高崎北ライオンズクラブログ

メンバーのエッセイやクラブの活動や連絡などを掲載していきます。

「ライオンズクラブ」 L.南

2005-08-23 18:34:51 | リレーエッセイ
「ライオンズクラブ」 L.南貞芳  (会報No.79掲載)

ライオンズクラブは、アメリカ合衆国シカゴ市で生まれ当時保険代利点を経営の

メルビン・ジョーンズにより実業団体の有志に呼びかけ、一九一七年にホテル、

ラサールにおいて約二十名の代表者で初めての会合が行われたと言います。

そしてカナダ・オンタリオのウイザー市にアメリカ合衆国意外に第一番目の

クラブが結成されました。以来五十年余り時代を経て、今は大規模な国際クラブ団体として

大きな発展を遂げてまいりました。

日本のライオンズクラブは、一九五二年に初めて東京に誕生しました。

当時対日感情も険悪だった、フィリピンのマニラクラブに寄りスポンサーされ

東京に一番目のクラブが生まれました。

それから現在までに、日本では三、四二二クラブ一二九、八七〇人のクラブ員と

成っておりますが、クラブメンバーも減少してきておりますが、クラブ員の

努力で将来に向けて明るい兆しも見えて来る事を信じております。

私は、昭和五十七年にライオンズクラブへ入会致しましたが、家業である印刷業で

若干活動も出来なかった時期でもありました。

入会後は、群馬町出身の山村暮鳥の第二の故郷と言われる程に暮鳥の愛した地の

大洗ライオンズクラブと姉妹提携が行われました。

群馬町も続いて町同士がしまい提携を結びました。

以来大洗ライオンズクラブとは、毎年のように友好の例会が行われ、

お互いに地域の雰囲気を分かち合いながら親善が深められたのでは無いかと思っております。

当クラブもその当時より環境面の暮鳥公園の清掃や少年野球、はるな郷の一日里親など

アクティビティーを行ってまいりました。

一日里親では寮生も大変楽しみにしていて、来年もまたと云いながら、

短い時間ではあったけれど楽しい思い出が残っております。

残念ながら昨年より取りやめになりましたが、これも時代の流れです。

二十九年も続いた香料も顧みれば当時の寮生も、おじいちゃんやおばあちゃんになっていると

思います。今も元気かな、もう居ないかな、どうして居るかなと、ふと思う事もあります。

我がクラブも三十周年を迎えた現在、時代とともに変化しております。

今は、物質も豊かになり、コンピューター時代となり目まぐるしい時代です。

あまりに物があふれ、町中がゴミだらけに成るのではと懸念されます。

車で走っても散歩をしても、空き缶や生ゴミなど散らばり見るに見かねます。

これからは、事前破壊を防ぎ、地域の美観を損ねない様にみんなで考えて

無責任にゴミを出さない、いらない物は買わないと云うことでしょうか!!

以上シニアクラブ会員として続く限りの奉仕の精神をモットーに頑張ります。

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