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それ、ホント?(その4):楽器を育てる

2021-09-05 23:51:10 | 楽器

 新品のフルート、あるいは頭部管を買うと、それを吹き込むことで「楽器を育てる」という言い方をする人が時々います。新調した楽器で沢山練習して、それに楽器が反応して、楽器自体がその音響特性を変化させて成長していく…なんて、楽器を大切にする人の中にはそういう思いをもつ人も少なからずいることでしょう。もしかしたら、本当にそういう現象が部分的には有るのかもしれません。ただし、申し訳ありません、理工系の性で、私は結構そういうことには冷めていて、その現象をなるべく客観的に捉えたいなと思っています。

 さて、新しく楽器を購入し、それを使って練習すると、半年ないし数年の時間スケールでその音色が変化し、使い始めたときよりもずっとよく鳴り響き、より良い音が出るようになると感じた人は多いことと思います。ましてや、中古でなくて、自分が初めてのユーザーの楽器でそういう現象を感じたときには、楽器が徐々に自分の色に染まっていくように感覚にとらわれるということも理解できます。

 新調した楽器を吹き込んでいくと年々音が変わっていくという現象について、いくつかの可能性に切り分けてみましょう:

  1. 使用者が楽器に慣れてきて、さらに年単位の練習により上達した
  2. 使用の経過、そして半年~1年ごとの定期メンテナンスに伴って、キーカップの傾きが修正され、タンポがトーンホールになじんできた
  3. 頭部管、胴部管、足部管の間のジョイントがなじんできた
  4. 楽器の製作直後から、楽器の金属素材の物性が経年変化した

といったところが主要な可能性ではないでしょうか。ただし、「楽器を育てる」と言っている人々は、吹き込んで発生する振動により、使用者の出す(あるいは好みの)音色に適合した方向に、金属素材の物性変化を誘導させることができたと、示唆しているのかも知れません。これを説明するために、チューブの金属の電子顕微鏡レベルの結晶の配列の変化云々ということをおっしゃる人もいるようですが、それはやり過ぎでしょう(笑)。たしかに、金属を加工すると、加工された製品のなかで力が働いたままになっていることもあり(残留応力というそうです)、物性変化等によりそれが緩和していくこともあるようです。しかし、楽器を吹き込んで音を鳴らすことが積極的に金属の物性変化に影響しているというのは、論理の飛躍のように思います。もっとも、関連した研究論文があるだろうかと思いGoogle Scholarで検索したのですが、なかなか関連した論文が見つけられていません(引き続き調べてみます)。おそらく、楽器を吹いて発生する程度の振動は、あまり金属の物性変化に影響はないような気がします。ただし、金属材料に極めて強い振動を印可し続けると、そのうち金属疲労を起こすかも知れません。私にとっては金属工学は完璧に畑違いなので、歯切れが悪くてすみません。

 ところで、以前、パールに銀製の頭部管PHN-3(Legato)を特注で製作して頂いたことがありました。この頭部管ではいまでも大事に使っています。この頭部管が来た当初はふわりとした音色でしっかりした音が鳴らなかったのですが、1年くらい経った頃から見違えるように芯があり透き通った音色に変化しました。素晴らしい頭部管で、自分が持っている頭部管でもお気に入りの一つです。この変化についてですが、私の印象では、吹き手(筆者)が頭部管に慣れたというだけでは説明できないような変化でした。なんとなくですが、経年変化により、頭部管製作直後の残留応力が緩和して歪みが減って落ち着いたことで、よく鳴るようになったのではないかという気がしています。あくまでも印象論ですが(笑)。そこで思い出すのが、何年も前にTVで見た小出シンバルの社長さんのインタビューで、シンバルも製作直後はまったく良い音がせず、製作後半年以上寝かせると良い音が出るようになるそうです。

 また、知り合いの管楽器技術者のS氏に、私のメインのフルートのタンポ全交換を数年前にして頂きました。これまた、仕上がって戻ってきた直後は、パッドが落ち着かなくてあまり鳴りませんでしたが、半年くらい(かな?)から上り調子となり、パッド全交換して良かった!と思えるような状態になりました。S氏は非常にゆっくり仕事をされる人なのですが、仕上がりの出来映えは素晴らしいです。いずれにしろ、新品のパッドは、落ち着くまでにある程度の期間が必要だなと思っているところです。

 結論としては、新品にしろ、中古にしろ、新たに入手したフルートや頭部管は、半年~1年くらいの頻度でメンテナンスに出して良い状態を保ちながら、年単位での楽器との対話と研鑽に務めることで良い音作りができるのではないでしょうか。おそらく、吹いて発生した程度の振動は金属物性の変化にあまり関係ないと思います。また、楽器のオーナーが楽器に対してどのような思い入れを持つのも自由ですが、ネットや口頭でその思いを発信するときには、ちょっと慎重になった方が良いでしょう。

