☆燕京備忘録☆

-ダイバーさんの北京マイナー日記-

冬の北京 その3(陶主公館)

2009年01月04日 23時47分30秒 | 飲食
本日は一日歩き回りお腹は十分空きました。来訪者も北京二日目、そして最後の夕食ですので、ちょっとリッチに行くことにしました。今回も中華料理です。マンション近くの広東料理店「陶主公館」へ。お金儲けの神様と言われる(^^;、邱永漢(きゅえいかん)氏の経営するマンションの中にあり、経営は一緒です。

今回はフカヒレやアワビといった海鮮の王者のコースにしました。一人前少ないコースにして、いくつかこの店のお勧めを追加オーダーをしました。普段来るときはお勧めを中心として食べますが、いつも美味しく頂いています。そのお店ですから、コースも期待です。


前菜のカボチャの蒸し物です。


フカヒレスープ

フカヒレスープは量もたっぷりです。普段食べるフカヒレがわずかに入ったスープと違って、フカヒレが太く、スプーンに盛り上がります\(^o^)/


干しアワビの戻し

干しアワビは前日にコースを予約しておいたので、キチンと戻されています。生のアワビと違って濃厚な歯ごたえです。有る程度ブロックで食べて、次に薄く切ってソースと絡めて頂きました。ちょっとセコい食べ方ですが、普段食べないですしねぇ(^^;


角煮

紅焼した角煮も途中で出る温かい前菜(^^;とのことでした。ここのお勧めの一つでもあり美味しいです。 そろそろお腹が一杯に....


牛タンの煮込み

追加した牛タンの煮込み。これもお勧めの一つで美味しいのですが、上の角煮と味が被ってしまいました。会社近くの日式料理店でも牛タン定食があって味は悪くないんですが、日本の定食の二倍くらい肉が出るので、途中で味に飽きていつも残さざるを得なくなります。ちょっともったいないですね。


ツバメの巣

コースのデザートのツバメの巣は、温かいミルク風味です。巣の海草自体には味がないですが、高級食材として中国でも大変高価です。



私はここの名物の一つ、マンゴープリンを頂きました。ここのマンゴープリンは私のB級グルメ感覚によく合い(^^; 、いくらでも入ります。来訪者が味見して、ツバメの巣より美味しい、と言いました。でもそちらのツバメの巣のお値段で一体何杯食べられると.....(^^;

すっかり満腹/満足した夜でした。

冬の北京 その2(頤和園、円明園、鳥の巣)

2009年01月04日 21時00分02秒 | 生活

鳥の巣 国家体育場

昨日はたっぷり夕食を取りましたので、今日は朝早くから観光開始です。
気温は最低が▲7度程度と、やや暖かめです(^^; 車手配済みなので観光名所の間の移動は楽ですが、今日の観光場所は歩き中心な場所なのです( ̄ー ̄)ニヤリッ

場内へ入れます

さっそく車で鳥の巣へ。駐車場から近い南の入り口へ行ったら、人々が諦めたそぶりで引き返してきます。もしかして入場できないのか?と思いました。掲示を読むと、昨年末から南側の入り口を閉鎖しただけでした。しかし、北側までぐるっと歩かされますので、面倒な人は諦めたようです。当然、はるばる来た我々は、北側まで10万人収容の競技場外周を歩きました(^^;


徐々にお日様が入ってきます



トラック部分で踊るマスコットキャラ達

一人50元もする入場料を払って入ります。中から見ると、やはり大きさが実感できます。結構人が入っています。五輪キャラの被り物は、かなり薄汚れていましたが、人民の皆様は楽しげに写真を撮っておりました。こちらも来訪者の写真を撮っていたら、大家族に何度もお願いされてしまいました。

でもここもオリンピックが終わってから殆ど「競技場」としては使用されていないそうなので、維持費とかが大変でしょうね。他の競技場も取り壊してショッピングモールへ転換、という話も聞きますし、「巨費を投じるオリンピック施設は国民のその後のスポーツ振興のためにも」という話はどこへ行ってしまったんでしょうか(^^; 出口は公式グッズショップを抜ける形になります。「2008」北京オリンピックグッズを大量に販売していますが、IOCから五輪マークの使用を許されたのは3月までのはず(伝聞)なので、その後の在庫はどうするんでしょうか。人ごとながら気になります(^^;


