ダブリンの空の下で。

ダブリンジャンキーの江戸っ子が綴る、愛しき街・人・生活・・・。

Vol.19 「素晴らしきかな、インターン・フォトグラファー!」

2008年08月07日 21時52分48秒 | ダブリン生活
「ハッピー・ハッピー・ライフ」

   ダブリンの雑誌のインターン・フォトグラファーとして、ダブリン中を北へ南へ東へ西へ、すっ飛んで歩く日々が続きます。仕事にも慣れ、一日の終わりにはヘロヘロになりながらも、毎日ハッピーに撮影に励んでおりました。

   毎日どんなことをやっているかと言うと、近々発行予定の「The Best of Dublin」特集のため、膨大な取材リストに沿って撮影しつつ、その間にも事務所のスタッフから舞い込んでくる仕事(「来月号にこのレストランの広告を載せるから、店内の写真撮ってきて」とか「ジョージズストリート・アーケードのサンドイッチ屋に行って、そこのオーナーを撮影してきてくれないかな。彼が不機嫌そうにしかめっ面してる写真が欲しいんだ」とか「明日の2時45分にアポ取ってあるから、この出版社の編集長を撮って来て。彼は3時からミーティングがあるから15分以内で完璧な写真を撮って来いよ」とか「ダブリンのカフェを回って、そこのお客さんたちの写真を自然な感じで撮ってきて」などなど・・・)をこなす、といった具合。

   外回りを終えて事務所に戻ると、まずその日の撮影分をチェックし、後でアート・ディレクターのIがそれらをPCに落した時に判別しやすいように、撮影場所とデータ・ナンバーをメモします。そして取材先リストをにらみつつ、明日はどこをどう回ろうかとスケジュールを立てます。撮影場所があちこちに散らばっている場合、能率的に回らないと時間ばかり食ってしまい、下手すると1日2、3ヶ所ぐらいしか撮影できない、という羽目になってしまうので。とは言っても、ダブリンの中心地から離れた取材先へ勇んで向かったものの、「ちょっと今、オーナーがいないから、撮影は無理だな。昼過ぎにオーナーが戻ってきてるから、その頃に出直してくれる?」などと言われてしまい、思いっきりスケジュールが狂う、ということも珍しくありません。ホテルや高級レストラン、美術館や図書館などの公共施設などは、概して撮影に関してはうるさいです。そういう場所はメディアの露出に対して神経質なので、矢継ぎ早にどんな写真を撮るつもりなのか?それには記事は付くのか?だとしたらどんな内容なのか?その内容を事前に見せてもらえるのか?など、いろいろ突っ込んできます。その反面、「雑誌の取材?おお、いいよ。好きに撮んな」的にうるさいことなど一切言わない、こだわらない場所もあります。

「クラレンス・ホテル」

   言わずと知れたU2のボノとエッジ経営の高級ホテル。テンプル・バーというオシャレなエリアで落ち着いた自信を漂わせながら建っています。1階にあるバーを撮影するため、朝もはよからクラレンス・ホテルを訪れた私。このホテルには何度か来たことはあります(と言っても宿泊客としてではありません。こんな高いホテル、この私が泊まれるわきゃない)。中はシンプルながらもゴージャスな内装で、相変わらずこじゃれた雰囲気。フロントに近づいて自己紹介し、取材したい旨を告げてみました。が、フロントの美人のお姉さんは一言、「うちは取材をお断りしております」。う~む、キッパリ。「え~、そこを何とかさぁ~、どうよ、ちょっと考えてみてよ」とはとても言えない空気がそこに。ホテルスタッフの感じはいいし、別にお高くとまってる訳ではないんだけど、やはりダブリンの名物ホテル、取材規制の壁は厚いようです・・・(その代わり、ダブリン4区にあるフォーシーズンズ・ホテルはいきなり飛び込みで行ったのに、その場で撮影させてくれました。多謝)。

「離婚ならおまかせ!凄腕弁護士さん」

   離婚訴訟ならこの人に頼め!ってな感じの、凄腕女弁護士さんに突撃取材。とは言え、この時は事前にオフィスの電話番号を調べ、彼女の秘書にしっかりアポを取ってもらいました。いきなりふらっと立ち寄っても、会ってくれるわけありません。アポ時間は朝の8時!忙しい弁護士仕事の前に、取材をやっつけちまおう、という感じでしょう。コノリー駅のすぐ横の、立派なオフィスビルに事務所を構えるこの弁護士さん、さすが売れっ子です。当日、彼女の秘書が私を静かな待合室へ案内してくれました。う~む、出入りする人たちは皆いかにも弁護士!といった様子の、一分の隙もないスーツ姿。いつものようなTシャツ、ジーンズ姿ではないにせよ、どう考えても場違いな私です・・・。こ、こわい・・・。遅れること5分、エレベーターのドアがシュッと開いて、風格のある女性(ちょっとキャシー・ベイツ似)が颯爽と現れました。一見して、味方にしたら百人力、が、敵には絶対回したくないタイプの弁護士さんです。テキパキと、でも暖かく私を迎えてくれ、自分のオフィスへ案内してくれる彼女。「さ、始めましょうか。どうしたらいい?あなたの言うとおりにするわ」とデスクの向こう側から私をじっと見すえてきます。弁護士なんて人種には日本でもアイルランドでも接したことのない私、今まで縁のなかったこの空気に相当びびってしまいました。が、私はカメラマン、ここは私がしっかりリードしなくちゃいけない場面です。自信たっぷりの、迷いのない声音(のつもり)で、「ええ、じゃ、まずこの窓辺に立って頂いて、あの茶色のビルを見つめていて頂けますか、はい、いいですね~、軽くアゴを上げて遠くを望むように・・・、はい、結構です。素晴らしい。次はこちらのデスクに座って、この書類をここに広げて・・・、で、このペンを片手にテキパキと仕事を進めているといった感じで・・・、はい、今度はカメラに目線を頂けますか。こちらをじっと見つめてください。そうそう、すごくいいです」などと声を掛け、彼女の周囲をぐるぐる回りながら、夢中で撮影を進めて行きました。撮影終了後、そのいかめしいビルを出て、眩しい朝の太陽を浴びた途端、一気に緊張が解けました。はぁぁぁぁ・・・・。
(後日談:アート・ディレクターのIは、椅子にふんぞり返ってこちらを睥睨する彼女の写真をPCに落した際、自分への覚え書きとして、「リーガル・ビッチ」とタイトルを付けてました。ひで~なぁ・・・。でも何となく納得・・・)

「ナショナル・ギャラリー」

   私の大好きな美術館。今日は取材で訪れたため、いつものように、カラヴァッジオの絵に直行するわけにはいきません。いつもはさっさと素通りする1階のインフォメーション・デスクへ向かい、取材要請をしてみました。デスクの女性曰く、「この美術館を取材する時は、申請書を提出してもらうことにしているの。それに記入してもらって、うちが受理してからじゃないと撮影は無理なのよ。あなたのメールアドレスにその申請書を送るから、それをプリントアウトして、必要事項を記入してから送り返してもらえるかしら?」とのこと。そりゃそーだ。ここは美術館、「どうぞお好きに」ってな展開になるわけがない。私だって静かに絵を鑑賞してる脇で、バシャバシャ撮影してる奴がいたら絶対に頭きちゃうし。ということで、その日はメールアドレスを置いて素直に引っ込んだものの、その後、待てど暮らせどその申請書が来ない!しびれを切らして問い合わせてみると、「あら、とっくに送ったはずなんだけど。まだ届いてない?じゃ、また送るわ。念のため、もう一度アドレス教えてもらえる?」との返事。え~、ホントは送るの忘れてただけじゃないの~?しかし、再度丁寧にアドレスを教えたにも関わらず、メールは来ず。まったく何やっとんねん!その女性がまた送るのを忘れたのでなければ、そのメールはサイバースペースの闇に消えたようです・・・・。結局、外観のみの写真を使用して幕。

「ダン・レアリーの魚屋」

   ダブリン市内からバスにごとごと乗って海辺の町、ダン・レアリーへ。ここは開放的な雰囲気を持つ海沿いの町です。そこの港の突端に建つ小さな魚屋を突撃取材。新鮮な魚の数々に思わず心躍ります。だみ声でテキパキと客をさばいている、黒いゴムの魚屋エプロンを着けたおばちゃんに「撮影させてくださ~い♪」とお願いしてみました。一見、「あ~、いいよ。勝手に撮んな」的面構えでしたが、意外にも「今、オーナーいないからさ、私が許可するわけにゃいかないのよ」と断られてしまいました。せっかくここまで来たのにぃぃ~!とガックリ。とはいってもこのおばちゃん、そのオーナーのケータイに連絡を取ろうと試みてくれたり(結局、つながらなかったけど)と親切ではありました。が、せっかくここまで来て手ぶらで帰るのはシャクなので、「分かりました。じゃ、出直します」と素直に引き下がる振りをして、ちょっと店から離れてからこっそり外観を撮影。結局、それが使われることになりました。

「カペル通りのアダルト・ショップ」

   カペル通りに面したショーウインドーに、エロエログッズがずらりと並ぶ「大人のオモチャ屋」。いくら取材とは言え、この昼日中の人通りが多い時間帯、中に入るのを見られたらこっぱずかしいなぁ・・・。狭い店内には一目で用途が明らかなモノから、一体何じゃ、これ??というモノまで、様々なグッズが棚から壁までぎっしり。ずらりと並んだおっぱい型の壁掛けなどは、実に壮観、実に見事。店にいた若いお兄ちゃんに自己紹介すると、「オーナーは2時ごろにならないと戻ってこないんだよね。だからちょっと待っててよ」と言われてしまい、図らずもどぎついグッズに囲まれ、オーナーのお帰りを待つ羽目になってしまいました。店のお兄ちゃんが勧めてくれた椅子に座って待っている間にも、お客さんが入ってきます。店の隅の椅子にぽつんと腰掛けている私は、誰かが入ってくる度に「何だ、こいつは?」みたいな怪訝な顔をされてしまいました。しょーがないじゃないのよっ、別に自分の趣味でここにいるわけじゃないわよっ!が、目は自然にエログッズの方へ・・・。考えてみれば、こういう店に入ったのは初めての私、ハッキリ言ってかなり興味シンシンです。しばらく店内をうろちょろしているうちに、「あ、あの下着かわいいじゃん。パンツと言うよりただのヒモだけど、色がステキ。買おうかな・・・」などと考え始めている始末。店内探索に夢中になっていると、ようやくオーナーが戻ってきました。何となくウィリアム・バロウズ(「裸のランチ」等の作家)に似たおじいさんオーナー、そのバロウズ面に反して意外にもすごく協力的。ここぞとばかりにおっぱい型のおもちゃの前や、どぎついエロ雑誌の棚の前などあちこち引っ張りまわして、撮影させて頂きました。とても楽しかったんだけど、店から出る時はやっぱり恥ずかしかった・・・。

ゲイパブ「The Geroge」

   ジョージズ・ストリートの名物ゲイパブ。ここは日中行ってもそれらしい雰囲気の写真は撮れないので、事前に取材要請をしておき、夜遅くに出直すことにしました。以前、客として何度か入ったことのあるこのパブ、もちろん女性も何の問題もなく入れます。夜9時ごろ訪れてみると、男性客7割、女性客3割といったところ。店のあちこちでは、ぺったりくっつきあった男性たちが楽しげに語らってます。大きなカメラをぶら下げた私が店内をウロウロしているとハッキリ言ってかなり目立ちます。何人かのお客さんに近づいて、「雑誌のカメラマンなんですけど、あなたの写真、撮らせてもらえないですかね?」と頼んでみると、割と気軽にOKしてくれました。頼んでもいないのに連れの男性に思いっきりぶちゅっとキスしている写真を撮らせてくれた男性も・・・。が、もちろんキッパリ拒絶する人たちもいて、中には私にそっと近づいてきて、「俺のことは絶対に撮らないでくれよ」とはっきり釘を刺すお客さんもいました。しばらくすると、1階の舞台で美しきゲイのおねえさまたちによるショーがスタート。すでにお客さんでぎゅうぎゅうの舞台前、どうにか前に進もうと四苦八苦している私を見たスタッフが、他のお客さんをかき分けて、私を舞台のまん前にいざなってくれました。事前にオーナーから通達が届いているらしく、バーのスタッフからドアマンまで店内のスタッフ全てが、可能な限り私に協力してくれるのです。み、みんな優しい・・・。ド迫力のショーが始まり、夢中で撮影している私に、おねえさまたちはしっかりカメラ目線のセクシーポーズを取ってくれたりと、神経を使いながらも楽しい撮影ができ、ハッピーな一夜でした。目にも毒々しい、いや、艶やかなメイクとドレスをまとったおねえさまたちのショーもかぶりつきで堪能できたしね。

「オーガニック・フード配達します」

   ダン・レアリーに住む女性、オーラによるオーガニック・フードのデリバリーサービス。自宅を拠点にビジネスを展開しているので、彼女のお宅まで取材へ伺ってみました。しかし、彼女のお宅へたどり着くまでが問題で、住宅街の一角にあるため、何度も何度も電話して行き方を確認しているにも関わらず、ウロウロと迷い続けてしまいました。ようやく彼女の家を見つけた時には、私の行方を心配していた彼女とそのお母さんは、家の前で私を待っていてくれるという有様。うう、感涙・・・。ちょうど配達に行く前だった彼女の家には、色とりどりの新鮮な野菜がどっさりと置かれていました。配達先ごとに白い布製のバッグに野菜を詰め、各家庭へ配っていくスタイル。各バッグに名前と住所がペンで書かれています。そのうち、彼女のご主人も戻ってきて、その野菜を切って味見させてくれたり(どれも最高にウマイ)、コーヒーやらケーキやら、いろいろな物をご馳走になりながら、ゆったりとおしゃべりに興じ、午後のひとときを過ごしました。みんな底なしに暖かく、気取りがなく、陽気な一家で、いつのまにか私も、みんなと一緒に配達先ごとに野菜を分けるのを手伝い、その時々で撮影し、何だか仕事と言うより、知り合いのお宅に遊びに来たかのような感じ。裏庭には緑の芝生をバックにして、デリバリー用の白い布バッグがずらりと干されており、午後の気だるく静かな時間、それがすごく平和な感じがして印象的でした。最後は私の方向感覚を心配したこのご夫婦、配達に行くついでに、私を最寄りのバス停まで送ってくれたりと、最後までお世話をかけてしまいました。すごく心がほんわかした取材だったなぁ・・・。

   何と言ってもこの仕事の喜びは、この街に住むあらゆる人たちと出会えること、それに尽きます。撮影自体は上手くいかないときもあるけれど、様々な職の人々と話ができる、というのは何にも換えがたい経験です。イグアナを片手ににっこり笑う、動物への愛が溢れるペットショップのオーナー、誇り高き高級レストランのシェフ、私が東京から来たと知るなり、大好きだと言う「ロスト・イン・トランスレーション」の話を延々と語る皮膚科医さん、ランチ中のワーキング・マン&ウーマン、意外にひょうきんだった教会の司祭さん、一枚一枚の絵に関して情熱的な講釈を与えてくれたアート・ディーラー・・・・。どうやったらこんな仕事、楽しまないでいられましょう。もちろん楽ではないし、大変な思いもするけれど、そんな苦労もひょいっと超越させてくれる喜びがこの仕事にはあります。

   また仕事以外にも事務所の空気にも馴染んできました。歩き疲れてふらふらになりながら事務所に戻って来ると、なぜかドアが閉まっている。あれ?まだ終業時間にもなっていないのに、何で誰もいないの???と途方に暮れていると、編集長Tが階段を駆け上がってきて、「よぉ~、お帰り!今日はめちゃくちゃいい天気だろ、今、下のパブの、外に置いてある椅子に座って、みんなで飲んでるんだ。すぐ降りといで!」と引っ張っていかれたり、毎月載せているワイン紹介のページのため、数本のワインを撮り終えると、副編集長Eが、「1本開けちゃえ」と言って、他のスタッフも交えて午前中からワインのテイスティング大会が始まり、「あ、このチリワインも飲んでみたい」と勝手に開けちゃったりと、何だか相当ゆるい空気です。私は私でいればいいんだ、と感じさせてくれるこの空気がとても好きでした。取材先のフィッシュ&チップス屋からおみやげで頂いた山ほどのチップス(こっちで言う、フライドポテト)を慌てて事務所へ持ち帰り(こんなにたくさんのチップスを抱えて、他の取材先を回るわけにはいかないので)、事務所のスタッフに「はいよ(どさっ!)。みんなで食べて!あ、行かないと。じゃね、行って来ます!」と、また取材へ飛び出して行ったりと、何だか目まぐるしい毎日。はい、その通り、最高に楽しかったです。こんな日々(その後、1ヶ月だったはずのインターン期間はずるずる延びて、最終的に3ヶ月くらいタダ働きしてたよーな・・・)。

Vol.18 「(ついに)ダブリンの雑誌で働く!③」

2008年03月30日 21時57分18秒 | ダブリン生活
「チャンス再到来!」

   雑誌のインターン・フォトグラファーの仕事のため、ダブリン空港に到着したと思ったらうんたらかんたら・・・・・(すいません、もういい加減、説明がめんどくさいので省略します。前回参照のことVol.17。)

   ・・・・・・はい、皆さん、前回までの話の流れは掴みましたか?ってな訳で、どうにかこうにかダブリンに入り込んだ私。その後、再度通うことに決めた英語学校の授業が始まるまで、暇にまかせて街をぶらぶらしたり、友人と飲んだくれたり、土曜日の午後はキックボクシングの練習も再開し、表面上はのんきに過ごしておりました。しかし、その間も編集部に対して、「仕事、まだないですか~?」「私のこと、忘れてませんか~?」と、しつこくメールを送るのを怠らず、虎視眈々とチャンスをうかがう日々。そうこうするうちに、学校の授業の方も始まってしまいました。以前にもこのブログで紹介したことのあるこの英語学校、のんびりした空気は相変わらずです。今回の新しいクラスメイトの国籍は、フランス、チリ、スペイン、ドイツ、イタリア、そして日本人の私、と見事にバラバラ。やたらに自己主張が強いこのクラス、授業中も休憩中も蜂の巣をつついたような騒ぎ。とにかく、面白くなりそうなクラスです。

   ケンブリッジ英語検定の猛烈な勉強の後、「もー、英語の勉強なんか当分うんざり!」と、思っていた私ですが、それでもやっぱり、机に座って、新しい知識を得るというこの感覚、楽しいんですよねぇ。学生だった頃、どーしてこのように純粋な勉強意欲が欠けていたのか・・・、などと今さら無意味な感慨に耽りつつ、新しいクラスメイトと共に、英語の勉強を再スタートさせた私なのでした。

「一通のメール」

   学校の授業初日が終わり、その帰り道、メールチェックするため、いつものようにフラット近くのネット・カフェへ立ち寄った私。メールボックスを開いた途端、ドキンと心臓が跳ねました。真っ先に目に飛び込んできたのが、あの副編集長からのメール!!

