最近は、気分的にも時間的にも余裕がなくて、フルートの練習もサボりがちだし、ことにネット掲示板はさっぱり見なくなりました。以前、ネット掲示板を覗く余裕が多少あった頃、掲示板では疑義を感じさせられる内容の発言でマウントを取ろうとする人が多少いたものです(今も幅を利かせていますか?)。その頃は、「マウントを取る」という言葉も今のように流行っていなくて、私としても相当する言葉が見つからなかったですが。さらに、発言主の主張に賛同しないと「下手くそ」と暗に決めつけてくる態度が困ったものでした(笑)。そういう発言にみられる特徴は、
- 現実離れした高尚な内容
- 意味が曖昧、あるいは客観的に見て内容が論理的でない
- おそらく、自分の師匠あるいはどこかの偉い先生が思いつきで言っただけのフレーズを繰り返している
などが挙げられます。
覚えていて面白かったものをいくつか挙げてみようかと思います:
(1) ビブラートは、音楽的に必要になったら自然と出てくる。練習の必要はない。
まあ、世界的トッププレーヤーの言ならば、それは「その人にとっては」そうかもしれませんが、一般のフルート学習者やアマチュアにとっては、いうまでもなくそうではありません。プロ・アマ問わず、多くのフルート吹きは、いつかの時期に集中してビブラートの練習をした、している、あるいはする予定だと思います。そもそも、練習しないでキレイなビブラートで吹ける人なんて非常に稀で、そういう主張には一般性はありません。
また、フルートでは、バロック古典期よりフィンガービブラートはありましたが、確か、息のコントロールによるビブラートはゴーベールあたりからだったと、Nancy Toff著のThe Flute Bookに書いてあったと思います。また、Quantz著の"On Playing the Flute"(Reilly, E.R.訳, Faber & Faber)にもフィンガービブラートの記述しかありません(私はドイツ語は読めないので、英訳版で確認した)。つまり、バロックや古典の曲は、息によるビブラートは作曲者の想定にはありません。しかし↑のようなことを発言してマウントを取ろうとする人に限って、モーツァルトのコンチェルトやバッハのソナタにもバリバリにビブラートを掛けていたりして(笑)。
音楽は、作曲年代に問わず、今の演奏者の演奏とそれを聴く聴衆の間で成立するものだと思います。フルートに関しては、息によるビブラートが非常に一般的になっている昨今、そういう演奏を我々は日常的に聴いています。それが現代の演奏スタイルであり、多くの聴衆の耳はそういうスタイルになじんでしまっているわけです。したがって、「音楽的な必要性」は、譜面のみならず、沢山の演奏を聴いて耳になじんでしまっている現代の演奏スタイル両方に由来されるものなのでしょう。しかし、↑のような主張をする人は、「いや、楽譜の中に全てがある!」と主張するのでしょうかね。
蛇足ですが、我々アマチュアは、楽曲を自分の吹きたいように吹くことが断然許されるので、時代考証ゼロ、現代の演奏スタイル無視の演奏も全く問題ありません(笑)。
他にも面白い例をいくつか覚えているので、後日投稿してみたいと思います。
つづく
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