goo blog サービス終了のお知らせ 

ダブリンの空の下で。

ダブリンジャンキーの江戸っ子が綴る、愛しき街・人・生活・・・。

よろずやブログ④:「旅先で映画鑑賞はいかが?」

2007年01月28日 15時14分27秒 | よろずやブログ
「世界各地で映画三昧!」

   今まであちこちの国を訪ね歩きましたが、私が旅先で必ず行く場所の一つが映画館。

   もともと映画が大好きな私ですが、旅先で観る映画ってなぜか日本で観る時とは微妙に違った感覚があります。私が東京で映画を観ている時、一番心に残るのはやっぱりその映画の内容そのものです。自分のホームタウンで映画を観る、という行為はあまりにも日常的なので、特に他のことに気を取られる理由もないわけです。でもそれが海外の場合、内容よりもそれとはまったく関係のない付随的な事、それもかなり些細な事により、しっかりその映画が記憶に刻み込まれることがあります。

   映画は周りの人とおしゃべりしながら観るものじゃないし、一人の世界に没入してるから、周りに誰がいようと関係ないはずなのに、現地の人たちに紛れて映画を観ているだけで、不思議と現実感が微妙にぶれているのを感じます。そんなこんなで映画の内容に加えて、その「アルファ」な部分が楽しくて、日本にいたらたぶん観ないであろう作品しか上映していない時でも、割と気軽に映画館に入っては楽しく鑑賞して来ました(料金が安いのも、ぶらっと立ち寄れる理由の一つ。日本は高すぎ!)。これって「好きな人と初めてデートした時に観た映画」的感傷に似たものなのかもしれません。

   その「アルファ」な部分の要素はいろいろです。映画館の構造とか、上映中、現れては消える100%読めない字幕スーパー(タイ語とかヘブライ語とかアルファベットを使わない言語)とか、日本では当たり前のパンフレットが売ってないとか、本編が始まるまでのながれとか、かなりどーでもいいこととは言え、さまざまな事で「ここは外国なんだなぁ・・・」と、ひしひしと感じ入ってしまうことが多いんですよね。

「中国・上海で“ダンテス・ピーク”を観る!」

   むしむし暑い一日が終わって陽も暮れる頃、上海の街の中心はそぞろ歩きの人でいっぱいになります。そんな賑やかなある晩、「“ダンテス・ピーク“ねぇ・・・。ま、いっか」とぶらりと映画館に入った私。が、客席へ通じるドアを開けた瞬間、思わず唖然。一体、ここのキャパは何人なんだっ!?とたまげるほどの広大さ。う~む、さすが中国だわい・・・と感慨を深くしました。

   この映画はご存知のとおりアメリカ映画なので、当然、セリフは英語です。中国語の字幕スーパーが付くのですが、中国で外国映画を観る時の日本人の強みは、漢字の字幕ゆえ、な~んとなく意味が汲み取れちゃうということ。正直言ってこの映画、大した内容じゃないし、心に残る1本とはとてもじゃないけど言えません(事実、内容はほとんど覚えてない)。そんな中で唯一、印象にしっかり残ってしまったのが、登場人物の1人が放った「son of a bitch!」と言うセリフ。これは「(あの)クソ野郎!」とかいう意味のアメリカ英語のスラングですが、この中国語字幕がなぜか「雑種!」となってたんですね~。何かかわいいですね。そりゃ、直訳すれば「雌犬の息子!」だけど、「雑種!」と出た瞬間、なぜか秋田犬と柴犬のつぶらな目をした雑種犬がぽっと頭に浮かんでしまい、白熱したシーンだと言うのに思わずほのぼのとしてしまい、困りました。この「雑種!」があまりにも面白かったため、映画自体の空疎さも何となく許せちゃったんだよなぁ・・・。

「タイ・バンコクで“イングリッシュ・ペイシェント“を観る!」

   初めてタイの映画館で観たのがこの作品。内容もとても印象深い映画ではあるのですが、そんなものよりもっと印象深かった、というか内容を遥かにしのいだのが、本編上映前に行われるタイの映画館の慣習。

   本編上映前にどーでもよさげなCMが入るのは日本と同様ですが、違うのがその後。「あ~、外あぢ~。中は涼しくて天国だね、こりゃ」などと、シートにだらしなく沈み込んでいた私。しばらくしてやたら士気高そうな歌が流れ始めた途端、場内の客が突如、一斉に立ち上がったのでした。なんだなんだっ!?と泡食ってるとスクリーンには誰だか分からない男性の映像が・・・。家族とのショットやサックスを吹いているショット、どこかのお偉いさんと握手してるショットなどが次々流れています。誰だ、これは??と、ぽかんとしているうち、ようやくこの男性がタイ国王だと判明。そして、この歌と映像が終わると同時に着席するタイのお客さん・・・。そう、タイの映画館では本編上映前に国王賛歌と映像が流れるんですね~。

   この体験があまりに強烈だったため、これをまた体験したいがため、タイでは何度も映画館に足を運びました。しまいにこの慣習にすっかり慣れた私は、他の客同様、スマートに立ち上がれるようになり、以前の私のようにまごまごしているヨーロッパ人のカップルなどを、「ふふん」とあざ笑う余裕さえ出てきました。やな奴ですね~。でも、けっこう病みつきになるんです、この慣習。国王の映像を毎回、映画館で流すのもすごいけど、国王に対する国民の忠誠心と言うか、敬意がごく自然に日常生活に浸透しているタイってすごいと思いました。ちなみに映画館以外でもこの国王賛歌が流れている間は、その場に立ち止まって直立不動の姿勢を保っていないといけないそうです。う~む・・・。

「イタリア・ローマで“世界中でアイ・ラブ・ユー”を観る!」

   はい、そうです、これはウッディ・アレンの作品ですね。ローマの映画館で観た時は、イタリア語の吹き替えで上映されてました。基本的に吹き替えが苦手な私はしぶしぶ観始めたのですが、その結果、この作品には相当笑わせて頂きました。それも内容ではなく、あの世界に名をとどろかせるニューヨーカー、ウッディ・アレンがイタリア語をしゃべっている、という事態に。

   ウッディ・アレン、イタリア語がぜんっぜん似合わね~!