   「お願いしたい仕事があります。至急、連絡ください」

   うぉぉぉぉ!ききききき来たぁぁぁぁ!!!意地になって待った甲斐があった!これで私の忍耐の日々(というかダラダラした日々)も救われた!嬉しいぞ。嬉しい。非常に嬉しい。だけど、何で、何で何でよりによって、学校が始まったその日にメールが来ちゃうわけ?!自ら「タイミング最悪大王」と名乗りたいほどです。しかし、最初の時点で固く心に決めていたように、とにもかくにもこの仕事が第一優先。学校が始まってようが地球の温暖化が進んでようが、この再到来したチャンスを誰にも邪魔はさせません。

   その後、フラットへすっ飛んで帰り、必死に冷静さを取り戻してから事務所へ連絡。副編集長Eはケロッとして、「明日、もう一度君の作品を持って、事務所に来てくれるかな?」とのたまいました。ええ、行きますとも、行くに決まってんじゃないのっ!!

   翌日の授業はまったく気もそぞろ。その後、ドキドキしながら事務所へ向かいました。今回は編集長Tと初対面。ちょっと違った方向性のヒュー・グランド、といった風貌の30代半ばの男性で、やたらに通る声を持つ豪快そうな人物です。編集長T、副編集長E、アート・ディレクターIに囲まれて、その3人は再び私の作品を吟味し始めました。幸い、編集長も私の作品を気に入ってくれ、改めてインターンとして仕事をゲット!イエス!イエスイエス!!

   インターン期間は一ヶ月、勤務時間は基本的に10時から6時まで。そして、言うまでもなくタダ働きです。しかし、そんなことは大したことじゃありません(まぁ、それほどは)。大事なのはこの雑誌の写真を私が撮る、ということなのです。

   キャノンのデジカメと、ダブリンの市街地図帳を手渡され(この使ったことのない機種のカメラについて、約30秒間の使い方講義があった後)、最初の仕事の説明がありました。それは近々特集予定の、ダブリンの様々なベスト・スポットの写真を撮って来る、というものでした。渡された撮影リストは4ページに及び、何やらずらずらずらと箇条書きに羅列されたもの。その内容はというと、「ベスト・オーガニックフード・マーケット」、「ベスト・レトロなおもちゃ屋」、「ベスト・映画館」、「ダブリン2区のベスト・フリーパーキング・スポット」、「ベスト・離婚訴訟弁護士」、「ベスト・アイリッシュアートのディーラー」などの不可解なタイトルの後、住所が書かれてあるのもあれば、ないものもある、といった具合。

サンプル①:タイトル「ベスト・ツリー」(他に記述なし。で、それはどこにあるの?ダブリンでベストの木って、何がどうベストなんだ?)

サンプル②:タイトル「ベスト喫煙スポット」(『かつて名声を博していたが、もはやベストではない』との解説付き。その「かつて」の場所も知らないし、今のベストの場所も分からん。喫煙場所に対する「ベスト」の定義とは?)

サンプル③:タイトル「事業体としてのカペル通り(『Capel Street, as an entity』)」(一体これ、どういう意味?カペル通りの何をどう撮れと?)

   リストのほとんどがこんな具合。場所の名前も住所も書かれてなかったら、一体どこへ撮影に行けばいいのだ?頭の中には「?????」が増殖するばかり。とりあえずEに「これらリストの住所が全部載ってるものって他にないんですかね?」と尋ねると、「んーと、どれが分からない?」と逆に聞き返すE。つーか、ほとんど全部だよ!!

   「さ~て、それじゃこの(大雑把過ぎる)リストを一つづつ説明していこうか」などという展開は決して訪れない、と悟った私は、リストの中でも特に不可解な部分の説明、その場所、そしてどういう写真を望んでいるのかなどを大まかに教えてもらうことに。もちろん撮影へは私一人で行くのであって、誰も案内してくれません。全て自分で判断して、こなしていかなければいけない。それなのに、どう仕事を進めたらいいのかも、今の私には全くあやふや。ぽかんと待ってても事態は何も進まないし、分からないなら分からないなりに自分から動いて解決しなくては。とにかく今日、フラットに帰る前にインターネットでリストのひとつひとつを検索し、自分で少しでも情報を集めなくては、と密かに決意し、その日は事務所を後にしたのでした。

   翌日、始まって三日目でいきなり学校を休み、初出勤した私。とりあえず、その日は場所が明確に記載されていて、この事務所の近所にあるものだけを片っ端から撮影することにしました。とうとう念願のインターンの仕事が始まります。う~、怖いよう。でもワクワクするよう。そんな相反する気持ちとカメラを持って、「よっしゃあああああ!行くぞ~~~!」と外へ飛び出しました。

   1軒目:事務所から徒歩3分の人形専門店。ぬいぐるみやアンティーク人形などの販売の他、壊れてしまった人形の修理も行なっています。勝手にパシャパシャ撮影するわけにはいかないので、恐る恐る店の中に入り、「あの~、○○誌から来たカメラマンの○○です。近々、『ベスト・オブ・ダブリン』という特集を組む予定なのですが、ぜひこの店を載せたいので、撮影させてもらいたいんですが・・・」と、撮影許可を求めました。すると中にいたおばさんスタッフ、「あらま、雑誌?すごい。ね~、みんな~、雑誌用にこの店の写真を撮りたいんだって~。で、その号はいつ発売されるの?」。うぐぐぐぐ、いつって聞かれても、そんなこと私だって知らない・・・。とは言え、「え~、分かんない」とはもちろん言えないので、「そ、そうですねぇ、夏ごろまでには出る予定ですね」と、いい加減な答えで言い逃れ、それ以上質問されないように、「うわ~、この人形、素晴らしい!アンティークですかぁ?よくこの店の前を通ってたけど、入るのは初めてなんですよ~。ステキですね~。とりあえず外観から撮影させてもらっていいですか?じゃっ!」と、ベラベラとしゃべり続けて逃げるように外に飛び出し、撮影を始めた私なのでした・・・。

   2軒目:デイム・ストリートのカフェ、クイーン・オブ・タルト。ここは元々、私のお気に入りのお店。相変わらず人気のこのカフェ、店内は満席です。そこでなるべく他のお客さんの邪魔にならないようにしながら、カウンターのお姉さんに自己紹介し、店内を撮影させてくれるようお願いすると、「ちょっと待ってね」と言って、奥からオーナーを呼んで来てくれました。再度、取材の説明をすると、過去に何度かこの雑誌の取材を受けたことがある、というその女性オーナーは気軽にOKしてくれました。そのうえ、「このケーキ、ショーケースから出しましょうか?」とか、キッチンにいるスタッフを撮りたがる私に、「みんなちょっと集まって。雑誌に載るかもしれないから、ちゃんと髪を整えといてよ」とか、忙しいにもかかわらず、ウロチョロする私に嫌な顔一つ見せず、店のスタッフ全員が暖かく協力してくれました。

   3軒目:インドアのフードマーケット内にあるジェラード屋さん。色とりどりのジェラードが並んだショーケースに目が釘付けの私。そこの若い女の子のスタッフに、責任者を呼んでもらいました。やって来たのはテキパキした感じの女性。私の説明を聞くと、どのような記事になるのか、写真はどこを撮りたいのかなど、細かく突っ込んできました。う~む、ここは前2軒に比べて、取材に関しては多少、厳しい感じ・・・。そこで、ここのジェラードの素晴らしさを散々褒めちぎり(一度も食べたことないくせに)、ここのジェラードはダブリンで最高なので是非うちの雑誌で紹介したい、と熱弁し、撮影も他のお客さんの邪魔には決してならないようにすることを自信たっぷり(の振りをして)強調すると、オーナーも最終的にOKしてくれました。撮影が終わって、ジェラード屋の女の子に礼を言うと、「ちょっと味見してみて」と、ジェラードを入れた小さなカップを渡してくれる彼女。もー、これが最高にウマイ!ああ、役得ねえ・・・。うっとりとジェラードをぱくついている私に、「実は私も写真やってるの。それ、どこのカメラ?あなたはそこの雑誌でどれくらい働いてるの?あなたはどうやってこの仕事を手に入れたの?なんたらかんたら」と彼女から質問の集中砲火が始まり、なぜか突然、そこは彼女の進路相談室へと変貌・・・。

   数軒の撮影を終え、終業時間の6時前には事務所に戻りました。撮影を始める前は、取材相手に対してどうやって切り出したらいいんだろう、とか、雑誌に関して突っ込んだ質問されたらどうしよう(聞かれても分かんないし)とか、不安も多かったのですが、実際に始めてみると、それらを一つづつ、まさに実地で学んでいく事になった私。過去に日本で携わっていた旅行情報誌の取材方法と比べても、特に違いがない事も幸いでした。それまでは「アイルランドにはアイルランドなりの仕事の進め方とか、流儀とかがあるのかな」と考えて、おっかなびっくりだったんだけど。

   私の初仕事分のメモリーカードをIに渡し、マックの画面でチェックしてもらうことに。するとIは一言、「う~ん、全体的にちょっと暗いな・・・」。げげげっ!確かに暗い・・・。撮影時にカメラの液晶モニターで確認していた限りでは適正な明るさだったのに、PCの画面上だとかなり暗くなってしまっています。なぜだ・・・?と考え込んでいる私の横でIは、「これとこれは明日、また撮り直そう。これはPCで調整できるからこのままでいいや。こっちのは・・・・う~ん、これもできたら撮り直した方がいいかも・・・」。ガーン。私の初仕事、ボツだらけ・・・。でもな~、これってカメラの液晶モニター自体の設定がおかしい気がするんだけど・・・。自分が使い慣れているカメラなら、いろいろな設定をいじることもできますが、使ったことのないカメラとなると、下手したら余計とんでもない状態になりかねません。とりあえず、普段このカメラをよく使うらしいEに、設定全体を見直してもらうことにしました。頭をひねりながらあちこちいじくり回し、「これでOK。明日からこれで撮影してみて」と、Eはカメラを返してくれました。Eよ、その心もとない表情はやめてくれ。このカメラに対してさらに不安感が増したぞ。マジで大丈夫なのかな・・・。

   そのうち、外出していた編集長Tが賑やかに帰ってきました。すると私を見るなり、「来月号にダブリンの人気レストランのオーナー8人の記事を載せる予定なんだけどさ、彼らのグループショットを撮ってきてもらいたいんだ。明日、すぐ近くのパブに全員集まってもらうことになってるから、そこで撮影して来てくれ。そして、この写真は2ページに渡って見開きで使うつもりなんだよ。僕が欲しいのは、こうこうこういう感じの写真で、なんとかかんとか・・・」と、いきなり大仕事の依頼をして来たT。グループショットを撮る事自体は特に問題はないけど、ダブリンのセレブオーナー達に対して英語でテキパキと指示を与え、Tが望むような的確な写真を撮り、忙しいオーナー達をさっさと解放してやらなければなりません。すごく嬉しいんだけど、緊張もしてきた・・・・。

   翌日。いまだカメラの設定に不安を持ちつつも、リストに沿って昨日の続きから一日がスタート。ダブリンの街じゅうをあちこち飛んで歩き、様々な人に会い、様々な状況での撮影が続きます。ようやく度胸もついてきて、撮影の進め方、交渉の仕方、時間の有効な使い方(撮影の順番などのスケジュール管理は自分で決めるため)や、さらに取材先で分からない質問をされた時の上手な言い逃れの仕方など、スムーズにこなせるようになってきました。昨日、丸一日歩き回ったせいで、情けないことに足に大きなマメができてしまった私。歩くとマメが痛いけど、今日もまた一日中、ダブリンの街を歩き回らなければなりません。カメラマンとはまさに体力第一。でも、今まで知らなかった場所や普段なら決して入ることはないような場所(老舗の床屋さんとか高級レストランとかその厨房とか)を訪ね、そこで働く人々に会って会話をするのは、何とワクワクすることか!もしかしたら、私が何の苦労もなく相手と英語でコミュニケーションを取っていると思ってらっしゃる方もあるかも知れませんが、決してそんなことはありません。私だってそれなりに英語では苦労しています。誰も助けてくれないから、どうにかやってるってだけの話。今のところ、相手はみな協力的だし、私の取材に対してオープンな態度で接してくれるので、四苦八苦しながらも前には進んでる、というだけなんです。ダブリンの人気雑誌の取材、というのに加えて、やって来たのがアジア人の女、というのが多少、物珍しさを招いているらしく、「どこの国から来たの?」とか「東京ってどんな所?」とか「この仕事はどれくらいやってるの?」とか、逆にいろいろ質問を受けたりもしました。ああ、私はこの仕事ができて本当にハッピーです・・・。

「もしかしてクビ!?」

   昨日、Tから言われていたように、レストラン・オーナーのグループショットのランデブーに合わせ、4時前に事務所へ戻りました。撮影場所は事務所からも近い、個人的にも行きつけのパブ。今回はEとこの記事を担当するライター、Dの2人が一緒。冷たい小雨が降る中、とぼとぼと3人で撮影場所のパブへ向かうと、すでに数人のオーナー達が集まっていて、それぞれ飲み物片手に談笑しておりました。さすがセレブ・オーナー軍団、みんな一様にパリっとしたスーツ姿です。Eが彼らに私を紹介し、全員が揃ったところで撮影がスタート。

   このパブの店内は、まるで倉庫のように広く、天井がとても高い造りになっており、洗練された雰囲気があります。ガラス張りの天井からは、柔らかい光が広い店内をぼんやりと照らしていて、とても落ち着いた雰囲気。が、まず気になったのが、この光量。目で見るとそれなりに明るく感じるし、この柔らかな明るさが逆に風情をもかもし出している、と言えます。でも実際に撮影すると、自分の目で感じるよりもかなり暗く写ってしまうのは明らかです。

   どこからどう撮るかをEと手早く相談し、8人のセレブ・オーナー達に「ここにこんな感じで立ってて下さい」とか「顔だけこっちの方向に」とかポーズをつけながら、撮影を進めていきました。いまだにカメラに対して全幅の信頼を持てないので、内心、冷や汗モノです。とは言え、ぼんやりした店内の柔らかい雰囲気をストレートなフラッシュで壊したくなかったので、危険を承知でフラッシュ無しで撮ったりもしました。撮影の間、何度もモニターを確認。お~、中々いいじゃないの。これぐらいの暗さならOKなはず。そんなこんなで、気さくなオーナー達にも助けられ、ようやく撮影は終了しました。

   オーナー達に礼を述べ、一緒に来た他の2人を残して、一足先に事務所に飛んで帰りました。Iにメモリーカードを渡し、PCに落としてもらい、チェックを始めた途端、

   顔面蒼白。

   え~らいこっちゃぁあああああ!!めっちゃ暗いやんけっ!撮影中にあんだけ液晶モニターを確認したのに!「これくらいなら逆に雰囲気が出ていい」なんて、とんでもない!PC上で見てみると、雰囲気もクソもありません。暗すぎ。ただそれだけ・・・・・。

   カットをひとつひとつ、丁寧にチェックしていたIも「この構図とかポーズなんかはいいんだけどさ、ずいぶん暗いんだよなぁ・・・・・・」と低く呟いてます。「これとこれなんかはPCで多少修正できるかもしれない。もうオーナー達はみんな帰っちゃったんだろ?撮り直しするにしてももう遅いか・・・・」。ずぶずぶずぶずぶとショック沼に沈みこんでいく私。忙しいオーナー達を再び全員集合させるのは、容易なことではないはず。どうかお願い、助けて~!どうにかPCで修正してぇぇぇぇ!!!

   しばらくすると、Eも事務所へ戻ってきました。その写真の暗さに焦ったEも加え、みんなしてPCを囲んでいると、今までどこにいたのか、ふらっと編集長登場。いつものようにご機嫌な声で、「よぉ~!撮影はどうだった?上手くいった??」。修正作業を続けていたIが、「ん~、ちょっと全体的に暗いんだよね。救い出せるカットがあるかどうか、今やってるとこなんだけど・・・」と説明すると、Tも我々3人のそばにすっ飛んできました。

T:「えええ!?何でこんなに暗いの?全部で何枚撮ったの?」
私:「え~とですね、20枚くらい・・・」
T:「20~~~~!?少ないだろ、それ!せめて50や60ぐらいは撮らないと!もう全員帰っちゃったのか?取り直しはできないのか?おい、E!お前、そばにいて何も言わなかったのか?!」

   と、怒りの矛先が突然、Eに向いてしまいました。黙ってるわけにも行かないので、「すいません、Eに非はないんです。撮影する前に相談はしましたが、その後は私が自分の判断で動いてたんです。Eも私がこれだけしか撮ってないとは思ってなかったと思います。本当に申し訳ありませんでした」と言いつつも、「私、もしかしてこれでクビかも・・・・・」と、絶望的に考えていました。編集長Tは溜息をつき、「いや~、参ったな・・・。I、どうにかなりそうなのか?」と尋ねると、Iは「ん~、これなんかはいいと思うけど」と、その修正後のカットを我々に見せてくれました。おおっ!いいじゃないのっ!!ド真っ暗だったカットが充分な明るさで復活を遂げていました。最終的にTは、「よし、これで行こう。でも見開きページはやめだ。となると1ページが空くな。よし、E、そのページをどうにか埋めてくれ」と決断。さすがアート・ディレクター、素晴らしい手腕で二度と日の目を見なかったかもしれない私のへぼカットを、このように救い出してくれたのでした。多謝!

