@hyodoshinji 仮面ライダーがもはや正義のセの字もないのに戦わされていることを思えば、ロボット物はそれなりに時代に準じていい一生を終えた、という考え方もできるとは思うのだが。
でもなあ、俺としてはスパロボさえ楽しめれば文句はないけど、もはやそれすらおわコンだしなあ。
特にW以降は(個々の作品には言いたい事はあるものの)かなり王道なヒーローの筈ですよね。
@hyodoshinji まあ中期くらいの平成ライダー、大雑把に言っても龍騎~ディケイドあたりまでについてなら、仰ることも分からなくはないです(それでも、彼らなりの矜持はあったろうという認識ですが)。
@hyodoshinji ただそのあたりの作品もそろそろ、「最近のライダー」という括りにするのは(特に作品の路線が王道的か否かとかそういう文脈では)厳しい気はします。
@ut_ken 「町」「友情」「希望」、もっと言えば「愛」とか、「大義」が小乗的なものになっていったということは言えると思うのですね。
ただそれは『ライダー』だけの問題ではなく「愛」を守ることが「正義」ではないのかと言うとそれも当然「正義」なわけで、否定してはならないと思います。
まあ小乗的になったというか、所謂「大きな物語の終焉」みたいな指摘は間違っても無い様な気はするけど、逆に言えば守ろうとしてたのが漠然とした世界とか平和と言ったものから、もっと具体的になったとも言える気はするんですよね。
この辺は好みの問題なんでしょうけど、ニコニコで配信してるBLACK~RXの頃だと、ゲストキャラが天才科学者だったりなんか凄い力持ってたりして悪党に狙われる⇒ライダーがそれを助けるという流れで、あくまでゲストを悪用することによる社会への影響を防ぐのが大目標、
ゲスト自身を守るのが小目標という構造になってますけど、今のライダーだとゲストは怪人の素体だったり力を与える存在ではあるもののそれ以外は何の変哲もない一般人で、彼らの抱える問題を解決するのがメインで、
悪の手に渡るのを防ぐのはどっちかというとオマケって感じなんですよね。少なくとも物語を割く比率としては。僕としては最近のライダーのほうが好みですね。
@kuroya_blue ぼくの中の感覚だと、そうした「パーソナルな世界を守ること」を命題に掲げることで「大義」とぶつかりあった(そして結果「大義」を否定した)ヒーローは90年代に集中している感じです。
となると「大義」とぶつかり合わない今のヒーローは正しいのか、
今「大義」を問題にしたとき、そこに昭和のようにダイナミックな斬り込み方をしたとして果たして視聴者は共感できるのか?という問題もありますからね。
「戦争とは何か、平和とは何か」みたいなテーゼにある程度切り込んでるダンボール戦機でさえ、「どうせ戦争が無くならないなら、ガチな戦争よりかは血を流さない代理戦争の方がマシじゃん?」という感じの切り口で、
「正義なんてそんな簡単なものじゃないよ」というのを踏まえたうえで「それでも正義は必要だよ」と言っていくのが今のヒーローかなと。
ぶっちゃけ、70年代ぐらいの等身大ヒーロー物で世界征服を狙う組織も実際やってることは大体、主人公の身近な社会や人を襲うことが多くて。そのほうが活劇として話が作りやすいですし@kuroya_blue
だからこそレインボーマンとかの川内康範作品で比較的現実味のある国家を揺るがす悪事をしていたり、イナズマンFでデスパーシティが具対的に描かれたりしたのなどが際立つわけで。@kuroya_blue
まあ個人的にはその敏樹的なものを禍根と考えているからこそ、虚淵がいまのライダーをまともに調理できんのか?という不安があるわけだが。
@hyodoshinji 井上さんのエグさはあくまで王道的なもののなかにアクセントとしてあるから良かったのに、一時期のライダーはエグさをメインにしてしまったために却って面白みを欠いてしまったと思ってます。かなり浅い分析だとは思いますが。
というか、ファンタジスタドールもジュエルペットも仮面ライダーカブトも意味わからんことやっても「○○なら仕方ないな」って視聴者に思わせた時点で既に大勝利だよね
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