随想録とメモランダム

温泉と旅行と漫画とアニメが大好きなフェミニストが、日々とりとめもなく思うことを書き連ねるブログです。

生存報告

2005年04月26日 | 日記
◆JR福知山線脱線衝突事故◆

知人・友人の方々へ

私は無事です。
私も家族も上記の事故には遭遇しませんでした。

だけど多くの方が亡くなられ、負傷したことにかわりはありません。
ここに犠牲者の方々へ心から哀悼の意を表します。

今はこの件に関してはこれ以上書けません。辛くて涙が出そうですから。

それは余りにも残酷な映像で

2004年11月03日 | 日記
イラク人質問題。

香田さん殺害のビデオをウェブに掲載=ザルカウィ幹部組織 (時事通信) - goo ニュース

見るんじゃなかった。見るんじゃなかった。
あんなにもおぞましく凄惨な光景がそうそうあるものか。

その日、何時間も下痢が続いていたので私は私にしては珍しく早めに起きた。
PCを使おうと兄の部屋に行くと兄のベッドの上に縫いぐるみが置いてあったので一瞬驚いた。
PCは既に兄が使っていた。
兄は、香田さんの生首切断映像がネットにUPされていると言って、再生した。
とてもじゃないがまともに見れなかった。
音声だけでもぞっとした。
香田さんはうなだれていた。悲鳴は無かった。
テロリストは何度も「アッラーアクバル」と唱えながら香田さんの首を切断し、その首をアメリカ星条旗の上に乗せた。
彼らは歌ってた。狂ってる、と私は思った。とても怖くておぞましかった。
私は気分が悪くなってその場にうずくまった。
喉元から胃腸にかけて妙な感じがした。
私は身体の不快感が収まるまでうずくまり、そして部屋に戻ってベッドの中に入った。

再び起きてから両親とドライブに行くことにした。
私はあの映像と音声の記憶から逃げたかった。
気分転換を必要としていた。
カーラジオからはアメリカ大統領選の開票速報が流れる。
「こんなの、夜になればはっきりわかるよ。別に今聞く必要ないよ」
と私は言った。
(どうせ結果を嫌でも思い知らされることになるんだからさ)
そう思った。同時に心から祈りたくなった。
この日がアメリカの民主主義のお葬式ではなく、アメリカの希望と再生の日になりますように。
もうこれ以上イラクの人人が米軍・英国軍に蹂躙されることない方向へ行きますように。
(だけどケリーにそれが出来るのかな?ブッシュは論外だけど)
思わず一抹の不安が胸をよぎった。

伊賀をドライブしながらそこかしこに咲くコスモスや菊の花を見て、
「ああ、もう香田さんは花を見ることも田園風景を見ることもないんだな」と思うと胸が痛んだ。
今、私の目の前には美しい風景が広がっているというのに、私の脳裏からまだあの凄惨な光景は消えそうになかった。

途中、三重県のBOOK OFFで古本を買った。
買ったのは、本宮ひろ志氏の「国が燃える 1 (1)
一巻
と「国が燃える 2 (2)」と「国が燃える 3 (3)」と「国が燃える 5 (5)」である。
実は私が本宮の漫画を買うのはこれが生まれて初めてだ。
というのも、この漫画はなんと南京大虐殺を描いたというだけで、アホ右翼の圧力によって休載にまで追い込まれた作品だからだ。
参照→ 【提案】本宮ひろ志『国が燃える』に「グッジョブ!」を

南京大虐殺を描いた回の漫画はネットで無断転載されていたので(これ
見たことはあるのだが、単行本の方はまだ読んでなかったので、私はどんな漫画なのかちゃんと読んで確かめたかった。

他にも「刀神妖緋伝 1 (1)」、「刀神妖緋伝 2 (2)」、
2巻
刀神妖緋伝 3 (3)」、「刀神妖緋伝 4 (4)」、
そして漫画版の「ナジカ電撃作戦 1 (1)」を好奇心で買ってみた。
一冊あたり105円で売られていたからだ。


それから道の駅あやまでお茶を飲んで一息ついてから、伊賀の里モクモク手づくりファームに行き、
野天もくもくの湯という温泉に入った。
ナトリウム塩化物泉で、舐めるとしょっぱい味がする。
露天風呂も3種類あり、その一つは源泉で人肌と同じぐらいの温度で何十分入っていてものぼせず、リラックスできていい。
石段を上ると、その日はりんご湯をやっていた。
そこでは源泉よりもやや水温は高めであるが、林檎の甘い香りが何とも言えず、いい気持ちにしてくれる。
さらに石段を登ると、一番上のところに岩風呂がある。

温泉から出た後、私達は農村料理の店もくもくで美味しいヒレカツ定食などを食べた。
また、三種類のビールを少しずつ飲み比べてみた。
やはりピルスナーは美味しい。


私はなぜか疲れていて、帰宅してから寝間着に着替えぬままベッドに入り、
「国が燃える」と「ナジカ電撃作戦」を読んだ。
ナジカ

「国が燃える」は本宮作品の中では一番まともな作品に思えた。
作風が変わったように思える。
ダブル主人公とは本宮漫画にしては珍しいのではなかろうか。
しかも主人公の一人は小作人の息子として生まれた高級官僚で、心優しい人間なのだ。