   どえらい失敗をし、編集長に叱られ、相当へこんでしまった私。こういう時って身の置き所がないんですよねえ。できれば今すぐ、誰もいない山里にでもこもってメソメソしていたいとこです。大きな仕事を任せてくれたTに対し、大失敗でお返ししてしまった私。クビを覚悟しながら編集長にもう一度深々と謝罪。が、さっきまでカンカンだったT、「まぁ、次からは気をつけてくれよ」と軽く言ってのけ、「で、他の撮影はどう?順調に進んでる?」と再びいつもの調子で尋ねてくれたのでした。私のクビもまだ繋がってる模様です・・・・・。

   Iにもう一度カメラの設定を見直してもらうようお願いすると、へこんでいる私を気遣いながら、優しくカメラの設定方法を説明してくれるI。いかんいかん、失敗をしでかした張本人が逆に周りに気を使わせている。背筋をしゃんと伸ばし、暗い表情も脇に置いとかなくては・・・。とにかく、目の前の仕事に集中、集中。

   カメラ上とPC上での明度の差を確認し、カメラをきっちりと調整してもらいました。これでようやくカメラを信頼して撮影に専念できる・・・。あ~、最初からIにキチンと見てもらえばよかった。これからは少しでも不安なポイントがあったら、とにかく突っ込んで聞きまくろう。私はカメラマンとして雇われてるんだから、撮影に関して不安があれば、どこまでも突き詰めて解決するのは当然のこと。言い換えれば、私が黙ってれば、何も問題はないとみなされてしまいます。これからは相手の仕事を邪魔しようが何しようが、自分が納得いくまで対処しなくては!はぁぁぁぁ、6時も過ぎてる。とにかく今日はお家にかえろ・・・・・・。

   次の日。昨日の失敗をいまだに引きずりながら、気まずい思いで出社すると、一番乗りで出社していた編集長Tは私を見るなり元気いっぱい、「おはよ~!どう、元気?そう言えば、使ってたカメラの設定、おかしかったんだってぇ~?」とご挨拶。昨日の不機嫌は跡形もなく、普段通りに接してくれる彼。私が観察していたところによると、この編集長T、短気ではあるけれどそれをいつまでも引きずらないタイプで、感情表現はストレート。また、実質的に私に仕事を指示する副編集長Eは、このやたらに元気な編集長をうまくやり過ごしつつ、自分のスタンスを守り、いつも冷静でありながらお茶目な面も。ADのIはいつでも「穏やかオーラ」を発しており、その優しさに心がなごみます。他にもライターや営業、広告担当のスタッフも数人いて、お互いよく行き来をしているものの、彼らは別の部屋で仕事をしています。なので、いつでも私の身近にいるのはこの3人。その後、仕事を続けるうちに、誰が不機嫌だろうが誰が大声で悪態をついてようが、特に気にもならず、知らん振りで自分の仕事に集中できるようになりました。慣れってすごい・・・。

   さて、今日もまたハードな一日が待っています。あんなに「仕事くれ」と騒いでたくせに、一つや二つの失敗で落ち込んでるなんて情けなさ過ぎます。気持ちを切り替えて今日、自分がやるべき仕事をキッチリこなそう!それが私に求められている事なんだぁぁぁ!と、熱き血潮に誓いつつ、みんなからの「いってらっしゃ~い」の声を背に、カメラと共にダブリンの街へ飛び出して行くインターン・カメラマンなのでありました・・・・。

Vol.17 「ダブリンの雑誌で働く!②」

2008年03月16日 22時52分14秒 | ダブリン生活
「ダブリン空港、バトルフィールドと化す」

   5月から始まるインターン・フォトグラファーの仕事のため、ダブリン空港に舞い戻ってきた私(Vol.16参照)。今さらだけど、東京とダブリンは遠いなぁ、よくもこう、何度も日本とアイルランドを行ったり来たりしてるよな、私・・・と疲れた体をひきずって、よろよろと入国審査に向かいました。

   さーて、とうとう正念場です。日本の暖かな春の日差しを受けながらも、心の底ではいつもこの瞬間を恐れていました。空港のイミグレスタッフにいろいろと突っ込まれるのは承知の上。私に今必要なのは、落ち着いた態度と信念のみです。

   今回、入国審査が厳しいので悪名高いロンドンを経由してきました。今回の事情が事情なので、できればロンドンは避けたかったけど、チケット代の安さに勝てず、bmi(ブリティッシュ・ミッドランド航空)を利用してしまった私。案の定、ヒースロー空港でちょっとひやっとした場面を経験しておりました。

ヒースロー・イミグレ(ドレッドヘアのラスタな男性):「今日はどこまで?」
私:「ダブリンです(ロンドン-ダブリン間のチケットを提示)」
ヒー・グレ:「(パスポートの中をじろじろ見る)・・・・・滞在の目的は?」
私:「5月からインターンとしてこの雑誌で働くんです。給料無しで。これがそこの編集者からのレターです」
ヒー・グレ:「(隣のスタッフと何事か相談する)ん?つい最近、アイルランドを出たばかりじゃないの?」
私:「(ラスタな外見の割には突っ込んでくるな、こやつ・・・)以前は英語学校に行ってたんです。でもこのインターンの仕事が始まる前にそのビザが切れてしまうので、仕方なくその間日本に帰って、この仕事にあわせて帰ってきたんです」
ヒー・グレ:「・・・・・・・・・・・・う~ん」
私:「もし何だったら、その編集長に電話して確認してもらっても結構ですよ」
ヒー・グレ:「・・・・OK。どうぞ(パスポートを返してくれる)」

   今回は、「観光で来ましたぁ♪」とかわいこぶって3ヶ月の滞在ビザを狙う方法はハナから捨てて、副編集長からのレターを提示し、正攻法で突破するつもりでした。相手はプロなので、ここでいい加減な嘘をついたらその嘘を固めるためにどんどん嘘をつかなければならず、私がちょっとでもほころびを見せたら最後、そこを集中して突っ込んでくるのは目に見えているからです。

   よーしよしよしよし、とにかく第一関門は突破!次はとうとうダブリン空港よ!

ダブリン・イミグレ(頑固そうなおっちゃん):「滞在の目的は?」
私:「5月から始まるインターンの仕事のためです(レターを提示)」
ダブ・グレ:「・・・・う~ん、ちょっと待って(どこかに電話する)」

   これまでは割と余裕の態度で入国審査に臨んでいました。このおっちゃん、レターに記載された番号を見て、編集事務所に確認してるんだろうな、とは気付いていました。考えてみるとそっちの方がいいのかもしれない。直接、おっちゃんに私の身元を保証してくれた方が助かります。

「Straight to Hell(地獄へまっさかさま)」

   しばらくの間、なんのかんのと電話の相手と話していたイミグレのおっちゃん、ようやく受話器を置いて、私に向き直りました。

ダブ・グレ:「あのさ、今、その雑誌のオフィスに電話したんだけどね、相手は『そのポストはもう他の人間に決まっている』って言ってるんだけど」

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい?

   私の周りの世界全てがガラガラガラと崩れていくほどのショックを受け、ただただ、ボー然。ショックもショック、大ショックなものの、一体何が起こっているのかさっぱり分かりませんでした。

私:「え、ちょちょちょちょちょちょちょっと待ってよ。今、誰と話したの?副編集長?」
ダブ・グレ:「その副編集、もうオフィスを出ちゃったんだって。電話に出た事務所の別のスタッフが、その彼に連絡取って確認してくれたんだ。その仕事はもう他の人に決まったんだと」

   ぶっちギレ。

   完全にヒューズがぷつんと切れた私。思いつく限りの罵詈雑言を駆使し、叫び続けました。よくもこんなえげつない英単語知ってたなぁ、と自分でも感心するほどです。映画、本、テレビ、はては街角で見聞きしたまま、潜在意識の奥深くにしまっていた罰当たりな言葉の数々。それらが地獄の釜が開いたみたいに飛び出してきて、もうどーにも止まりません。

私:「あっっっっっの嘘つきやろぉぉぉぉぉぉぉぉ!ふっざけやがってぇぇぇ!一体、何のために日本からここまでやって来たと思ってんの、あの○○チン野郎!!じょーだんじゃないわよ、今、自分であのクソ野郎に直接聞いてやるから、今すぐその電話で折り返してよっ!今すぐ!!!」

ダブ・グレ:「いや、だから、もう帰っちゃたんだって・・・・」

私:「ちょっとおじさん、今の状況をいちから説明するからよーく聞いてよ。私はね、この仕事が決まった後、ビザの問題で一度アイルランドを出なくちゃいけなくなって、日本に帰ったの。でも、その前にあのボケナスにはちゃんとメールしたのよ、『4月28日にダブリンへ戻ります。何かあったら連絡ください』って!!それを遠路はるばる日本から飛行機に乗ってきて、着いたと思ったら『他の人間に決めた』だぁぁぁぁぁぁ?!そんなことを到着したばかりの空港で聞かされるって一体、どーゆーことっ!?ふざけんなっつーのよ、私の立場はどーなんのよっ?!!!」

   一気に頭に血がのぼったため、たぶんこの時、私の全ての脳内血管は直径3cmぐらいに肥大していたでしょう。ついでに耳からも血がだらだらと噴出していたはず。

ダブ・グレ:「・・・・今日はもう金曜だし、来週の月曜日はバンク・ホリデー(公休日。たいてい月曜日にあたる)だから、彼に連絡とれるのはおそらく火曜日になるだろうね。君に一週間あげるよ。だから休み明けに連絡とってみなさい」

   とりあえず一週間の猶予を与えられた私は、ようやく空港を出ることができました。でもいまだ興奮さめやらず、すぐにケータイで事務所にTEL。出たのはイミグレのおっちゃんと話していた男性でした。

男:「ああ、彼、今日はもう帰ったよ。インターンの件でしょ?申し訳ないんだけど僕じゃ何とも返答できないんだ。火曜日には彼も出社するから、その時にもう一度連絡くれないかな?」

   要領を得ない相手に八つ当たりしても意味ありません。おとなしく電話を切りましたが、なんつー展開なのっ!?こんなことが起こっていいのか!?これにて私のダブリン滞在記はおしまいってか!?ふ~~~ざけんなぁぁぁ!来週、待ってろよ!!!

   懐かしきフラットに戻って、ようやくホッとした私。ダブリンを出る前も帰ってきた後も、一週間とか10日間とか、何だかやたらにちびちびした滞在猶予を与えられ、宙ぶらりんの状態で過ごしてきたような気がします。こういうのって一番イライラしますよね。首の皮一枚で繋がっているような状態だと、先のことがまったく計画できません。一週間しか滞在許可が出てないのに、二週間後のことは計画できないものね。私は割に神経質な方なので、先のこともなるべく早めに準備して(特にこういうビザ関係は)備えておく性格です。だから、こういう状況は一番ストレスがたまります。

   さて、火曜日。朝もはよからじりじりと時計ばかり見つめていました。10時過ぎ、もういいだろうと事務所へTEL。

私:「先週、空港でものすごいショッキングなこと言われたんですけど。あのインターンの仕事、他の人に決まったって一体どーゆーことですか?」
副編集長:「君が日本に戻ったのは知ってたけど、いつ戻ってくるのか全然連絡がなかったから、他の人間がもうその仕事を始めてるんだよ」
私:「え、だってだって、連絡したでしょ?!こっちを出る前にちゃんとメール送りましたよ。『4月28日にダブリンに戻ります。何かありましたら連絡ください』って!」
副編集長:「えぇ~、見てないなぁ、そのメール。おかしいな。ホントに申し訳なかったね。でも、君の代わりの人間は、すでに仕事を始めちゃってるんだよねー。まだ他にも君に頼みたい仕事が出てくるかもしれないから、その時はすぐに連絡するよ。申し訳ない」

   ・・・完敗です。「メール送った」「受け取ってない」「いや、確かに送った」「いや、見ていない」を永遠に繰り返したところで、水掛け論で終わってしまいます。「私を雇う」と確かにレターを作成してもらっていたとは言え、あれは単なる覚え書き程度であって契約書でも何でもありません。それに、もう仕事を始めてるというその人間を辞めさせて、今すぐ私を使え!とまでは言えませんでした。それじゃあまりにもその人が気の毒です(相手を気の毒がってる余裕なんて、今の私にはないけどさ)。あああぁぁぁぁぁぁ、どーしたらいいの?一体どーしたら?!

「再び駆け込み寺へ(つまり、英語学校)」

   ここでふてくされて全てを諦め、日本へ帰るか?誰が帰るかっ!これじゃ私がただの「マヌケガエルくん」で終わってしまいます。ケロケロ。副編集長は、「仕事があり次第連絡する」と言いました。ならば待ちましょう。今の私に可能な限り、待ってやろうじゃないの!自分で言うのもなんですが、ほんっっとにしつこい性格だと思います。いやんなっちまう。

   とは言え、ダブリン空港のイミグレおぢさんがくれた期間は一週間のみ。三日後には切れてしまいます。ぐずぐず悩んでるような時間的余裕はありません。蝶のように考え、蜂のように行動しなければ!ということで、瞬時に決心しました。「一ヶ月間だけ自分に猶予をやろう」と。

   以前と同じ生活をまた繰り返すのはいい加減、うんざりです。ダブリンで生活できるのはすごくハッピーだし英語を勉強できるのは嬉しいけれど、これじゃただのダラダラ人間で終わってしまいます。私はこの雑誌の仕事をするために戻ってきたんだ、その一ヶ月間はそのための待機にあてよう、でもいつその仕事のチャンスがやって来るかは分からない。だからと言ってダラダラ日々を過ごすのは真っ平だし、そんな人間に一ヶ月の滞在許可をくれるわけがない。だから私は自分に許しました。ビザを伸ばすには再び英語学校に行くしか今のところ方法がないし、別の方法を探してる暇もない。一ヶ月分の授業料+生活費+帰りの航空費ぐらいなら何とかひねり出せる。その間、また英語学校に通いながら、何かが動くのを待とう、それで何も動かなかったら、キッパリ諦めて日本へ帰ろう。

   決心するが早いが、ダブリンで最初に通った英語学校へすっ飛んで行きました。嬉しいことに、懐かしい先生たちは再会を喜んでくれました。そして、私の現状を正直に彼らに伝え、こういう事情で一ヶ月だけダブリンにいるつもりなんだけど、その間、もう一度ここに通いたいんです、と説明。すると、同情+その副編集長に対する怒り+私の執念に対する敬意(というか呆れ)を示してくれ、ついでに授業料も割引してくれ、その日のうちにさっさとレベルテストを受け、つつがなくビザ申請のための書類を受け取りました。その後、再び街なかのイミグレに飛んでいき(うんざり)、一ヶ月の滞在ビザの手続きを(この申請にいちゃもんつけやがったら殺す、という目つきで)終えたことは言うまでもありません。しかし、こういうことには手馴れた手腕を見せる自分が何だか哀しいです・・・。


   さて、学校の授業は二週間後からスタート(少しでも滞在期日を延ばすため、翌週からでもよかった授業開始日をあえて遅らせた。みみっちぃ手です)。これから何が起こるのか・・・。以下、次号。

P.S:すいません、「ダブリンの雑誌で働く」というタイトルの割に、いまだに話が全然進んでない事態を深く陳謝いたします。タイトル詐称だ!と突っ込まないで下さい・・・。

Vol.16 「ダブリンの雑誌で働く!」

2007年03月12日 12時34分57秒 | ダブリン生活
「カメラマン職探し再開」

   カメラマンの仕事を求めてダブリンにやって来たと思ったら、突如発生したあの「ロンドン日帰り旅行空港拉致」事件(Vol.4参照)。その後、この街にとどまる為に仕方なく通い始めた英語学校のはずが、自分でも呆れるほど勉強に邁進、気がつけば半年のコースも終了。しかし、いまだに仕事は見つからず(というより、英語習得欲に火がつき、職探しはそっちのけ状態でしたが・・・)。
   
   う~む、このまま日本に帰るわけにはいかぬ、これじゃ何しに来たんだか分からない、わたしゃも少し時間が欲しい・・・、ということで、時間稼ぎの為に使う常套手段で別の英語学校に再び通い始めた私(最初の学校はとても気に入っていたけど、授業料が安い学校に変えた。なんせ無収入の身ですから)。今度こそ本気で仕事探しに集中しよう!と思ったのも束の間、学校に通うために滞在ビザを延長するには週20時間以上の授業を受けねばならず、そのうえ更なるレベルアップのためにケンブリッジ英語検定試験準備コースに入ることにしたため、あれよあれよのうちに以前より輪をかけて猛烈に忙しくなってしまいました(週5日の通常コース+週2回の夜間ケンブリッジ英語検定準備コース+週1回のマンツーマンクラス+それぞれのクラスの宿題どっさり+空いた時間は試験対策用テキストで自習・・・)。

   おーい、前よりもっと時間がないぞ~!と、勉強でクラクラする頭を抱えつつ、ようやく重い腰を上げて出版社や編集部に再び、ぽつぽつとあたり始めた訳・・・。

「インターン・フォトグラファー!」

   しかし、もちろん順調には行かないのが人生。勉強の合間合間には、友人のフリー・カメラマン、アランの撮影を手伝ったりはしていましたが(Vol.11参照)、それだってしょっちゅうあるわけじゃないし、ギャラだって(というか謝礼というか)あったりなかったり。それに実際撮影するのはアランであり、私じゃありません。う~む、宿題やらなくちゃ、勉強しなくちゃ、仕事情報を探しにインターネットカフェにも行かなくちゃ・・・とあちこちに気持ちを引きちぎられながら過ごしていたある日、友人グェンからメールが届きました。「この雑誌でインターン・フォトグラファーを募集してるわよ。私はこの雑誌のファンでよく買ってるんだけど、あなたも興味あるかと思って・・・」とのこと。いつもの事ながら思いやり溢れるグェンです。心配してくれてるのね、私のこと・・・とうるうるしつつ、その雑誌のHPを訪れ、エディターや寄稿家等の募集の他、確かに短期のインターン・フォトグラファー募集告知がありました。

   この雑誌はダブリン発行のカルチャー誌です。実際には買ったことはなかったけど、本屋やニューススタンド、コンビニの店先等で見かけていたので存在は知ってはいました。その後、自分でも一冊購入してみたのですが、内容も面白く、構成や写真の質も気に入って、すっかり夢中。以前、日本でやっていたようなデータ重視の情報誌の仕事(お決まりパターンの写真しか取れないような)はできれば避けたかったので、ユニークな目線で作られたこの雑誌での募集にすっかり乗り気になった私なのでした。

   とはいえ、このポストは「インターン」、結局は給料なしの研修生です。撮影の仕事はしたいけど、今の経済状態のなか、ペイなしで働くのは辛いなぁ・・・と、まだ誰も雇うなんて言ってやしないのに、一人ぶつぶつと思い悩んでいたのでした。

   このインターンカメラマンのポストに応募するには、CV(履歴書)と300文字程度の自由作文を送らなくてはいけません。ペイなしうんぬんでちょっと躊躇はしたものの、仕事の内容自体には心惹かれていました。とにかく、その頃には撮影の仕事がしたくてうずうずしていたし、現地の雑誌で働く経験ができるならとにかく挑戦してみよう!とダッシュでCVを作成し、編集者の心を捉えるような英作文をあーでもない、こーでもないとひねり出し(学校の先生にもチェックしてもらい)、えいやっ!とメールで送ってみたのでした。

「面接に行く」

   その後、なかなか返事は来ませんでした。あ~あ、ダメだったのかなぁ・・・と思いながらも、近づきつつあるケンブリッジの英語検定試験に向けて、さらに大車輪の勉強とストレスの日々を過ごしていました。それから一ヶ月ほど経った、応募したことさえ忘れていたある日、私のメールボックスになんと、その雑誌の副編集者からの返事が・・・。

   「面接に来て頂きたいのですが、いつ来られますか?」

   がびーん。おいおいおいおい、自分で応募しといてなんだけど、返事来ちゃったよ~!面接することになっちゃったよ~~!ってか、返事おせーよっ!もう試験直前だってーのに!