   ティム・ロスもエドワード・ノートンもイタリア語。ジュリア・ロバーツもドリュー・バリモアもイタリア語。しかし、ダントツでウッディ・アレンのイタリア語、笑えます。でも、その吹き替えをしているイタリア人の声の質自体は、いかにも神経質なダメ男・ウッディ・アレン的で、秀逸ではありました。

   かように日本では観る機会がほとんどない、日本語以外の吹き替え映画。これは意外にハマってしまいます。パリで「スクリーム」を観た時も同様で、このB級ホラー・ジェットコースター映画をフランス語で観ていると、なぜか深遠な作品に思えてくるから不思議です。あの不気味なマスクを着けた奴も、包丁をぶんぶん振り回しつつ、フランス語で若い連中を追っかけてました。

「ギリシャ・パロス島で“秘密と嘘”を観る!」

   私の大好きなイギリス人監督、マイク・リーの作品に、なぜかエーゲ海の小さな島で出会ってしまいました。ミコノス島に滞在し、パロス島経由テッサロニキ行きのフェリーに乗り込んだ私。夕方に到着したこの島でフェリーを乗り換えるわけですが、テッサロニキ行きのフェリーはなんと4:45AM発!そんな時間までどーやって時間をつぶせばいいんだあ!と途方に暮れていると、目に付いたのがこの映画のポスター。フェリー乗り場近くの屋外シアターで11:00PMから上映開始との案内に、おおっ!マイク・リーの新作が観られる!時間が有意義につぶせる!と喜び勇んだのでした。11時までどうにか時間をつぶした後、この屋外映画館に飛んで行くと、こじんまりした場内には白い砂利が敷きつめられ、その上に雑然と並んだパイプ椅子、というヒジョーに素朴な劇場です。もちろん空に広がるは満天の星・・・。そんな中で観た「秘密と嘘」、心に染みたなぁ~~・・・・。

   今でもこの映画を時々見直しますが、体を動かすたびにパイプ椅子の下できしんだ砂利の音、港に打ち付ける静かな波の音、屋外のせいで奇妙な響き方をしていたセリフや音楽、潮の香りなどを、観るたびに思い出します。

「アイルランド・ダブリンで“珈琲時光“を観る!」

   台湾のホウ・シャオシェン監督、一青窈と浅野忠信主演。これは以前、このブログでも紹介したことのあるIFI(Irish Film Institute)というインディペンデント系映画館で観ました。この映画を観たのは、モーレツに英語の勉強に明け暮れていた時期。映画が始まりしばらくすると、突然、気がついた事実。

   に、日本語が分からない・・・。

   その頃、日本語を使う機会がほとんどなかった上、100%英語の環境で生活して半年を過ぎた頃。私の脳はすっかり英語モードに移行していたらしく、反射的に日本語が理解できなくなっていたのです。これには慌てましたねー。登場人物のセリフを理解するのに一瞬、間を置いた後で脳に届く、という感じ。この状態にイライラした私は、しまいに日本語の会話を聞くよりも英語字幕を読んでました(まぁ、しばらくするとさすがに脳の「日本語モード」が復活しましたが)。英語圏で生活してる分には喜ばしいことではあるのかも知れないけど、これには本当にびびりました。日本の家族や友人に手紙を書くたび、適切な単語や言い回しがどーしても思いつかず、そんな自分にぎょっとしていた時期なので余計に怖かったっす。

   石畳の道が残るテンプル・バーの真ん中で、神保町の古書店だのオレンジ色の中央線だの御茶ノ水駅だの、自分にとって馴染み深い場所を眺めている事も、ものすごーく不思議な感じでした。言語とは覚えるは難く、忘れるのは何と早いことよ・・・、としみじみ感じ入った思い出深い映画の一つです。

「アメリカ・ニューヨークで“12モンキーズ”を観る!」

   テリー・ギリアムの作品は、どこにいようと飛んで行って必ず観ます。一人旅のニューヨーク、日中はこのハイパーアクティブな街のエネルギーに呑まれてワクワクしっぱなしなんだけど、夜はちと困ることになります。レストランはほぼグループかカップルで占められ、1人では入りにくい。オペラやミュージカルなんかは名物ではあるけど、どちらにも興味がない(それに入場料は高い)。かといって、ここはニューヨーク、夜遅くに1人で無目的にブラブラするのも不安だ。一人旅のニューヨークの夜、何だか手持ち無沙汰だなぁ・・・。ということで、私の逃げ道は当然、映画になりました。

   ニューヨークに着いて初めて観たこの映画、さすがギリアム先生、期待に違わず最高に面白くてもう夢中。しかし、映画が終わりに近づくにつれ、気がつくとその興奮に不安感が混じり始めていました。その不安とは、この映画はそろそろ終わりに近づいている、そしたらこの映画館を出て、一人でホテルに帰らなくてはいけない・・・、という事。

   当時の私はまだ若く、これが2回目の海外旅行。しかも初めてのニューヨークです。この映画を上映していた西54丁目のジークフェルド・シアターはビジネス街にあり、周囲は夜になると人通りが少なくなるエリア。当時、ミッドタウンのホテルに滞在していたので、映画館からは割と近い距離にあったのですが、歩いて帰るのはやだなぁ、おっかないしなぁ・・・と考えていました。が、タクシーをつかまえるにしても、映画館の入り口の前で(映画館スタッフの目が届く所で)拾えるのか、タクシーを待っている間、周りにだ~れもいなくなったら?道の向こうから明らかにラリったジャンキーとか挙動不審な奴が歩いてきたら?と、不穏な想像が暴走してしまい、映画を観ている間中、この映画の面白さとは別の意味の緊張感から、「お願い、終わらないで~、私を一人にしないで~!」と密かに祈っていた私なのでした。

   その夜は何事もなく、無事、ホテルに戻ることができました(ホテル前でタクシーを降り、向かいのサンドイッチ・チェーン、「SUBWAY」に立ち寄った時、ウィンドウの外に立っていた挙動不審の男と目が合ってしまい、その男が店の前にたたずんでひたすら店内の私を目で追っているのにびびってしまい、そいつが立ち去るまで店を出ることができなかった、という出来事はあったものの)。あれから長い年月を経た今でも、この映画のしびれるオープニング(アストル・ピアソラの曲をバックに、たくさんの赤い猿の絵がぐるぐるとらせんを描く)を観るにつけ、あの時感じたざわざわした不安感、孤独感、若かった自分、そしてこの映画に対する純粋な感動を思い出します・・・。

