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人間を越え、覚りに到達する人のブログ

解脱の真実

解脱。

悟りを開くとも言います。

神の国に帰る、と言ってもいいでしょう。

お釈迦様の教えになぞらえて言えば輪廻の輪の外に出るということです。

そこに繋がる道を教えるのが、いわゆる「宗教」の教えのはずですが大半の教団はそこから逸脱しています。

解脱につながる道とは、自分の知る世界の外への道のことです。

中山みきが教えようとした『道』も本当はこれだったのです。

経験の外側に行くということ。

知覚できる世界の外側を認識し、究極的には実体の世界につながること。

わかりますか。

私たちは同じことを繰り返して生きています。

この世の設定によって時間が流れているように感じるので、同じことだとは認識しづらいですが同じことをしています。

『同じ型』だと考えればわかりやすいかも知れません。

例えば何かを見落とすとき。

同じパターンになっていませんか。

前にも同じことがあったと感じる、アレです。

自分の内側を観察するとそれに気がつきます。

なぜそうなるのか。

深層心理でそうなっているからです。

表層心理はそれを把握できません。

『心地よい』と『不快』は、感情が動くという点においてつながってる。

というか同じです。

そこに心理のトリックがあります。

好きと嫌いが感情の同じエリアに属していてその反対は無関心だとよく言われるようなこと同じです。

脳の働きがそうなっているのです。

これは私たちの身体にセットされた設定のひとつで学びを得るためのものです。

繰り返しの輪の中に身を置き、危ないと思うことからは遠ざかるようにし、群れの中で認められる行動を反復する。

そうした「この世界での生存」に適合した仕組みと組み合わせられています。

ですので人の経験は同じことの繰り返しになるわけです。

その意味においては、原始人も私たちも同じです。

異なる点といえば文明の発達により身体の環境が劇的に改善され、人と人がネットワークで結ばれるようになったということに集約されます。

現代においては目覚める人は増えているでしょう。

自分の内側に意識を向け、身体によらない視点を開く環境が整えられてきているからです。

逆に。

テクノロジーは人を効率良く奴隷状態に置くことを可能にもしました。

ですから自分の内側を観て自覚的に生きる方向に向かえないと見えない鎖に捕まります。

解脱の第一歩とはこの事実に気がつくということ。

そして経験の外側に出ようと意識することになります。

身体の自分を越えるという意思を持つこと。

それはつまりこの世界は仮想現実に過ぎず、実体は精神だと気がつくということ。

身体に意識が入り込んでいるのではありません。

人は精神そのもの。

精神の中にすべてがある。

この世界も。

自分と思える肉体も。

五感によって知覚できる世界すべて。

移り変わり、ただひとときも止まってはいない世界。

閉じた精神はその設定も正しく認識することは困難です。

そしてその経験の究極の外側には時空はありません。

それがこの宇宙も越えた実体の世界。

そこには時間の流れも空間もない。

どんな世界なんでしょうね。

仮の苦しみや楽しみが繰り返される輪廻の中にいた方が気が楽だと。

大半の人は思うのかも知れません。

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