   望んでいたことが叶いそうになった瞬間、それに背中を向けて逃げ出したくなる。これが昔からの私の習性です。変に自信家のくせに、びびり屋のあまのじゃくでもある私のいつもの癖が出て、またしても「キャ~~~!」と、逃げ出したくなりましたが、こんなチャンスを逃すわけには行きません。善は急げと、その翌日の午後を指定すると、「明日の面接の際、あなたの作品を持ってきてください」とのこと。その夜は自分の作品を引っ張り出して再レイアウト作業に勤しみ、準備万端手抜かりなし!強気で相手をふっ飛ばせっ!ってな感じで、一人で鼻息荒くしながら眠りについたのでした。

   翌日の面接日。その日の学校の授業はまったく上の空でした。その雑誌の事務所は、町の中心地にあり、普段からしょっちゅう目の前を歩いていた馴染みのエリアにありました。時間より早めに着いて近くのカフェで濃~いエスプレッソを流し込んで気合をいれ、アドレナリン全開でいざ出陣。ドア脇のインタフォンを鳴らし、自信たっぷりの声(のつもり)で「あの~、インターンの件で面接に来たんですがぁ~・・・」と告げ、ロックを解除してもらいました。

   お世辞にもキレイとは言えない階段を上がり、事務所のあるフロアに着くと、そこは手狭な3つの部屋に分かれており、あちこちに本や雑誌や何だかよく分からないものが散らかりまくっています。一番奥にあった部屋に通されると、そこは3つのデスクが置かれた雑然とした狭い部屋。キチンと整った広々したオフィスなんかに案内されたりしたら余計緊張しただろうけど、この「整理整頓なんかしてる暇ないし、する気もねーよ」的な雰囲気にちょっとホッとしました。撮影の仕事で雇ってもらえないなら、掃除婦としてでも働かせてもらおうかしら・・・。

   その部屋にいたのは、意外に若い副編集長と優しげなおじさんといった感じのアートディレクター。勧められるまま、ごちゃごちゃと散らかった丸テーブルの椅子に落ち着いた私。さーて、本番はこれから・・・。

   持ってきた私のポートフォリオを差し出すと、ひとつひとつじっくりと見ていた2人は、「いいじゃないか」「いいね」と誉めてくれ、ようやく肩の力が抜けました。その後、この国らしい気楽さで面接というか、ただの雑談が続いた後、副編集長がいいました。「君にこのポストをやってもらいたいんだけど、実際の仕事は5月からなんだ。どう?」

   仕事は5月から始まる。今は3月のあたま。私の今のビザは今月末で切れる。

   私は言いました。「ええ、この仕事ができるのはものすごく嬉しいんですが、ちょ~~っとした問題がありまして・・・。実は私のビザ、今月で切れるんですよ。はははは。ですからそうすると延長しなくちゃいけない訳なんですけどもね、えへへ。最近も英語学校のためにビザを延長したばかりで、こんなすぐに再延長するのは上手く行くかどうか・・・。でも今の私の経済状態からすると、また学校に通いなおすのはちょ~~っと大変かなと・・・。いやいやいやいやいや、ご心配なきよう、一度アイルランドから出て、仕事が始まる前に戻ってくるって手もありますし。とにかく確実な方法を考えてみますのでご迷惑はかけません。ええ、かけませんとも。えへ、えへへへへへへへへへ」。

   とんとん拍子の展開にすっかりのぼせあがった私は、掴みかけた機会を失いたくないばかりに、この友好的な部屋の空気の流れを壊したくないばかりに一人でしゃべりまくり、これだけは避けたい、と思っていた方法を自ら相手に提示してしまったのでした。

   以前にも書きましたが、最近のアイルランドはビザに関して非常にうるさくなってきてます。中国・韓国籍の人たちの台頭もすさまじいし、この時はポーランドのEU加盟後だったため、ポーランド人の人口も一気に上がっていたように感じます。景気のいいアイルランド、アジアからヨーロッパまで世界各地から職を求めて、この国に流入しているのです。そんなこんなで、外国人の不法就労に対する目もどんどん厳しくなっており、私のように過去に何度もアイルランドに出入りし、学校に行っているとはいえ、長期で滞在している人間は警戒心を持たれやすいようです。

   このビザ問題にゃあ、ほとほとうんざりさせられます。「ほら!私のこの目を見て!不法就労目的の人間とは違う、澄んだ正直者の瞳でしょ!」で証明になればいいけど、実際は学校の書類やら銀行口座残高の証明やら疑り深いイミグレのスタッフとのやりとりやらで、神経が無駄に磨り減ることばかり。ビザの期限切れ前に一度出国し、すぐに再入国して新たに3ヶ月の滞在ビザ(日本人がアイルランドに観光で入国する際、3ヶ月の滞在ビザが認められる)をもらおうとする人たちも多いのですが、私にしてみれば再入国の可能性が一番危ぶまれる方法。特に私は何度もアイルランドに出入りした過去を持ち、今回はビザを延長して一年以上滞在しており、そのうえロンドンからの帰りに空港で尋問まで受けたいや~な経験の持ち主。そりゃね、ビザが切れたってそんなもん無視してこの国に滞在しつづけるのは簡単です。出国するのもおそらく楽勝。でも問題なのは再度この国に入る時。期限切れのまま滞在した過去を、この手の問題に厳しくなっている空港のイミグレ係官がほっとくわけがありません。私の場合、3ヶ月の滞在ビザと共に入国させてもらえる可能性はおそろしく低い。それに何より、違法な事をして滞在するのは食指が動きません。とにかく、5月からインターンがスタートする身にとっては、そんな一発勝負な方法に賭けたくはない。ゆえにこの方法は絶対にパス。

   次の方法としては新たに学校の授業を申し込み、ビザを延長する方法。おそらくこれが一番確実だと思います。でも唯一にして最大の問題なのが、

   そんなお金はない。

   学校の授業料+インターンが終わるまでの生活費をどこから捻出するのだ?物価高のダブリンでの長期に渡る生活で、すでに心細くなっていた貯金。自分の勝手のために日本の家族に借金するのもいやだ。

   どうするのがベストの道なのか探りつつも宙ぶらりんの気分のまま、ケンブリッジ英語検定試験の日を迎えてしまいました。何でこう、私の人生ってタイミングが悪いのかしら・・・・。

   二日間にわたる試験を終え、出来はともかく、もう一つのストレスの原因はようやく終わった。今の私にとって最重要なのは、こんな試験よりも目の前のビザ問題です。かくなるうえは、と副編集長に私の窮状を訴え、「一度出国するにしろ、ビザを延長するにしろ、そのことで空港やビザオフィスで一悶着あるのは目に見えてます。こういうわけなので、手続きがスムーズにいくよう、5月からギャラなしインターンとして私を雇う旨、一筆書いて頂けませんか?それとお願いですから、“ちっ、しちめんどくさい奴を選んじまったな”などと見捨てないでくださぁぁぁい!」とメールしました。するとすぐに返信があり、そこには一言、「申し訳ないけど、それはできません」。

   ばーーーーかーーーーやーーーーろーーーーー!!!

   どーすればいいのか分からないので、周りの友人に相談すると、みんな一様に一言、「アイルランド人の男と結婚しろ」。私が今、欲しいのは夫じゃなくて、ビザなんだぁぁぁ~~~!!日本領事館にすっ飛んでいき、何か抜け道はないものかと相談したり(こんなこと相談されても領事館の人は困るよね)、ロンドンで私と同じようにビザの問題に四苦八苦しながらも英語教師養成コースを受けている友人に、奥の手を相談してみたり、藁をも掴もうとバタバタとあがいてました。

   そんなこんなで一人悩みまくり、どの方法にすべきか未だに決心がつかず、心休まる時のない精神状態の中、ついにキレた私。ある午後、連絡もなしにいきなり編集事務所に押しかけました。

   「ビザのことで問題ばかり持ち込むのは私も本当に心苦しいんです。それに今日だって、『そんなに問題があるなら今回の話はなかったことに・・・』なんて言われたらどうしよう、とビクビクしながら来ました。でも、それでも、このチャンスは絶対、ぜ~~~ったいに逃したくないし、私はこの仕事をやり遂げるだけの技量も持っているし、有能な人間です。ただ必要なのは、私がこの仕事をするのを証明してくれる、こちらからの一筆だけなんです!」と、一気に大演説をぶつと、真剣に聞いてくれていた副編集長は、「いいよ」とあっさり一言。拍子抜けした私が見ている前で彼はパソコンでレターを作成し、私に「はい」とよこしました。そこには「○○(私のこと)を5月からギャラなしインターン・フォトグラファーとして雇う候、何か質問がありましたら遠慮なく連絡を乞う候」と簡単な文面が。

   確かにすごく嬉しかったし、ホッとしました。これさえ手に入れれば百人力。どんな方法を選んだとしても、私に対して相当有利に働いてくれるはず。でも一言、あえて私は言いたい。

   だったら、最初からくれよ!!!!

   一人うじうじと悩んでいた日々が嘘のように繰状態になった私は、それを持って今ではすっかりおなじみになったイミグレにすっ飛んで行きました。

   が、ここで問題が。

イミグレスタッフ:「で、このインターンが始まるまでの間、一ヶ月以上あるけど何してるつもり?」

私:「ええ、学校も試験もようやく終了したので、ここらでアイルランド国内をじっくり旅行しようかな~と。ほら、この学校の書類にあるように、ほとんど欠席してないでしょ、私。まじめに学校に通いまくってたから、今まで旅行する暇もなかったんです。それに、このケンブリッジ検定の試験表を見てください、つい最近までこの準備で死ぬほど忙しかったし。ですから、ここらでようやく時間の余裕もできたわけで。この口座証明書、見てくださいよ、まだまだ貯金には余裕あるでしょ(←もちろん先に手を回し、家族に連絡して一時的に私の口座にまとまったお金を振り込んでもらい、その額の残高証明を作成した後、すぐにそのお金を返した。はっきり言って常套手段です)。」

イミグレスタッフ:「何もしないでアイルランド国内をぶらぶらしてるって言うの?・・・・う~ん、そりゃちょっと厳しいね」

私:「そりゃね、私だって日本に帰るのがいちばん簡単なんです。実際、4月上旬だと飛行機のチケットも安いから、今も探している最中だし。日本でだったら好きなだけブラブラしてたって構わないしね。でも今借りてるフラットはそのまま残しときたいんです。こっちに戻ってきた時、またいちから探すとなると大変だし、そのインターンの仕事が始まったら、そのための時間もとれなくなってしまいます。それに今のとこみたいに理想的な部屋が見つかるとは限らないし。だからね、今みたいに不確実な状態で、部屋残したままアイルランドを出るような事はしたくないんですよ」

イミグレスタッフ:「この間にまた学校に通うとかは考えてないの?」

私:「私は今、無収入の身です。違法でバイトもしたことないし、これからもする気はまったくありません。だから、そんな余裕はないんです。インターン期間、アイルランドでの生活は心配なくても、その後、日本に帰った後の生活の事も今から考えておかなくちゃなりません(うそ。考える気すらなかった)。もうすでに学校では散々勉強してきました。ビザのためだけにそんなお金を使いたくありません」

イミグレスタッフ:「学校でまじめに勉強していたのは、この書類でよく分かるよ。でもそんな理由じゃ認められないんだ」

私:「じゃ、仮に私が一時、日本に帰って5月前にこっちに戻ってくるとしたら、何の問題もなく確実に再入国できる?絶対?ほんとに?フラットもそのままにして出国するつもりだから、その時になって空港で“No”って言われるような事態になったらすんごく困るんだけど」

イミグレスタッフ:「入国の時にこの手紙と残高証明書を見せなさい。それで大丈夫だよ。で、何日出発のチケットを取るの?それまでのビザ延長はしてあげる。4月15日まででいい?」

   イミグレのスタッフにしては珍しく親身な態度だったので、考えていた以上に正直に自分をさらけ出してしまった私。本当に大丈夫かなあ、だいたいスタッフによって言うこと違うのは、今までの経験上、よく分かってるのに・・・。不安は一抹も二抹もあったけど、延長してくれないんじゃしょうがありません。まあ、空いた期間を埋める理由にしては、自分でも説得力ないなとは分かってたし。結局、最終的には一度日本に帰り、その間、ちょっと小金でも稼いで再入国後の生活に備えようと決心しました。インターネットでロンドン経由の格安往復チケットを手配した後、再び副編集長にメール。「・・・・ってなことで、一度日本へ帰ります。ですが仕事に間に合うように4月28日にはダブリンに戻ります(送信)」

   ああ、ああ、後から思うと、なぜ電話で直接伝えなかったのだろうか、なぜに、この時間は事務所も忙しいだろう、などといらぬ気を使ってしまったのだろうか・・・・。

   童話の中のウサちゃんのように純真な私、これで再入国も安泰、だって副編集長のレターも持ってるし、イミグレスタッフだって大丈夫と言ったもん、久々の日本の春、束の間だけど楽しんでこよう、と日本への帰途へ着いたのでした。日本のぽかぽか陽気の春を堪能し、数週間後、多少緊張しながらもダブリン空港へ戻ってきました。いやあ、大丈夫、副編からの手紙、残高証明など必要な書類はすべて揃えてあります。突っ込まれても落ち着いて自分の立場を主張すれば入国できるに決まってる。入国できないわけないじゃないの、この私が!

   しか~し!想像すらしていなかった方向から足元をすくわれる展開になりました。次号に続く・・・・。

 コメント返信:こいしさん、コメントありがとうございました。ホームシックの中、少しでも笑って頂けて嬉しいです。
大阪の笑いのレベルには遥かに及ばないでしょうけど、こいしさんの気が紛れるようなおバカなブログをまたお届けできたら何よりです。Be cool!

Vol.15 「ダブリンのせいで癖になったこと」

2007年02月06日 10時43分06秒 | ダブリン生活
「あな恐ろしや、ダブリン化」

   それぞれの土地にはそれぞれの習慣ってなものがありますよね。その土地の人たちが暗黙のうちに行っている日常的な習慣。特定の土地に暮らすうち、ふと気がつくとそこの生活環境にどっぷり順応してしまい、そこの土地の習慣にすっかり埋没してしまっている時があります。それも言語とか食生活とか宗教観とか、そんな立派なものじゃなく、かなりどーでもいいレベルのことばかり。でも一度習慣化すると、その土地を離れて日本に帰った折になど、その習慣が無意識に飛び出してしまうことがよくあります。もちろん周囲の人には、「あ、あれはダブリンで身に付いた習慣ねっ!」なんて分かるわきゃないので、私にできるのは一人、ただ赤面するのみ・・・。以下、ダブリンで身に付けてしまった(悪?)癖の数々です。

「停留所にバスがやって来ると人差し指を出してしまう」

   ダブリン生活の中で、これが一番、身に染み付いてしまった癖ですね。ダブリンでは(たぶんアイルランドの他の土地もそうだと思うけど)バス停で待っている時、やって来たバスに対して必ずしなければならないことがあります。それは「私はこのバスに乗りますよ」と運転手にアピールすること。日本では、待っている人が実際にそのバスに乗るかどうかはともかく、停留所に人がいれば必ずバスは停車してくれますよね。しかしダブリンでは、ただ停留所でぼんやり突っ立っていても、そこで下車する人がいない限り、バスは知らん振りで通り過ぎちまいます。では、どうやってバスを止めるか?

