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manaoの運命帳

いつでも私の今は周りと昔とつながっている。こんなはずじゃなかった、ではなく、こんなのもまたいいか、と思えるために。

もの・こと

2005年10月20日 | wondering wanderer
 「娼婦のこころを盗むには」。この記事を読んだとき、すごくすっきりした。タイの施設で出会った子たちと自分とが、同じ世界に同じ条件の下に生きていると思うことこそが公平、というような大いなる、そして無駄な幻想。そんなの現実でも理想でもないということに気づいていながら、その思い込みから抜け出した後の気持ちのやり場がみつからずに困っていたのだけど、決してあきらめではなく、そっか、しかたないよね、と思わせてもらった。
 あの子たちと「もの」どうしのつきあいをしていれば、後ろめたさも心苦しさも羨ましさもなくすごし、日本に帰ってきたらあー楽しかった、ですんでいたのだろう。でも、りんごが私の人生の中での「こと」になったことは、楽しいことだらけじゃなかったのにどう考えても私の人生のできごとNo.1だ。「もの」の連続を楽しいという人生もあるだろうけど、私は「こと」にすることがもたらすどろどろにかき回されて流されていくことが好きなんだと思う。
 長い人生をいろんなふうに生き抜いてきたおじいさんおばあさんのそばにいられる仕事に就けて、本当によかったと思っていた。でも、特にそれが田舎であればあるほど、そんなおじいさんおばあさんの語ってくれる人生行路(人生行路という言葉が大好きなおじいさんがいたなあ。)は私にとっては「もの」にしかなってくれない。そして、それが「もの」にしかなりえない、ということに対する自分の悶々とした気持ちと、目の前にいるおじいさんおばあさんとの距離だけが「こと」になっていってしまう。
 でも、もの」と「こと」もつながることができるとルパンが感じさせてくれる、そんな記事。よしえちゃんにも読んでもらいたいなあ。

なつかしの平安時代

2005年10月11日 | wondering wanderer
 紅葉狩りに行ってきた。白駒池。曇り空だったけど「だいじょうぶ。私が晴れ女だから」と強気で出かけた。駐車場が近づくにつれて小雨が降ってくる。そして「ちょっとしたハイキングコースらしい」と言われてたんだけどすっごい山道だった。紅葉狩りなんだか登山なんだか分からなくなった頃、頂上の岩場に着いた。もちろん雨はやみ、青空さえちょっとだけ見える。山頂から見える白駒池の紅葉は、「あら、あそこに平安時代が。」という感じだった。

おんたま会発足

2005年09月01日 | wondering wanderer
 mkちゃんとymちゃんと白馬槍温泉に登ってきた。山の上の足湯につかりながら、同じ山小屋に泊まっていたおじさんたちと話した。
 ただお酒を飲んで、おじさんのおやじギャグを笑っていただけなのに、いきなり聞かれてしまった。
 「あなたたちは看護婦さん?」
 おじさん、すごすぎる!
 
 白馬槍温泉の旅、おんたま会について詳しくはこちらを見てね。