よろずやブログ③「女独り、地球を行く!其の弐」

2006年09月03日 20時26分23秒 | よろずやブログ
「マドリッドの浮気男」

   海外一人旅・男トラブル編、懲りずに続きます。今回はスペイン・マドリッドでの出来事・・・。

   バルセロナで楽しい時間を過ごし、マドリッドへ向かった私。夜の10時頃、バルセロナを出発した列車は、翌朝の7時半頃マドリッドのチャマルティン駅に到着。駅で軽く朝食を取った後、荷物を預け、地下鉄で街の中心地へ向かい、今晩の宿探しを始めました。

   プエルタ・デル・ソル広場は、カフェやレストラン、安宿などが集まった賑やかなエリア。何軒かのホステルを訪ねた後、感じのいい女主人のいる、裏通りのこじんまりしたホステルに決定。でも12時にならないとチェック・インできないと言うので、それまで街を散策することにしました。

   その日はちょうど日曜日だったので、スペインで最大の蚤の市・ラストロに向かうことに。私がいるホステルからちょっと離れているので、適当に歩いているうちにいつのまにか道に迷ってしまいました(そりゃそうだ)。誰かに道を聞こうと、ちょうど通りがかった黒ワンピース姿の若い女の子に、「ラストロの蚤の市ってどうやって行くんですか?」と尋ねると、その彼女、まったく英語が分からない様子。インチキスペイン語で尋ねると、ようやく話が通じましたが、この彼女、まだ朝も早いというのに、強烈にお酒の匂いがし、目も少し充血してるんです。

   あ、聞く相手を間違えた、と思い、礼を言って他の人をつかまえようとすると、やたらハイテンションな彼女は「大丈夫、私が連れて行くから!こっちこっち!」みたいなことを言って、先に歩き出しました。仕方ないのでその後をついて行き、スペイン語で陽気に話し続ける彼女に、分からないまま適当に合いの手を入れていました。しかし、奇妙なことに、彼女は公衆電話を見つける度に、「ちょっと待ってね」と立ち止まり、どこかへ電話するのです。でも相手が出ないらしく、

   電話を切る→歩き出す→電話を目ざとく見つける→再度かける→相手が出ない→歩き出す

   という行動を延々と繰り返すのです。電話を切るたびに、彼女はスペイン語で何かひどく毒づいているようですが、幸いなことにその罰当たりな言葉は私にはほとんど理解できません。

   そのうち、あるアパートの前で立ち止まった彼女、なんだなんだ??と思っている私を尻目に、ドアベルを連打し始めました。延々鳴らし続けましたが、結局部屋の主は出て来ず、またも毒づきながら私を促し、歩き始めるのでした。どうも部屋の主は、彼女が道中、電話をかけまくっていたボーイフレンドらしいのです。

   一体なんなの、この彼女??訳が分かんないし、時間ばっかり喰ってしまうので、「ここまでどうもありがとう。後は自分で行くわ」と言おうと考えましたが、彼氏がつかまらず落ち込んでいる彼女を残していくこともできませんでした。そのまま「困ったなぁ・・・」と思いながら歩いているうちに、ついに賑やかな蚤の市に到着!通りの両サイドに様々な店が軒を並べ、それがひたすらまっすぐ続いています。すげっ!!たのしそ~~!!わくわくした私は、彼女に礼を言って掘り出し物探しを開始しようとしましたが、なぜか彼女はそのまま私について来ます。どーしてついてくんのっ!?

   その後も、蚤の市を回りながら公衆電話を見つけては、相手が出ずに落ち込む彼女。1人で気ままに蚤の市を見たかったのですが、ど~にもこ~にも彼女が気の毒になり、蚤の市散策を諦めて近くのカフェに誘い、連れて来てくれたお礼に飲み物でもおごることにしました。そこのカフェでも当然公衆電話に飛びつき、ほとんどべそをかきながら、電話をする彼女・・・。その様子を見て、私とそのカフェのお兄さんは苦笑い。

   しかし、ダイ・ハードな彼女の努力が報われ、ついに彼氏につながった模様。大喜びで相手と話していた彼女がテーブルに戻ってくると、「彼とこのカフェで待ち合わせするの!すぐに来るって!」というようなことを叫びつつ、狂喜乱舞・・・。

   12時までにホステルに戻らないといけないので、「じゃ、私はこれで・・・」と帰ろうとすると、「ダメダメダメダメ!カレと会わなくっちゃ!」と彼女は離してくれません。延々待つ事1時間、ようやくその問題の彼氏が登場。「も~~、どこ行ってたのよ~!バカバカバカ!」といった感じで抱きつく彼女。まったく、かわいいなぁ・・・。しかしその彼氏は、見るからにテキトーそうなニヤけたスペイン男で、ペドロと名乗りました。彼は英語が話せるので、3人で少しおしゃべりすることに。そろそろホステルに戻ろうとする私に、「悪かったね、バイクで来てるからホステルまで乗せてってあげるよ」と彼が言うので、遠慮なく送ってもらうことにしました。ホステルの前で私を降ろすと、ペドロは「今度飲みに行こうよ。このホステルに電話するから」と言いました。飲みに行く時は、当然彼女も一緒だろうと思った私は「うん、いいよ」と返事し、ヨーロッパ流にほっぺキスでバイバイしようとしたんだけど、このペドロ、それをど~にかして口にしようとするんだよね・・・。カフェに現れた瞬間からどことなく「ピー!ピー!ピー!」と警戒警報を感じていた私ですが、「やっぱりこの男、うさんくさいわ・・・」と確信。

   ホステルに無事チェック・インした後、プラド通りへ出かけ、ティッセン・ボルネミッサ美術館へ。800点以上を越す収蔵品を誇るこの美術館、午後1時頃入場した私が美術館を出たのは夕方6時。観ている時は素晴らしい作品群に集中しているので疲れも感じないけれど、外に出た途端、5時間の鑑賞疲れが一気に襲いました。もう足が棒だし、腰は痛いし目はちかちかするし・・・。このプラド通りには、他にも世界4大美術館の一つであるプラド美術館、ピカソの「ゲルニカ」で有名な現代美術館である国立ソフィア王妃芸術センターが集まっています。ここでこんだけ疲れるとなると、さらに膨大な収蔵品数を誇るプラド美術館へ行ったりしたらマジで死ぬかもしれぬ・・・と怯えつつ、夕方でも強烈な太陽の下、ボーっとした頭と充足感を抱えて千鳥足のまま、プラド通りを歩き始めたのでした・・・(後日、他の二つの美術館にも行きました。感動と疲労で脳が溶けました)。