私ははっきり言って本宮ひろ志の漫画は昔から嫌いだった。
なぜなら主人公はいつもさかってばかりの暴力的な男で、犯罪者と言っても過言でもないようなキャラばかりだったからだ。
ところが驚くべきことにまともな人間が主人公の一人になっているのだ。
そして女性像も変化したように思う。
従来の本宮漫画の女性像は、はっきり言って男にとって都合がいいだけの性的オブジェにしか見えなかった。
だが「国が燃える」に出てくるヒロイン、翔子は男に流されて生きるような女ではない。
また、明花という中国人女性もとても強い心の持ち主で、はっきり自己主張する人間として描かれている。
一体いつの間に本宮ひろ志はこんなに進歩したのだろうか?
私は本宮が進歩することなどないだろうと思っていたのに。
勿論この「国が燃える」に対してもいろいろと言いたいことはあるが、まあ、いい。
古本とはいえ、買って読んでもいいぐらいの出来ではある。

そんなことを考えながら漫画を読んでるうちに私はうとうとと眠たくなってしまった。
そして、いつも見ているアニメも見る気にはなれなかった。

ここからの再出発

2004年10月26日 | 日記
私は以前、日記サイトを持っていた。
自分が日々思うこと、感じたことを表現したかった。
遠方にいる知人や友人、大切な人たちに
「私は元気だよ。こんな風に暮らしているよ」と伝えられたらそれで良かった。
ひっそりと、細々と続けていけたらそれで充分だった。
だけどネットは無慈悲。そうはいかなかった。
あるブログが原因でネット被害を受けるようになった。
気持ち悪いやり方だった。
「祭り」状態のネタにされてしまったのだ。
もう嫌だ。キモイよ、こんなの。
だから私は引っ越すことにした。再出発するために。

ではなぜBLOGを再出発先に選んだのか?
それはリンクをはるときにいちいちHTMLタグを打ち込まなくてすむからだ。
そう、ブログの方が便利だからだ。
以前の日記サイトだといちいちタグを打ち込まねばならなかったし、
画像をアップロードできるのは有料版だけだった。

ブログなら画像をアップするの無料というところもあるし、リンク集も載せられる。

そう、ここから始めよう。気分を入れ替えて、新しいことを試みてみよう。
また嫌な目に合うかもしれない。だけど、うまくいくかもしれない。
だから私はやってみたいの。可能性がそこにあるから。

初めて自分のサイトを持った日

2002年05月06日 | 日記
 5月5日昼頃に兄が実家に帰ってきたので私と兄と両親は和歌山方面へドライヴに行った。
だが和歌山県の道路事情のあまりの悪さとGWという時期の悪さも相俟ってそれはそれは酷い渋滞に巻き込まれてしまったのであった。
 午後3時ごろに海南市の喫茶店で食事し、7時過ぎに白浜で温泉に入った。
どんな温泉かと言うとそれは「白浜温泉パーク 草原の湯」というところだった。
曲がりくねった道を車で登った先の小高いところにあった。
食堂を横切った時の印象は、「随分と古臭くてまずそうなところだな」というこのだった。
温泉の施設は、はっきりいって古びていた。
あまりお勧め出来ない。一度行けば充分だ。
勿論こんなところに付いてる食堂なんかで食事する気になるはずもない。

私たちは風呂から出た後ふたたび渋滞した道路をドライブした。9時ごろに道路沿いにある魚料理の店に入り、夕食をとった。
そして家に着いたのは5月6日午前3時を過ぎていた。それでも私はすぐには眠らず朝までネットをしていた。

 渋滞の最中に私は自分のサイトを日記系のノンジャンルという形にしようかなと言った。
それを聞いた兄は私に帰宅してから或る日記サイトの存在を教えてくれたのだった。

 起きたのは昼頃だった。兄は神戸へ帰ってしまった。それがとても寂しかった。
 
 午後2時ごろだっただろうか。私と両親は車で生駒市にある庭屋の蕎麦屋、「鶴亀庵」へ行った。
そこには鶴亀石というめでたい銘石があった。
骨とう品や焼き物も多く、私はそこで生まれて初めて目の前で蓄音機を演奏してもらった。
芸者さんの唄だった。
音楽を再生する機械は今やMDやCDが主流だが、こういった古いものも風情があって何だかいいと思った。
私達は蕎麦定食を食べたがそれがまた美味しかった。
店員さんに「お嬢様学校系の高校生だと思った」と言われたときは悲しかったが、まあ、それはいいとしよう。
本当は私は20代なのだが・・・。

 夜は「名探偵コナン」を見ながら家で食事した。どんな内容だったかは覚えてない。なぜならつまらなかったからだ。
「名探偵コナン」など所詮子供だましの似非推理ものにすぎないのにそれでも何故か見てしまうのが我ながら不思議だ。
多分、今は亡き祖母が「水戸黄門」を見ていたのと同じノリなのだろう。

 母はネットで草野心平に関するものを調べていた。
何年たってもITを使い慣れてない母の様子を私は見ていられなくて手伝ってしまった。
こんな時、私には母があまりにも頼りなくて何だか大人には見えなかったりするのだ。
子供だった頃の私の目には親とはとても頼りがいのある強い存在に思えたものだが、
もう今の私にはそうは見えない。
それはとても不思議な感覚であると同時に私をとても複雑な気分にさせるのであった。
そう、気がつけば私は既に大人になっていたのだ。