(つづく)


それ、ホント?(その3):身体を共鳴させる

2021-08-31 22:53:42 | 楽器

 フルートのコミュニティで流布している意味不明瞭なフレーズの代表格が「身体を共鳴させる」でしょう。たとえフルート経験者であっても、事前知識なしで初めて「身体を共鳴させてね」なんてアドバイスされたら、「それ、どういう意味なの?」と頭の中に疑問符が浮かぶ人が多いことでしょう。実際、最大限善意に見ても、このフレーズは説明が足りていません。おそらく、どこかの大先生が言ったフレーズが一人歩きして流布しているのかも知れません。もっとも、アドバイスする人の態度は善意に見えるので、意味を聞き返すのも申し訳なくて、そのまま聞き流してしまうということもしばしばだと想像します。正直にいうと、このフレーズを初めて聞いた頃は、私も大人しくて素直だったので(笑)、頭の中は疑問符だらけでしたが、聞き流して黙っていたものです。

 ちなみに、ネット掲示板を時々見ていた頃、「身体を共鳴させて吹いてください」と親切にアドバイスをしていた投稿を見かけたので、「すみません、どうやって共鳴させるのですか?」と私が横やりの質問をしてみたら、投稿主さんはその途端にしどろもどろになってしまいました。キツいことを言って悪いことをしたなと、反省したものです(笑)。

 ところで、フルートのコミュニティで流布するその種のフレーズをウォッチするには、三つのファクターを考えると良いと思います:

  1. そのフレーズが通常の国語に照らし合わせて理解可能か?(理解可能、どちらとも言えない、理解不能)
  2. それが物理的に正しいかどうか?(正しい、部分的に正しい(かもしれない)、正しくない)
  3. そうイメージすることが演奏のために有用かどうか?(有用、どちらとも言えない、害悪)

粗い分類ですが、以上のように各ファクターを3段階に分類すれば27通りの類型が考えられます。今回の記事での私の私見を先に申せば、「身体を共鳴させる」を以上の類型に当てはめると、

  1. フレーズは国語的に理解不能
  2. 物理的には部分的には正しいかも知れない
  3. イメージすることは有用

あたりに相当すると思います(好意的な解釈を含む)。なお、フルート教師・演奏家には、感じたことをあたかも物理的な言葉で語ってしまうことが時々あるようです。しかし、フルートの先生方は大学の理工系学部・研究科出身であることは稀ですので、物理的な是非については大目に見てあげることにしましょう。ちなみに、私は理工系の研究科、物理系専攻の出身です。

 フルート演奏において「身体を共鳴させる」というのはどういうことか?これを明示的に詳しく説明した記述は、私はこれまでに、現代奏法のパイオニアの一人であるRobert Dick先生の著書"Tone Development Through Extended Techniques"(Lauren Keiser Music)でしか見たことがありません。実のところ、Robert Dick先生の説明でも私は完全には腑に落ちていません(下記で説明します)。

 「身体を共鳴させる」ことは、ヴァイオリンの共鳴箱が引き合いに出されることがあります。ヴァイオリンは弓で弦を振動させます。しかし、アンプ抜きでヤマハのサイレントヴァイオリンを弾いてみれば分かるとおり、弦が振動しているだけでは豊かな音量は得られません。「サイレント」でなく、通常のアコースティックなヴァイオリンでは、弓をで弦を振動させると、その振動が駒や魂柱を通じて共鳴箱に伝わり共鳴箱全体が振動します。さらに、このようにして発生した楽器全体の振動や共鳴箱の中の空気振動が外気に伝わり、音が発生します。

 Tone Development Through Extended Techniquesでは、フルート奏者の口腔、鼻腔、気道、そして肺が、気柱として働くと記述されています。Youtubeで「気柱 共鳴」といったキーワードで検索すると、ガラス管と音叉を使った実験の動画がヒットします。興味のある方はご覧ください。フルートで発生した空気振動が、奏者の口腔~肺にまで達し、共鳴する条件が揃えば、その空間に含まれる空気が共鳴振動することで豊かな音量と音色が得られるそうです。この本では、口腔から肺の中での共鳴を積極的に利用するために、Throat Tuningという方法論を採っています(詳しくはそちらの書籍をご覧ください)。すなわち、Robert Dick先生の記述と関係づけるとすれば、体内の当該空間に含まれる空気を共鳴させるということが、「身体を共鳴させる」と言うことかもしれません。Robert Dick先生はそのための具体的な練習法も記述しています。個人的には、奏者の胸部にコンタクトマイクを取り付けて、どれくらい共鳴が起こっているかを知りたいところですが、研究論文があるかそのうち探してみようと思います。口腔~肺の中の空気の共鳴がどれだけ起こっているかは脇に置いても、胸部、喉、口腔の状態と発音する音との関係づけを練習して、反射的にそれができるようになることは有用でしょう。ただし、ヴァイオリンでは、弦の振動は、駒と魂柱を経由して、実に効率的に共鳴箱に伝わります。フルートの場合は、空気を介するので、口腔への振動の伝達効率はヴァイオリンに比べればかなり低いのではないかと想像します。