「何でこーなるの!?」

   チャマルティン駅へ戻り、今朝、預けた荷物を引き取って8時半頃ホステルに戻ると、おばさんが「ペドロという人から電話あったわよ」と教えてくれました。げ、連絡してくるのがずいぶん早い男だな、と思いつつ、彼が残した番号にかけると、「9時ごろ迎えに行くから飲みに行こうよ」とペドロ。もちろんあの彼女も一緒よね、と何の疑問も抱かなかった私は、了解して電話を切ったのでした。

   再びバイクでやって来たのは彼1人。「じゃ、すぐそこだから行こう」とバイクにまたがり、出発。私が「あの彼女は?」と聞くと、「さぁ、知らない」と言う答え。おいおいおい、何だよそれ、と思ってるうち、バイクはどこか見覚えのあるアパートの前に着いてしまいました。ん?ここは蚤の市に行く途中、彼女がドアベルを鳴らしまくっていたあのアパートじゃ?っちゅーか、ペドロん家じゃないのよ!

   「ちょっと着替えたいからアパート寄っていい?」と、寄ってもいいも何も既に寄っているペドロがのたまいました。「いいよ、ここで待ってるから着替えてくれば?」と言うと、「外で君を待たせてると焦っちゃうしさ、ソファに座って飲み物でも飲んでなよ」とか、いろいろごちゃごちゃと言い出すので、しぶしぶ彼の部屋へ。バカなやつだ、危ないのに、とお思いでしょう。まったくその通り。この展開はど~も危険なかほりが・・・。

   ソファに座って出してくれたコーラを飲んでる間に、部屋の奥へ消えたペドロ。何をやってんだか、なかなか出てきません。まったく早くしろよなー、と思っていると、妙にサッパリした顔で腰にタオル一枚のペドロ登場・・・。

   こらこらこら!何でシャワー浴びてんねん、何で腰タオル姿やねん、こいつはっ!着替えるどころか脱いどるやんけっ!!


   ほとんど呆れて物も言えない私に、腰タオル一丁のペドロは、「ねえ、踊ろうよ。僕がリードするから」とか「外に出ないで、このまま2人でワインでも飲もう」などとほざきつつ、図々しく迫って来ます。いい加減、ブチ切れた私は、

   「ぶゎっっっかじゃないのっ!?」

   「あんたね~、目の前であんたに会えて泣いて喜んでた彼女を見た私が、こんなことすると思ってるわけ?それとも、日本人の女だったらチョロいとでも思ったの?彼女ほっといて遊びたいなら、そこら辺で別の女でも拾ってくればいいでしょーが!そこどいてよ、私は帰るから」と憤然と立ち上がると、この腰タオル野郎は、私の突然の激怒にダンスポーズのまま、凍りついてしまったのでした・・・。

   カッカしながら外に出て、宿までずんずん歩いて帰るうち、気分がどんどん落ち込んできてしまいました。どーしていつもこういう流れになっちゃうの?相手を助長させるような、思わせぶりな態度を私が取ったとでも言うの?やっぱり、うさんくさいなぁ、と思いながらもついて行った私のせい?男だの女だの余計な事考えずに、何で普通に飲みに行って楽しく過ごして、それじゃバイバイ、で済まないの?と怒りと自己嫌悪で、あの彼女じゃないけど一気にヘコんでしまいました。いい年こいた大人のくせに、こんな事を言ってる私がナイーブ過ぎるのかもしれないけど、何で私が「一人旅」で、さらに「女」だというだけで、こういう事態に対して、いつもいつも緊張していなくてはいけないのか・・・。そりゃよく知らない男と2人きりになるのには危険が伴う、というのは一般常識だし、誰かに誘われたからって、相手の家へホイホイ行くことなんてしないけど、そういう展開をいつも用心しなくちゃいけない自体、どっか歪んでるんじゃないの?「後腐れのなさそうなお手軽1人旅女」と勘違いする、ペドロみたいな大ボケ野郎どものせいで、ごく普通の、気のいい男の子たちと知り合う機会まで無駄に敬遠しなくちゃいけないわけ?もちろん、世界にはこんな勘違い野郎ばかりじゃないし、経験から言ってもまともな男の子たちがほとんどです。でも、悲しい哉、一部には下心満載で近づいてくる男たちがいることも確かなんですよね・・・。

   もちろん「常識」に楯突いても、私にはどうすることもできません。ペドロのやり方がまかり通る世の中なら、不条理だなー、と思っていても、妖怪を察知する鬼太郎のアンテナみたいに、あちこちに注意を向けてなくてはなりません。それとも桃太郎侍みたいに不埒な男を懲らしめるため、外国行脚でもするべきか・・・?

   「あのクソったれ浮気性スペイン男にはこんなこと日常茶飯事なのかも知れないけどさ、まったくあの彼女も気の毒に・・・。余計なお世話だけど、あんなタコ野郎とはさっさと別れちまえばいいのに!ったく、腰タオル引っぺがして表通りに蹴り出してやればよかった、あの大ボケすけべ男がっ!!」と、プンプン怒りながら日本語で毒づいていた私の言葉は、幸いなことに回りのスペイン人には理解できなかったはず・・・。

   最後にコメント返信:
 
   AMBERさん、あなたはこのブログのコメント第一号です。ありがとう。「コメント第一号で賞」を進呈したいと思います。私の愛の詰まったブロンズの楯を送ろうとしましたが、ありがた迷惑になる、という協議の結果、断念しました。懲りずにまた見てやってくださいね~。