頤和園入り口

続いて本日のメインの「頤和園」へ。

(閑話休題、歴史好きの駄文ご容赦)
頤和園は北京北西部にあるかつての夏の離宮です。最初の庭園は、1860年に英仏連合軍により焼き討ちされてしまいました。その修復にかの西太后が膨大な海軍軍費を流用したことが、日清戦争で清国の北洋艦隊が日本の連合艦隊に敗れた原因の一つと言われています。しかし、日清戦争時の清の北洋艦隊には既に「鎮遠」と「定遠」という大型戦艦が配備されていました。これに対して、まだ黎明期の日本海軍には戦艦と呼べるような物はなく、巡洋艦と駆逐艦主体の艦隊編成でしたから、正直、清が負けたのはハードの予算削減ではなく、運用や士気に問題あったのではと思います。まあ、拷問好きのおばはんの遊興のために軍事予算減らされて、軍人さんの士気が上がるわけ無いですよねぇ(^^;

この会戦を唄った「水兵の歌」(1895年発表)にも、三浦虎次郎三等水兵が「鎮遠」の砲弾で重傷を負いつつも「まだ沈まずや「定遠」は」と負傷を顧みずこの二隻の戦艦と戦況を気にしています。(で、その後ガクリとなる訳ですが)それ自体はまあいいのですが、このあたりから戦争を美化する歌が続々と作られていき戦前の軍国主義が醸成されていくわけで、明治天皇もいくつも戦争を美化した(としかいいようのない)歌を詠んでおられます。こんな事、敬語調だろうと書いたら昔なら不敬罪ですが、いい時代になったものです(^^;

(本題)
さて、世界遺産の頤和園です。入場代は通し券で50元。故宮は冬は料金が下がるのに、こちらは下がりません。納得できません。でも入ります(^^; こうして値段を下げなくても観光客は入るわけですね(^^;

面積の殆どを占める「崑明湖」の湖面は殆ど凍結しています。夏なら湖面を渡し船で移動できるので、
↓↑→
のように一筆書きの片道移動で回れるのですが、冬は全て歩きとなるので
↓↑↓↑←→
のように行って戻ってと二倍歩くことになります。分かりずらいですが、そういう事です(^^;


仁寿殿入り口の仁寿門

光緒帝や西太后のかつての執務室の仁寿殿です。(本殿はまあ小さいです)
ここから南へ数百m下っていきます。


知春亭の側の渡し船

「知春亭」は春になるとここから氷が溶けるので「春を知る」というとか。
風流ですねぇ(^^; 確かにこの近くはまだ凍結していませんので暖かい地点なのかもしれません。


南湖と17孔橋。凍結面には流氷のような紋様が。

湖の南側にある小島に掛かる、蘆溝橋を模した橋です。確かに17個穴が見えます。本家と同様に欄干には何百という(544匹とか)の獅子像が有ります。数えられません(^^;


橋上

殆ど同じにしか見えません(^^;

銅の牛

1755年鋳造の銅の牛。古代の「禹(う)」が治水工事の時に鉄の牛を水に沈めた故事にちなんだと背中に書いてあります。無論、説明文を読んだだけです(^^; 連合軍がよくこんな銅製品を見逃したと思いますが、レプリカかも。

夏ならここから渡し船で湖を斜めに遡って渡れますが、凍結しているので来た道を引き返します。途中、寒さに耐えきれず、茶店でカフェラテと暖房で暖まります。


茶店前から

舞台の裏側


徳和園(大劇楼)

西太后がここで京劇を見るためにわざわざ造らせたとか。ここに展示してある西太后の人力車はどれも日本製です。日清戦争はともかく、商業での交流はやはりあったようです。


長廊


欄間に描かれた西遊記の1シーン(三蔵法師や孫悟空が見えます)

700m以上の回廊です。直線部と屈曲部で構成されていて、直線で700m続く訳ではありません。でも結構長い直線での奥行きがあります。乾隆帝が母親が雨でも崑明湖を見られるように、と作ったそうで、孝行息子だったんですねぇ。欄間に三国志、孫悟空や水滸伝等、様々な物語の場面が描かれています。


佛香閣

崑明湖を掘った土で造った万寿山にそびえる仏塔です。これが本殿になります。

なぜか京都を思い出す階段

階段を延々と登ります。見た目は何となくチベットのボタラ宮を彷彿とさせます。でも、何故か京都の鳥居の連続するお宮を思い出しました。私はそれほどキツイとは思いませんが、来訪者は手すりに掴まりっぱなしでした(^^; しかし、これを登らずに「頤和園を見た」とは言わせません。途中でもう勘弁という来訪者を叱咤激励(^^;し、トップまで登りました。