①右でも左でもどちらでもいいけど、腕を前方に伸ばす。
②人差し指を1本、突き出す。


   ほーら、停まった!いや、別に両腕をぶんぶん振り回そうが、かわいく小指を突き出そうが、運転手に分かればいいんだろうけど、ここでは「腕前方+人差し指出し」が基本スタイルなようです。時々、腕をどれだけ伸ばしててもさっさと通り過ぎてしまうバスがありますが、これはそのバスが満員だったからであって、別にその運ちゃんが意地悪してるわけじゃありません(おそらく)。ちなみにこちらのバスは二階建て車両がほとんどです。1階ではシートが全部埋まっていた場合、立って乗っていても大丈夫なのですが、2階はダメ。2階で立っていると、運ちゃんからマイクを通して、「お客さん、1階に降りてくださーい」と注意されますよ。2階に上がってみて空いてるシートがなかったら、諦めて1階に降りましょう。車両の前方に取り付けられた小型カメラで2階の様子も丸見えなのです。

   この「人差し指出し」、これが習慣になると、日本にちょっと帰った時にもバスに向かって無意識に人差し指を伸ばしてしまい、1人赤面したこと多数。かなり体に染み込みやすい習慣なのです。

   あと、これはバスを止める方法とは関係ありませんが、バスに関連していつも不思議に思うことが一つ。「何でダブリンの役所の人たちはもっと定期的に並木の枝を切らないんだろう?」ということ。ダブリンは青々と生い茂った立派な木が並ぶ並木道が多いのですが、これ、見た目はすごく雰囲気があっていいんです。いいんだけど、バスが停車する時は危なくってしょうがないんですよね。並木の多くが道路の上に飛び出して育っちゃってるから、こんな通りの停留所に停まる時、しっかりしたその枝がバスの2階席の窓を直撃することしきり。バスの運ちゃんも枝がぶつかろうがゴジラがぶつかろうが知ったことか、とばかりに強引に停車します。特に街のど真ん中にあって立派な並木が続くウェストモアランド・ストリートの停留所。ここは私にとってほぼ毎日通る場所だったのですが、ここで停車する時は必ずといっていいほど、

   「バキッ!バリバリバリバリバリバリバリバリッ!!」

   と、枝を強引にへし折って停車します。アイルランドは日本と同じ左側通行で、そのうえ、2階席に座る時はなぜか私の癖で左側(つまり並木側)の、階段のそばの前方の席に座ることが多いので、停車する際は毎度毎度、この「バキバキバキバキッ!」に襲い掛かられて怖かったです。

「信号なんぞあって無きが如し」

   ダブリン人、信号を守りません。老いも若きも歩行者はこぞって信号無視してます。特に「若き」の方は、車が来ないから信号無視するんじゃなくて、車が来ててもその間隙を縫って渡ってやろうと、虎視眈々とその瞬間を狙っています。狭いダブリン、そんなに急いでどこに行く?とも思いますが、私自身が昔から信号より自分の目に従う方なので、交通規則を遵守する人間だとはとてもじゃないけど言えないんです(もちろん歩行者としてよ)。ゆえに、ごく自然にこのダブリン人の悪癖に染まってしまいました。ダブリンの人たちに「俺たちのせいにすんなよ」と突っ込まれそうですが。

   横断歩道のないところで道路を横切って渡る行為を「Jaywalk」と言いますが、オコンネル・ストリートやデイム・ストリートなど、交通量の多い通りでは必ず見かけます、このJaywalker。片側二車線ずつの交通量の多い広い道路を、とりあえず中間の車線まで車の合間を縫って渡り、しばらく道路のど真ん中で立って待ち(もちろん両サイドの車線には車がびゅんびゅん走っている)、次の片側車線の車が途切れた瞬間を見計らい、ダッシュで横断する強引なやつも多いです。まったく危ないなあ、はた迷惑な奴らだわ・・・と言ってる自分がふと気がつくと、道路の真ん中で車の流れが途切れる瞬間を狙って立ってました。警察に見つかったら怒られちゃうぅぅと心配するまでもなく、ガルダ(アイルランドのおまわりさん)自身が白昼堂々、信号無視してます。社会の規範(であるはずの)警察が信号無視してりゃ、世話ないっす。これじゃ一般市民の交通マナーが向上する訳ありません。「けーさつのせいにする前に、いいから信号守れ」と、今度はガルダから突っ込まれそうな私です。

「1人でタクシーに乗る時、助手席のドアを開けようとしてしまう」

   これってアイルランドだけなのかどうなのかは不明ですが、この街の人たちはタクシーを止めると、後部席ではなく助手席に座るんですよね。言うまでもなく、これは一人で乗る時の話ですよ。後ろに座っちゃいけない、という訳では全然ないし、タクシーを止めたら前でも後ろでも自分でさっさとドアを開けて乗り込めばOKなんですが(こっちのタクシーのドアは日本と違い、全部手動ドア)、街なかで助手席のドアを開けて乗り込んでいる人たちをたびたび見かけた時、最初、「あの人、運ちゃんの友だちなのかな?」などとマヌケな事を考えていました。その後、一人客の場合(それも明らかに地元人の場合)はそのほとんどが助手席に座るのを見て、「ダブリンはずいぶん運ちゃんと友だちの人が多いんだな」と、さらにマヌケな事を考えていたボケ野郎です。でも、日本でいきなり助手席のドアを開けたら、運ちゃんに「なんだなんだ、あんたはっ!?」ってびっくりされちゃうでしょうね。

   とはいえ、この習慣もしばらくすると当たり前のことになり、パブでしこたま飲んでご機嫌になった帰り、助手席に倒れこんでは訛りのきつい運ちゃんとおしゃべりしながら帰途につくのを楽しんでました。もちろん無口な運ちゃんもいることはいるけど、たいてい「お、ご機嫌だね」と話し掛けてきて、フラットに戻るまで街の情報や日愛文化比較論、プチ日本語教室から運ちゃんの人生話に至るまで、ノンストップ・トークが展開するのでした。私は酔っ払ってご機嫌、運ちゃんは酔っ払って気が大きくなった私にチップをはずまれてご機嫌、日愛双方ハッピーなダブリンの夜です。

「友人に誘われて飲みに行く時、その場所まで30分以上かかるとひるむ」

   何度も言ってますが、ダブリンは小さい街です。東京みたいに「今日は新宿で飲む~?」とか「六本木ヒルズで食事しようよ」とか「銀座で映画観ない?」とかそういうノリじゃなく、飲みに行くのもショッピングに行くのもレストランに行くのも、それらは小さな街の、さらにまた小さな中心エリアにぎゅっと集中しています。私はラッキーにも中心地に近い場所に住んでいたので、どこに行くにもてくてく歩いて行ける距離だったため、こういう時はとても便利でした。夜9時ごろ、突然友人から「今、フリート・ストリートのパブで飲んでるんだけどさあ、今から来ない?」と誘われて気軽に「いいよ~」と返事ができるのも、バスで行くにしろ、歩いていくにしろ、たかが知れた距離だから。

   これが東京だったら、「今、渋谷で飲んでるんだけどさ~、来ない?」とか「今、新宿にいるから出て来なよ」と、夜9時にいきなり誘われても、「これから地下鉄(またはJR)に乗って(そんで乗り換えて)、で、帰りは地下鉄の終電を逃さないように15分前には店を出なくちゃいけないな。となると、飲めるのはせいぜい2時間くらいかな・・・」などと、考えるだけで億劫になってしまいます。ダブリンならぐだぐだ飲んでるうちに遅くなっても、バスはほとんどの路線が11時半頃まで運行してるし、それを過ぎても朝4時半まで走っているナイト・バスもあるし(平日は本数が少ないけど、木~日曜日の夜は増便する)、タクシーで帰っても大した金額にならないし、人通りの少ない道は避けるにしても歩いて帰る事だってできます。ここに住む前までは、地下鉄だのJRだので飲みに行くのも、ある程度の時間がかかるのは当たり前だったし、「渋谷か、遠いなあ・・・」なんて特に考えたこともありませんでした。でもいつしか、体がすっかりダブリンの街サイズに馴染んでしまい、ドアtoドアで2~30分後にはパブの椅子に座ってギネスの一口目を飲んでないと、もー面倒くさくって外出したくなくなる始末。東京ってやっぱり巨大都市だわぁ・・・。

「屋内でタバコを吸うのに卑屈になる」

   私は現代社会から蛇蠍の如く嫌われている喫煙者です。以前にも書いたことがありますが、アイルランドは現在、公共施設内での喫煙は一切禁止されとります。分煙とかそんな甘っちょろい事は言いません。カフェもレストランももちろんパブも(!)一切合切禁煙です。私はこの法律が施工される前からアイルランドに数回来ていたので、パブの中でタバコが吸えない、という事態に最初はひどく戸惑ってしまいました。

   なので、カフェでお茶する時もちょっとランチする時も、表にテーブルがある店では、寒かろうと何だろうと外に座ることになってしまいます。パブで飲んでる時も一服したくなったら、「さっぶ~~~~!」とガタガタ震えながら、たいていドアの脇にある灰皿の横で惨めに吸うことになります。でも、この状況に慣れると日本に帰った時に、逆にごく普通に店内でタバコが吸える状況に戸惑ってしまい、そんな自分にまた戸惑って、私の人生、戸惑いまくりです。その代わりと言っちゃなんですが、彼らは屋内で吸えない分、路上で吸うので道路は吸殻だらけ。吸殻だけじゃなく、ポテトチップスの袋とかゴミも多いです。日本に来たことのある友人たちは口を揃えて、「日本って街がキレイだよねー、ゴミとかも落ちてないし」と言ってますが、ダブリンに住んで東京に戻ってくると、その事を実感します。東京ってあんなに人口が多くてごみごみしてるのに、不思議に整然としてますよねー。東京もずいぶん喫煙に関する規制が厳しくなって、「歩きタバコ禁止」とか「路上喫煙禁止区域」とかあるけど、たぶんこんなの、アイリッシュの喫煙者は屁とも思わなそうな気が・・・。

   ああ、真面目で繊細な私の日本人の血よ、いずこへ・・・?(←何言ってんだよ、というツッコミは不要)

よろずやブログ④:「旅先で映画鑑賞はいかが?」

2007年01月28日 15時14分27秒 | よろずやブログ
「世界各地で映画三昧!」

   今まであちこちの国を訪ね歩きましたが、私が旅先で必ず行く場所の一つが映画館。

   もともと映画が大好きな私ですが、旅先で観る映画ってなぜか日本で観る時とは微妙に違った感覚があります。私が東京で映画を観ている時、一番心に残るのはやっぱりその映画の内容そのものです。自分のホームタウンで映画を観る、という行為はあまりにも日常的なので、特に他のことに気を取られる理由もないわけです。でもそれが海外の場合、内容よりもそれとはまったく関係のない付随的な事、それもかなり些細な事により、しっかりその映画が記憶に刻み込まれることがあります。

   映画は周りの人とおしゃべりしながら観るものじゃないし、一人の世界に没入してるから、周りに誰がいようと関係ないはずなのに、現地の人たちに紛れて映画を観ているだけで、不思議と現実感が微妙にぶれているのを感じます。そんなこんなで映画の内容に加えて、その「アルファ」な部分が楽しくて、日本にいたらたぶん観ないであろう作品しか上映していない時でも、割と気軽に映画館に入っては楽しく鑑賞して来ました(料金が安いのも、ぶらっと立ち寄れる理由の一つ。日本は高すぎ!)。これって「好きな人と初めてデートした時に観た映画」的感傷に似たものなのかもしれません。

   その「アルファ」な部分の要素はいろいろです。映画館の構造とか、上映中、現れては消える100%読めない字幕スーパー(タイ語とかヘブライ語とかアルファベットを使わない言語)とか、日本では当たり前のパンフレットが売ってないとか、本編が始まるまでのながれとか、かなりどーでもいいこととは言え、さまざまな事で「ここは外国なんだなぁ・・・」と、ひしひしと感じ入ってしまうことが多いんですよね。

「中国・上海で“ダンテス・ピーク”を観る!」

   むしむし暑い一日が終わって陽も暮れる頃、上海の街の中心はそぞろ歩きの人でいっぱいになります。そんな賑やかなある晩、「“ダンテス・ピーク“ねぇ・・・。ま、いっか」とぶらりと映画館に入った私。が、客席へ通じるドアを開けた瞬間、思わず唖然。一体、ここのキャパは何人なんだっ!?とたまげるほどの広大さ。う~む、さすが中国だわい・・・と感慨を深くしました。

   この映画はご存知のとおりアメリカ映画なので、当然、セリフは英語です。中国語の字幕スーパーが付くのですが、中国で外国映画を観る時の日本人の強みは、漢字の字幕ゆえ、な~んとなく意味が汲み取れちゃうということ。正直言ってこの映画、大した内容じゃないし、心に残る1本とはとてもじゃないけど言えません(事実、内容はほとんど覚えてない)。そんな中で唯一、印象にしっかり残ってしまったのが、登場人物の1人が放った「son of a bitch!」と言うセリフ。これは「(あの)クソ野郎!」とかいう意味のアメリカ英語のスラングですが、この中国語字幕がなぜか「雑種!」となってたんですね~。何かかわいいですね。そりゃ、直訳すれば「雌犬の息子!」だけど、「雑種!」と出た瞬間、なぜか秋田犬と柴犬のつぶらな目をした雑種犬がぽっと頭に浮かんでしまい、白熱したシーンだと言うのに思わずほのぼのとしてしまい、困りました。この「雑種!」があまりにも面白かったため、映画自体の空疎さも何となく許せちゃったんだよなぁ・・・。

「タイ・バンコクで“イングリッシュ・ペイシェント“を観る!」

   初めてタイの映画館で観たのがこの作品。内容もとても印象深い映画ではあるのですが、そんなものよりもっと印象深かった、というか内容を遥かにしのいだのが、本編上映前に行われるタイの映画館の慣習。

   本編上映前にどーでもよさげなCMが入るのは日本と同様ですが、違うのがその後。「あ~、外あぢ~。中は涼しくて天国だね、こりゃ」などと、シートにだらしなく沈み込んでいた私。しばらくしてやたら士気高そうな歌が流れ始めた途端、場内の客が突如、一斉に立ち上がったのでした。なんだなんだっ!?と泡食ってるとスクリーンには誰だか分からない男性の映像が・・・。家族とのショットやサックスを吹いているショット、どこかのお偉いさんと握手してるショットなどが次々流れています。誰だ、これは??と、ぽかんとしているうち、ようやくこの男性がタイ国王だと判明。そして、この歌と映像が終わると同時に着席するタイのお客さん・・・。そう、タイの映画館では本編上映前に国王賛歌と映像が流れるんですね~。

   この体験があまりに強烈だったため、これをまた体験したいがため、タイでは何度も映画館に足を運びました。しまいにこの慣習にすっかり慣れた私は、他の客同様、スマートに立ち上がれるようになり、以前の私のようにまごまごしているヨーロッパ人のカップルなどを、「ふふん」とあざ笑う余裕さえ出てきました。やな奴ですね~。でも、けっこう病みつきになるんです、この慣習。国王の映像を毎回、映画館で流すのもすごいけど、国王に対する国民の忠誠心と言うか、敬意がごく自然に日常生活に浸透しているタイってすごいと思いました。ちなみに映画館以外でもこの国王賛歌が流れている間は、その場に立ち止まって直立不動の姿勢を保っていないといけないそうです。う~む・・・。

「イタリア・ローマで“世界中でアイ・ラブ・ユー”を観る!」

   はい、そうです、これはウッディ・アレンの作品ですね。ローマの映画館で観た時は、イタリア語の吹き替えで上映されてました。基本的に吹き替えが苦手な私はしぶしぶ観始めたのですが、その結果、この作品には相当笑わせて頂きました。それも内容ではなく、あの世界に名をとどろかせるニューヨーカー、ウッディ・アレンがイタリア語をしゃべっている、という事態に。

   ウッディ・アレン、イタリア語がぜんっぜん似合わね~!

   ティム・ロスもエドワード・ノートンもイタリア語。ジュリア・ロバーツもドリュー・バリモアもイタリア語。しかし、ダントツでウッディ・アレンのイタリア語、笑えます。でも、その吹き替えをしているイタリア人の声の質自体は、いかにも神経質なダメ男・ウッディ・アレン的で、秀逸ではありました。

   かように日本では観る機会がほとんどない、日本語以外の吹き替え映画。これは意外にハマってしまいます。パリで「スクリーム」を観た時も同様で、このB級ホラー・ジェットコースター映画をフランス語で観ていると、なぜか深遠な作品に思えてくるから不思議です。あの不気味なマスクを着けた奴も、包丁をぶんぶん振り回しつつ、フランス語で若い連中を追っかけてました。

「ギリシャ・パロス島で“秘密と嘘”を観る!」

   私の大好きなイギリス人監督、マイク・リーの作品に、なぜかエーゲ海の小さな島で出会ってしまいました。ミコノス島に滞在し、パロス島経由テッサロニキ行きのフェリーに乗り込んだ私。夕方に到着したこの島でフェリーを乗り換えるわけですが、テッサロニキ行きのフェリーはなんと4:45AM発!そんな時間までどーやって時間をつぶせばいいんだあ!と途方に暮れていると、目に付いたのがこの映画のポスター。フェリー乗り場近くの屋外シアターで11:00PMから上映開始との案内に、おおっ!マイク・リーの新作が観られる!時間が有意義につぶせる!と喜び勇んだのでした。11時までどうにか時間をつぶした後、この屋外映画館に飛んで行くと、こじんまりした場内には白い砂利が敷きつめられ、その上に雑然と並んだパイプ椅子、というヒジョーに素朴な劇場です。もちろん空に広がるは満天の星・・・。そんな中で観た「秘密と嘘」、心に染みたなぁ~~・・・・。

   今でもこの映画を時々見直しますが、体を動かすたびにパイプ椅子の下できしんだ砂利の音、港に打ち付ける静かな波の音、屋外のせいで奇妙な響き方をしていたセリフや音楽、潮の香りなどを、観るたびに思い出します。

「アイルランド・ダブリンで“珈琲時光“を観る!」

   台湾のホウ・シャオシェン監督、一青窈と浅野忠信主演。これは以前、このブログでも紹介したことのあるIFI(Irish Film Institute)というインディペンデント系映画館で観ました。この映画を観たのは、モーレツに英語の勉強に明け暮れていた時期。映画が始まりしばらくすると、突然、気がついた事実。

   に、日本語が分からない・・・。

   その頃、日本語を使う機会がほとんどなかった上、100%英語の環境で生活して半年を過ぎた頃。私の脳はすっかり英語モードに移行していたらしく、反射的に日本語が理解できなくなっていたのです。これには慌てましたねー。登場人物のセリフを理解するのに一瞬、間を置いた後で脳に届く、という感じ。この状態にイライラした私は、しまいに日本語の会話を聞くよりも英語字幕を読んでました(まぁ、しばらくするとさすがに脳の「日本語モード」が復活しましたが)。英語圏で生活してる分には喜ばしいことではあるのかも知れないけど、これには本当にびびりました。日本の家族や友人に手紙を書くたび、適切な単語や言い回しがどーしても思いつかず、そんな自分にぎょっとしていた時期なので余計に怖かったっす。

   石畳の道が残るテンプル・バーの真ん中で、神保町の古書店だのオレンジ色の中央線だの御茶ノ水駅だの、自分にとって馴染み深い場所を眺めている事も、ものすごーく不思議な感じでした。言語とは覚えるは難く、忘れるのは何と早いことよ・・・、としみじみ感じ入った思い出深い映画の一つです。

「アメリカ・ニューヨークで“12モンキーズ”を観る!」

   テリー・ギリアムの作品は、どこにいようと飛んで行って必ず観ます。一人旅のニューヨーク、日中はこのハイパーアクティブな街のエネルギーに呑まれてワクワクしっぱなしなんだけど、夜はちと困ることになります。レストランはほぼグループかカップルで占められ、1人では入りにくい。オペラやミュージカルなんかは名物ではあるけど、どちらにも興味がない(それに入場料は高い)。かといって、ここはニューヨーク、夜遅くに1人で無目的にブラブラするのも不安だ。一人旅のニューヨークの夜、何だか手持ち無沙汰だなぁ・・・。ということで、私の逃げ道は当然、映画になりました。

   ニューヨークに着いて初めて観たこの映画、さすがギリアム先生、期待に違わず最高に面白くてもう夢中。しかし、映画が終わりに近づくにつれ、気がつくとその興奮に不安感が混じり始めていました。その不安とは、この映画はそろそろ終わりに近づいている、そしたらこの映画館を出て、一人でホテルに帰らなくてはいけない・・・、という事。