よろずやブログ②「女独り、地球を行く!」

2006年08月27日 15時00分47秒 | よろずやブログ
「女は(ある種)つらいよ」

   今までの旅行経験をつらつらと思い返してみると、かなりマヌケな思い出が次々と脳裏を去来し、思わず苦笑してしまう今日この頃。パスポートをホテルに置き忘れたまま次の町へ移動してしまい、慌てて引き返したことは何度もあるし、自分で財布を部屋に置いて外出したくせに、街なかで財布がないことに気付き、「財布を盗まれた!」と大騒ぎした挙句、警察に届け出てホテルへ疲れて帰った後、枕の下でその財布を発見したり、行きの飛行機内で出された岩みたいに硬いアイス最中をかじった瞬間(あんなスナック出すな!KLMのばかっ!)、前の差し歯が取れ、歯っ欠けのまま現地で歯医者探しに奔走する羽目になったり、クレジットカードをホテルの羽目板の間に落とし、何人ものホテルのスタッフを動員して、その羽目板をドライバーだのスパナだのでこじ開けてもらったり、とその当時は青くなったり赤くなったりしてましたが、今だから笑えるトラブルがたくさんあります。シリアスなトラブルは困りものだけど、全てがスムーズな旅は安全ではありますが、いまいち強烈な印象が残らないんですよね。時々、心の片隅でこそっとハプニングを望んでさえいる自分が・・・。

   その中でも女の独り旅に付き物なのが、男絡みのトラブル。私は海外旅行は1人で行くことがほとんどなので、どうしてもそういう出来事が発生しがちです。よく「1人で旅行して寂しくないの?」と聞かれますが、現地の人々とのコミュニケーションが最大の楽しみである私は、特にそういう思いをしたことがありません。正確に言うと、「寂しい時もあるけどその孤独感がまたハッピー♪」と言えるかも知れない。今までも旅行先では老若男女問わず多くの人々と楽しい時間を過ごしてきたけれど、中にはもちろん私が「若い女性」で「独り」だから近づいてくる輩もいます。お調子者ラテン男が多い地域や戒律厳しいイスラム教の地域などでは、より起こりがち(それ以外の地域でももちろん起こる)。片っ端からケーカイしてたら誰とも知り合えないし、あまりにもオープン過ぎると余計なトラブルを背負い込むことにもなる。女独りはいろいろ面倒でもあります・・・。

「モロッコの求愛男」

   あれはティトゥアンからウェッザーンという町へのバス移動から始まりました。昼に出発するバスに乗り込んだ私(その前に買っておいたバスのチケットをなぜかなくしてしまい、運ちゃんにその事を話すと、「ああ、いいから乗んな」と乗せてくれた。ラッキー♪)。たいていバスターミナルには、客のバッグなどを運んで、チップを受け取ろうとする人たちがいますが、そのうちの1人が(「重くないから自分で運べる」って言ってんのに)、私のバッグを車内に運んでくれ、「5ディラハム(当時約64円)」と要求するのを1ディラハムまで値切った後(近くの席のおばちゃんいわく、5ディラハムは妥当な金額との事。頼んでないとは言え、そこまで値切ることなかったな、と今更反省・・・。)、バスが出発しました。

   最後部座席に座っていた私の隣には、こざっぱりした服を着たメガネの若い男の子。出発してしばらくすると、窓の外をワクワクしながら眺めている私に、彼が話し掛けてきました。アラブ語がまったく通じないと見て取るや、彼はフランス語に切り替えましたが(ご存知のとおり、モロッコは以前、フランスが植民地化していたため、フランス語を話せる人が多い)、私の方はフランス語もほんの少ししか分かりません。それでもめげない彼は、英語じゃないみたいな英語に切り替え、トークを続けようとします。まぁ、現地の人と知り合えるのは楽しくはあるのですが、なんせ、彼の英語がしっちゃかめっちゃか過ぎて、聞き取ることさえ苦労し、しまいにはぐったり疲れてしまいました。カリムという名のその彼は、モロッコでは珍しいシャイな感じの男の子で、控えめな調子で静かに話すその態度は、決して押し付けがましいものではありませんでした。

   適当に相槌を打っているうち、ウェッザーンに到着。疲れていた私は内心ちょっとホッとして、「それじゃね」と言うと、カリムが「君はまだ泊まるところ決まってないんだろ。一緒に探すよ」と(恐らくそんな内容を)言い出しました。焦った私が、「いやいやいやいやいやいやいや、大丈夫。1人で探せるし、1人で探したいの」と主張しましたが、彼はこの町で私を守る騎士役を硬く決意したらしく、引きません。典型的押し売りガイド男風だったら、キッパリ「失せろ!」という態度を示すこともできますが、ごくフツーの、不器用だけど人のいいカリムには、なぜかそういう態度も取れませんでした。相変わらず理解不可能の彼の英語によると、この町に住んでいる学生さんとのこと。とにかく彼の手を借りて、宿を見つけてチェックインした後、「これから僕の両親の家に行かない?」と(いうようなことを)言い出しました。固く辞退したのですが、「いい両親なんだよ。僕の住んでる家も見て欲しいし」と必死な彼を見て、モロッコの一般家庭にお邪魔するいい機会かも、とも思い直し、付いていく事に。

   ウェッザーンは坂道の多い魅力的な町です。裏道などを通り抜け、あ~、早く1人になって好き勝手に歩き回りたいなと思っているうち、彼の家に到着。割に大きい、きちんと手入れの行き届いたキレイなお宅で、静かだけどとても優しげなご両親に紹介されました。そのうち、彼の妹も帰宅し、みんなでお茶などを頂きながら、穏やかな時間を過ごし(みんな英語を話さないので、ニッコリ微笑みあうとか身振り手振り、私のインチキフランス語を駆使したうえでの会話です)、「父も母も君を気に入っているよ」と、彼はなぜか誇らしげに私を見つめているのでした。何であんたが誇らしげやねん・・・。

   そろそろ失礼しようと腰を上げると、「町を案内する」と彼も一緒に腰をあげるので、慌てて再び固辞したのですが、やっぱり傷ついた子犬みたいな目で見つめられると、そうむげにもできません。まぁ、町をよく知る地元の人と一緒なら、ガイドやらみやげ物屋やらにしつこく声を掛けられてしちめんどくさい目に遭わないで済むし、と、彼と一緒にこのウェッザーンの町を歩き回ったのでした。ブラブラ歩き回るうち、彼の友人が店番をしていた小さな雑貨屋さんの前を通りかかりました。その友人は英語を話すので、カリムはここぞとばかりに彼に通訳してもらい、色々と私に尋ねてくるのでした。私が明日にはフェズに移動するつもり、と言うと、友人いわく「カリムも君と一緒にフェズに行きたいんだって」。おーーーーーーい!