途中の石段

途中から見える景色。まだ前の建物が邪魔です。


宝雲閣

途中にある、高さ7.5mの銅でできたお堂です。1890年の八カ国連合軍に扉まで略奪されたとのこと.... 最後の机を持ち出したのは日中戦争時の日本軍だとありますが、本当でしょうか(^^;


正しく「西湖」

上から「西湖」(正式には「崑明湖」)を見下ろします。
杭州の西湖を模して作ったというだけあって、確かにそう見えます。
やはりここへ登らないと、頤和園へ来た意味がありません。来訪者も景色に満足そうです。


聴?館

13時になりましたので、お昼にしました。10時半に入って、既に二時間以上が経過しました。お昼も入れると、全体で、やはり4時間近くはかかりそうです。お昼は、佛香閣近くの宮廷料理の名店「聴?館飯荘」へ。ガイドブックによれば、「乾隆帝の時に母親の誕生日を祝うために建設され、今は宮廷料理のレストラン。北海公園内の「?膳」と並び正統派宮廷料理を提供する所として知られている」そうです。長廊もそうですが、ここまで母親のためにお金を使うとは、名君と言われる乾隆帝も、単なるマザコンだったのでは、と思いたくなります(^^;

台湾の故宮博物院も何回か行きましたが、歴史的な文物に鑑賞した証として皇帝の印がベタベタと押印されており、乾隆帝の印もよく見かけました。顕示欲も強かったのか、と勘ぐりたくなります。こっそりと孝行や鑑賞すればいいのにねぇ。(おかげで、昔はあの印章は、皇帝自身が書いた証だと勘違いしていたのです..)まあ、彼のおかげで今の我々がこうしたいい景色を観光できるわけですが(^^;

さて、最初は単品メニューが無くコースのみとのことだったので入るのをやめようとしましたが、コースメニューは108元と、「?膳」と比べると目を疑うお値段でしたので、食事することにしました。しかし、いくら比較して安いと言ってもそれは日本人的感覚なので、先客は広い店内にわずか一組。しっかり日本人ご夫婦でした(^^; 時々、窓の外から人が店内を覗き込んでは戻っていきます。ディナーでは、中庭に面した舞台で京劇を鑑賞できるそうです。


全体。食べきる前にどんどんと...(^^;

全体に、雰囲気、料理共に、「?膳」 の方が勝っていますが、キチンとしたいいお味でした。料理が次々と出てきたのでてっきり用意済みかと思ったら、ちゃんと熱々でした。同行者も思いがけず宮廷料理を食せてご満悦でした。


宮廷菓子

あんまん

肉そぼろを入れて食す中華パン。パンの中身をえぐり取るのがコツです。

エビの炒め物

餡掛け豆腐


石舫(清晏舫)(せきほう(せいあんぼう))

「絶対に沈まない船」転じて「絶対に覆らない王朝」を象徴する石造りの船型建築です。当然動きません。写真撮影スポットと化しています。ここがほぼ観光の西端で、来た道をまた戻り、外に出ます。


円明園 西洋楼閣跡

次は円明園。ベルサイユ宮殿を模して建造された西洋式庭園や噴水で有名な庭園です。やはりこちらも1860年に英仏、1890年に八カ国連合軍(日本軍も含みます)に焼き討ちされ、未だにほとんどがそのままになっています。全部見ると一日仕事なので、「西洋楼閣跡」と「大噴水跡」だけ見ることにします。

入場料は10元。大東門から入って徒歩5分で更に15元が掛かる両遺構のエリアに入ります。



要は柱が無くなって、上のアーチ部分を立ててある状態ですね。

フランス式大噴水跡

この逆台形な噴水台の高さは5m以上あります。草むしているのが哀れです。どちらの遺構も、言葉を失う位、物の見事に破壊されています。作りからしても、かつては相当に美しい庭園であったことが偲ばれます。100年ちょっと前の話なのに、確かにギリシアの遺跡を見に来たみたいです(^^;

最後にパンダを見に北京動物園に行くつもりでしたが、同行者がさすがに疲れたというので、次回(^^;に取っておくことにしました。確かに、結構詰まった観光プランでしたからねぇ。帰って、足マッサージに行ってから夕食にします。夕食は別エントリで綴ります。