 以上、「身体を共鳴させる」というフレーズだけでは、国語的にも不明瞭ですが、以上のような内容を付け加えれば、部分的には物理を反映しているかもしれませんし、そうイメージすることはフルート演奏には有用ではないかと思います。ただし、口腔~肺の中の空気を共鳴させるというところまで知識があっても、そのHow toについての知識がないまま、「身体を共鳴させる」という掛け声だけでは、なにも変わりません。そういうアドバイスでは意味が無いと思います。

 結びとして、アドバイスは、国語的に聞き手が理解できる内容であり、物理的な是非はどうであれ、そうイメージすることが有用であることが最低限望ましいと思います。

(つづく)

 


それ、ホント?(その2):楽器の音でなくて、自分の音で吹く

2021-08-28 14:30:45 | 楽器

以前、ネットのフルート関係の掲示板を時々見ていた頃、「楽器の音でなくて、自分の音で吹くことができる」という主張する人を時々見かけました。曰く「自分は、どんな楽器でも同じ音色で吹ける」と。そういう風に主張することで、彼らはマウントを取ろうとしていたものです(笑)。もちろん、トップ奏者なかにはそういう人もいるかも知れませんけどね。そういう例外的な逸材は、本記事の対象ではありません。

 私の結論から申せば、それは、音色を区別する「精度」の問題であり、どれくらいの違いを違うと言い、どれくらいの類似性を同じと言うかという基準が単に人それぞれで違うだけであり、そう主張する人は意識的または無意識的に音色を区別する精度を粗くして発言しているように思います。あるいは、もしかすると、ただ単に、その人の尊敬する師匠がそういう高尚で格好いい発言したのを聞いて、自分でも言ってみようとしただけかも(笑)。

 まずは、「精度」という用語を確認しましょう。誤差論の教科書において、数値データのクオリティを評価する指標には、「精度」と『確度」があります。「精度」とは、例えばリンゴの1個の重量の測定値を500g、493g、493.5g、493.58g…というように「どこの桁まで」有意な数字が測定できたかという指標です。したがって、Aさんの測定では500g、Bさんの測定では493.58gという結果があれば、Bさんの測定の方が高精度ということができます。もちろん、再現性良く小数点第2位が"8"だったとした場合ですが。一方、「確度」とは、測定値がどの程度「真の値」に近いかという指標ですが、今回は脇に置いておきます。

 さて、「自分は、どんな楽器でも同じ音色で吹ける」という主張を見たとき、ネット掲示板くんだりに来ている人でもそんなすごい人がいるのかと感心したものですが、それと同時に素朴な疑問がいくつか沸いたものです。

  • そういう人が笛を吹くと、ムラマツ、三響、パウエル、ナガハラ、ハンミッヒ、クリス・アベル等々、あるいは洋銀、Ag925、Ag997、14K 、18K、24K、プラチナ、グラナディラ、柘植、いずれのフルートでも、誰が聴いても同じだと認める音色が発せられるのか?
  • そういう人にとっては、「楽器選び」という作業は無意味だろうか?(「この楽器でなら、自分の独自の音色で吹ける」なんてのは、自己矛盾よ(笑))
  • 吹き手が自分で聴く音と、それを聴いている聴衆が聴く音には、かなり大きな差異があるはずですが、その人にとっては論理的にどのように納得し対処しているのか?
  • 「自分の音色で吹く」とは、吹き手が持つ音色のイメージに100%駆動されて、楽器の性格は完全に度外視で、音色を形作ることなのか?

 確かに、私も何本かのフルートを持っていますが、どれを吹いても、自分の音色の毛色みたいなものは多少感じますが、全く同一とは思ったことはありませんね。悪くない音程で、豊かな音色で、そしてできることなら曲想に合った音色で吹けて、それで楽器がよく響いてくれれば良いという程度にやっているので、たいした拘りも有りません。その日の気分でどのフルートにするか決めて、練習で楽しんでいます。また、私見では、楽器との対話を通して音が生まれて定まっていくものだと思います。