   いろいろお世話になったので、宿に併設されたカフェで飲み物をご馳走し、そろそろお引取り願おうかと考えていると、なぜか急に無口になり、やたら真剣な視線で私を見つめる彼。すると彼は盛んにカフェの外と私の持っているカメラを指差して、何かを繰り返し尋ねてきます。何だかよく分からずぽかんとしている私を見ると、彼はさらに英語じゃない英語で必死に何かを頼んでるようです。外でこのカメラを使って彼の写真を撮って欲しい、と言っているのかと思った私が、「もう外は暗いし、今、ストロボもないから撮れないよ」と言ったのですが、ど~もそうではなさそう。ついには英語を話せるカフェの主人を通訳に借り出した彼。聞いてみると「すぐ近くにある写真館で、思い出に君と一緒に写真を撮りたいって彼は言ってるんだよ」とのこと。

ええええええ、何でわざわざ写真館に行って2人でにっこり写真撮らなくちゃいけないんだ~!!

   私が「いいよ~、やめようよ~、わざわざそんな事するの~!めちゃくちゃこっぱずかしいじゃん!」と断っても、カリムは「プリーズ、プリーズ」と繰り返すばかり。しまいにはカフェのおやぢまで、「一緒に行ってやんなよ」とニヤニヤ笑っています。お前は引っ込んでろ、おやぢっ!

   もう抵抗するのにも疲れた私は、何でもいいやと思い、彼と一緒にその写真館に行くことに・・・。彼と一緒にスタジオに並んで(背景にはロマンチックに花がちらほらと散っている絵が・・・!)、頑固一徹そうな写真館の主人に撮ってもらいました。その後、何度も何度も礼を言いつつ、やっとのことで彼は去っていったのでした。はぁぁぁぁ~~~、長い一日だった・・・。

   翌朝、宿を出た私がフェズに移動するため、バスターミナルへ向かっていると、後ろから追いかけてくる人物が。げげげげげげっ!それは何とカリム!!バスターミナルに着くと、タイミングが悪いことに、次のフェズ行きバスは10時半とのこと。あと小一時間ほど待たなくてはなりません(行き当たりばったりな旅をしてるからこーゆー羽目になる…)。「10時半までバス来ないんだって。それまで私はそこのカフェで1人で待つから、もう帰ったほうがいいよ」と説得するのですが、「僕も一緒に待つよ」とカフェについて来る彼・・・。テーブルにつくと、カリムがやたらと思いつめた表情で私を見つめるので、私は必死に気付かない振りをしてコーヒーを飲み続けました。すると彼は、「昨日の夜も今朝もずーっと君の事を想っていたんだ」とか「アイラブユー・・・」とか照れながら告白してくる始末。困ったな、どーしよ・・・と思い、どうにか話の流れを変えようと、一生懸命どうでもいい話題を振り続け、頼むから早くバス来てくれぇぇぇぇ!と願うしかありませんでした。

   お互いのアドレスを交換し、ようやくやって来たバスに私が嬉々として乗り込もうとすると、カリムは「絶対手紙を送ってね。あの写真を眺めながら僕はず~っと待ってるよ」というようなことを言って、私のアドレスが書かれた紙を大切に握りしめるのでした。

   ようやく出発したバスの中、ふか~~~いため息が・・・。感じるのは1人になれてホッとした気持ちと、罪悪感が混じった複雑な感情。だけど、一体どーすりゃ良かったのよ??確かにカリムは私が出会った他のモロッコ男と違い、とても控えめで図々しさもない、好青年です。だから逆にその真面目さが困っちゃうし、びびってしまいます。その気もないのにやたら真剣な彼に応えるような態度も取れないし、親切な彼に邪険な態度も取れません。

   ・・・と、窓の外を眺めながら、ぼんやり考え込んでいた私でしたが、それも隣に座ったやたら陽気な100%典型的モロッコおじさんのおしゃべりに阻まれ、そしてバスは一路フェズへ。かようにこの国では、窓の外の景色をのんびり楽しむことは難しい模様です・・・。

   後日談:その後、日本に帰った私に、カリムからの熱~いラブレターが何通も待っていました・・・。




「よろずやブログ①:モロッコでゲリ子」

2006年08月02日 22時43分19秒 | よろずやブログ
「はじめに」

   さて、突然始まりました「よろずやブログ」。これは私がふと「書きたいな」と思ったよろずの事々を紹介していく番外編のページです。話題は多岐に渡る予定ですが、アイルランドとは全く関係ない時もございます。「今はこの事、書きたい気分なのよねん」と、ただただ勢いで書いたものが多くなると思いますが、「アイルランドの話以外、興味ねーよ」という方は、どうかご容赦を・・・。

「ダイアナ事件inモロッコ」

   1997年8月のあの悲劇の日。私はモロッコのとあるホテルのベッドの上におりました・・・。

   スペインの最南端に位置する町、アルヘシラスからフェリーでモロッコに入った私。セウタからウザンヌ、フェズ、メクネスなどの町でだらだらと滞在した後、マラケシュに向かいました。私はここからあの雄大なサハラ砂漠に向かうつもりだったのですが・・・。

   基本的に私はイスラム教の国が好きです。全く違う文化、視覚的な驚き、そして人々。しかし困るのが彼らのたくましい(過ぎる)商魂。モロッコに行かれた方はほぼ全員、そうだと思うのですが、街で声を掛けられ、「面白い所に連れて行く」と言われたら、まずそこは絨毯屋です(もちろん実際に面白い所に連れて行ってくれることもあるけれど)。私もセウタという北端の街で、おぢさんに声を掛けられ、色々な場所に連れて行ってくれた後、辿り着いたのは絨毯屋。そこの主人とのバトルを以下に再現。

