DIL 関谷 久平

個々の内なる光を皆様と共に探究する関谷久平(晧元)のブログです。

天野真実さんのコメント

2009年10月26日 10時23分43秒 | Weblog
前回のBLOGに来ているコメントを開いてみたら驚いた!本当に驚いた!

天野さんの先週の体験は、私が先月受けたショックとあまりにも酷似していたから。
実際には、このように毎日毎日100人ほどが自殺している訳だ。

自殺なんて他人事と殆どの人は考えて生きているが、実際のはなし身近に起こると物凄いショックを受けるもの。

先週の金曜日(推測)の同級生たちは勿論授業どころではなかったことでしょう。
真理知識を数年間も熱心に学び、リーダー的な優等生。神仏に対する崇高なる信仰心、探究心、姿勢、情熱の全ては見上げたもの。

『それなのに何故?何故?どうして?』同級生の動揺も半端なものではなかったのがよく分かります。

何があっても「生きながらえて内側からの満たされる光を求め続けるか?」「目標が見えない寂しさに負けて、自殺は最も神意に反する教えとはしりながらも、死んだ方がマシと思い込むのか」

この大事な問題を救える宗教に出会った人は殆どなく、立派に見える宗教の多くは知的な理論遊戯に過ぎない。
人間は「正しくバランスのとれた感情こそが最優先」であることを知らない。
だから熱心になるほどに疑問が大きくなってくる訳だ。

真に淋しく救いを求めている人を救うのは、知的探究ではなく、感情探究であることに気づいている指導者は、まずまず見当たらない。
見渡せば知的指導者ばかりが目立ち、真に悟りし者は、この世では概ね軽く見られている所以でもあろう。

死の瀬戸際に立つとき

2009年10月18日 08時11分14秒 | Weblog
いま年間3万人以上の自殺者が10年以上も続いている。世を儚んで「死にたい」「死んだ方がましだ」「生きていても何の良いこともない」。そう思っていながら、自殺だけはと思いとどまっている人を数えれば、その何十倍、何百倍も居るだろうと容易に想像できる時代が来ている。

世の中が悪いのだろうか?世の中とは何だろう?政治家が悪いのだろうか?経済の仕組みが悪いのだろうか?教育機関が悪いのだろうか?宗教指導者が悪いのだろうか?親兄弟や友達が悪いのだろうか?それとも愛し抜いてくれると誓ったハズの恋人か?

自殺者には、必ずそれなりの理由があることは誰にも分かっている。
彼らの誰にも希望が無く・・・心は乾き切っていた・・・淋しくて到底我慢が出来なかった。
つまり、その人間の生き長らえたいのか、死んだ方が自分の道か、最後の決め手は感情で決まるのだ。だから人間は感情の動物だと言われている。

この生死ギリギリの間際に立たされた時、宗教の教訓は何の役にも立たない。
考え直して、ああ思えばいいんだ。こう切り替えて考えるべきだ。運命の転換を祈願して神にすがれ。そんな教訓はクソの役にも立っていない。

だから、どんな立派な内容の本を何十回読みなおして、丸暗記することが出来たとしても、また書いてある事を実践努力し続けても、ただ参考になる程度だと思えばいい。
命を賭けてまで、取り組むほどの価値は宗教書の中にも、大きな建築物内の集団祈祷の中にも無い。

しかし、創造主の恵みによって、生きていられるこの体を、謳歌・賞賛し続けられる道は、必ず今までで見つからなかった何処かに有るに違いない。
その強い意欲で探し続けることを・・・「求めよ!されば得られん!」とイエスに言ったに違いない。

人の進化って何?

2009年10月07日 09時43分24秒 | Weblog
人間は読書によって進化するのだろうか。本を読んでみると、確かに良い情報はいくらでもあって「このことを知っている人は、まだ少ないに違いない。覚えておこう」と思うことが沢山ある。
知的な発展だけではない。感性を磨くのも、ああすれば、こうすればと材料なら世の中に溢れている。

神理的な知識学習の方は更に膨大だ。読むもの聞くものが際限もなく未知の世界へと広がって行く。なにしろこの目には見えない世界の話になるから、普通では見届けることが出来ないため、盲信しながらどこまでも着いてゆくしかない。

こういう状況の中で、人は本を読んだり、ノートを取ったりしながら自分の進化をあてにして生きている。それで良しと決め付けて生きている。

宗教団体の教祖が書いた本。または霊能者の刊行物。前回の『神との対話』も『ものみの塔』も、一所懸命に学習すれば、生徒として進化するだろうと、誰でもがそのように思い込み勝ちだ。

しかし、自分がどの方向に向かって進化しているのか、どんな成長をしているのか、本当の目的に正しく向いて進んでいるのか???それを点検できる基準まで歪んではいないか?それを自分の内側に聞いて見る必要を感じた人だけが実際に進化しているのだろう。

幸福探求者が自殺!

2009年10月04日 08時24分58秒 | Weblog
『神との対話』が絶対最高の書、唯一救いの書としていたKさんが先月自ら命を絶った。
昨日は彼女を偲ぶ会がht〇〇という同好会の有志主催によって行われた。

Kさんは、その集いのリーダー格であり、自宅に毎月一回の会合を開き、『神との対話』検討会のファシリテーターとして正に八面六臂、自信をもって会を引っ張っていた人だ。

私も何回か参加して『神との対話』の内容の素晴らしさを聞かされていた一人だった。
この5月ごろまでは、マハラジビデオ会にも大変熱心に参加して、htグループの何人も動員してくれた功労者でもあったので、感謝していたのにと残念でたまらない。
昨夜は参加者全員で黙祷をささげ、切に冥福を祈るしかなくなったが、何故?どうして?と誰もが考え込んでいた。

思い出話はいくつか出たが、不眠症、鬱、失恋など重なったようだった。

それにしても悔しいのは、彼女の、あまりにも左脳型・思考傾向だったと私は思う。
『神との対話』はバイブルとして20回づつも読んだとか?9冊もある第何巻の何ページにはどんなことが書いてあるかなど隅々まで知っていた。

その熟知範囲内で思考が固まっているかのように、せっかくマハラジのメッセージを聞くチャンスに出会っても、「この話以上のことが何ページに書いてある」と頭を働かせて、メッセージからの気づきを軽視して、殆ど眠りながら聞いていた。

もしかして、その時間だけが、Kさんの頭が本当の休息の中に入り、心底から安らげた時間であったと、今となっては容易に想像できる。
しかし左脳型で勉強好きな当人にとっては、何にも新しい知識とならない無駄な時間に思えたのかも知れない。

赤ちゃんのように先入観は一切もたず、ボ~ッとしながら、しかも眠らずに好奇心で聞く・・・そんな態勢でもう少し続けて、自分自身が歓喜で満たされながら生きている今を体験して欲しかった。もちろん『神との対話』が絶対最高の書としている、全くそのままで良かったのに。