の白一色から、こちらは黄緑と山吹色が加わる。
こちらの歌の作者は院政期の歌人、源国信(くにざね)。道長の曾孫であり、近い血縁者にあたる堀河天皇の近臣として仕えた。堀河天皇の歌壇は、それまでの和歌が公的な儀式での催しが重視されていたのに対し、文芸性を追及し、和歌史の上で、大きな画期の一つとして位置付けられる。その歌壇で催された、いわゆる堀河百首は、そののち江戸時代まで受け継がれる、題詠という題によって創作する和歌の詠法スタイルと、具体的な題の典型を成したものとして有名。国信も、歌人としてその堀河百首に参加しているが、身分が高いこともあって、歌壇での位置としては、歌人というより、もっぱらマネージメントの方に比重がある人物。
そしてこの歌もその堀河百首での一首。色と清々しさ、眼前に現われるかのような光景の描写。シンプルだけれど、これもまた美しい。
滝といい、清流といい、夏はどうしても、涼しさを求めて、水に関するもので、細く白い姿のものに心ひかれる。
手を変え品を変え、古典和歌にも滝と川波が繰り返し詠まれるのは、ほんとうによく分かる。そして、日本が古来、水の豊富な国土であることに、あらためて気づく。
清滝川を含め、和歌に詠まれる有名な川でなくても、現代の自分が住む近所の川辺でもいい。その水面に絶えず描きかわる波を見つめる姿は、その場で昔の誰かがしていた姿と、時空を越えて重なるように思う。