道徳心では、友達を作れない。
それどころか『道徳』なんてものを押し出したら人は逃げて行く。
道徳というのは戒律みたいなものです。
戒律によって律された心が道徳心。
人と人とを隔てるものです。
人の気持ちを思いやりましょうとか、
いろんなことを考えさせるのはいいですよ。
だけど、友達作りはそうじゃないのね。
本当の思いやりの心は精神に目覚めることによってしか起こらないんです。
精神に目覚めるとは、
この世界とは仮の姿であって、
人間は精神そのものであって、
人間の本当の価値は精神の方にあるということを認めることなんです。
自分の精神が認められれば、
空間を隔てた反対側にいると見える他人のことを友達だと感じられる。
自分も相手も同じ精神だということが理解できるから。
愛情も同じです。
自分の精神を認められるから相手も認められる。
道徳にはいうのはそういう視点がないのね。
道徳心は確かに世界に秩序をもたらします。
秩序のない世界は猛獣の世界みたいになりますから。
確かに規制は必要。
つまり規制するもんなんですね、道徳っていうのは。
すごく規制された世界からは争いごとが起こらなくなっているかもしれません。
だけど。
人間はそうなった空間には生きられないんだよ。
そこにいるのは…人の形をした…なんなんでしょうね。
道徳とは戒律。
精神が目覚めたときには必要がなくなるもの。
人間が本当に意味のある人生を過ごすには精神の目覚めしかないんです。
友達って何なんでしょう。
いろんな友達があると思うんだけど、
大人にとっての友達っていうのはね、
励まし合うものであって、
助け合うもの。
なので好きなことが違う同士でもそれはできるし、
逆に同じようなものが好きな人たち同士が集まってもできるし、条件は縁だけ。
人が集まって、
励まし合って、
助け合っている。
そういうのが友達づきあいってもんですよね。
そうでしょう?
だから道徳の中にはないの。
友達っていうのは、
精神と精神の結びつき。