新品のフルート、あるいは頭部管を買うと、それを吹き込むことで「楽器を育てる」という言い方をする人が時々います。新調した楽器で沢山練習して、それに楽器が反応して、楽器自体がその音響特性を変化させて成長していく…なんて、楽器を大切にする人の中にはそういう思いをもつ人も少なからずいることでしょう。もしかしたら、本当にそういう現象が部分的には有るのかもしれません。ただし、申し訳ありません、理工系の性で、私は結構そういうことには冷めていて、その現象をなるべく客観的に捉えたいなと思っています。
さて、新しく楽器を購入し、それを使って練習すると、半年ないし数年の時間スケールでその音色が変化し、使い始めたときよりもずっとよく鳴り響き、より良い音が出るようになると感じた人は多いことと思います。ましてや、中古でなくて、自分が初めてのユーザーの楽器でそういう現象を感じたときには、楽器が徐々に自分の色に染まっていくように感覚にとらわれるということも理解できます。
新調した楽器を吹き込んでいくと年々音が変わっていくという現象について、いくつかの可能性に切り分けてみましょう:
- 使用者が楽器に慣れてきて、さらに年単位の練習により上達した
- 使用の経過、そして半年~1年ごとの定期メンテナンスに伴って、キーカップの傾きが修正され、タンポがトーンホールになじんできた
- 頭部管、胴部管、足部管の間のジョイントがなじんできた
- 楽器の製作直後から、楽器の金属素材の物性が経年変化した
といったところが主要な可能性ではないでしょうか。ただし、「楽器を育てる」と言っている人々は、吹き込んで発生する振動により、使用者の出す(あるいは好みの)音色に適合した方向に、金属素材の物性変化を誘導させることができたと、示唆しているのかも知れません。これを説明するために、チューブの金属の電子顕微鏡レベルの結晶の配列の変化云々ということをおっしゃる人もいるようですが、それはやり過ぎでしょう(笑)。たしかに、金属を加工すると、加工された製品のなかで力が働いたままになっていることもあり(残留応力というそうです)、物性変化等によりそれが緩和していくこともあるようです。しかし、楽器を吹き込んで音を鳴らすことが積極的に金属の物性変化に影響しているというのは、論理の飛躍のように思います。もっとも、関連した研究論文があるだろうかと思いGoogle Scholarで検索したのですが、なかなか関連した論文が見つけられていません(引き続き調べてみます)。おそらく、楽器を吹いて発生する程度の振動は、あまり金属の物性変化に影響はないような気がします。ただし、金属材料に極めて強い振動を印可し続けると、そのうち金属疲労を起こすかも知れません。私にとっては金属工学は完璧に畑違いなので、歯切れが悪くてすみません。
ところで、以前、パールに銀製の頭部管PHN-3(Legato)を特注で製作して頂いたことがありました。この頭部管ではいまでも大事に使っています。この頭部管が来た当初はふわりとした音色でしっかりした音が鳴らなかったのですが、1年くらい経った頃から見違えるように芯があり透き通った音色に変化しました。素晴らしい頭部管で、自分が持っている頭部管でもお気に入りの一つです。この変化についてですが、私の印象では、吹き手(筆者)が頭部管に慣れたというだけでは説明できないような変化でした。なんとなくですが、経年変化により、頭部管製作直後の残留応力が緩和して歪みが減って落ち着いたことで、よく鳴るようになったのではないかという気がしています。あくまでも印象論ですが(笑)。そこで思い出すのが、何年も前にTVで見た小出シンバルの社長さんのインタビューで、シンバルも製作直後はまったく良い音がせず、製作後半年以上寝かせると良い音が出るようになるそうです。
また、知り合いの管楽器技術者のS氏に、私のメインのフルートのタンポ全交換を数年前にして頂きました。これまた、仕上がって戻ってきた直後は、パッドが落ち着かなくてあまり鳴りませんでしたが、半年くらい(かな?)から上り調子となり、パッド全交換して良かった!と思えるような状態になりました。S氏は非常にゆっくり仕事をされる人なのですが、仕上がりの出来映えは素晴らしいです。いずれにしろ、新品のパッドは、落ち着くまでにある程度の期間が必要だなと思っているところです。
結論としては、新品にしろ、中古にしろ、新たに入手したフルートや頭部管は、半年~1年くらいの頻度でメンテナンスに出して良い状態を保ちながら、年単位での楽器との対話と研鑽に務めることで良い音作りができるのではないでしょうか。おそらく、吹いて発生した程度の振動は金属物性の変化にあまり関係ないと思います。また、楽器のオーナーが楽器に対してどのような思い入れを持つのも自由ですが、ネットや口頭でその思いを発信するときには、ちょっと慎重になった方が良いでしょう。
(つづく)