   当時の私はまだ若く、これが2回目の海外旅行。しかも初めてのニューヨークです。この映画を上映していた西54丁目のジークフェルド・シアターはビジネス街にあり、周囲は夜になると人通りが少なくなるエリア。当時、ミッドタウンのホテルに滞在していたので、映画館からは割と近い距離にあったのですが、歩いて帰るのはやだなぁ、おっかないしなぁ・・・と考えていました。が、タクシーをつかまえるにしても、映画館の入り口の前で(映画館スタッフの目が届く所で)拾えるのか、タクシーを待っている間、周りにだ~れもいなくなったら?道の向こうから明らかにラリったジャンキーとか挙動不審な奴が歩いてきたら?と、不穏な想像が暴走してしまい、映画を観ている間中、この映画の面白さとは別の意味の緊張感から、「お願い、終わらないで~、私を一人にしないで~!」と密かに祈っていた私なのでした。

   その夜は何事もなく、無事、ホテルに戻ることができました(ホテル前でタクシーを降り、向かいのサンドイッチ・チェーン、「SUBWAY」に立ち寄った時、ウィンドウの外に立っていた挙動不審の男と目が合ってしまい、その男が店の前にたたずんでひたすら店内の私を目で追っているのにびびってしまい、そいつが立ち去るまで店を出ることができなかった、という出来事はあったものの)。あれから長い年月を経た今でも、この映画のしびれるオープニング(アストル・ピアソラの曲をバックに、たくさんの赤い猿の絵がぐるぐるとらせんを描く)を観るにつけ、あの時感じたざわざわした不安感、孤独感、若かった自分、そしてこの映画に対する純粋な感動を思い出します・・・。

Vol.14 「ダブリンのクリスマス」

2006年11月12日 18時20分06秒 | ダブリン生活
「ダブリンで初めてのクリスマスを過ごす」

   ちと気が早い話題ですが、今回は私が見たダブリンのクリスマスについてご紹介したいと思います。

「街が麻痺する日」

   クリスマス・シーズンのダブリン。街はイルミネーションで飾りつけられ、あちらでピカピカ、こちらでキラキラと瞬き始めます。家の窓辺にはキャンドルやシンプルなプレセピオ(馬小屋で生まれたキリストの生誕場面を再現した人形)、ドアにはもちろんわっかの形をしたクリスマス・リース、家の外壁にはそりに乗って走るサンタやトナカイなどの電飾がかかり、大通りオコンネル・ストリートの歩行者用中央分離帯には巨大なクリスマス・ツリーが突如出現。その下には、ここにもまた、ガラスケースに入った大きなプレセピオが。店にはクリスマスギフト用にオシャレにラッピングされた商品が並び、目にもあでやか。

   ああ、クリスマスなのね~、ステキだわぁ・・・とウットリしている間もなく、グラフトン・ストリートはクリスマスショッピングで目が血走った人々でごった返し始め、ヘンリー・ストリートには子供のおもちゃやギフト用チョコレート、キャンドルやツリー用の飾りつけセットなどを売る屋台がずら~っと並び、子供たちがビービー泣きわめきながら親に手を引っ張られ、親は親でベビー・カーに赤ちゃんと買い物袋を一緒くたに詰め込み、家族や親戚にプレゼントを買いまくる必要のない私のような外国人にとっては、まさに地獄の様相を呈してきます。郵便局に切手1枚を買いに行けば、地球上全ての人に送るが如く分厚いクリスマス・カードの束を抱えた人々の長蛇の列、牛乳が切れたと街なかの大きなスーパー・マーケットに立ち寄れば、巨大な丸ごとターキーやらチキンやらハムのかたまりやらを買い込んでいる買い物客でぎゅうぎゅう。これじゃレジにたどり着くまでに牛乳が腐っちゃううう!間違ってこんな日に外出した日にゃあ、ろくに前にも進めない混み混み度に、ストレス度数の針がびよ~~~んと振り切れてしまいます。

   でもまぁ、ここら辺の雰囲気は東京のそれとあまり変わりはありませんが(それでも東京の金ピカ度より慎ましい)、がらっと変わるのが25日当日。ダブリン、朝からシ~~~~~ン・・・・としてます。車さえほとんど通らないし、歩いている人を見かけただけで「ああ、人間だぁ~!」と懐かしさに駆け寄りたくなるほど。ご存知かもしれませんが、こちらのクリスマスは日本のそれとまったく逆。日本のクリスマスはまさに「イベント」ですよね。街はラブラブなカップルや、仲間たちとわ~っと飲みまくるぜ!的グループで溢れるし、街じゅうパーティ!といった感じ。特に若い人たちは、クリスマスに家族と過ごすなんて、恥以外の何物でもないとばかりに外へ繰り出します。でもこちらではクリスマスはあくまで家族と過ごす大事な日。この日はほとんどの店は閉まっちゃうし、パブだって開いてません。パブで酒飲んでるより家族と一緒にいろ!という事なのかも知れない(私にとっては余計なお世話だけど)。ダブリンに住むヨーロッパの友人たちも(1ヶ月の短期で英語学校にやって来た人たちでさえ)、わざわざ自分の家族や親戚と過ごすため、自分の国へ帰ってしまいます。そこで取り残されるのは、クリスマス意識が根本から異なる私のような人間や、仕事で帰りたくても帰れない気の毒な人たち。

   クリスマスが近づくにつれ、友人たちの民族大移動が始まりました。「来週、フランスに帰るの。親戚や家族がみんな集まるから」とか「明日、スペインに帰るんだ。この時期、チケット代が高くて死にそう」とか「週末にはドイツに戻って、母の手料理をたっぷり食べてくるの♪」とかウキウキしながら(またはうんざりしながら)散り散りになってしまい、私1人がダブリンにぽつんと取り残されてしまいました。心優しきカソリックの人々・アイリッシュの友人たちは、「うちにおいでよ。遠慮することないよ」と誘ってくれたりもしたのですが、せっかくのクリスマス、どこの馬の骨だか分からない日本人が紛れ込むより、家族水入らずで楽しんで欲しい、とその思いやりに深く感謝しつつ、遠慮させて頂きました。

   とはいうものの、1人はちと寂しいぞ。改めて考えると私には関係のない祝日だけど、「クリスマスにいい年した女が1人なんて侘びし過ぎる」という考えは、すでに極東・日本で刷り込まれ済み。誰か遊んでくれる人いないかな~と探していた私の犠牲になったのは、フランス人の友だち・ジェラルディン。

   プレ・クリスマスパーティとも云うべき飲み会が連日続く中、ジェラルディンやその他の友人たちと一緒にパブで飲んでいた時、「クリスマス?いちいちフランスになんて帰んないわよ。クリスマスに帰ろうもんなら、カロリー高い食事を死ぬほど詰め込まされるのよ。仕事もあるし、飛行機は込んでるし、めんどくさいもの」などとドライな意見を吐いていた彼女。「お、そーいえば、ダブリン居残り組のジェラルディンがいる!」と彼女に白羽の矢をぐさっとを立てました。

   「ダブリンに誰もいなくなっちゃった~。遊んで~」とケータイにメールすると、優しい彼女は「24日、家に来ない?特にごちそうは用意しないけど、近所のデリでおいしいフランス・チーズを買っとくから、フロマージュ・パ-ティしよう」というお返事をくれました。もちろん行く行く~!

   イブの夜、お寿司大好きな彼女のためにスモークサーモンの海苔巻を作り、カムデン・ストリートの彼女のフラットへ。ドアを開けてくれたジェラルディン、何だか憔悴した顔してます。いわく、「昨日、会社のコンピューター・システムがすべてダウンしちゃって、今日も朝からずーっとその復旧作業してたわ。その仕事の残りを持って帰ってきて、やっと今、一息ついたとこ。明日もオフィス行かないと・・・」とぐったり。何だか散々なクリスマスらしいです。まぁまぁ、お寿司持ってきたから、元気出して・・・と差し出すと、気を取り直した彼女、海苔巻をぐいぐい平らげ、室温でいい感じに柔らかく戻しておいた数種類のチーズとパンとワインを用意してくれました。狭いけれど居心地のいい彼女のフラットで女2人、チーズとパンとワインだけの慎ましいパーティ・・・。それでもとても愉快なイブの夜でした。

   さて翌25日。ダブリンで過ごす初めてのクリスマス!で、その記念すべき日に私がしたこと。

・昨日のワインが抜けず、うだうだとベッドで過ごしたあと、食欲がないまま、トーストを一枚かじって朝食終わり。
・その後、街を散歩する。が、前述のとおり、街はすご~~く静か(元旦の東京みたいな雰囲気)。
・拍子抜けし、早々と部屋に戻る。その後、いつもよりちょっと手間暇かけた昼食を作り、クリスマスプレゼントに友人がくれたおいしい白ワインと一緒に、その日の正餐を1人、心穏やかに食べる(この日、テレビは教会で賛美歌を歌う少年合唱団を中継している番組ばかりなので、消してた方が無難)。
・窓から静かな通りを眺めたり、クリスマス気分を盛り上げるためにキャンドルを窓辺に灯したり、切ない努力をしているうちに日が暮れる。
・もう夕食の時間だがランチが重かったので、お腹がすいてない。なので、これまた友人がくれたクリスマス・プディング(長期間、熟成保存された、ドライフルーツびっしりのケーキのようなパンのようなスイーツ。クリスマス・デザートの定番)を食べながら、テレビでやっていた「パイレーツ・オブ・カリビアン」を見る。
・11時就寝。

   以上。

   ということで、私の初のダブリンのクリスマス、私を慰めてくれたのはいかれた海賊、キャプテン・ジャック・スパロウでした。でもね、負け惜しみじゃないけど、こんな静かなクリスマスもそんなに悪くないですよ。

「クリスマスのあだ討ち・大晦日の過ごし方」

   クリスマスとは打って変わって街じゅうパーティ気分一色の大晦日。クリスマスとは逆に、人々は街へ繰り出します。私も静か過ぎたクリスマスの反動で、友人と街なかへ飛び込んで行きました。我々が入ったパブではグルービィ~なライブ演奏が行われていて、地球最後の日みたいに騒いでる人たちで熱気むんむん。12時が近づくと、バンドは演奏をやめ、ヴォーカルのおにいさんがカウントダウンを始めました。時計の針が12時をさすと、蜂の巣をつついたような騒ぎと興奮に包まれ、私のケータイにも友人たちから「ハッピー・ニューイヤー!」とメールが・・・。遠い東の国・日本では今ごろ除夜の鐘が鳴ってるんだろうなぁ(まぁ、時差があるからとっくに鳴り終わってるけど)。でもここの連中、その年の百八つの煩悩を取り去る気なんかまるでないだろうな・・・。

   2時過ぎまで街なかで大騒ぎしていた私、普段の日ならこんな時間に家へ戻る時は安全を考えてタクシーを拾うのですが、その夜はそんな心配はまったくご無用。通り中、人・人・人!陽気に歌い騒ぎながら家路に着く人たちに混じって歩いているうち、私も結局、徒歩でフラットに無事、たどり着きました。ダブリンの大晦日ってた~のし!

Vol.13 「出不精女のアイルランド紀行」

2006年11月04日 22時36分43秒 | ダブリン生活
「それでも旅っていいですね」

   「紀行」なんてタイトルをつけておきながら、実はわたくし、ほとんどアイルランド国内を旅行したことがないんです。ダブリンにどっかり腰を据えてしまった私は、よくある「行こう行こうと思いつつ・・・」的自堕落にはまってしまい、ダブリンの外に出たことなんて実際はホント数えるほど。ダブリンにいればハッピー♪ということもありましたが・・・。

   アイルランドはとても小さい国なので、東のダブリンから西のゴールウェイへの旅だって(まぁ、疲れるとは思うけど)気軽に日帰りできます。長距離バス・エーランに乗ってどこにでも飛んで行けるし、もちろん電車に乗ればもっと時間を短縮できます。とはいうものの、今まで行ったことがあるのは、「中世の面影を残す街」として知られるキルケニー、世界遺産であるニュー・グレンジとタラの丘へも近いドロヘダなど、ごく近隣ばかり。そのドロヘダにしたって、ニュー・グレンジとかも行ってないし。

   いつのまにか、こんなぐーたら人間になってしまった私ですが、突発的に、「♪知らない街を歩いてみたい」的心理に陥り、たまーにダブリンの街から飛び出して、プチ旅行を敢行していました。「旅行」と言うのもお恥ずかしいほどですが、勝手知ったるダブリンを離れ、勝手知らない土地でまごつくあの感じ、やっぱりたまりませんよね。右に行くと何があるのか、自分が今、どこに立っているのか(そりゃ地図で見れば見当はつくけど、その町の規模感覚を「体感」していない、という意味で)、分からないことだらけ。言うなれば、「まごまご」したいから、私はいつも旅に出るのだと言えるのかも知れません。

「ベルファスト」

   ベルファストはご存知のとおり、アイルランド北部、アルスター州にある北アイルランドの首都。ベルファストといえば、やはり「IRA→テロ→おっかない」的なニュース先行型イメージが強いらしく、危険な街という印象を持つ日本人も少なくありません(というか、「アイルランド→おっかない」という超一足飛びなイメージを持つ人も多い)。そんなネガティブなイメージの強いこの街、実際にはどんな所なのか自分の肌で感じてみたかったので、前から訪れてみたい場所の一つでした。この街へは友人と車で行ったのですが、その日は日曜日で道路がすいていた事もあり、「はるか彼方の街」と勝手に考えていた私の想像をくつがえし、2時間ちょっとで着いちゃいました。近っ!

   牧歌的な風景の中を車を走らせるうち、やがてベルファストに到着。街に近づくにつれ、工業都市らしい無骨な建物がぬおーっと突き出しているのが見えてきます。街の北側にあるショッピングセンターの駐車場に車を置いて、ここからぶらぶらと歩き回ることに。不遜な先入観で「よくあるちょっと大きめな地方都市だろう」なんて考えていた私でしたが、実際歩き回ってみると、意外に洗練された大都会!「イギリス統治下の街」という予備知識のせいかもしれないけど、街並みはアイルランドというよりやっぱりイギリス的色合いが強いなぁ、といった感じ。要するにどっしり重厚で素っ気ないほどキチンとしてて、全体的に沈んだ色合いの建物群。ごちゃごちゃしたダブリンからやって来ると、何て整然とした街なんだろう・・・という印象です。ダブリンのゆる~い空気の中で肩の力が抜けっぱなしの私は、思わず「す、すいません」と居ずまい正しそうになりました。

   街散策の前に、ATMでお金を引き出したのですが、出てきたのは当然ながらイギリス通貨!私の財布の中でジャラジャラいってるユーロは、ここじゃ使えない!もちろん、そんなことは前から知ってたし当たり前なんだけど、「ダブリンからこんなに近いのに、ここって外国なのね・・・」と、感動と共に妙な違和感を覚えました。

   通貨だけでなく、ここは外国なんだ、と実感させてくれるのが禁煙法。というか禁煙法が存在しないこと。アイルランド共和国では、2004年より公共施設での喫煙は一切禁止。昔はパブに入っちゃあ、紫煙の中、ギネスなんぞをちびちびやってたものですが、今では一服したいな~と思ったら、雨風が吹きすさぶ中、ドアの外に設置してある灰皿の周りで、凍死しそうになりながら吸うしかありません。それがここ、ベルファストなら堂々と室内で吸える!パブでランチした時もカフェで一休みした時も、あまりの感動にここぞとばかりにやたらタバコを吸いまくってしまい、肺ガン指数を自ら3%ほど押し上げた私です。ダブリンにいる間、従順な犬のように「屋内禁煙」法に飼いならされていた私は、「え、ほんとにいいの?吸っちゃうよ?止めるなら今のうちだから」などとそわそわしてしまい、いつの間にかやたら卑屈なスモーカーに成り下がっていた事を自覚したのでした。

   街のとびきり賑やかなエリアであるシティホール周辺は、オシャレな洋服や靴などがショーウィンドウに飾られたデパートやブティックなどが多いこじゃれた雰囲気。道路幅も広く、街角のきっちりした直角度も何となく東京の丸の内っぽいな(規模は全然違うとは言え)とさえ思わせます。いかにも現代的な都会・ベルファスト。

   無目的に歩き回ってもしょうがないので、限られた時間の中で街を能率的に回ろうと、ホップ・オン/ホップ・オフ式のバス・ツアーに利用することに。シティホール近くから出発したツアーバスは、殺伐とした造船所跡(あのタイタニック号はここの港で造船されたそうです。その記念碑もあります)とやたらにモダンな多目的ホールなどが混在するウォーターフロント地区、落ち着いたイギリス的住居が並ぶ住宅街などをぐる~っと回るのですが、やはり圧巻は、街の西側に位置するカソリック居住区とプロテスタント居住区。隣り合いながらもキッパリ分かれて暮らしているこのエリアのいたるところで、あの有名な政治的壁画を見ることができます。

   まず始めに感じるのは、賑やかな中心地から一歩離れると一変するベルファストの違う顔。活気溢れる都会的な中心エリアの明るい側面から、「ベルファストってオシャレで明るい街ね♪」なんて思ってると、足元すくわれます。街の西側エリアに入っていくバスの2階席からは、次第に崩壊しかけた建物がやたら目に付くように・・・。破られたままぽっかり開いた窓、それに板張りしただけの窓、焼け焦げた色が今も残る、崩れかけた外壁・・・。こういう荒廃した建物が今も日常的情景として存在しているのだと思うと、やはり衝撃的でした。

   建物の側面を使って描かれている壁画の数々は、写真やテレビなどで見たことはあります。でもカソリック側とプロテスタント側が、それぞれ自分たちの視点から描いたそれらの壁画を実際に自分の目で見てみると、その妙な生々しさとあまりにストレートなメッセージ性にぎょっとさせられます。でもそれらを超えて、壁画のひとつひとつの迫力に圧倒されてしまいました。踊る「IRA」の文字、覆面姿の物騒な男たち、イギリス側にとっては偉人、アイルランド側にとっては嫌われ者のオリバー・クロムウェル、レジスタンス、平和の象徴・鳩が羽ばたく絵、絵、絵・・・。芸術的側面から語っていいものじゃないのかもしれないけど、それでも力強いけれど静かな語りの壁画の数々は一見の価値大ありです。

   独特の、異質な街の雰囲気にいつしか息を詰めながら街の様子をじっと見つめていましたが、そこは歴史的軋轢はどうあれ、ごく普通の人々が生活する場所。それを高い所から眺めつつ、さっさと移動するバスに乗っている自分に対して、なぜかいたたまれない気分になってきました。友人ももっとゆっくりこのエリアを回りたいというので、さっそくバスを降りることに。

