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夢の中での日常 

気づいたことを書く。それだけです。HSPです。

3月、ありがとう。

2021-03-27 23:38:00 | 日記

身も心も忙しい3月。
大切なイベントをいくつかこなし、無事に4月を迎えられそうです。



卒業式の日…
夕方。





息子「あ、ママ。

   6年間ありがとうございました。」
 



と言って、深々と頭を下げたのです。


またまたちょっと泣きそうになりながら…


『いえいえ、こちらこそ。

     よくがんばりました!』

と返し、彼を抱きしめました。


我ながら、しっかりした息子だと感心しました。


やっぱりかけがえのない子供達を、大人になるまでしっかりと見守らなければいけない、見守りたい!と心から思ったのでした。




それと、今日27日は次男の誕生日。

9年前のその時を思い出します。

その病院で同じ日に出産予定だった6人のうち、私以外がみんな無痛分娩でした。

私は長男を普通に産んだので、次男もそうしました。
ただ長男の入園式と、次男の出産予定日が重なってしまい、どうしても早めに産まなければいけなくなりました。


38週で計画分娩をしました。
薬で陣痛を誘発してお産をするのですが、なかなか痛くて大変でした。

でも他の5人の無痛分娩組の妊婦さん達がカーテンを挟んで隣の分娩台で、わーわーうーうー痛い痛い!と叫んでいる中、普通に産んだ私が1番早く出産を終えたのです😊安産安産👍

そして…
1番痛かったのは点滴!!!

針を刺す位置が(骨の上??)悪かったのか、看護師が下手くそだったのか、、めっっちゃくちゃ痛くて、、、もうやめてください!!と思わず言ってしまったほどです。
そしてまた同じところに刺そうとするので…
もう!そこはいいです!と言って、違う位置に刺してもらいました。

お産よりその痛みの方が5倍は痛かったです。



無痛分娩組の1人の方は、麻酔を入れた後、ほとんど動かず、ずっと同じ方向を下にして寝ていたら、反対側の半身に麻酔が行き渡らず、結局痛いままお産をしたらしいです。

高い料金払ってそれじゃ🙀


出産は、昔は命懸けだったわけで…
いくら医療が発達したきたからといって、やはり人が生まれる瞬間の緊張感、生まれるまで何が起きるかわからない、緊迫感は、底知れぬものです。


2人とも無事に生まれてきたことが、奇跡。お産にあたり、何ヶ月も診察してくださった先生方や、立ち会ってくれた助産師さん、ほんとうに感謝の気持ちでいっぱいです。
9年、12年が経ちましたが、感謝の気持ちは変わりません。


息子達は、元気でやっています!












何とも言えない…

2021-03-12 22:39:00 | 日常

4月から中学に上がる長男。

今週から塾の終わりの時間が遅くなり、帰りの時間が21:45くらいなのですが、終わって電話をかけてきたときのこと…


※塾から自宅までは徒歩6〜7分なのですが…




息子 『塾終わって、今帰ってる。』

私 「お疲れ様。そこまで迎えに行くね。」

息子 『いいよ。もう遅いし。』

私 「遅いから行くんじゃん!」

息子 『大丈夫だよ。雨降りそうだし。』






私…泣きそうになりましたよ。


親を気遣ってくれてるんですよね。
てことは、もう子供から大人になろうとしているんですよね。

だったら私もそのように接するべきなのかなぁと…。彼との距離感を意識しつつ、今まで以上に意見を尊重して接しないといけないなと思いました。


ついこないだまで、ママ〜とか言って甘えてたのに…

何とも言えない気持ちになりました。
でも、成長って、、いいですね。大人に近づくって、嬉しいものですね。


笑顔と共に涙が出そうです。












それぞれの役割

2021-03-11 22:12:00 | 日記

震災から10年が経ちました。

私は都内の自宅マンションの6階(当時)にいました。
2歳の長男が熱を出し、リビングで添い寝をしていたのを今でもはっきり覚えています。
震度5弱の揺れでしたが、飼い犬は吠えるし、物は落ちるし、食器もいくつか落ちて割れました。
パニックになり、すぐに母親と旦那に電話をしました。


津波の被害にあわれた方や、当時のことを思い出すと、涙が出ます。




先日TVで見た方がおっしゃっていたことが頭から離れません。

津波の様子をたまたま上空のヘリコプターから撮影していた方が、『大変な被害なのに、助けようとせずに、自分は揺れない安全な所からこうして撮影などしていていいのか…。』
という主旨のことでした。


私の考えたことは…

津波を上から映したその映像は、とても貴重な資料になるであろう物で、決してムダではないのです。
だからあの方の行動は間違ってないし、「なんで撮影してるんだ。そんな暇があるなら助けに行け。」などと言う人がいたら、それは筋違いだと思います。


みんながみんな人命救助のためだけに生きているわけではないし、みんながみんな同じ事をしなければいけないわけでもない。

人それぞれ、立場やタイミングが違うのだから、それぞれの役割があっていいんだと思います。


ヘリコプターから撮影をし、情報提供という形で被災地の役に立った人。

直接人命救助が出来る場所にいて、救助をした人。

物資を提供した人。

TVの向こうから復興を願い、手を合わせた人。

そして私は、東北は祖母や親戚が住んでいて、毎年のように遊びにいっていたこともあり、何らかの形で復興のお手伝いができればと思いながらも、2歳の息子を抱えて行くわけにもいかず、ただただ遠くから祈っていました。




一つでも、一人でも、あの辛い体験から立ち直ったり、笑顔が増えることを今も願わずにはいられません。


2歳だった長男は今年中学に入学します。
私の役割は、目の前の息子たちを、無事に大人になるまで、見届けることだと思っています。

人それぞれの役割があっていい。

私はそう思います。




今も大変な思いをしている方が、少しでも笑顔を取り戻せますように。
心からそう願っています。