Henestrosaはカーロとはつながりを持っている。Henestrosaのおばはカーロの知的グループの一人で、鮮やかなメキシコの伝統的なブラウスやドレスをメキシコ南部オアハカ(Oaxaca)州から持ってきてはカーロに渡していた。
先住民のアイデンティティを強固にするため、1910年から1920年まで行われたメキシコ革命。その革命直後の時代でカーロは、自身のメキシコ人としての価値を表現し、「メキシコ人らしさ」を描きたかった。
さらに、「彼女は共産主義者で、(そのように描くことで)国民の一人のように感じれた」のだとHenestrosaは明かした。
しかしカーロの政治的考えは彼女のスタイルにはあまり影響しなかった。
「脚を隠すためにロングスカートを履くようになり、彼女が自身の体と服の関係を築くきっかけとなった」とHenestrosa話し、先住民の衣装は目線を上半身に向けることができたとした。「この展示では、人としてのフリーダ、女性としてのフリーダ、香水好きの彼女、非常に女性らしく、障がいに定義されない彼女を見せたかった」
「若い女性のお手本となる、褐色の障がいを抱えたメキシコ人芸術家。違っていて良いのです」