   日曜日の夕方のせいか、歩いている人もまばらで商店のほとんどが閉まっています。眩しいくらいのオレンジ色の夕日のなか、プロテスタント側からカソリック側へ歩いていたのですが、ほんとに隣り合わせのエリアなのに、がらっと雰囲気が変わります。街並みも違うし、郵便ポストの色も違うし(プロテスタント側は赤、カソリック側は緑)、やたらあちこちに掲げられた国旗ももちろん違います。ってか、こんなに国旗がはたはたと舞っている街は初めてだ!正直、それぞれのエリアでやたら目に入るこの国旗を見るたび、どこか圧迫感を感じてしまい、胸苦しくなったのも事実です。犬の散歩をさせているおじさん、ベビー・カーを押すお母さんなど、日々営まれている普通の生活。でも、機関銃を持った黒マスク姿の男たちが描かれた不気味な壁画の下で、小さな子供たちが縄跳びをして遊んでいたのを、私はたぶん一生忘れられないと思います。なんのかんの言ったって、ひょっこりやって来た部外者の私がそういう光景を見て、「胸が痛いなぁ・・・」なんて思うのは、あまりにもお手軽な感想で、とんでもなく傲慢かもしれないけど、それでもやっぱりそういう思いを持たずにはいれませんでした。

   喉が渇いたのでパブにでも入ろうか、と思っても、どことなく入りづらい雰囲気のパブばかり。構うものかと、割と大きい一軒のパブに入ると、中にいたのは地元のおっさんばかり。女性は一人もいません。開放的なダブリンの、のほほんとしたパブとはまったく異なる雰囲気に恐れ入ってしまい、「なんじゃ、こいつらは?」的視線を浴びながら、店内を通り抜け、そのまま反対側のドアからすごすごと出てしまいました。もちろん「ベルファストのパブは排他的」なんて言うつもりはありません。でも観光客も多い中心地で入った、オープンで和やかな雰囲気のパブとの落差にびびってしまったのも確か。

   その他、このエリアで気がついたのは、ダブリンでは石投げりゃ当たるくらいよく見かけるアジア人が少ないこと、犬の散歩をしてる人がやたら多かったこと(これは夕方という時間帯のせいかもしれないけど)、常に上空を旋回しているヘリコプターの「タパタパタパタパタパ・・・・」という音、最初、「学校の壁かなんかかな?」と思っていたやたら長い壁が、その2つのエリアを分ける「ピース・ウォール」だったのに突如気付いたことと、その壁の一部に小さな門があって、このよく晴れた日曜日の夕方、銃をしっかり携帯した門兵の姿を見た時の違和感、などでした。数こそ少ないものの、辺りを歩く人たちに道を聞いたり、何かを尋ねたりしても、カソリック・プロテスタント関係なく、ごく普通に親切に私たちに接してくれたし、特別嫌な感じも受けませんでした。でも、それでも、この周辺に漂う「ここには住みたくないなぁ・・・」と思わせるような、閉じられた空気、というか「ひやり」とする底暗さみたいのを感じてしまい、それがどーにもこーにも気分を硬くさせるのです。これはノーテン気な明るさを持つダブリンに住んでいる身だからこそ持つ感想であって、最初からこの街に住んでいたら、この空気も別に何とも思わないのかもしれないけど。

   複雑な感情に圧倒されながらの帰り道、強烈なオレンジ色の夕日が沈み行かんとする中、振り返ってみると、切なくなるほどの強烈なオレンジ色の残照でベルファストの街が燃え上がってるように見えました。「London's Burning」ならぬ「Belfast's Burning」!

   やたらとネガティブな感想を書き連ねてはきましたが、ものすご~~く興味深い街であることは断言できます。正直言って、また訪れたい街です。

「モハーの断崖」

   出ました、モハー!アイルランドでも1,2位を争う観光名所!初の一泊二日旅行!こんなんで感動してる自分が哀しいですが、モハーの断崖とはアイルランドの西海岸に突き出た海面から200mの高さの断崖絶壁で、約8kmに渡って続いており、そのドラマチックで荒々しい眺望が観光客に人気のスポットです。この旅もいつもの如く、「よし、明日モハーの断崖を見に行こう」と衝動的に決意したもの。ほとんどの予定は未定で決定したため、当然、ほころびだらけの旅となりました。

   ダブリンからバスでリムリックまで行き、そこでバスを乗り換え、エニスという、モハーの断崖にほど近い町まで行く、というルートを取ったのですが(ちなみにこのルートは往復で26ユーロ)、朝9時半にダブリンの中央バスステーションから出発するバス・エーランに乗っていざ出発!のつもりが、案の定寝坊してしまい、起きたら9時というありさま。かろうじて10時半発のバスに飛び乗り、しょっぱなからバタバタした旅になりました。それでも道中、ワクワクしながら車窓にかじりついて過ぎ去って行く小さな町の風景を楽しみ、この旅の期待度がいやおうなく高まっていくのでした。

   ダブリンからエニスまでは乗り換え時間を含め、約4時間半かかります。乗り継ぎ便を1本逃した私がエニスに到着した時は、すでに夕方の4時近く。エニスからモハーの断崖まではバスで小一時間ほどなので、これから行けば夕陽を浴びた断崖絶壁が見られる!とはしゃいだものの、バス停の時刻表で調べてみると、モハー行きのバスは一日3本のみ。次の便は18:20に出発するもので、それがモハー行きの最終便なのでした。さらに詳しく調べてみると、エニスへの折り返しバスの最終便がなんと18:00!なんやそれっ!つーことは、行ったはいいけど帰って来れないやんけっ!まぁ、別にこの町に宿を予約してるわけじゃないし、モハーの近くに泊まれる場所があるならどこでもいいんだけど、このエニス、この辺りではけっこう規模の大きい町ではありますが、ここから先はほとんど「村」といった方がいいような場所ばかり。夜になって宿泊施設の少ない「村」にたどり着いても、今度は宿探しに奔走する羽目になるかもしれません。一日の終わりにまでそんなバタバタしたくないので、今夜はエニスに宿を取り、翌朝早くにモハーの断崖へ出発することに決めました。しかーし!これが運命の分かれ道・・・。

   エニスはモハーの断崖へのアクセスに便利な町としてばかりでなく、アイルランドの伝統音楽のお祭りが開かれることでも有名。観光客も多いため、オープンな雰囲気が漂う町でもあります。ここ、クレア県の中心都市とはいいながら、実際はとてもこじんまりしたかわいらしい町。ここのメイン・ストリートであるオコンネル・ストリートに至っては、「これって裏道?」と言いたくなるほどの細さで、その細い道が別の細い道と交わり、これまたちっぽけな交差点を作っています。でも、建物の間をするするとぬうような細い通りは、どことなく秘密めいた雰囲気さえかもし出していて、私好みの町ではあります。とりあえず今晩の宿を見つけないといけないので、時間を有効に活用するため、町なかにあるツーリスト・インフォへ。

   ここで印象深かったのが、エニスのインフォで働くスタッフ(みんなトウの立ったおばちゃんたち)が素晴らしく感じが良かったこと。時々、「あ~?宿だぁ?ちっ、めんどくせ~な・・・」といった感じであしらわれ、ツーリスト・インフォメーションで宿の情報を知ろうとした私がいけなかったのか・・・?と思わせるような場所もありますが、このインフォではそんなことは皆無。「この仕事大好き♪」といった感じでおばちゃんたちがイキイキと働いておりました。で、「ここら辺の近くに安い宿ないですかね?」と聞いた私に紹介してくれたのが、街のちょっとはずれにある「アビー・ツーリスト・ホステル」。エニス修道院に近い、何だか気の抜けた感じのする宿です。設備がきちんとしてるのか適当なのかいまいち判断はつきにくいものの、その脱力感がなかなかオツ、と言えない事もない、といった感じのややこしい宿。フロントにいたのも、これまた気の抜けた感じのアメリカ人のおばさんで、フロントとキッチン、TVルームなどがある本棟内を案内してくれた後、中庭を抜けて私の部屋がある別棟まで連れて行ってくれました。

   私の部屋は妙に広いながら殺風景なダブル・ルーム。この部屋をシングル料金で使わせてくれることになったので、あんまり文句を言いたくはないのですが、洗面所もトイレもシャワーもついてない割に、宿泊料金はけっこう高いです。あるのはベッド、鏡台、クローゼットのみ。でも私の部屋の隣はシャワールームなので、ま、いっか、と荷物を置いて、ホッと一息。

   さて、今夜の宿も決定したので、ようやく町の散策を開始。といっても、もう夕方なので、周りの店は店じまいを始めています。でも人通りが少なくなった知らない町を歩き回るのも、しんみりブルースしてて結構いいものです。観光客の多い街らしく、細い裏通りにはかわいいオープン・カフェやレストランなどもあり、雰囲気も悪くありません。そのうちの、唯一まだ開いていたカフェに入り、コーヒーブレイク。その横で申し訳なさそうに閉店準備を始めたカフェのおねえさんに、「この辺りでいい感じのパブ教えてくれない?」と聞いてみると、その気さくな彼女は、「そこの通りをちょっと先へ行ったところに、Cruise’sっていうパブがあるわ。私もよく友だちと行くわよ。とてもいいパブよ」と教えてくれました。そー言えば、ホステルのあのアメリカ人のおばさんも、「Cruise’sってパブに行ってみるといいわよ。ここのすぐ近くだし、9時過ぎに行けばミュージシャンたちのセッションも見られるわよ」と言ってたな、と思い出し、地元の人が勧めるならいいパブであろう、と今夜の予定(というか唯一の予定)に入れておいたのでした。

   その夜、Cruise’sに入ったのは10時ごろ。後から知ったのですが、この店はとても歴史の古い有名なパブ。いい具合に混み始めている店内は、観光客らしいグループや地元っぽい人たちで活気に溢れながらも落ち着ける空間。どっしり重厚な内装ながらアットホームな雰囲気、なんて言うガイドブック調な事は言いたくありませんが、まさにどっしり重厚な内装ながらアットホームな雰囲気。カウンターに寄りかかってギネスを飲んでいると、つと、どことなく崩れた感じのおじさんが近づいてきて、おっそろしく聞き取りにくいアクセントで話し掛けてきました。そのうちに隅のテーブルに座っていたミュージシャンたちが楽器を構え、演奏がスタート。すると店内には、さぁーっと血が通ったかのようなイキイキとしたエネルギーが満ちてきたのでした。

   難解アクセントのおじさんが手招きして、自分が座っていたミュージシャンたちのすぐ隣のテーブルに私をいざない、その演奏を真横で堪能しつつおしゃべりの続きを始めました。このおじさん、北アイルランドの小さな町の出身だということが判明。そのうちなぜか日本の武道について話題がながれ、おじさんいわく、「軍隊で空手と柔術を習っていた」とのこと。そして、その軍隊での生活に嫌気がさし、そこを飛び出してあちこちを放浪した末、エニスにも近いとある小さな町に落ち着いたということでした。軍隊?と私が突っ込んで聞くと、なかなかハッキリ言い出さなかったものの、そのうち何年か前までIRAのメンバーだったことを激白。それを聞く私の反応を確かめるかのように、じっと私を見つめていたおじさんの顔には、どことなくからかうような微笑が浮かんでいました。そこから話題は自然に北アイルランドの苦難の歴史に変わり、彼のヘビーな人生話に聞き入っている私に何度も確認するように、「そういう世界観って君に理解できるかい?」とか「今、おれが言ったことの意味が分かるかい?」と尋ねるのでした。私が「それを理解するのはすごく難しいんだろうなって私が今、想像してる以上に難しいんだろうって事は理解できる」と答えると、日本の小娘に本当に分かるのか?的思いと、自分の経てきた人生を聞かせたいという思いが葛藤しているような複雑な表情で、何度もうなずくおじさんなのでした。

   翌朝、ようやくモハーの断崖に出かけるため、早めに起きてギネス腫れした顔のまま、朝食を取りに下りて行きました。ちなみにこのホステルの料金、朝食込みなんですが、本棟にあるキッチンへ行ってみると、「朝日あふれるキッチンに美しくセッティングされたアイリッシュ・ブレックファスト」的私の期待はあえなく玉砕。学校の給食室みたいなキッチンに用意されていたのは、袋に入ったまま無造作に置かれた食パン、テスコの安売りジャム、インスタントコーヒーと紅茶のティーバッグのみ。そう、セルフサービスなんです、ここ。キッチンに備え付けられた棚には、シリアルもあるし冷蔵庫には卵やハムなども置かれていたので、これも食べていいのかなと思いましたが、よく見るとそれぞれに名前が書きなぐってありました。要するにここに長期滞在している人たちが自分で購入して、しまっておいた食料だったのです。トースト以外食べるものもないので、ここぞとばかりに山ほどパンを食べ、コーヒーで流し込んでおしまい。う~ん、毎朝、自分で用意している朝食の方が、もうちょっと豪華な気が・・・。いや、私は特に食事に対してうるさくない方だし、トーストだけでも構わないっちゃ構わないんだけど、要は「旅先気分」を盛り上げてくれる雰囲気だったんです、私のささやかな望みは・・・。

   昨日着いたのと同じバス・ターミナルから、モハーの断崖行きのローカル・バスに乗車。ここから約1時間のバス旅になります。その日は何となく薄曇りで、雨なんか降んないといいんだけどな、といくつもの村を通り過ぎていくうち、ある種、雨より困ったちゃんな展開に。それは濃霧!大濃霧!始めは「ちょっと霧が出てるな。でもまだ朝も早いし、しょーがないか」と悠長に構えているうち、それはどんどん濃くなっていき、しまいに窓からの景色は濃い乳白色の霧にすっぽりと覆われてしまったのでした。バスの最前席に近いシートに座っていた私は、ちょっと首を出してバスのフロント・シートを覗いて見ると、何と視界ゼロ!ほんの数メートル先もハッキリ見えません。こ、こわいよ~~~!これじゃ、人家の壁に激突するとか、そこら辺にごろごろいる牛の2,3頭を跳ね飛ばしちゃうんじゃなかろうか、とビクビクしていましたが、バスの運ちゃんも急速にスピードを落とし、じりじりと慎重に運転していました・・・。頼むよ、おじさん!あんたの高度なドライブテクが頼みの綱なんだから!

   その手に汗握るバスの旅がようやく終わり、モハーの断崖へ到着。と言っても、いまだに濃い霧の中、ビジター・センターの裏手から断崖へ向かって設けられている通路をしばらく歩かなくてはいけません。本当にすぐ目の前しか見通せないため、断崖から帰ってきた人たちが濃霧の中から突然現れて衝突しそうになり、その度ぎょっとさせられました。でも、なんにも見えないながら何という幻想的な世界!真っ白なカーテンに覆われて、平衡感覚が狂いそうな感じ・・・。

   先に進みながら崖の断面が見えないかと首を伸ばしていましたが、かろうじて見えるのは崖の縁ばかり。諦めきれず、ずんずん歩いていくうち、ついに道は行き止まりに・・・。ああ、本来ならここからはあの壮大な眺めが見渡せるはずだったのに!

   霧が晴れることを願いつつ、ビジターセンター内のカフェでお茶などしながら粘っていましたが、相変わらず外は真っ白な世界。しぶしぶ諦めて重い腰を上げ、エニスに戻るバスに乗り込んだ私。しかし!あろうことかあるめぇことか(志ん生調)、断崖を後にしてしばらくたつと、霧が急に輝き始め、太陽がようやく顔を見せたことに気付いた時、あっという間に霧も消えていったのでした・・・。

   ということで、ダブリンから一泊二日かけてやって来たモハーの断崖、私が見れたものは異常な濃霧と道の行き止まりにあった「Keep Out」の看板のみ・・・(でも、この看板に描かれていた牛の絵がとてもかわいかったのがせめてもの慰め)。

   ・・・全てがこんな調子ですが、私にとってはとても幸せな小旅行ばかりです。おしまい。

Vol.12 「私のTattoo」

2006年10月04日 21時08分54秒 | ダブリン生活
「I've made a decision(決めたぜ)!」

   ある日、キックボクシングのコーチ、Mに尋ねました。

   「私、タトゥー入れようと思ってるんだけど、どこの店がいいかな?いい店を紹介してくれない?」

   ダブリン。タトゥー入れてる人、めちゃめちゃ多いです。男性だけじゃなく女性も。そしてTattoo Parlor(刺青をいれる店)も多いです。実際、私のフラットの近くにも一軒あり、よくガラス越しからじーっと眺めていたものでした。最近、日本もタトゥーをファッションとして入れている人を見る機会が多くなったと思うけど、やっぱりいまだに「や○ざ」的イメージが強いような気がします。それとも、タトゥーじゃなくて、「刺青」っていう語感のせいですかね?

   でも実は私、昔からずーっと入れたかったんですよね、タトゥー。ジョニデみたいに「ウィノナ命」とかじゃなく(古いね、また)、私にとって意味があり、いつまでも愛着が持てるような小さいシンボリックなやつ。でも日本では私の周りにタトゥー入れてる人もいなかったし(隠してたのかもしれないけど)、どこが信頼できる店かも分からなかったので、何となくその機会を逃してました。でも、ここダブリンでごく普通にタトゥーを入れてる人たちを眺めているうちに、あ、ダブリンで入れちゃえ、とかなり危険なノリで考え始めていたのでした。で、突然、タトゥーの見本帳みたいな体のコーチ・Mに尋ねてみたわけです。彼のタトゥーはデザイン的にも優れているし、とても美しいので、いつも、いいなぁ・・・とこっそり思っていたのでした。彼だったら信頼の置ける店を知っているに違いありません。

 M:「もちろんいいとこを紹介するけど、マジで入れるの?どこに?どんなやつ?」
 私:「ん~と、肩とか腰はみんなやってるから、ちっちゃいのを手首のとこに入れようかなーと思って。で、カモメのタトゥーにしようと思ってるの」
 M:「いいじゃん、カモメ。でもカモメでもいろんな種類がいるよ。写真とか持ってる?」

   なぜカモメかというと、海が近いダブリンの街なかでよく見かけるお馴染みの鳥でもあるし、鳥は自由を象徴するものでもあります。これからも自由な精神を失わないように、と私の願いから出たアイデアだったのです。でもねぇ、どんなって言われても、私はムツゴロウさんじゃないんだから、そんなにカモメの種類なんか知らないよ。でも実際には、いいカモメの写真ないかな~と、インターネットで調べたことはあるんだけど、なかなか私のイメージどおりの写真が見つからなかったのです。「優雅に羽を広げ、飛翔するカモメ」というハッキリしたイメージは頭の中にあるんだけど、やっぱり刺青師に実際の写真や絵を見せた方が的確だし、相手にうまく伝えられなくて自分の気に入らない結果になったりしたら、消しゴムでごしごし消せるモノじゃないので、それこそ取り返しがつかなくなってしまいます。

 M:「おれの実家にさ~、動物図鑑みたいのが揃ってるから、来週、そのカモメのページをコピーしてきてあげるよ」

   翌週のクラス。Mはすごい数のカモメの写真が載った紙を、「はい」と私にくれました。すごい、一言「カモメ」と言ってもこんなに種類があったとは・・・。あなどれぬ、カモメ。とにかく、その中に「あ、いいな」という写真があったので、それにしようとほぼ決まりかけていたのですが・・・。

   M自身もすでに左腕に入れていたケルト模様のタトゥーに新しく色を入れるというので、彼と同じ日に予約を入れてもらい、一緒に行くことになりました。もう心に決めていたとは言え、実際にその日取りが決まった途端、ワクワクすると同時に急に逃げ出したい気分に・・・。分かりきってることだけど、タトゥーって一度入れたら消せないのよねぇ・・・と呟くと、M曰く、「いや、消せるよ。でもそれを彫った時の料金の何倍もかかるし、皮膚がひきつれたみたいになるけど」とのこと。

   ・・・・・・い、いやだ、そんなの~~~!