 思いますに、普通のフルート愛好家で、木製のクリスアベル、ムラマツのSRや24K、三響の銀や9Kを吹いてもらって、誰もが「寸分違わず同じ音だ」と認めるような音色で吹ける人は希有な人でしょう。そういう人は「普通」とは言いません(笑)。確かに、初級者が吹くとこういう感じの音色がでやすいという傾向は、メーカーやモデルそれぞれにあることはあると思います。しかし、普通のフルート愛好家で「自分は、どんな楽器でも同じ音色で吹ける」と言っている場合、きっと、音色の区別は非常に粗い精度で議論をしているのであり、「たいていの楽器で吹いても、音色に自分の毛色が顕れる傾向がある」という程度に読み替えた方が実情に合うと私は思います。自分なりの音色で吹けるという矜持があるのは、良いと思います。しかし、そういう思いは自分の心の中に秘めておいて、自分の演奏を人に聴かせて感じてもらえば良いのです。「自分の音は独特な良い音」と自分から声や文字に出して言って回らなくても、もしも他人から自然とそう言ってもらえたら笛吹き冥利に尽きるのではないかと思います。

 そういえば、私の師匠の一人、K師は現代音楽のパイオニアとしての受賞歴もある人ですが、メーカーの○社のお店の教室で彼のレッスンを受けていたときに、私の楽器を吹いてみて曰く「君のこの楽器は、ぼくの楽器と同じで、右手の倍音がよく乗ってとてもよいので、大事にしなさい」と。さらに「○社の楽器は、倍音が乗らない」とボソッと小声で付け加えました(なにせ、○社の教室での出来事だったので…)。これを聞いて、K師のようなトップ奏者でも、「筆は選ぶ」ものなのだなと思った記憶があります。

(つづく)


それ、ホント?(その1):ビブラート

2021-08-22 11:32:38 | 楽器

 最近は、気分的にも時間的にも余裕がなくて、フルートの練習もサボりがちだし、ことにネット掲示板はさっぱり見なくなりました。以前、ネット掲示板を覗く余裕が多少あった頃、掲示板では疑義を感じさせられる内容の発言でマウントを取ろうとする人が多少いたものです(今も幅を利かせていますか?)。その頃は、「マウントを取る」という言葉も今のように流行っていなくて、私としても相当する言葉が見つからなかったですが。さらに、発言主の主張に賛同しないと「下手くそ」と暗に決めつけてくる態度が困ったものでした(笑)。そういう発言にみられる特徴は、

  • 現実離れした高尚な内容
  • 意味が曖昧、あるいは客観的に見て内容が論理的でない
  • おそらく、自分の師匠あるいはどこかの偉い先生が思いつきで言っただけのフレーズを繰り返している

などが挙げられます。

 覚えていて面白かったものをいくつか挙げてみようかと思います:

(1) ビブラートは、音楽的に必要になったら自然と出てくる。練習の必要はない。

 まあ、世界的トッププレーヤーの言ならば、それは「その人にとっては」そうかもしれませんが、一般のフルート学習者やアマチュアにとっては、いうまでもなくそうではありません。プロ・アマ問わず、多くのフルート吹きは、いつかの時期に集中してビブラートの練習をした、している、あるいはする予定だと思います。そもそも、練習しないでキレイなビブラートで吹ける人なんて非常に稀で、そういう主張には一般性はありません。

 また、フルートでは、バロック古典期よりフィンガービブラートはありましたが、確か、息のコントロールによるビブラートはゴーベールあたりからだったと、Nancy Toff著のThe Flute Bookに書いてあったと思います。また、Quantz著の"On Playing the Flute"(Reilly, E.R.訳, Faber & Faber)にもフィンガービブラートの記述しかありません(私はドイツ語は読めないので、英訳版で確認した)。つまり、バロックや古典の曲は、息によるビブラートは作曲者の想定にはありません。しかし↑のようなことを発言してマウントを取ろうとする人に限って、モーツァルトのコンチェルトやバッハのソナタにもバリバリにビブラートを掛けていたりして(笑)。

 音楽は、作曲年代に問わず、今の演奏者の演奏とそれを聴く聴衆の間で成立するものだと思います。フルートに関しては、息によるビブラートが非常に一般的になっている昨今、そういう演奏を我々は日常的に聴いています。それが現代の演奏スタイルであり、多くの聴衆の耳はそういうスタイルになじんでしまっているわけです。したがって、「音楽的な必要性」は、譜面のみならず、沢山の演奏を聴いて耳になじんでしまっている現代の演奏スタイル両方に由来されるものなのでしょう。しかし、↑のような主張をする人は、「いや、楽譜の中に全てがある!」と主張するのでしょうかね。

蛇足ですが、我々アマチュアは、楽曲を自分の吹きたいように吹くことが断然許されるので、時代考証ゼロ、現代の演奏スタイル無視の演奏も全く問題ありません(笑)。

他にも面白い例をいくつか覚えているので、後日投稿してみたいと思います。

つづく