 絨毯屋主人:「君はどの絨毯がいい?(壁に沿ってずら~~っと巻いて並べられた絨毯を指し示しながら) これなんかいいんじゃないかな」
 私:「キレイですねぇ。でも私にはとても買えませんね」
 主人:「大丈夫。クレジットカードも取り扱ってるし、日本へ送ることもできるんだから」
 私:「申し訳ないけど、こんなでかい絨毯、私の部屋に入りませんよ」
 主人:「それじゃ、小さいタイプの絨毯もあるよ。ほら。ほら。ほら・・・(私の前にどんどん並べていく)」
 私:「もちろんキレイだなとは思うんだけど、買う気は全くないんです」
 主人:「どうして?この絨毯は僕らの文化の一部なんだ。僕らの文化が嫌いなの?僕は日本文化が大好きなのに」
 私:「(そう来たか・・・)嫌いだったらモロッコに来ませんよ。ただ私がどこの国の絨毯にも興味がないだけで」
 主人:「これは一生モノだよ。すごく丈夫だし、君が気に入らなかったら、子供の代、孫の代まで引き継ぐことができる」
 私:「日本の畳って知ってます?私の家、畳張りなんですよ。だから絨毯いらないの(ウソ。ほんとはフローリング)」
 主人:「その上に敷けばいいじゃないか」
 私:「(何でやねん)畳の上に絨毯敷いたら、畳の意味がなくなっちゃいますよ」
 主人:「そんなに嫌がるってことは、僕らの文化が嫌いだって事だね・・・」
 私:「だからそうじゃないって言ってるでしょ」
 主人:「好きだったら買ってるはずだよ」 
 私:「じゃあ、あんたは日本に来たら真っ先に畳を買うのか!?畳は日本文化そのものなの。それを買わなかったら、あんたは日本文化を否定したことになるのよ!」

   ・・・・以上、不毛な会話の一部でした。

   古都メクネスを夕方6時に出発したバスは、一路マラケシュへ。車中一泊になるので、メクネスのスーク(市場)で食料を買い出しておきました。ミネラル・ウォーター、日持ちしそうなパン、チョコレート、小さなリンゴをいくつか。これで準備万端。途中でお腹がすいても大丈夫♪

   当時、世界各地を放浪中だった私は、モロッコにいた時点で、日本を出て既に半年ほど経っていました。その間、様々なものを食べました。というか、様々な衛生状態のものを食べました。ハエがたかったご飯(タイでの出来事。ご飯の鉢にかかっていた布巾を屋台のおばちゃんが取ると、中には黒い物体が。おばちゃんが手を振ると、何かが一斉に飛び立ちました。現れたのは白いご飯、黒いモノはハエでした)、腐りかけた果物、どう考えても「不思議だな」という匂いがするサンドイッチなどいろいろ・・・。

   もともと胃腸が強い私は、これらのような物を食べてもぜーんぜん平気(腐ったモノ慣れしているという訳では決してない)。病気することもなく、ケロッとした顔でケロケロと旅を続けておりました。ところがメクネスの市場で買ったリンゴ。小さなかわいいリンゴちゃん。色は多少悪かったけど、特に気にせず何個か購入したのです。

   深夜のバスの中、やっぱり眠いので、それほど食欲は起きません。ただ一度、のどが渇いたのでサッパリしたものを、と思い、この小さなリンゴを1個、食べただけでした。「う~む、何だか違う方向性の酸味があるな・・・」とは思ったのですが、ま、いいかと1個完食したのが運の尽き・・・。

   それから間もなく。お腹の調子がど~~~~も、おかしい・・・。何だろ何だろ、と思ううちに、強烈な激痛が・・・。胃の中はまるで魔女たちが作る不気味な鍋の中身のよう。

   うおおおぉぉぉう!なんじゃい、こりゃぁぁぁああ!

   ジーパン刑事もビックリするぐらいの激痛です。

   その後、どこかの町の明かりが見えるたびに、「あ、あそこがマラケシュ!?」(通過)「じゃ、あそこ!?」(通過)「今度こそマラケシュに決まってるわ!」(無情に通過・・・)

   マラケシュに着いたのは、それから3時間後。まだ夜も明けていない早朝でした。とにかく早くバスを降りて、バスターミナルのオフィスかなんかで、近所の宿を探してもらおう!そして正露丸を飲み、ベッドに飛び込もう、と考え、バスからよろよろと降りた私は周りを見回し、愕然。

   ・・・・どっこも開いてない。

   いや、正確には小さなカフェが一軒、開いてはいたのですが、蛾でさえ見過ごしてしまいそうなほどちっぽけな明かりを一つ灯してるのみ。カフェのおやぢも客らしきおっさんたちとテーブルでだべっていました。今までのモロッコ経験から彼らにホテルの場所を聞いたら最後、全員が全員、別の事を言い出して収拾つかなくなるに決まってます。

   引いては寄せる無慈悲な波のような激痛に、そのまましゃがみこみそうになる自分を叱咤し、ターミナルに止まっていたタクシーのドアを開け、中に転がり込みました(今から考えると英語を話す運ちゃんを、一発で捕まえられたのはラッキーだった)。「どこでもいいから、すぐ近くの宿に連れてって!今すぐ!」と叫んだ私に、その運ちゃんは「どんなホテル?安いところがいいんだろ?」と聞くので、「安くなくても構わん!いくら掛かってもいいから早く連れてけ!」と心で叫びつつ、激痛にのた打ち回りながらも、

  「うん、安いほうがいいな」

  と告げたのでした(貧乏旅行者の切なさよ・・・)。

   私の尋常じゃない状態に多少焦ったらしい運ちゃん、「すぐ近くに安い宿がある」と、ターミナルから近い宿の前まで車を走らせ、私を残してそのホテルの中へダッシュしました。そして戻ってきた運ちゃんはすまなそうに、「満室だって・・・」。私が「じゃ、次!次に行け!」とわめくと、運ちゃんは次の宿へ再び猛ダッシュで車を走らせるのでした。

   2軒目にも断られた私が、「ぬぅおおおおおおお!」と叫んでいると、運ちゃんが「じゃ、市内の高級ホテルでいいか?あそこならでかいから満室って事もないだろう」と提案。今すぐにでもベッドに倒れこめるのなら(その前にトイレに3時間こもれるのなら)、もうマラケシュでお金が尽きても構わん、という気持ちになっておりました。

   ようやく辿り着いたのは、とんでもなくゴージャスなホテル。と言っても、到着時は外観など目に入りませんでしたが。心配した運ちゃんがフロントまで着いてきてくれ、いかにも高級ホテルのフロント然とした男性と何事が交渉しています。そして「一泊250ディラハム(当時で3200円ほど)だって。それでいい?」と聞くので、「いい、いい!トイレ付きの部屋ならいくらでもいい!」とまた心で叫び、運ちゃんにその状況で出来る限りの礼とチップをはずみ、チェックインしたのでした。

   部屋に飛び込んだ私は、既に昇っていた太陽の光に満ちた、ゴージャスな部屋の様子を無視し、真っ先にトイレへ。(日本から持参した正露丸を飲んだ後、)ベッドに倒れこんだのはその1時間後でした・・・。

   下痢と嘔吐で一睡もできずに、昼が過ぎ、夕方が過ぎました。メクネスの腐った小さなリンゴは、正露丸なんぞモノともしません。

   おおおい、大幸薬品~~!モロッコ仕様じゃないのか、正露丸は~~!