   
   ある日、そんなドキドキ気分の私に駄目押しするように、英語学校の授業で「若気の至りでタトゥーを入れてしまった私」みたいな内容の教材が登場・・・。嫌がらせかよっ!と思いましたが、考えに考え抜いて決めたこと。私の決意は変わりません。

   一発勝負!なタトゥーなので、「ああ、やっぱり違う図柄にすれば良かった・・・」なんて事態はもちろん避けたい。カモメだカモメだ!と固く決めていたはずなのに、考えてみるとカモメのタトゥーってなんか漁師のおっさんみたいだよなぁ・・・と、急に自分の選択に不安を覚え始めてしまいました。これから年を取っても、一生、そのカモメのタトゥーを愛せるだろうか・・・?ということで、再び暇さえあればインターネットで個性的な図柄探しに明け暮れることに・・・。

   そんなある日、ビビッ!!と来た図柄にヒット!それは「サンスクリット文字」!サンスクリット語はインドの古典言語で、古くは空海(!)の時代に日本へ伝播し、日本では梵語と呼ばれているもの。サンスクリット語は日本語にも多大な影響を与えた言語なのです。

   私がビビッ!と来たのは、干支をサンスクリット文字で表したページで、私の干支のところを見てみると、なんとも美しい一文字が(何の干支だかここでは言いませんが・・・)。それぞれの文字はその干支の守護尊をも表しているのだそうです。その流線型のエキゾチックで美しい文字に夢中になってしまい、「ぜったい、ぜぇ~~ったいこれに決めた!」と狂喜乱舞。

   欧米では漢字タトゥーを入れている人をよく見かけます。事実、Mも腕にいれてるし、昔、南フランスの小さな町で、腕に「気」という漢字を彫ったホテルのおねえさんに「この文字、どういう意味なの?」と聞かれたこともありました(彫ってから意味聞くなよ)。我々日本人や中国人はなかなか「漢字」を「デザイン」としては見れないこともあって、何となく「漢字」を彫るってこっぱずかしいと思ってしまいます。だって私たちにとって、あまりにも日常的かつ実用的なモノだし、瞬間的に読めちゃうし、その意味も分かっちゃうから。でも彼らは「漢字」を美しい「フォーム」として見ているんですよね。確かに一文字でいろいろな意味を含み、形も美しい漢字が彼らにとって魅力的な「図柄」なのはよく分かります。私もサンスクリット文字をたぶん彼らと同じように見ているんでしょう。ただ私の場合、サンスクリット語は今でもインドの公用語ではあるけど、学問的・宗教的色合いが強い言葉なので(曼荼羅とかに使われたりする)、インド人なら誰でも読めるというシロモノではないらしいのです。つまり、インド人に会ったからといって、「君、○年なの?」と、いきなり干支がバレる危険性も少ないというわけ(別にバレたっていいんだけどさ)。

「タトゥー決行日」

   当日、街なかでMと待ち合わせ、テンプル・バーの中にある店に向かいました。そこへ向かう道すがら、「ねぇ、タトゥー入れるのって痛い?痛い?」と今まで何度も聞いたことをまた聞いてしまう私。「大丈夫だって。たいして痛くないから」と言うMに、「ホントに?ホントに?」と半信半疑でびびりながら、なおもしつこく聞いているうちに、店に着いてしまいました。店内は何だか歯医者さんの待合室みたいな雰囲気(タトゥーを入れる器具が出す、じじじじじ~~~~・・・っという音も)。待っている間に、これまた歯医者のような問診表みたいのを渡され(病歴や現在、医者にかかっているか、アレルギーがあるかなどなど)、すべて記入しなくてはなりません。でも、あちこちに置かれたタトゥーのサンプル帳が、ああ、ここは歯を治すとこじゃないのね・・・と当たり前なことを教えてくれています。

   Mとおしゃべりしながら待っているうちにとうとう私の番が・・・。小さな個室に入るとさらに歯医者さんチックないろいろな器具が机の上にずらーり。こ、こわいよ~~~!

   今回、私のタトゥーを入れてくれるのはポ-ルという中年の男性。当然といえば当然ながら、彼の腕は隙間もないほどタトゥーがびっしり。しかし、どのタトゥーも見事に精度の高い、美しいデザインばかり。

   ちょっと見はおっかなそうなバイカーって感じだけど、実際は陽気で気さくな彼。私が前もって渡しておいた実寸大のサンスクリット文字の図柄をインクでなぞって切り抜いたものを用意しており、「ここでいい?もっと上のほう?」と慎重に確認しながら、私が望む位置にぺたっと貼り付けました。それを剥がすとインクが私の皮膚に残り、それをなぞって実際に彫る、というやり方。うーむ、これなら確かに間違いがない。

   実際に彫った感想。

   ・・・・・・痛いです。めちゃくちゃ痛かったです。

   ポールがじじじじじ~~っと歯を削る細いドリルみたいな器具で、実際に私の手首にタトゥーを彫っている間、下を向いて、歯を食いしばっていましたが、「ぃぃぃいたいぃぃぃぃぃ・・・・」と日本語でうめいてしまうほど。脇のベッドに腰掛けて、肩をぽんぽん叩いて励ましてくれているMに、「・・・めちゃめちゃ痛いじゃないのよ~~!嘘つき~~!」と恨み言を吐いていると、ポールは「手首の表側にして良かったね。裏側だったら血管が通ってるからこの何倍も痛いと思うよ」と一言。実際、目立たないように裏側にしようかな、と思った時もありましたが、これより痛いっていうんじゃ、たとえ目立ちまくっても表側にして良かった・・・とつくづく思いました。

   やっとのこと私のタトゥーが入れ終わり、次はMの番。私のとは比べ物にならないほど広い範囲に、じじじじ~っと色を入れられている間、Mはまったく普段と変わらない涼しい顔。「ホントは痛いんでしょ?我慢してるでしょ?」「してねーよ」などと言い合っていましたが、今回、彼が新しく入れている、腕じゅうに滲んだ赤のインクを血と勘違いした私は、卒倒寸前・・・。

   Mの腕のタトゥーはサイズが大きいため、1回では全部できないので、続きはまた来週、ということになり、ようやく店を後にしました(その後、色を入れる続きをしに行くMにくっついて、再びポールの店を訪れ、その都度、その作業過程をばっちり写真に記録させて頂きました)。ちなみに私のタトゥーは約3×3cmサイズ程度で60ユーロ。まあ、タトゥーを入れたのはこれが初めてなので、他の店と比べて高いのか安いのかは判断できませんが。

   それから3日間は、タトゥーを入れた部分の皮膚を乾燥から守るため、毎日軟膏みたいな物を塗って、サランラップを手首に巻いていなくてはなりません。そうしないとインクの色がうまく馴染まないそうです。ようやくそれが取れた日、皮膚にいい感じに馴染んだタトゥーを見て、唸ってしまいました。

   か、かっこいい・・・・・・・・。

   その後、誰かに会うたびに、「見て見て見て~♪」と見せまくったのは言うまでもありません。ただ1人を除いて、全員が「かっこいいねぇ~!」と言ってくれ、そのうえ「俺もいれようかな」と言い出す奴までいて鼻高々。私にとって、このタトゥーは子供のようなもの。仮に将来、このタトゥーに対して愛が消え、後悔を感じたとしても、ぽいと捨てることはもう不可能です。それを入れた自分の決断から目をそらさず、きちんと向かい合って一生、生きていかなくては行けません。何だか大袈裟に聞こえるかもしれないけど、このタトゥーに対して私には責任があるんだ、これからも人生、山あり谷ありだろうけど、一緒に苦楽を共にして生きていこうね♪という気持ちでいっぱいです。と言っても後悔してるわけじゃありませんよ。実際、今でもすっごく気に入ってるし、最初に感じた感動からちっとも変わることなく愛してます、このタトゥーちゃん。

   あ、ちなみに感心してくれなかったその1人とは、後日、私が日本にちょっと帰った折、このタトゥーを見て血圧が急上昇し、卒倒しそうになった私の母です。



No.11 「カメラマンアシスタントとして働く!」

2006年09月23日 00時36分48秒 | ダブリン生活
「カメラマンのアラン」

   このブログを最初から見て頂いている皆さんはご存知でしょうが、私が今回ダブリンへ飛んだのは、カメラマンとしての仕事を見つけるためでした。その後、何の運命のひねりか、英語学校に行くことになり、行ったら行ったで勉強に夢中になってしまい、職探しそっちのけで英語研鑚に燃える日々・・・。でも、その間も心の中で「カメラマンとして働きたいよ~」という思いがいつもうごめいており、水面下ではごそごそと就職活動を続けてはいたのですが、生来の怠け癖からなかなか重い腰を上げることができませんでした。

   そんなある日、友人宅でのホームパーティの招待が。日本でホームパーティというと、どこかしゃっちょこばってしまう雰囲気があるけど、こっちの人たちは気軽にホームパーティを開いては相手を誘い合い、交友を広げていく、あくまで肩の力が抜けた空気があります。私もいろんな人と知り合えるのが楽しいので、よくあちこちのホームパーティに顔を出し、興味深い交友関係を広げてきました。今回は友人アンジェラからの誘い。日本食大好きの彼女から「全て日本料理にするつもりだから、手伝ってくれない?」と言われ、2人で天ぷらだの味噌汁だの酢の物だのもちろん寿司だのを用意。その夜はドイツ人のアンジェラを筆頭に、アイリッシュの男女2人、ヨガインストラクターのネパール人、そして日本人の私、というめちゃくちゃな混合メンバーでしたが、幸い、用意した日本料理も大好評で、楽しい夜を過ごしました。

   そして、そこで出会ったアイリッシュ2人の男のほうがアラン。アンジェラの友人であるネパール人のヨガインストラクターのそのまた友人で、その関係でこのパーティにやって来たのでした。食事が終わり、デザートの用意をしながら彼とおしゃべりしているうち、私がカメラマンの仕事を探していることを何の気なしに話すと、「おれ、フリーのカメラマンだよ」と言い出すので、どびっくり。ああ、やっぱりここはダブリンだわ。

   シンクロニシティが溢れている・・・。

   アランは雑誌の写真撮影の他、ウェディングの撮影やテレビ局のビデオカメラも担当するなど、幅広い活動をしているカメラマンでした。「今まで○○とか□□っていうカメラマンのところへ行ってみたり、△△ってスタジオにメール出したりしてみたんだけどさ~」と私が言うと、「ダメダメダメ!○○なんてクソみたいな奴なんだから、あいつのとこなんて行っちゃダメだ!」とか「そのスタジオのカメラマンは才能あるし、めちゃくちゃ笑える奴なんだけど、最近仕事少なくてヒマらしいよ」とか、現地カメラマンならではの内部情報を次々と教えてくれ、果てはアンジェラから電話帳を借りると、「フォトグラファー」のページに頭を突っ込み、「う~んと、こいつはOK。腕もいいし、コマーシャルフォトグラファーとして信頼が厚いからいつも忙しいらしい。でもこいつは最悪。やたら態度がデカいし、嫌われもんなんだよ。で、こいつは・・・、そうだなぁ・・・・、よく知らない」などと言いながら、「私が会うべきカメラマンリスト」を作成してくれるのでした。

   夜遅くパーティが終わり、ダブリン郊外のアンジェラの家からはもうバスも電車もないので彼女が車で送っていこうと申し出てくれていたのですが、アランが「どこ住んでるの?ああ、どうせ帰り道だから乗っけてってあげるよ」と言ってくれ、彼の車に便乗することに。帰り道、ひたすら写真談義に花が咲きつつも、私の職探しの焦りを聞いてくれていたアランは、「来週、雑誌の仕事で○○って会社に撮影に行くんだけど、アシスタントとして来る?午前中だけで終わるし。悪いんだけど今回の仕事では君にお金は払えないんだ。でも経験としては面白いと思うよ」と青天の霹靂の申し出が(関係ないけど英語で「青天の霹靂」って「out of blue」って言うんですよね。日本語となんか似てますね)。「いくいくいくいくいく~~~!」と絶叫した私に、アランは「じゃ、時間と待ち合わせ場所をあとでケータイにメールするよ」と言って、興奮覚めやらぬ私を降ろし、去っていったのでした。

「カメラマンアシスタントです。どうぞよろしく」

   撮影日。場所はヒューストン駅からも近い、ダブリンに来た観光客なら必ず訪れる超有名な某会社兼工場(その割には私は一度も来た事がなかった)。今回は雑誌のため、とある部署のマネージャーさんを撮影する、というものでした。門の前で車でやって来たアランと待ち合わせ、入り口で入館証をもらい、ロビーでそのマネージャーさんと簡単に打ち合わせ。アランがそのマネージャーさんに「アシスタントの○○(私のこと)です」と紹介してくれた時は思わずウットリ・・・。我ながらまったくアホですが、このマネージャーさんはもちろん私の状況など知る由もないから、プロのアシスタントだと思ってるんだろうなぁ・・・とウットリしてしまった訳です。

   とにかく、そのマネージャーさんに連れられ、別館に向かう私たち。そこで撮影場所として使う部屋に入り、撮影準備開始。アランが持ってきた2台の大きなライトを組み立て、露出を測るのが私の仕事。そして「その右のライト、そこの壁にバウンスさせて」とか「リフレクター(反射板)をもっと下に」と言うアランの指示を的確に実行すること。勝手知ったるその空気にダブリンにいることも忘れ、体が勝手に動くことが嬉しくてなりませんでした。アイリッシュのプロカメラマンの撮影現場を見てみたい、といつも思っていたので、マネージャーさんにポーズを付けたり、会話しながら自然な笑顔を引き出していくアランの姿もとても興味深く観察していました。ああ、やっぱりカメラマンの姿はどこの国も変わらない・・・。

   撮影が終了し、出口まで送ってくれるマネージャーさんが、「重いでしょう?」と私が担いでいたライティングの機材を持ってくれようとしたので、「いえ、これも私の仕事のうちですから」と返事した時は、実情はどうあれ、その時私は確かにプロのアシスタントでした。

   午後の授業を受けるため、学校に戻る私をアランは近くまで車で送ってくれ、「いや~、ほんとに助かったよ。ありがとう。実は今度の週末、ウェディングのビデオ撮影でキャッシェルって町まで行くんだけど、興味あるなら一緒に来てもいいよ。丸一日かかると思うけど、100ユーロなら君に払えるし」と誘ってくれたのでした。当然私は、「いくいくいくいく~~~~!」と再び絶叫し、撮影済みのフィルムをラボに届けに行かなきゃ、というアランと分かれ、やっぱり撮影の仕事ってた~~~~のし♪とるんるんスキップしながら学校へ向かったのでした・・・。

   そして、その後はそのウェディングの撮影に続き、雑誌の撮影でダブリン市内を回ったり、ゴールウェイの方まで泊りがけの仕事にも連れて行ってくれたアラン。ほんっと~~~にいい人なんだ、この人がまた。まったく気取りがないし、そのオープンな人間性が私をリラックスさせてくれます。仕事に向かう車の中では、いつも映画や音楽の話などで盛り上がる他、「前に別れたおれの彼女はスペイン人で、超美人だったんだけどさ~、何と、その時おれんちに居候してた古い友だちと最終的にくっついちまいやがってさ。だから、その友だちとは今でも口も聞いてないんだよ。長い付き合いだったんだけどね。でもその男はイタリア人だったんだけど、

   なぜかウッディ・アレンに似てたんだよな。

   「ウッディ・アレン似のイタリア人にカノジョ取られたんだぜ。信じられる?」などと愚痴る彼に、悪いけど大爆笑でした。

   また、結婚式の撮影の帰り道(もうほとんど真夜中だった)、高速道路を走るうち急に車がエンストし、車もほとんど通らない暗~い道路の端っこでぼんやり(日本で言うJAFみたいなところからの)牽引車を待ったり(その後奇蹟的にエンジンが復活、無事に帰途に着きました)、またしても他の撮影仕事での帰り道、タイヤがパンクし、真夜中の高速道路の脇で凍えそうになりながら2人でタイヤ交換をしたのもいい思い出です。

   日本でカメラマンのアシスタントをする時は、何と言っても強烈な師弟関係があり、「はは~~!」といつもひれ伏していないといけないような空気がありましたが、アランは別。もちろん私は正式な彼のアシスタントじゃないし、友人として仕事に誘ってくれている訳だけど、日本的状況からは考えられないほど彼はフランクだし、アシスタントの私に対して逆に気を使ってくれるほどなので、思わず感涙にむせびそうになってしまいました。でも日本だって本当に才能がある人ほど人格者ですよね。アシスタントをいじめて、自分の威信を必死に誇示する必要もないから。

   とにかくその後も、仕事探しをしている私にアドバイスをくれたり、「Reference(身元保証人・照会先)が必要なら、おれの名前と連絡先を出しても構わないからね」と言ってくれたりと、私がダブリンに滞在している間中、力になってくれました。自分の知らないところでLuckを何度も逃してるのかもしれないけど、それでも私ってやっぱりラッキーな人間だわ・・・と思う、のほほんとした私です。