   胃の中にはこれ以上出るものなどない筈なのに、下痢と嘔吐はやみません。もうお尻が痛いよう・・・(すいません、おゲヒンで・・・)としくしく泣いていましたが、ついに正露丸に見切りをつけ、フロントに内線電話をしました。

 私:「あの~~~、滞在をもう一泊のばしたいんですが。あと、とってもとってもゲリゲリしてるんです、私。そういうのに効く薬をどうか頂けないでしょうか・・・?」
 フロント氏:「ちょっと待ってなさい、すぐに薬持っていくから」
と頼もしいお返事。

   待つこと数分、ノックの音が聞こえたので、気分は匍匐前進でドアへ向かい開けてみると、立っていたのは初老のおじちゃん。「これを今すぐ飲みなさい。あとでまた持ってきてあげるから」とのこと。

   その正体不明の丸薬を飲んだ後、痛みをこらえながらもベッドで熟睡。数時間後、目を覚ますと、あら不思議、かなり嘔吐感が収まっています。立ち上がってみると体がふわっと軽い感じ。あんだけ出せば軽くもなります。腸とかまで吐いてないよなぁ、と思いつつ、脱水症状にならないよう、ひたすら水を飲みました(もちろんミネラルウォーター。二度とあんな目はゴメンだから)。

   ふらつきながらも歩けそうな感じなので、外に出て何か食べることにしました(食欲なんかまるでなかったけど)。バスターミナルからこのホテルまでの間、ほとんど痛みで茫洋としていた私は、ここが街のどこなのかさっぱり分かりません。とにかく暗い通りを歩き、人の多そうな方角へ歩いていくと、どこかの広場へ辿り着きました。後で分かったことですが、その活気に満ちた空間は、有名なジャマ・エル・フナ広場。広い敷地にテントが立ち並び、食べ物や衣類など様々な物が売られています。

   妙によろよろした日本の小娘は注目の的。他の中東の国々でもそうでしたが、アジア人女性が一人で歩いてると、無闇に目を引いてしまうのです。健康な時はこの視線攻撃、かなり疲れるものですが、今はそんな視線など気にしてる余裕はありません。「何でもいい、何か食わなければ・・・」と歩きつつ、広場の奥におっさんたちが集まった屋台があったので、そこの椅子に座りました。

   屋台のおじちゃんはまったく英語を解さなかったのですが、助かったことに目の前に並んだ鍋の中で何やらぐつぐつ煮えている物が見えるので、適当に指を指すと、おじちゃんはクスクス(引き割り小麦を蒸したもの)を盛った皿の上にその得体の知れない鍋の中身を掛け、私の前に置いてくれました。

   正直言って味は覚えてません。いくら払ったのかも覚えてないんだよなぁ。まずくなかったと思うんだけど、下痢発症後、初めて食べた固形物にムカツキ感を覚え、でも力をつけるために食べなくちゃ、と出来る限り胃に送り込みました。これは私の状態のせいであって、決してその料理がまずい、ということではなかったと思います。実際食べた時、何か懐かしい味だな、と思ったのは覚えてるし。

   またホテルに戻った私がベッドに寝ていると、薬を持って来てくれたおじちゃんが再度現れ、同じ薬を置いていってくれたのです。親切なホテルだなぁ~、ここは・・・。

「ダイアナがどーしたの?」

   翌日、すっかりこのホテルが気に入り、また、まだ調子が悪かった私は、滞在をもう一泊延長。今、考えると下痢で半死状態になったのが、モロッコで良かった。パリとかロンドンでこんな目にあって、同じような高級ホテルに泊まったりなんかしたら、あっという間にお財布空っぽです。部屋の様子が目に入るようになった私は今更ながらカンゲキ。こんな豪華な部屋は、一度も泊まったことありません。それなのに、一泊3000円かそこら!やすっ!それに一日のほとんどを費やしているトイレも広々としてキレイなこと!安さにつられてユースホステルなんか泊まろうもんなら、共同トイレを半日近く占拠している私に、宿泊者全員から大クレームが来ていたことでしょう。そして、ふとクローゼットの大きな鏡に全身を映してみて、ビックリ。

   私ったら激ヤセ!!

   たった2,3日で何だか小顔になっちゃったし、首もほっそり。足なんかめちゃほそっ(決して今までおデブだった訳じゃありませんが・・・)!

   胃が気持ち悪いよ~、でもちょっとスレンダーになっちゃった~♪と痛ウキウキしながら、ベッドに寝転がりつつテレビでニュース(フランス語放送)を見るとはなしに見ていると、やたらダイアナ妃の写真が画面に踊っています。そして、どこかのトンネル入り口の写真。そしてどシリアスな顔と口調のアナウンサー。どうやら同じニュースを何度も報じているらしいのです。ダイアナ妃がどーかしたの?そして、チャンネルをBBCの英語放送に切り替え、びっくり。

   ダイアナ妃が事故死。

   このニュースはもちろん皆さんご存知だと思いますので、ここでは繰り返しませんが、ただ、モロッコのマラケシュのホテルの一室で、下痢と嘔吐に煩悶しながらダイアナ事故死のニュースを知ったあの日、人生って何だか不思議なものだな、と思ったのでした。

   日本ではこの事件、どのように報道されていたのかは知りませんが、ヨーロッパの近くにいる分、何故だかそのニュースに妙にリアリティが加味され、私は今、歴史の一部の空気を吸っているんだ、と変なことを強く思ったことを覚えています。それが何年か後、ダブリンで聞いた2005年7月のロンドンの地下鉄爆発事件、翌年2月、ダブリンの中心地で起こったイギリス人プロテスタントグループの暴動事件などの時にも感じたことでした。

   なぜあの日あの時、あの場所にいたんだろう(又は、いなかったんだろう)、と思う時ってないですか?もちろん大体が自分の選択に寄るものなのは間違いないけれど、何か奇妙な運命のうねりのようなものが、私の背中をそっと押している、と感じられることがあるのです・・・。